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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第1章 自治都市ユースアイ
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伝える者達



 通されたのは、立派な調度品でいっぱいの部屋だった。

 ベティの案内で次にやってきたのは、とある民家だった。民家と言っても、お屋敷と言ってもいいほど立派な建物である。綺麗に整えられた庭の周りを、高い柵が囲っている。入り口にも、家紋らしきものが彫られた門が設えてある。広さはそれほどでもないという事だが、それを補って余りあるほどの風格がその家にはあった。

 その応接間らしき一室。初めて座るソファという物の感触に多少戸惑いながらも、レオンにはもっと気になる事があった。

 自分の隣に座っているベティが、口元とお腹を押さえて身悶えているからである。しかし、彼女は別に、体調が悪いわけではない。ただ、笑いを堪えているだけなのだ。

 その原因は、レオンの正面に座っている老人にあった。

 立派な白髭を蓄えたお爺さんである。ただ、顔にはしわが深く刻まれているし、目蓋もほとんど上がっていないように見える。さきほど見てきた鍛冶師のジェフさんよりも明らかに年上の、正真正銘の老人である。この部屋に入ってくる時も杖をついてたし、非常にゆっくりとした足取りだった。座っている今も、かなり腰の曲がった前傾姿勢だ。

 だが、ベティの笑いのツボにはまったのは、そのお爺さんの頭である。

 きっと既に髪がないのだろう。そんな曖昧な表現になってしまうのは、その頭を占拠している生物、いや、妖精がいるからだった。

 歳経た木の幹のような焦げ茶色の毛。その中から、木の葉のような深緑の瞳がふたつ、ぱっちりと開かれてこちらを見ている。老人の頭の上で腹這いになっているが、眠っているわけではないようだ。

 なんとなくだが、レオンにも、ベティが言わんとする事は分かった。つまり、お爺さんの頭上のカーバンクルが、ちょうどお爺さんの髪の毛みたいに見えるという状況。偶然なのか、故意なのかは分からないが、この奇跡的なフィット感。それでいて、その奇跡を全く意に介した様子のない、老人と妖精の堂々たる役者振り。レオンはそれほどではないが、確かにユニークな絵だとは言える。

 それでも、本人を目の前にして、中々そこまで笑えるものではない。幸い、お爺さんは気にする様子はないが、もしかしたら見えていないだけかもしれない。その事が、さらにベティの笑いを誘っているのかもしれないが。

 まだ笑いを堪えているうちはいいが、そのうち大声で笑い出すのではないかと、レオンはひやひやしていた。

 そこで、部屋に少女が入ってくる。お盆の上に、ティーカップが4つ。紅茶のようだった。

「面白いでしょう?」

 レオンの前にカップを置きながら、少女が言った。一点の曇りもない笑顔だった。

「え?あ、いや・・・」

 何の事ですかとも、そうですねとも答えにくい質問だった。かといって、そんな事ないですよと答えるのも、隣で身悶えている少女のせいで説得力がない。

 レオンが答えあぐねていると、少女が老人の隣に腰掛ける。すごく洗練された座り方だった。育ちがいいとはこの事かと思い知る。レオンは自然と背筋を伸ばした。

「お楽にして下さい。いいんですよ。ベティくらい横になって貰っても」

 実際、ベティはソファの背にもたれ掛かるようにして横を向いている。寝転がっていると言っても過言ではない。だが、さすがにそこまではリラックス出来なかった。というか、リラックスとはまた別の問題だ。単に笑い顔を隠しているだけである。

「いえ、それはちょっと・・・」

「冒険者さんともなると、普段から気を抜かないものなのですか?」 

「まだ見習いなので分かりませんけど・・・とりあえず、僕は大丈夫です」

「そうですか・・・でもご遠慮はなさらないで下さいね」

 少女は微笑む。その微笑みも、ベティの屈託のない笑みとは少し違う。どこか抑制された、品格を感じさせる表情だ。

 とりあえず、笑いから抜け出せないベティは放っておく事にして、レオンは話を切り出す事にした。

「あの、僕はレオンと言います。今日、見習い冒険者になったばかりです。よろしくお願いします」

「私はデイジーです。こちらが祖父のフレデリック。よろしくお願いいたします」

 デイジーが少しだけ頭を下げる。もの凄く優雅な動きだった。田舎者のレオンは、こういった所作に全く免疫がない。否応なくそわそわしたし、そして、ドキドキした。

 これが本物のお嬢様なんだ。

 所作もさる事ながら、彼女は見た目でも、落ち着きと洗練さを兼ね備えていた。ほぼ黒髪と言えるほどの濃いダークブラウンの髪は、艶やかに真っ直ぐ腰まで伸びていて、前髪も綺麗に切り揃えられている。派手さはないものの、小さく整った顔立ちをしていて、華奢な肢体を象牙色のワンピースが包んでいる。一輪の花という表現がぴったりの、慎ましい可憐な少女だった。

 レオンももちろん綺麗な人だと思ったが、それよりも、自分が場違いみたいで気が引けた。彼女自体は綺麗な花でも、それを育てあげた環境を連想してしまう。彼女の洗練された所作が、彼女の後ろ盾を否応なく思い出させるのだ。

 彼女に見入ってしまいそうになっていたレオンは、なんとかそれを振り払った。今日の目的はとりあえず顔を見せておくというものだったが、もちろんお見合いではない。冒険者見習いとしての訪問である。そして、レオンには聞いておきたい事があった。

「あの、デイジーさん。こんな事聞くのもおかしな話かもしれないんですけど・・・」

 レオンはその質問をデイジーにする事にした。本当はお爺さんの方がいいのかもしれないが、彼女の方が話しやすそうだったからである。

「何でしょうか」

 デイジーの黒い瞳が瞬く。何か引き込まれてしまいそうで、レオンは直視出来なかった。

「伝承者っていうのは何なんでしょうか?僕、そういった事を全然知らないので・・・」

「あ、いえ。知らない方も、たまにいらっしゃいますよ」

 そう言ってデイジーは微笑む。レオンは少し気が楽になった。

「簡単に言うと、伝承者というのは、伝説の冒険者の記憶を伝える人達の事です。偉大な事を成し得た方々が培った知識や経験を、今を生きる冒険者達に授ける事。それが伝承者の仕事です」

「記憶という事は・・・つまり、伝説になった人達が前世だったという事ですか?」

「そうです」

 あまりにあっさりとした答えに、レオンはいまいち驚けなかった。

「・・・それって、凄い事ですよね?」

「凄いと言いますか、珍しい事だとは思いますけれど」

「いえ、だって・・・という事は、デイジーさんも、前世は伝説だったという事ですか?」

 その言葉に、デイジーは笑って首を振った。

「私ではありません。祖父です」

 レオンはそちらを見た。

 なんというか、どう見ても普通のお爺さんだった。だけど、伝説の冒険者が前世という事は、もしかして、若い頃は名のある冒険者だったのだろうか。

 表情から読みとれたのか、デイジーが説明する。

「祖父が冒険者だった事は一度もありません。武器の訓練所等で冒険者に関わってはいましたけれど、どちらかというと、ずっと裏方の仕事をしていたそうです」

「そうなんですか?ちょっと、もったいないような・・・」

 冒険者になっていれば、それこそ偉大な功績が残せていたのではないだろうか。そう思っての発言だったのだが、フレデリックさんは全く微動だにしない。   

 そんなレオンを見て、デイジーはまた小さく首を振った。

「祖父は、これが自分のなすべき仕事だと思っていたそうです。そして、今思い返してみても、自分の選択は正しかったと思っているそうです。自分が冒険者になっていても、きっと大成出来なかった。それでは自分の役目を果たせなかったと・・・これは、祖父の口癖です」

「役目ですか?」

「つまり、自分の経験を伝えたい、後輩を指導したいという思いが強かったという事ではないでしょうか。レオンさんは、ソードマスターの話を聞いた事はありませんか?」

 ソードマスターも伝説となった冒険者の1人だ。レオンもその称号はもちろん知っていたが、具体的な事はほとんど知らない。詳しい逸話を知っているのは、レオンの故郷の村が出身であると言われている、サイレントコールドこと、イブという名前の女性についてのみである。

「いえ、全然・・・称号を聞いた事はもちろんありますけど」

「ソードマスターは、その称号の通り、比類無き剣技を誇ったとされる冒険者です。しかも、それが大剣でも細剣でも、例え初めて握った剣であっても、自由自在に扱う事が出来たとか」

「へえ・・・」

 凄い事だとは分かったが、あまり実感がわかなかった。まだ剣の技術でそれほど苦労した経験がないからだろうか。

「そんな彼ですが、非常に子供好きだった事でも知られています。彼が冒険者になったのも、身よりのない子供達に孤児院を作る為だったそうです。そこで自分が剣を教えて、冒険者として独り立ちさせる。そんな計画だったのですが、資金が集まって、孤児院を建てる話がまとまった矢先、彼は姿を消してしまったのです」

「え・・・どうしてですか?」

「そこで彼は最後の戦いに向かったのだろうと、そして彼は帰ってこられなかったのだろうと言われています。事実、その時期には天災が多発していたのですが、彼がいなくなった翌年から、ぱったりとやんでいるのです。つまり、天災に匹敵するような強大なモンスターと戦って、相打ちになったのではないかと・・・そして、自分がいなくなってもいいように、孤児院の話だけはまとめておいたのでないかと、そう言われています」

 応接間に沈黙が満ちた。

 まるで知らないその伝説の人物について、レオンは想像でしか触れる事が出来ない。彼は最後の戦いに向かう時、どんな心境だったのか。もう戻って来られないと分かっていたのだろうか。そんな強い敵を倒せた事ももちろんだが、自分がいなくなった後の事まで考えていた。今の自分には遠すぎて見えないような強さだ。

 デイジーは微笑んだ。この静かな空気にも全く水を差さない、淑やかな笑みだ。 

「祖父の記憶のほとんどは、子供達との思い出なんだそうです。ですから、戦うのは自分の役目じゃない。自分の役目は教える事だって・・・」

「・・・そうですね。すみませんでした。もったいないなんて言って」

 十分立派な役目なのだ。その価値を昔の自分が教えてくれたのだから、なおさら無視は出来ない。

 レオンはフレデリックさんに頭を下げる。お爺さんは愉快そうに少しだけ笑った。弱々しい笑い方だが、十分優しさも感じられる。

 頭上のカーバンクルは、その深緑の双眸で、じっとこちらを見つめていた。

「それに、ソードマスターの記憶を受け継いでいる人は祖父だけではありません。ですから、どなたか他の記憶をお持ちの方が、立派な冒険者になっておられるのではないでしょうか」

 それは確かにそうなのだ。偉大な人物の記憶ほど、多くの人に分化して伝えられる。何を隠そう、レオンの母親も、サイレントコールドの記憶を持っていると言っていた。

 そこでレオンは気付いた。

 もしかして、自分の母親も伝承者だったのだろうか。仕事としては、ただの主婦というか、農家だったわけだが、その資格があったという事なのだろうか。

「すみません。伝承者っていうのは、伝説の冒険者の記憶を持っている人って事ですか?」

 デイジーは少し首を傾ける。

「どうでしょうか・・・そういう方ばかりとは限らないと思いますけれど」

「えっと・・・もう少し詳しく説明していただけませんか?」

「もしかして、どなたか記憶をお持ちの方に心当たりがあるのですか?」

 思ったより勘がいい。レオンはその洞察力に驚く。

 それだけで、ばれてしまったようだ。デイジーは口元に手を当てて、少し笑った。特にやましい事があったわけではないが、レオンは気まずくなる。

「一応ですが、ギルドから伝承者として認められるには条件があるんです」

「あ、ギルドに認めて貰わないといけないんですね」

「そうですよ。だって、お仕事ですから」

 全くの正論だった。自分で名乗るだけでお金が貰えるわけがない。

「すみません。僕、田舎者なので・・・」

 デイジーはクスッと笑う。上品さの為か、嫌らしさが全くない。

「ギルドの条件は3つです。1つ目は、16歳以上である事。2つ目は、ギルドで面接試験を受けて、それに合格する事。つまり、そこで冒険者の助力になり得る人がどうか、見極めるのだと思います。そして、3つ目は・・・」

 そこで祖父の頭に目をやる。

「カーバンクルと共にある事です」

 レオンは驚いた。カーバンクルが何かの役に立つのだろうか。

 そこでふと、ギルドでの会話を思い出す。

「もしかして、何かの記憶を伝えてくれるとか、そういう事ですか?」

 ギルドにおけるカーバンクルは、志願者の前世を読みとって、それを受付の女性に伝える役目を果たしていた。だったら、逆の使い方も出来るのだろうか。

 デイジーは頷いて肯定する。

「必要だと判断すれば、この子はソードマスターの記憶を直接レオンさんに見せてくれます。それがレオンさんの悩みを解消するきっかけになったり、場合によっては、突然剣の腕が上達する事もあります。伝説となった人の記憶を伝える。それが伝承者の仕事です」

「へえ・・・」

 ようやくレオンにも伝承者の役割が分かった。要は、先人に話を聞きにいくという感じだろうか。その道で伝説となった人にアドバイスを貰いにいく。それがただの言葉ではなくて、直接見る事が出来るものならば、確かな価値があるのではないだろうか。 

「それに、すぐ隣に武器の訓練所もあります。今はギルドのものですから、レオンさんも使っていただけます。遠慮なく使って下さい」

「あ、はい・・・お世話になります」

 そういえば、フレデリックさんは、若い頃に武器の訓練所に関わっていたという事だった。このお屋敷の隣にある建物がきっとそうなのだろう。

 レオンは閃いた。

「もしかして・・・例の孤児院っていうのが、それですか?」

 何の根拠もない思いつきである。口にした途端に、自分でも、どうしてそんな事を思い付いたのか不思議になった。

 デイジーは驚いた表情を見せたが、すぐに微笑んで、首を横に振った。

「違います。ソードマスターが生きていたのは、この町が出来るより、ずっと前ですから」

「そうですか・・・そうですよね」

「でも、同じかもしれませんね」

「え?」

 祖父を見ながら、デイジーは優しく微笑んだ。

「ソードマスターの記憶があったから、祖父が携わったのです。彼が建てた孤児院も、祖父が大きくした訓練場も、同じ思いで出来たものです。だから、同じかもしれません」

 少し前とは違う静寂。

 暖かくて、ずっと居たくなるような、心地よさが満ちる。

 レオンも、大昔の伝説の男性に思いを馳せる。

 皆が持っている前世というものの重みが、ほんの少し分かったような気がした。どういうわけか、自分にはそれがないわけだが、特に困った事はなかった。だけど、今、ほんの少しだけ、羨ましいと思った。

 この町の歴史よりも長い時間を経ても、伝わってきた物。

「・・・そろそろ帰ります。大事なお話をありがとうございました」

 レオンが腰を上げようとする。いい加減帰らないと、日が暮れてしまう。まだ行くところが他にもあるのだ。

 それをデイジーが止めた。

「もうちょっと、待ってあげたらいかがですか?」

「はい?待つって・・・」

 レオンは自分の隣を見た。

 そして、呆れた。

 妙に静かだとは思っていたのだ。

 ベティはいつの間にか、ソファの上で寝息を立てていた。

  


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