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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第5章 ファースト・アイ前編
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リキッド・デイ



 ニコルは道具の紹介をしてくれたものの、それを用いた具体的な作戦は提案を控えた。実際に道具を使ってみてからでないと、的確なアドバイス出来ないのだろう。正直なところ、レオンも同感だった。どれくらい当てにしていいものなのか、使用感が分からないと作戦を立てにくい。

 そういうわけで、とりあえず、従来通りの作戦を用いる事にする。レオンが攻撃を受ける係りで、ステラが攻撃する係り。多くの作戦を使いこなせるようになった後でも、この作戦はひとつの柱にはなるはずだ。ある程度合理的なはずだし、それに使い慣れている。少なくとも、まだこのダンジョンに慣れていない以上、無理な挑戦は避けたい。

 ところが、いつも通りに扉を開けて覗いてみる段階になって、この前は気付かなかった事にレオンは気付いた。

「あ・・・そうか」

 思わず声を出してしまったレオンだが、モンスターが向こうに潜んでいるかもしれない扉の前でする行為とは言えない。なかなか頑丈そうな金属扉で、それなりに遮音効果もあるはずだが、慌ててレオンは口を押さえた。

 それを控えて見ていたステラが、こちらに近付いて小声で聞いた。

「どうかしたんですか?」

 口から手を離して頷くレオン。

「よく考えてみたら・・・向こうは真っ暗で、こっちだけ灯りを持ってるんだから、扉が少し開いただけでも普通気付くよね」

 急に光が射し込んでくるのだから、目が見えないモンスターでもない限り気が付くだろう。なんの事はない、当たり前の事だ。

 しかし、ステラは無言で二度ほど瞬く。全くの予想外という表情だった。

「・・・そういえばそうですよね」

 何故気付かなかったのだろうかと思うような事だが、結局ビギナーズ・アイに慣れ過ぎたのだろう。向こうでは各部屋に灯りがあるのが当たり前だったのだ。

 だが、ここはもうビギナーズ・アイではない。

「どうします?」

 ステラの質問に、レオンは少し考える。

「灯りを消すとか・・・あ、でも、それだと何も見えないのか」

 まさに当たり前の事だった。

「それに、純光源を使ってたら、消すともう使えませんから、いちいち消してると・・・」

 出費が物凄い事になる。考えただけで胃が痛くなるような話だった。ステラが言葉を濁したのは、レオンの心情というか、ある意味レオンの身体を気遣ってくれたのだろう。

 しばらく黙って考えていたレオンだが、結局のところ、戦術の話と同じ結論になった。

「とりあえず、前と同じように偵察しよう。だけど、もう覗いた瞬間から戦闘だと思ってて」

 懸念材料は増えても、実際に行う事は同じ。これでいいのかと思う事もあるが、他に思い付かないのだから仕方ない。

 どうやらステラも同じ考えだったらしく、少し苦笑気味ながらも頷いた。

「そうですね。分かりました」

「だから、ランタンは壁の陰に置いておいて・・・あと、ステラも」

 ランタンを床に置いてから、移動するステラ。向こうからは完全に見えない位置に下がったところで、レオンは頷く。

 そこで、今まで右肩で大人しくしていたソフィが、ステラの方まで軽やかに駆けていく。彼女の身体には上らずに、その傍で止まって行儀良く座ってこちらを見る。毎度思う事だが、これから戦闘になるという事をソフィはよく理解しているようだ。長い付き合いがあれば、動物でもそれくらいの気遣いをしてくれるかもしれないが、ソフィとはまだ出会って一ヶ月弱程しか経っていない。そう考えると、確かにカーバンクルは頭のいい生き物だと納得せざるを得ない。

 いずれにしても、これで準備は整った。

 レオンは扉に手をかけてから、改めて基本的な事柄を確認する。

 有利な場所で戦う。

 直接倒す事だけが攻撃ではない。

 そして、常に頭を使う事。

 大して力のない自分が生き残る為には、全て必須な事だ。何かひとつでも欠けてはいけない。ビギナーズ・アイに慣れ過ぎて気が緩んでいる感があるので、念には念を入れて確認しておく。

 ただし、それも10秒はかけない。長ければ長い程、向こうがこちらの気配に気付く可能性が高まる。

 そこまで気が回るのなら大丈夫だろうか。

 そう感じた瞬間、レオンはゆっくり扉を開けた。

 ほんの数センチ程隙間を作る。

 灯りが届く範囲で見えるのは、このダンジョンの特徴でもある、青い燐光混じりの地面。そして、同じ岩で出来た太い柱。まさに洞窟然とした光景だ。

 気になるところといえば、その地面が途中で途切れてしまっている事。10メートル程前方へ歩いた辺りから地面がなく、真っ暗な闇しかない。

 それ以上の事は、ここからだと分からない。しばらく待ってみたが、モンスターが襲ってくるような気配はなかった。

 レオンはゆっくりとドアを開いていく。

 ドアに遮られていたランタンの灯りが、次第に部屋の内部を明らかにしていく。

 どうやらここは高台のようだ。地面が途切れた先にも、太い柱が乱立しているのが見えるからである。つまり、その下にも地面があるのだろう。しかし、その地面がどれくらい下なのかは分からない。

 ここでレオンは、腰に差していた長さ10センチ程の木の棒を取り出す。

 純光源式携帯棒。略して純光棒と呼ばれるらしい。見た目には細めの棍棒にしか見えない。というより、実際ほとんどその通りなのだが、中軸に細い金属筒が埋め込んであって、その中に特殊な物質が入っているらしい。それだけでこの棒の値段が何十倍にも跳ね上がるのだから、恐ろしい話である。

 それはそれとして、使い方は全く難しくない。先を強く擦るだけなのだ。実は初めて使うレオンだが、鎧に当てて擦っただけで、すぐにその先端が白く輝き始める。

 確かに、炎の灯りとは違う光。そして全く熱くない。輝いている先端に触れてみるが、むしろ少し冷たいくらいだった。

 この灯りは6時間程持続する。しかも、衝撃を受けたからといって消えたりはしない。消したいと思った時は水に浸けるだけ。まさに便利アイテムだが、その値段ゆえ、冒険者以外が使う事はほとんどない。逆に冒険者ならば、ほぼ全員がお世話になっているという、ある意味ベストセラー商品だという事である。確かに、改めて注文する間でもなく、ラッセルの店には在庫が唸るほどあった。

 再びそれを腰に差すレオン。手が空くので確かに便利だが、光量はそれほどでもないようだ。陰になっているランタンとそれほど変わらない。ただし、自分の視野を確保するという点では十分だと言える。

 そして、レオンはゆっくりと前へ進む。一度下に落ちる経験をしているだけに、足下には神経質になる。不用意に進んで落とし穴にかかるというパターンだけは御免だった。

 やがて、高台の端までたどり着く。

 そこから見下ろした事で、レオンにもようやくこの部屋の全体像が見えてきた。

 高台と言ったのは間違いではなかった。もっとも、高台になっているのはこの場所だけではない。他にもいくつか台地となっている場所があるものの、その下には比較的平らな地面が広がっている。その落差は5メートル程度だから飛び降りられないわけではないが、そもそも、高台の周囲は完全な崖というわけではなく、滑って下りられそうなくらいの傾斜はあった。しかし、下りる方はなんとかなっても、上がる方は一筋縄ではいかないだろう。

 下にはモンスターがウロウロしている。そんな状況も想定していたレオンだが、逆に不気味なくらいモンスターの気配がない。何かが動いているような印象は全く感じられなかった。

 どうしても、レオンはそれが信用出来ない。

 一度ドアまで戻ってステラを呼んだ。ソフィも少し控えて着いてくる。

 しばらく目を閉じて俯いていた彼女だが、やがて目を開けてからこちらを見た。

「いますね」

 その回答を予想していたはずなのに、何故か少し驚いたレオンだった。

「いるの?」

 ステラは頷いてから、崖の真下を指で示す。

「あそこです」

 言われるがままにそこを見てみるが、もちろん何もいなかった。既に見えるところは穴が開く程観察したのだから。

「何もいないけど・・・」

「いるんですよ。ただ、詰まっていて見えないだけで」

「詰まってる?」

 そこでステラは、近くに落ちていた石を拾って、自分が指さした辺りに無造作に落とす。

 何も不自然な事はなく、真っ直ぐに落下していく石。

 しかし、下の地面に衝突する50センチ程上で、不意にその空間に波が立った。

 石はその後、まさに水中に沈むようにゆっくりと落ちていく。

 目を疑ったレオンだが、ここでようやくステラの言葉の意味が分かった。

「・・・これ、モンスター?」

 最初の疑問がそれだった。

 首を傾げながら、ステラは答える。

「さあ・・・でも、普通の水溜まりではないですよ」

 それもそうだと思いながら、レオンはもう一度下を覗いた。

 不思議なもので、一度何かいると分かると、以前は全く見えなかったものでもしっかりと見えるようになる。崖の下を占めているのは、恐らく50センチ四方程の透明な液体の固まり。水の固まりと言ってもいいかもしれないが、ただ透明なだけで水かどうかは分からない。しかし、ステラの言う通り自然の物体とは思えないから、とりあえずモンスターには違いない。

 よく見ると、完全に透明というわけではなく、塵のような物が漂っているようにも見える。ただ、ここは元々地面が燐光を反射しているので、それに紛れて塵もあまり目立たない。仮に隠れているつもりなのだとしたら、ほぼ完璧な隠れ方だった。

 ただ、こちらを攻撃してくるような気配が全くない。

「・・・何がしたいんだろう」

 ぽつりと呟いたレオンの声が、ステラの耳にも届いたらしい。

「分かりませんけど、下りたら動いて襲ってくるんでしょうか」

「それだったら、今から襲ってくればいいのに」

 自分で言うのもなんだが、ステラを呼ぶ前だったら、恐らく完璧に奇襲されていた。

 下を見ながら、ステラは控えめに意見を述べる。

「もしかしたら、上がってこられない・・・とか」

 レオンも下を見る。まさかそんな間抜けな話はないだろうと思ったが、やはり襲ってこない。見ているうちに、なんとなくその通りのような気がしてくる。

「・・・手とか足とかないしね」

 罠のようなものなのだろう。そう思い込むしかない。

 再びステラはこちらを見る。

「どうします?魔法なら倒せるかもしれませんけど」

「それでいこう。周りは僕が注意しておくから」

 やや嬉しそうに頷くステラ。しかし、すぐに表情を引き締めた。

 そのまま彼女は魔法準備に入る。いつものように、目を閉じた彼女の眼前で青白い光が文字を描いていく。

 結局、驚く程何の抵抗もなく、謎の液体モンスターはステラの魔法で霜となって消えた。

 その後相談して、レオンは高台から下りてみる事にした。ステラは上に残したままである。彼女が感じ取れる範囲では他にモンスターはいないし、仮に同じモンスターが他にいたとしても、彼女の魔法が対処してくれるだろう。

 ステラの位置まで戻りやすくする為に、手近な柱にロープを結んで下に垂らしておく。

「大丈夫ですか?」

 ロープを伝って下りるレオンに、ステラが上から声をかける。気持ちはありがたいものの、彼女の声はよく通るから、モンスターに気取られないか心配だった。

「大丈夫。それより、周りに注意して」

 それだけ言って、レオンはようやく下にたどり着く。

 ところどころ高い台地があるものの、かなり広い空間である。工夫次第で、レオンもステラも戦いやすい場所になる。ここを制圧しておけば、後々モンスターを誘い込む場所としても最適だろう。今レオンが多少危険を冒しているのは、そういう目論見があるからだった。

 レオンは周りに注意を払う。しかし、この場合、頼りになるのは目ではなくて耳だった。

 時折石を拾いながら、あちこちに投げてみる。カランコロンという乾いた音がしたなら、そこにはさっきのモンスターがいないという事になる。

 そうやって様子を窺いながら、慎重に歩みを進めた。

 だが、最初に感じたように、モンスターはいないようだった。

 しばらく進むと、今まで比較的更地だったのが、次第に岩や瓦礫が地面に目立つようになってくる。

 どこかで見た光景だなと思っていると、純光源が照らし出す光の範囲に、不意に真新しい物が目に飛び込んでくる。

 水場である。池や泉というより、小さな窪地に水が溜まっているだけといった感じだった。ただし、その縁には綺麗に石が並べられてあって、明らかに自然のものではない。

 しかし、何か危険があるようにも見えない。

 もう少し水溜まりに近付いてみると、そのすぐ向こう側に壁が見えた。どうやら部屋の端まで来たようだ。

 結局、もう脅威は何もないのだろうか。

 モンスターがあの粘体だけというのはやや拍子抜けな印象だが、仮に下りてきた者を奇襲するのが目的だったのなら、数が少なければ少ない程見つかりにくいわけで、そういう意味でなら合理的な配置だったのかもしれない。

 一応水溜まりに石を投げてみる。普通に水音がして波が立ったを確認してから、レオンは来た道を引き返そうとする。

 その時、突然大きな水音がした。

 咄嗟にまた水溜まりを見るレオン。

 その光景に、本当の意味でレオンは目を奪われた。

 とりあえず人間ではなかった。だが、姿形は人間の女性そっくりで、そして、場違いにもほどがあるが、とても綺麗だとレオンは思った。

 透けるような肌という形容があるが、彼女は本当に肌が透けている。やや青みがかっているものの、身体が水で出来ているとしか思えない。大きな瞳も長い髪も、そして纏っている羽衣のような服も、全て同じ青色。透き通っているから、体内までもよく見える。

 そう考えたところで、レオンは急に気恥ずかしくて堪らなくなった。

 人間ではない。それでも、女性の身体をジロジロ見ているようで気が引ける。裸というわけではないはずだが、身体のラインがよく分かる服装だから、レオンにとっては本当の意味で目に毒だった。じっと見ていたら、心臓の具合が悪くなる気がする。

 だが、無意識に目を逸らしたところで、そんな場合ではないと気付く。こう見えても、恐らくモンスターに違いない。

 見たらいいのか、それとも見ない方がいいのか、否応なくレオンは混乱したが、当然ながら、向こうはこちらにはお構いなしだった。

「見習い?」

 見た目通りの高い少女の声。気のせいかベティの声によく似ていた。言葉が話せるのも驚きだが、わざわざ話しかけてきたのも驚きだった。もしかしたら、モンスターではないのだろうか。

 目を逸らしながら、レオンは答える。

「えっと・・・はい、まあ」

 水の少女はこちらをじっと見つめていたが、不意に微笑んだ。

 その微笑みを辛うじて視界に捉えていたレオンは、嫌な予感しかしなかった。

 何故なら、その微笑みも、まさにベティそっくりだったのだ。何か企んでいる時の彼女の邪な微笑みそのままである。

 その表情のまま、少女は質問した。

「向こうにいる金髪の子、君の彼女?」

 警戒感が吹き飛ぶ程、レオンは慌てた。

「いえいえ!そういうわけじゃ・・・」

「そう?でも、大切な人でしょ?」

 レオンはすぐに答えられなかった。さっきまで動揺していた心臓も、今は別の意味で鼓動が少し速い。

「どういう意味?」

 睨みつけながら聞く。

 少女は笑った。快活な笑い方だったが、今のレオンは、それを素直に見る事は出来ない。

 水の少女は不意に笑うのを止めて、流麗な仕草で両手を口元に持っていく。まるで見えない笛をくわえているかのような体勢。

 彼女は笑顔で一言だけ告げた。

「せいぜい頑張って守ってあげるのね」

 直後、本当に笛の音が室内を一瞬で満たす。

 テンポの速い旋律。身体が熱くなるような、闘争本能をかき立てられるような、そんな荒々しいリズムだった。

 そう感じる頃には、既にレオンはダガーを投擲していた。

 だが、どうしても頭や首、胸を狙う事は出来なかった。見た目が少女だから、抵抗感が完全には拭えない。躊躇するくらいなら、もっと狙いやすい場所に投げた方がいい。

 狙いは左肩。

 ダガーはズブリと命中したが、やはりというべきか、水のように手応えがなかった。少女も顔色一つ変えない。

 少女はまた笑った。口が動いても、問題なく笛の音は続いている。

「優しいのね・・・でも、相手も手加減してくれるとは思わない方がいいけど」

 その言葉で、半ば意志が固まった。

 次は頭を狙う。

 右手でダガーを抜こうとしたレオンだが、その機会は遂に訪れなかった。

 不意に足下が揺れる。

 急な地響きに、レオンは堪らず地面に手を着く。

 だが、変化はそれだけではない。

 周りの瓦礫が浮いていた。

「ちょっと壊れちゃったんだけど・・・まあ、見習いなら十分かな」

 少女がそう言う頃には、既にその姿は陰に隠れて見えなかった。

 浮いた瓦礫が集まって、人型を形成していく。

 レオンと少女の間に立ち塞がったのは、岩の巨人。

 体長3メートル程の寸胴なゴーレムだった。

 ただし、左腕がない。ちょっと壊れたというのはそういう意味らしい。

 それを確認したのも束の間。

 ゴーレムは音もなくこちらへ突進してきた。

 やはり地面から少し浮いているらしい。振動も何もない歩みだった。

 だがもちろん、そんな事を呑気に考えている場合ではない。

 ガレットの足も丸太のようだが、目の前のゴーレムはそれどころではない太さである。あんな物に弾かれたらひとたまりもない。

 咄嗟に、レオンは傍にあった柱の陰に退避した。身体は大きいゴーレムだが、殴る蹴る以外に攻撃手段はなさそうだし、逆にあれだけ大きければ、小回りが利かないだろう。この場所は、決してこちらに不利ではない。

 しかし、ゴーレムの行動はこちらの予測の上をいった。

 その突進の勢いそのままに、柱に拳を打ち付けたのだ。

 洞窟が崩壊するのかと思わせるほどの振動。

 柱は折れなかった。だが、ゴーレムの攻撃を受けた辺りは今にも折れそうである。瓦礫の山が降ってきたのと、その周辺の大き過ぎる振動に、レオンは堪らず後退した。

 その後、ゴーレムは何事もなかったかのようにゆっくりと柱を迂回してくる。

 なんというか、まさにモンスターと呼ぶに相応しい光景だった。

 どうしたら勝てるのか、レオンは考える。しかし、改めて考える間でもない。

 これだけ派手に戦闘していれば、ステラはきっと気付いているだろう。魔法の準備をしてくれているはずだ。要するに、ステラの視界にこのモンスターを収めるのが自分の仕事。

 そして、ニコルのガジェットを起動しておく。これ一発で倒せるとは思えないが、自分の最大火力がこれだ。

 左手を腰の後ろに持っていく。

 その時、ふとレオンは気付いた。

 これが使えるかもしれない。

 そう思ったのと、再びゴーレムが突っ込んできたのとはほぼ同時だった。

 今度は柱の陰には隠れず、右手に動きながら間合いを計る。

 あっという間に大きくなる、岩の巨人の姿。

 その拳が、レオンめがけて振り下ろされる。

 十分な助走が出来なかった為、身体を横に投げ出して避けるレオン。

 身体のすぐ近くて起きる轟音。

 間一髪のタイミングでなんとか拳に触れずに済んだ。そのまま地面の上を転がって、その勢いのまま立ち上がるレオン。

 ゴーレムの姿を確認する。

 巨人が拳を打ち付けた辺りには、割れた石片が飛び散っている。

 だが、レオンは少しほっとする。どうやら上手くいったらしい。そして、意外に強度があるものなんだなと感心していた。

 床を打ち付けた石の拳は、そこから引き剥がせなくなっている。

 その辺りに広がっているのは、白い粘液。

 粘着弾。

 手のひらにすっぽりと収まる程の小さな革袋のような物だが、中には白い特殊な粘液が詰まっている。特定の樹液に油を混ぜて加工した物らしいのだが、いざ作ろうと思ったら、かなり上等な施設が必要になるらしく、これまた高価な代物である。

 普通は床等に当てて粘液をばらまいて使うのだが、今回は避ける直前に置き土産として残していっただけである。ゴーレムの拳が勝手に袋を破いてくれたのだ。

 足止めしてくれればいいと思っていたが、こんなに隙だらけになるとは予想外である。

 しかし、これで十分ガジェットの発動に間に合う。レオンはゴーレムから視線を逸らさずに待機する。

 だが、その時少女の声が聞こえた。

「面白い事をするのね。でも、ちょっと甘いかな」

 少女の方を見るレオン。かなり後退させられた為か、既に彼女には灯りが届かない。

 しかし、青い光の文字が暗闇に浮かんでいるのは見える。

 魔法準備。

 そう思ったのも束の間、少女の魔法はあっさりと完成してしまった。

 レオンの背筋が寒くなる。

 ゴーレムに気を取られ過ぎたのか。

 今魔法が発動したら、避けられる自信はない。特に、ステラのような魔法だったら、避けようがない。

 ところが、彼女の魔法の目標は意外な場所だった。

 暗闇の向こうから突如やってきた3本の水の柱が射抜いたのは、レオンではなく、ゴーレムの拳だった。

 それも大した威力ではない。ただ水が拳を撫でただけといった感じの、ある意味優しい水流である。

 本当の効果が表れたのは、そのしばらく後だった。

 あれだけ地面に粘着されていたのが嘘のように、ゴーレムがあっさりと拳を引き剥がしたのである。

 驚きながらもレオンは考える。粘着弾の粘液が水に弱いのか、或いは、向こうの魔法が作り出した水が普通の水ではないのか。

 だが、そんな場合ではない。

 この位置はまずい。

 ゴーレムもそうだが、水の少女は魔法も使える。両方同時に相手をするわけにはいかない。

 その時だった。

「甘いのはそちらです」

 今度は聞き慣れた声だった。

 その言葉が合図だったかのように、ゴーレムの足下が霜に包まれる。

 ゴーレムも魔法の主に気付いたようだが、そちらに動き出そうとした時にはもう遅かった。今まで硬い岩そのものだった両足が、まるで土屑のようにボロボロと崩れ落ちていく。

 誰の魔法かはすぐに分かった。それでも、レオンは一瞬思考が止まってしまった。彼女を残してきた場所まではまだ距離がある。魔法の援護がもらえるとは、レオンですら予想外だった。

 彼女の魔法でも、一度に全部凍らせるのは無理があったようだ。だから、両足と右腕だけ。必要最低限と言えるかもしれない。

 四肢を失ったゴーレムは、どういうわけか全く動かない。

 潔く諦めたのだろうかと思ったが、ふと気付くと、笛の音が止んでいた。

「へえ・・・見習いなのに凄いのね」

 少女の声が聞こえた。どうやらステラの事らしい。ゴーレムを失ったはずだが、かなり余裕がある口調である。

 まだ気を抜けないレオンだったが、次の一言は完全に予想外だった。

「だけど、もう無理をしない方がいいわ。きっと倒れるくらいじゃ済まないから」

 一瞬どういう意味か分からなかった。ただ、不意に苦しそうな息遣いが聞こえてきて、レオンはすぐに理解した。

 瞬時に走り出す。灯りを持っている自分が、向こうの魔法の目印になってしまう可能性もあったが、そんな事を気にする余裕はなかった。

 目的地まではほんの数秒程で着いた。息遣いが聞こえていたので、場所はすぐに分かる。

 視界に入ったのは、杖を支えに膝を突いてうずくまっているステラと、その脇でそれを心配そうに見上げているソフィ。

「ステラ!」

 声は洞窟内に響き渡った。

 駆け寄ったレオンに、ステラは言った。

「何してるんですか・・・」

 お世辞にも力強い声とは言えない。こちらを見る余裕もないようだった。

 ジーニアスにはジーニアスにしか分からない事がある。ハワードが言っていた事だ。魔法だって使い続ければ疲労する。それは目に見えないから、アスリートには限界が分からない。

 それでも理解するように努力しなければならない。これも忘れてはならない言葉だ。

「それはいいから・・・」

 意外にも、ステラは少し怒っているようだった。

「物凄い音がするから心配して来てみれば、レオンさんは1人で戦ってるし・・・今も、私に構うよりも他にする事があるんじゃないですか?」

 咄嗟に後ろを見るレオン。向こうが魔法を使っている様子はない。

「他にも言いたい事が、本当は山ほどあるんです。その辺りの事をちゃんと分かってますか?」

 こういう言い方をするステラは珍しい。だが、それも疲労の証拠だろう。思ったままの事を口に出してしまっているのだ。

 しかし、今はそんな場合ではない。

「ゴメン、ステラ。後で聞くから・・・」

「後って・・・あ、ちょっと、その」

 無視して抱え上げようとすると、急にステラは慌てだした。

 何かまずかっただろうかと思っていると、背後から可笑しそうな笑い声が聞こえてくる。

「ふふ・・・君達、それって何かの作戦?」

 レオンには意味が分からない。

「まあいいわ。それよりも、私の言葉、忘れないでね」

「え?」

 思わず聞き返すと、モンスターとは思えない程優しい声が返ってきた。

「君が守ってあげるの」

 見習い2人は、何も言えなかった。

 本当にモンスターだろうか。

 水の少女は、最後にこう言った。

「じゃあね・・・あ、そうそう。これ、返しておくから」

 暗闇から音もなく、銀の刃が飛んでくる。

 地面に音を立てて転がったそれを、レオンとステラ、そしてが見る。

 黒い柄の短剣だった。

 レオンが最初に投げた物だろう。どこに転がったのかいちいち確認していなかったが、どうやら拾っていてくれたらしい。律儀というかなんというか、目的も思惑もよく分からない。

 だが、ステラが不意に気付いた。

「あ、それ・・・何か付いてますよ」

「え?」

「ほら、柄のところ」

 周囲の黒に隠れてよく見えなかったが、言われてみると、確かに以前はなかった青い光があった。

 それを確認したレオンは、今度こそ、さっきの少女の真意が読めなかった。

 お礼というわけはないだろう。まさか、これをやるから見逃してくれというわけもない。レオン達があまりに見事に戦ったから、つい何かしてあげたくなったなんて事は間違ってもない。

 しかし、そういえばステラの魔法は褒めていた。見習いにしては凄いと言っていたのだ。つまり、最後のパターンなのだろうか。

 いずれにしても、確かにそれはあった。

 ダガーの柄に埋め込まれていたのは、青い水流を伴う結晶体。

 ちっぽけなサイズのルーンだった。

 


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