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とある午後の道具屋で



 たびたび思う事だが、道具屋という名称は、いまひとつ定義がはっきりしない。

 柔軟だと言ってもいいかもしれない。何でも屋という言葉とほとんど意味が変わらない気がする。簡単に道具と言っても、例えば、剣や槍だって道具といえば道具だし、大きい物には家財道具という言葉もある。食べ物は道具じゃないという人だっているかもしれないが、食品を売っている道具屋なんて腐るほどあるから不思議だった。

 つまるところ、自分の店が道具屋だと名乗っている人間が、結局何を主張しているのかというと、誰かが買ってくれるならば何でも仕入れてみせますという気概のようなものであり、要するに仕入れルートの確保に長けている人間が店長をしている事こそが、道具屋たる一番の条件なのかもしれない。

 しかし、かく言うラッセルは、自分が仕入れに関して特段優れているとは思っていない。

 優れているのは、この道具屋の元店主であるお爺さんである。今は引退しているが、彼の培った人脈はまだ現役だ。それを引き継ぐ形でなんとか店を運営しているラッセルだが、結局のところ、未だに後ろ盾としてお爺さんに面倒をみて貰っているのは間違いない。

 大して才能があるわけでもない自分に出来るのは、一所懸命に働いて店を維持する事くらい。それと、ほんの少しずつでも新たな流通を開拓していく事だろう。

 その日もラッセルは忙しかった。

 朝、手早く身支度を済ませて家を出る。店に着くまでには15分程度の道のり。その頃には早い店はとっくに仕込みや開店準備を済ませている。そんな人達に挨拶するのも欠かさない。店の二階には元店主のお爺さんが住んでいるが、ラッセルが着く頃には大抵目覚めている。そのお爺さんにも挨拶を済ませて、簡単に今日の予定を伝えた後、店の準備をしてから玄関を開ける。

 その日もラッセルは配達の予定があった。配達は早い方が喜ばれるので、まずはその仕事を済ませる事にする。自分が配達に出ると店はもぬけの空だが、誰かお客が来ればお爺さんが応対してくれるから問題ない。盗みに入る人がいるのではと思われるかもしれないが、玄関前は人通りが多いからか、そういった被害に遭った事は一度もなかった。そもそも、ここまでお客が来る事自体、実はあまり多くない。

 大小ひとつずつの木箱を重ねて、それを両手で抱えて玄関から出たラッセルだが、そこで隣の店のドアが開いている事に気付く。朝一番に見た時は開いていなかったから、自分が開店準備をしている時に開けたのだろう。それは別にいいのだが、こんな時間から開店しているのは彼女にしては珍しい。

 一応挨拶しておくに越した事はない。ラッセルは一旦木箱を玄関前に置いた。

 隣の店の玄関まではほんの数歩しかない。そのお隣さんの店内を覗き見るラッセルだが、一見誰もいないように見える。しかし、それはいつもの事だった。

「おはよう。今日は早いね」

 構わず声をかけると、割と早くに挨拶が返ってくる。店の奥にあるカウンターの陰から聞こえてきたのは、少女の声。

「おはよう。毎日早くからご苦労様」

 恐ろしく単調な声だった。感情が全く感じられない。普段から彼女は愛想がないが、今はそれ以上だった。

 要するに眠たいのだろう。寝言という可能性も、実はゼロではない。

 そんな場所で寝たら風邪をひくかもしれないが、無理矢理起こすと彼女は思いっきり不機嫌になるので、ラッセルは要点だけ伝えておく事にした。最近暖かくなってきたから、恐らく大丈夫だろう。

「ちょっとこれから配達に行ってくるから、誰かに聞かれたらそう言っておいて。多分昼までには戻ると思うけど」

 店にはお爺さんもいるにはいるが、この辺りの人がラッセルに用事がある場合、隣の店の店長に所在を聞きに来る事が多い。つまり、今カウンターの陰に座り込んで、読書しているか寝ているかどちらかである少女、すなわちシャーロットにである。

 一応、彼女からの返事はあった。

「・・・起きてたら」

 意味ありげな間があった。どうやら起きている自信がないらしい。

 それでも別にいいのだが、せっかくなので、ラッセルは目覚まししておく事にした。

「あ、そういえば・・・珍しい花の種を貰ったんだけど、フィオナさんにプレゼントしたら喜ぶかな」

 深い意味は全くなかった。ラッセルには、である。

 しかし、この店の店長には一大事なのだ。

「私が買う」

 意訳すると、自分からフィオナにプレゼントしたい、である。言葉の内容はともかくとして、声がかなりはっきりしていたので、いい衝撃になったようだ。

 ラッセルは微笑んでから言った。

「じゃあ、シャーロットにあげるよ」

「それは悪いから、買う」

「いや、貰い物だからね。お金をとるわけにはいかない。花が咲いたら、感想を聞かせてくれればいいよ」

 実際に育てるのはフィオナだが、花が咲いたら、シャーロットはそれにかこつけて家まで見に行くだろうから問題はない。それに、こういったプレゼントは後々思わぬ幸運になって返ってくる事があるのだ。

「・・・ありがとう」

 少し小さな声でお礼が返ってきた。眠いわけではなく、きっと恥ずかしいのだろう。

「じゃあ、よろしく」

 そう言ってから店を後にしようとしたラッセルだが、そこでシャーロットから声がかかった。

「今日、レオンとステラが来る」

「あれ・・・レオンも?」

 見習い冒険者のレオンが、今日魔法の盾を受け取る予定だとは聞いていた。しかし、その場合は普通鍛冶屋なのだ。その後でステラの方にまで着いてくる予定なのだろうか。

「魔法について説明して欲しいって。リディアからの依頼」

「ああ・・・」

 思わず頷くラッセル。そこまで説明する義務はないはずだが、仕事熱心な彼女らしい。

 それはそれとして、リディアという言葉だけは、どうしても変に意識してしまうラッセルだった。その言葉に気をとられてしまって、次の言葉が出てこない。その理由は自分でも分かっているのだが、分かっていてもどうにもならない事だった。

「リディアもここに来る。昼過ぎの予定。以上」

 シャーロットはそう締めくくった。

 結局何を言いたいのか、ラッセルにはよく分からなかった。もしかしたら、さっきのお礼というか、これで貸し借り無しという意味なのかもしれない。しかし、それだとシャーロットにいろいろ見透かされているという事になる。それはあまり考えたくはなかった。

 しかしながら、お礼を言わないと帰れないのが、自分の習性だった。

「ありがとう」

 当然ながら返事はない。それが有り難いような、逆に居心地が悪いような、なんとも言えないところである。

 ラッセルはシャーロットの店を出た。

 その後、再び木箱を抱えて配達に出る。

 上に乗っていた小さい方の中身は、町の南にある食堂に頼まれていた蝋燭で、多少世間話をしたものの、すぐに済んだ。世間話の中身はといえば、冒険者が増えて忙しくなってきたとか、西から来る行商が減ってきたから手に入りにくいスパイスがあるとか、逆に東から来る人がいつもより多い気がするとかである。きっと、全て北西の新ダンジョンに関わる現象だろう。当然ながら、ラッセルにとって最重要なのはスパイスの話だった。確保出来るかどうか、頼んでみる価値はある。

 後は、この時期ではお馴染みと言えるお祭りの話題。

 それと、何故か幸運の運び手とされているレオンのカーバンクルの話題もあった。一般的には珍しいとされている白いカーバンクルだが、実際には珍しいなんてものではなく、冒険者や学者の間では幻の存在となっている事をラッセルは知っている。お祭りには多くの人が訪れるだろうから、もしかしたらちょっとした騒ぎになるかもしれない。しかし、今更隠したところで、既に知れるところには知れ渡っているだろう。

 次に向かった民家のガレージで、なんとなくラッセルはその話をしてみた。

「へえ・・・」

 興味なさそうな声をあげるのは、黒いショートヘアに大きな明るい瞳が印象的な、恐らく少女だろうという人物。ラッセルは女の子だと思っているが、人によって意見が分かれるという謎の人物だった。今日も、淡いブルーのシャツにグレイのハーフパンツという、男女どちらでも着られそうな格好をしている。

 この人物がニコル。それほど暗い性格というわけでもないのに、何故か孤独になりたがっているような、感情の読めない人物だった。それがいろいろな意味で周囲との溝になっている。その溝も思いの外広くて深い。飛び越えられそうで飛び越えられない。本人にその溝を解消する気がないように見えるというのも、周りがそれをどう捉えたらいいのか分からない。とにかく扱い方が分からないという人物だった。

 持ってきた木箱の中身を確認しながら、ラッセルは独り言のように言ってみた。

「確か、ソフィって名前だったかな・・・」

 ニコルはガレージ奥の机で、歯車を組み合わせた装置を組み立てている。ラッセルが配達してきたのも、概ねそのような物である。彼は伝承者として認められているので、その購入費はギルドから支出されている。

 返事がないので、ラッセルは何も言わなかった。ニコルが悲壮な表情をするなら、きっと放っておかないだろう。しかし、今までにニコルがそんな表情をした事は一度もない。

 結局、会話らしきものはなかった。

 配達した物の確認が済んだので、ラッセルは帰る事にした。他の配達物よりも多少丁寧に確認している。もちろん確認そのものが目的ではない。

 ところが、ラッセルがガレージのドアに手をかけたところで、突然ニコルが口を開いた。

「お祭りっていえば」

 どういうわけか、そこで言葉が途切れる。

 ラッセルはニコルの方を見るが、向こうはこちらを見ていない。

「・・・お祭りがどうかした?」

 仕方ないのでこちらから聞いてみる。

 すぐには返事がなかった。ニコルはこちらを見ないが、しかし、手元は止まっていた。

 ただの独り言だったのだろうかと思ってラッセルが帰ろうとした時、不意にニコルが言った。

「ステラの叔母さんが来るかもしれないんだってね」

 意表を突かれる。そんな事を知っていたとは思わなかったし、興味があるような事とも思えなかった。

「・・・あ、レオンから聞いた?」

 ニコルと接点のある人間といえば、冒険者見習いのレオン以外には、比較的仲のいいベティくらいなものだろう。実は、アスリートの見習いは少しずつ数が増えているものの、ニコルの助言を必要とする者はレオン以外にはいなかった。ニコルはスニークの伝承者であって、重い鎧を着込んで戦うのとは戦闘スタイルが違う。そして、大半の見習いアスリートは、まず重い鎧を着るところからスタートするのである。当然ながら、その方が安全だからであって、レオンのようなケースは珍しいのだ。

 それはともかく、自分はステラについて喋っていないのだから、レオンが話したと考えるのが自然である。

「そう。ソフィにも会ったよ。レオンが連れてきたから」

 あまり嬉しそうな話し方ではないが、会話になった事はいい傾向である。

 しかし、余計な感想を抱いていた為か、すぐに次の言葉が出てこなかった。

「へえ・・・ソフィはどうだった?」

 適当な質問だなと自分で思ったが、どうやら向こうもそう思ったらしい。

「あまり気の利いた質問じゃないね。それよりも、レオンとステラ、魔法のアイテムを作ったんでしょ?」

「あ、うん」

「だったら、集めた資金が少しくらい余ってるんじゃない?」

「まあ・・・」

 苦笑するラッセル。ニコルの言いたい事が分かったからだった。

「さすがに、そろそろいい道具を使って貰わないと。お金があるんだから、こういう時こそ売り込まないとダメだよ」

「うちとしては、向こうから依頼されたら紹介しようかと・・・」

 ニコルが不意にこちらを見る。

「次からファースト・アイに行くんでしょ?危ないと思うなあ。万全の装備を調えてあげるべきじゃない?転ばぬ先の杖って言葉もあるんだし」

 ことあるごとに、ニコルはもっと高級な商品を売り込むべきだと言ってくる。しかし、今日はなんとなく一理ある意見に聞こえた。いざという時に使える道具がなかったという事は、道具屋としてもなるべく避けたい。

「じゃあ、一応・・・」

 頷くラッセルに、ニコルはすぐに言う。

「早い方がいいよ。今日にでも行ってきたら?」

「あ、大丈夫。ちょうど今日会う予定があるから」

 本当は予定ではなく、シャーロットからの情報提供があっただけである。

 すると、ニコルはまた組立作業に戻ってしまった。話は終わりという事らしい。大抵こんな感じなので、ラッセルも既に慣れている。

 しかし、今日は少しほっとした。レオン達の事を気にかけてはいるようだ。そういった感情が見えない人物なので、それが見えただけでも収穫である。

「じゃあ、また」

 返事は期待していなかったものの、ラッセルは一応挨拶した。

 ところが、意外にも返事があった。

「またよろしく」

 しばし瞳を大きくしたラッセルだったが、やがて表情を弛めて言った。

「ありがとう」

 そのままガレージを後にする。

 店に戻った時、店内には誰もいなかった。だが、帳簿にはいくつか新しい書き込みがあった。読みにくいが見慣れた文字。どうやら、お客が2組だけ来たらしい。

 しばらく店を掃除してから、斜向かいの食堂で昼食をとった。1人で訪ねたものの、店内には近所の人が大勢いる。つまり、否応なく賑やかな食事になる。ほとんどがラッセルの両親のような年齢の人だが、幼い頃から道具屋を手伝っていたラッセルは大人と話す事に慣れている。逆に子供は少し苦手かもしれない。シャーロットやニコルはともかく、もっと年下となると扱いに困る。将来子供が出来た時に困るだろうから、今のうちに慣れておいた方がいいかもしれない。もちろん、まだそんな予定はないのだが、もしかしたら万が一という事もある。

 そんな事を考えている自分を馬鹿みたいだなと思いながら、ラッセルは道具屋に戻った。

 ニコルから言われたように、冒険者向けの道具のうち、多少高級品だと思われる物の在庫を確認しておく。こういった物は実は安物よりも出入りが激しい。ある程度の冒険者になると、安物はほとんど使わなくなる。冒険者がダンジョンで得る報酬は、一般的な生活ではほとんど縁がないような金額で取り引きされるので、そういった高級品を買い込んでも問題ないのだ。しかしながら、いつ命を落とすか分からないという危険を考えると、いくら実入りが良くても、ラッセルには冒険者になろうとは思えないところだった。

 頃合いを見計らってから、ラッセルはシャーロットの店を訪ねた。

 そのドアを開けようとした時、中から少女2人の話し声が聞こえてきた。その片方がリディアのものだと分かった時、そんなつもりはなくても、ラッセルの身体が少し緊張した。

 ドアを開けると、モノトーンの男性的な服装をした少女が目に飛び込んでくる。可愛いというよりは凛々しいという印象の顔立ちだが、女性らしくないという意味ではない。控えめに言っても、彼女は十分魅力的な少女だ。彼女が目立つのは、その明るい髪と瞳のせいだけでは、もちろんない。

 リディアはこちらを見たものの、特に反応はなかった。あまり感情が表情に出ないタイプなので何も不思議な事はないのだが、どこか残念な気がしないでもない。しかしながら、ブレットのようにあからさまに嫌われるよりはもちろんいい。

 彼女はカウンターの手前に立っているが、その奥のイスにはシャーロットが座っていた。

「残念。ラッセル」

 シャーロットがぽつりと言う。

 なんだか外れくじみたいに言われたので、ラッセルは苦笑しながら聞いた。

「レオンとステラはまだ?」

 答えたのはリディアだった。

「あの2人にしては遅い気がする」

 声の調子からすると、何かあったのではないかと心配しているという感じだった。その声を聞いただけで、何とかしなければと思っている自分がいる。

 ふと、今日の世間話を思い出した。

「あ、もしかしたら・・・」

「何?」

「いや、僕もよく知らないんだけど、ソフィっていうあの白いカーバンクル」

 二度ほど瞬くリディア。

「それが何?」

「今ちょっとした噂になってるんだけど、撫でると幸運に預かれるって」

「・・・なんで?」

 真顔で聞かれても困ってしまう。ラッセルも全くの同意見なのだから。

 1人イスに座っているシャーロットが言った。

「もしそうなら、今頃ベティの家から金脈が発見されてないとおかしい」

 極端な話だが、要するにベティはそれくらい撫で回したのだろう。

「家で発見されたら困るけど、近所に珍しい鉱脈が発見されてないとおかしい」

「朝起きたらフィオナの妹になっていないとおかしい」

 真面目な顔で好き勝手な願望を言う少女2人。

 苦笑しながら、ラッセルは要点を言った。

「まあ、よくある噂だと思うけど、要は町の人との話が長くなってるんじゃないかな」

 ソフィを撫でさせて欲しいとせがまれているに違いない。レオンはお人好しなところがあるから、きっと断れないで律儀に付き合っているのだろう。

 何か証拠があるわけではなかったが、リディアは頷いた。

「そうかもしれない」

「さすがラッセル。そういう噂だけはよく知ってる」

 褒められているのか貶されているのか分かりにくいシャーロットの発言だが、とりあえず、それは気にしない事にする。

「だから、もう少しかかるんじゃないかな」

 それだけ言ってリディアを見る。彼女はその視線を受けても涼しい顔をしたままだ。

 ここまではいつもの事だったのだが、そこでリディアは意外な事を言い出した。

「それなら、ちょっとラッセルに用事がある」

「え?」

 驚くラッセル。しかし、すぐに気を取り直して聞いた。

「あ、仕事の話?」

 言いながら、そんな事当たり前だと思った。しかし、もしかしたらという事がないとは言えない。

 だがあっさりと、リディアは頷く。

「仕事というか、お祭りに使う飾りの事で、ちょっと相談があるんだけど」

「ああ・・・この前、ガレットさんに頼まれてたのだよね」

「そう」

 残念なようなほっとしたような、複雑な心境になったラッセル。

 しかし、それに関して何か自分に相談するような事があるのだろうか。

「ちょっと、ラッセルの店まで行ってもいい?」

「あ、うん・・・」

 多少緊張しながら、ラッセルは頷く。

 そこでシャーロットがイスから下りながら言った。 

「頑張れ。健全な範囲で」

 最後の一言が余計だった。リディアが釈然としない様子だったが、説明を求められても困るので、ラッセルは必死に無視する。

 何はともあれ、ラッセルとリディアの2人は、道具屋まで歩いた。

 ラッセルが鍛冶屋に行くのは日常茶飯事と言ってもいい。しかし、リディアがここに来る事なんて、年に1回あるかないかくらいである。これはリディアに限った話ではなく、ラッセルのお得意さまのほとんどに当てはまる話だった。

 そのせいなのか、リディアは店内を物珍しそうに見回している。

 なんというか、自分の部屋を見られているようで気恥ずかしい。だがもちろん、自分の部屋に女の子を入れた事など一度もないラッセルである。

 しかしながら、彼女の次の一言は完全に予想外だった。

「あれがいい」

 リディアはその一言を、店内に飾ってある民芸品を指さしながら発した。

 それを見たラッセルは、正直どう反応したらいいのか分からなかった。

 彼女が指で示しているのは、おおよそ民芸品以外には分類出来そうもない代物だった。万が一民芸品というジャンルがなくなった場合、この物体の行き着く先として考えられるのは、魔除けのシンボルか呪いのアイテム、或いは、もっとシンプルに落書きの描かれたガラクタのいずれかだろう。

 もっと具体的に説明するなら、木の看板だと言えない事もない。しかし、何を示す看板なのかと聞かれると、たちまち困ってしまうような謎のマークが描かれている。人の顔に見えない事もないが、そうとも言い切れない。目が2つあるように見えるが、唇も2つ並んでいるように見える。きっと、逆さまにしても顔のように見えるに違いない。仮に顔だと断定したところで、果たして怒っているのか、泣いているのか、笑っているのか、よく分からない表情なのだ。これは何ですかと聞かれて、所有者が答えるのに窮する為に作られた存在だと言っても、もしかしたら過言ではないかもしれない。実際、ラッセルは答えられた事がないし、これの所有者であるお爺さんも、答えてくれた事は一度もない。

 そんな謎の物体を何故店に飾ってあるのかという疑問は置いておくにしても、これを指で示しながらいいと言ったリディアを無視するわけにはいかないだろう。

「いいって・・・何が?」

 この看板に何かひとつでも美点があるのなら、是非教えて欲しいところである。

 こちらを真っ直ぐに見ながら、リディアは言った。

「これをデザインの参考にさせて」

 この時ばかりは、さすがに耳を疑った。

 デザインというのは、つまり、お祭りの飾りのデザインの事だろう。それは分かっている。

 これを参考にするとはどういう意味だろうか。この看板を参考にして、その結果出来る物は、恐らく飾りには分類出来ない気がする。

 彼女は何を作ろうとしているのだろう。

「えっと・・・ちょっといろいろ確認したいんだけど」

 なるべくリディアを傷つけないように言葉を選んだ。

 向こうが頷くのを見て、ラッセルは質問する。

「デザインっていうのは、お祭りの飾りのデザインだよね?」

 分かってはいたが、聞かずにはいられなかった。

「そう」

 恐ろしくあっさりとした彼女の返答だったが、ラッセルは内心ではまだ信じきれなかった。

「確か、武術大会のだよね」

 頷くリディア。

 確か前使っていた飾りは、剣や槍などのオーソドックスなデザインだった気がする。剣や槍も使う武器に混じっているから間違いとはいえないが、多少誤解を招くデザインだと言えない事もなかった。

 遠回しに聞いていても仕方ないので、ラッセルはズバリ聞いてみる事にする。

「これの、えっと・・・どんなところが気に入った?」

 もし答えられたら、つまり、この看板の美点が見つけられたなら、それはある意味物凄い大発見だと言えない事もない。きっと誰も賞はくれないと思うけど。

 リディアはやはりすぐに答えた。

「なんとなく、強そうだからいいかなって」

「強そう・・・」

 思わず繰り返しながら、ラッセルは看板を見た。

 何度見ても意味不明なデザインである。ここから強そうという発想をしたリディアは、もしかしたら芸術眼がずば抜けているのだろうか。というより、必死にそう思いこもうとしている自分がいた。逆のパターンは考えたくない。

「・・・ちなみに、今日ここまで来たのって、何か参考になりそうな物があるって思ったからだよね?」

 そうでなければわざわざ来ないだろう。

 店内を軽く見渡してから、リディアは答える。

「普通は思い付かないような不思議な模様がたくさんあるのは、なんとなく覚えてたから」

 その感性だけは、どうやら一般的だった。

 しかし、ラッセルは内心困っていた。

 この看板を貸す事自体はきっと問題ないだろう。お爺さんに許可を貰わなければならないが、そもそも新しい飾りを作る事を提案したのがお爺さんだから、もしかしたら喜んで貸すかもしれない。

 ただ、この看板を参考にして、果たしてお祭りに相応しい飾りが出来るのだろうか。

 貸してはいけないと必死に訴える声が、いずこからか聞こえる気がする。しかし、リディアの依頼を断るというのは、自分にとっては困難極まる事でもあった。

「いくらリディアの頼みでも、ちょっと・・・」

 なるべくやんわりと断ろうとするラッセル。

 そこで不意にリディアは、何かに気付いたように瞳を大きくして、そして少し目を伏せる。

「ごめん・・・確かに無理強いは良くないと思うから」

 余程大事な物だと思われたのだろうか。かなり盛大に誤解されたようだが、リディアのその表情を見ただけで、ラッセルは内心慌てふためく。

「いや、そこで引かれても困るんだけど」

「・・・なんで?」

 不思議そうな表情で聞いてくるリディア。

「なんでって・・・」

 答えられるわけもなかった。

 自分はどうしたらいいのか、深く考え過ぎて混乱してきたラッセル。

 そこで突然、入り口の方から声がかかった。

「お邪魔します」

 もちろん声だけでも誰が来たのかは分かったが、ラッセルはそちらを見た。なんていいタイミングなんだろうと思いながら。

 リディアもほぼ同時にそちらを見たようだった。その視線にたじろいだらしく、声の主は怖ず怖ずと聞いてくる。

「えっと・・・お邪魔でした?」

 それには誰も答えなかった。何事もなかったかのように、リディアは持ってきた盾を手に、レオンへと近づいていく。

 ラッセルもリアクションする余裕はない。しかし、内心は感謝の気持ちでいっぱいだった。リディアと2人でいる時に誰かが現れて、その人物に感謝したケースというのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 これでとりあえず、何かもっともらしい断りの理由を考える時間が出来た。道具の検品をするふりをしながら、それを考えるラッセル。

 ただ、それ以前の問題として、この怪しげな看板を飾っている意味はあるのだろうか。お祭りに相応しくないデザインという事は、きっと商売上でも相応しくないデザインのはずで、客引きどころか客を逃がしているような気がする。見た目の意味でも、それに縁起の意味でも。今まで自分がそれに気付かなかったが不思議なくらいだった。

 所持者も気付かないなんて、まさか本当に呪いのアイテムなのか。

 どうにかして外せないか、今度お爺さんと相談してみようと思うと同時に、それに気付かせてくれたリディアにも感謝しないといけないなと、無理矢理思い込んだラッセルだった。



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