名店の看板娘
自称、ガレット酒場の看板娘のベティは、気さくというよりは、かなりの話好きな人だった。
なんとか豪華ランチを攻略したレオンを待っていたのは、彼女との苛烈なトーク。質問責めのフルコースだった。レオンを武器屋まで案内してくれる道すがら、彼女の口が休む事はない。全く遠慮のない視線と物言いに圧倒されて、レオンは個人情報のほとんど吐露する羽目になっていた。
他にも、村の事、家族の事、友達の事、さらには、気になった女の子の事まで。
そして、レオンがなるべく言うまいと思っていた事も、あっという間に暴露させられた。
「へえー。それって、記憶喪失みたいなものじゃない?」
石畳の道から、脇道に入った所だった。
ベティがそう評価したのは、前世を見た事がないというレオンについてである。
「記憶喪失ですか?」
「そうそう。こう・・・なんていうの?強いショックとか受けたら、人って記憶を忘れちゃう事があるみたいなんだ。私が懲らしめてやった奴らが、よく言うのよねー。あの日の事が思い出せないって」
それは思い出せないのか、それとも思い出したくないのか。いずれにしても、聞いてて楽しい話ではなさそうだ。
「前世がない人っていうのは、ちょっと聞いた事ないし。だから、忘れてると思うのが普通なんじゃないかなー。案外、お父さんに1発貰ったら、ショックで思い出すかも。やってみたら?」
「え、いや・・・1年経ってもダメだったら、その時はお願いします」
ベティは可笑しそうに笑う。屈託のない笑い方だった。
「分かったー。その時は私も加勢してあげる」
「やめて下さい。そもそも、一発だけなのに、どうやって加勢するんですか」
「特別製の重いやつを貸してあげる。それで、ドカンと・・・ね?」
何か、ハンマーみたいな物を振り下ろす仕草。
「ねって言われても・・・逆に現世の記憶も忘れてしまいそうなので、出来たら素手の方でお願いします」
「あ、ここだよー」
レオンの言葉を華麗にスルーして、ベティは足を止めた。
彼女のすぐ脇に建っているのは、普通の民家をさらに縮小したような、はっきり言って小屋みたいな所だった。レオンも立ち止まって、そこをまじまじと見るが、見れば見るほどこじんまりとした建物である。看板のような物もどこにもない。小屋自体は石を積んで造ってあるようだ。
「・・・ここ、何ですか?」
ベティはその言葉も無視して、その小屋のドアを無造作に開けた。
「たのもー」
そう言って、レオンの腕を掴んで小屋の中に引きずりこんでいく。
引きずられるまま中に入ったレオンだったが、中を見ても、そこが何なのか分からなかった。狭い室内には大きい台と椅子が2つあるだけ。商品らしきものもない。レオンたちが入ってきたドアとは反対側、台を挟んだ向こう側に同じ大きさのドアがあるが、他には窓すらない。
だが、人間なら1人だけいた。
台にもたれ掛かるようにして、奥の方を向いていた少女が、こちらを振り返る。
一瞬少年だろうかと思うほどの中性的な顔立ち。服装も、白いシャツの上にポケットの多い黒のベストという、どちらかというと男性的なファッションである。それでも彼女を女性だと思ったのは、整った小さな顔と線の細い身体、そして、ベティと同じポニーテールからだった。ただし、髪色はやや赤みがかったライトブラウンで、瞳の色も明るい。凛々しい顔立ちとギャップがあって、どこか不思議な印象がした。
少女は一瞬だけこちらを見たが、すぐベティに視線を戻した。
「何?あれならまだ出来てないよ」
容姿は少年っぽいが、声は確かに女性のものだ。
「そうじゃなくて、彼、今日見習いで来たんだ。だから、鎧の注文」
「何?」
少女がこちらを見る。レオンはとりあえず、挨拶した。
「どうも初めまして。レオンと言います」
こちらをまじまじと見る少女。なんとなく気まずかったが、とりあえず黙っている事にする。
「・・・なんか弱そうだけど、大丈夫なの?」
やっぱりそう見えるんだなあと、レオンはちょっと落ち込んだ。
「さあ?一応お父さんがオッケー出したから、たぶん大丈夫なんじゃない?」
「ガレットさんが?へえ・・・」
信じられないといった表情だった。そんなに弱そうに見えるのだろうか。
「まあ、そんなわけだから、鎧作ってあげて。出来るだけ軽くて丈夫なやつ」
「そんなの当たり前。みんなそう言うよ。もっと詳しい注文はないの?」
「そうだねー。とりあえず、あんまり重い鎧は無理なんじゃないかって・・・後は、初心者だから、安くて適当なやつでいいんじゃないかなー。どうせすぐ壊すだろうし」
酷い言われようだったが、もしかしたら、最初はすぐ壊れるのものなのかもしれない。
だがやっぱり、その注文ではダメだったようだ。少し呆れたような顔をして、少女は奥のドアに手をかけた。
「父さんに聞いてくるから、ちょっと待ってて」
そう言い残し、少女は扉の向こうに消えた。
小屋の中は静かになる。
レオンはベティに聞いた。
「あの・・・父さんっていうのは?」
ベティは不思議そうな顔で聞き返す。
「父さんって、父親の事だけど?」
「それくらい知ってます。さっきの人のお父さんは何をしてる人なんですか?」
「武器屋っていうか、鍛冶職人なんだ。向こうに工房があるの。ここは、一応店なんだけど、商品は陳列しないんだって。注文貰ってから作りたいんだってさー。その人に合った物しか作りたくないからって」
「へえ・・・」
「すごいんだよー。ジェフさんは、王様から賞を貰った事もあるんだから」
「本当ですか!?」
ベティはあっさりと言ったが、それはもの凄い事なんじゃないだろうか。王様直々に賞を授与される事なんて、滅多にない事のはずである。
「だから、たまに遠くからお客さんが来る事もあるんだ。よかったね。そんな人に武器とか鎧の面倒をみて貰えて」
「あ、はい。僕にはもったいないような気もしますけど」
「そんな事ないと思うなー。あの一家は、みんなマニアなんだよ」
「マニア?」
「そうそう。あの家は・・・」
そこで、奥のドアが開いた。顔を出したのは、先ほどの少女である。
「こっちに来て」
何の前置きもなしにそう言われたので、レオンはすぐに反応出来なかったが、ベティの方は慣れた様子で少女の方に歩き出す。
それを見て、少女の方が止めた。
「ベティ。その格好で入るの?」
言われた本人は立ち止まって、自分の服装を確認する。淡いピンクの厚手のワンピースに、白いエプロン。春らしい装いだと言える。
「まあ、いいんじゃない?余所行きってほどじゃないし」
「汚れたら大変だよ。着られなくなってから後悔しても遅いんだからね」
「怖いこと言うなあ」
ベティが迷っているところを、レオンは始めて見た。服の事は気になるのだろう。やっぱり女の子なんだなと、失礼な感想を抱いてしまった。
「分かった。私、留守番してるね。ジェフさんによろしく」
「はいはい。誰か来たら、適当に接客しといて」
「適当でいいのー?」
「適当がいいの。変な注文だけはとらないで」
「変な注文って、どんな注文?」
そこで少女は口ごもった。若干だが頬が朱い事に、レオンは気付いた。
「・・・とにかく、よろしく。レオンさんは、こっちにどうぞ」
そう言って、少女は扉の向こうへ消えてしまった。
いったい何があったのだろうかと思って、レオンはベティの顔を見たが、彼女はいつもの微笑みを返すだけだった。少し悪魔的な笑みだったかもしれないが。
とりあえず、それは見なかった事にして、レオンも奥の扉を開ける。
そこは屋外だった。すぐ前に下り階段があって、その終点の先に金属製の扉がある。その扉の前に少女が立っていた。
レオンはそこまで歩いていく。
どうやらそこは、地面をくり抜いて作った地下室のようだ。石の壁面に鉄の扉。レオンの村にはない、立派な物だ。
扉の前まで来ると、熱気のような物を感じた。それと同時に、金属を叩くような音もはっきりと聞こえてくる。
「服が汚れるかもしれないけど、それくらいは大目に見て」
少女はにこりともしなかったが、冷たいというよりも、むしろ格好いいと思った。不思議な感覚だ。
「あ、はい。それは平気です」
「あと、なるべく静かにしてて」
「静かにって?」
「父さんは仕事中なので」
「あ、なるほど」
レオンは頷いた。鍛冶仕事の邪魔をしないでくれという意味だろう。
それを見て、少女は扉を開けた。重そうな扉に見えたが、少女はそれを軽々と開ける。
中はまさに鍛冶場そのものだった。それも、レオンの村の物とは比べものにならないほどの広さである。一番奥に炉があって、鍛冶台が3カ所。他の場所には、注文された物なのか、金属製品が所狭しと並べられている。鎧や剣といった物はもちろん、鎌や鍬といった農具もある。
その鍛冶台の一カ所では、男性がまさに鍛冶作業中といった様子だった。剣か何かだろうか、細長い金属を炉に入れて軟らかくしてから、鍛冶台に移して叩く。しばらくして、それをまた炉に戻すといった作業をしている。
レオンはその流れるような作業にしばらく見入っていたが、少女がいつの間にか室内に入っているのを見て、慌てて自分も中に入った。
服が汚れると忠告されていたが、恐らくそれは避けようがないだろうと思われた。目に見えるくらいの煤が宙を舞っているのが見える。
レオンが室内に入ったのを確認してから、少女は作業中の父親に声をかけた。
「父さん」
すると、男は手を止めてこちらを見る。
レオンが想像していたよりも、ずっと小柄な男性だった。少なくとも、ガレットさんに比べたら子供のようなものだろう。だが、身体は引き締まっているし、腕も十分逞しい。鍛冶職人としての風格は十分にあった。
男はしばらくレオンをじっと見つめる。見えているのかいないのか、分からないくらいの細い目である。ついでに言うと、髪が全くない。ベティと少女が同い年くらいだろうから、この男性とガレットさんも、そう年代は変わらないはずだが、まだ毛がふさふさのガレットさんに比べると、この男性はだいぶ老けて見えた。
しばらくレオンの身体を観察した男性は、ふっと視線を少女に移し、そして再び作業に戻ってしまった。
何だったんだろうと思っていると、少女が突然こう言った。
「もう終わり」
「・・・はい?」
「出ましょう」
少女はスタスタと歩いて、扉から出て行ってしまった。
仕方なく、レオンもそれについて行く。
そのまま階段を上ろうとする少女を追いかけながら、レオンは聞いた。
「あの・・・今のは何だったんですか?」
少女は振り返りもせずに答える。
「父さんはあれで大抵の事が分かるの。武器は5日くらい。鎧は2週間くらいで出来ると思う。だから心配しないで」
「心配っていうか・・・例えば何が分かるんですか?」
見ただけで、何が分かるというのか。
「身体とか靴のサイズとか、手の大きさとか、あと、使いこなせる武器とかも」
「・・・どうしてそんな事が分かるんですか?」
「プロだから」
そんなにプロって凄いのか。
「でも、使いこなせる武器なんて、自分でもよく分かりませんけど」
レオンは村にいた時に、剣や弓に一通り慣れるくらいの訓練はしたが、専門家がいたわけではないので、まだ初心者くらいの腕しかない。
「体つきでだいたい分かるんじゃない?私も詳しくは知らないけど」
もしかしたら、適当なのかもしれない。
レオンはちょっと心配になったが、よく考えたら、武器や鎧を仕立ててくれるだけでも十分恵まれた話である。ここであれこれ注文するのも、おこがましいだろう。
そう納得した頃に、少女が階段を上りきって扉を開ける。
そこでレオンは初めて気づいた。
小屋の中から男性の声がする。もしかして、お客さんだろうか。
レオンも階段を上りきって室内を覗いてみると、やはり男性がいた。
彼はすぐにこちらに気づいたようだ。
「あれ?見ない顔だね。お客さん?」
彼が聞いているのは、ベティではない少女の方である。だが、答えたのはベティだった。
「そう。今日来た冒険者見習いなんだ。だから、そのうちラッセルのところにも行くと思うよ」
「ああ、そうなんだ」
そこで、ラッセルと呼ばれた青年は納得したように微笑んだ。背が高いが、濃い瞳と髪をしていて、真面目で誠実そうな青年である。彼は黄土色のエプロンをしていて、両手でやっと持てるくらいの大きさの木箱を抱えていた。
「それ、注文してたやつ?」
聞いたのは明るい髪の少女である。
青年は嬉しそうな表情で答える。
「そうなんだよ。やっと届いたから、すぐに持ってきたんだ。ずっと待たせてたから、申し訳がなくて・・・とにかく、中身を確認してくれる?」
そう言って、ラッセルは木箱を少女の前の床に置いた。少女はすぐに蓋を開けて中身を調べ始める。中に入っていたのは鉱石の様だった。だが、鉄とか銅というわけではなさそうだし、明らかに精錬前である。そのままでは使えないはずだから、自分達で精錬するのだろうか。
ラッセルはそんな少女をしばらく見てから、レオンの方を向いた。
「僕はラッセル。冒険者向けの道具屋をしてるんだ。ダンジョンに挑戦する頃になったら、いろいろ道具が必要になると思うから、その時にはよろしく」
すごく話しやすそうな人だった。
「僕はレオンです。その時はよろしくお願いします」
「ラッセルは店長なんだよー。それも、結構やり手な」
ベティの言葉に、レオンは驚いた。レオンとそう変わらない歳に見える。少なくとも、20歳は越えていないはずだ。
ラッセルは照れたように頭の後ろに手をやる。
「やり手ってほどでもないけど・・・前の店長だったお爺さんが引退したから、成り行きで僕が店長なだけで、そんなに腕があるわけじゃないんだ。僕が作った店じゃないからね」
「でもさー、仕入れ代行みたいな事まで始めてるし。それって、なかなか才能がないと出来ないと思うなー」
「それだって、お爺さんのコネがあったからだしね。道具屋というよりは、便利屋みたいなものだと思って貰えればいいよ。レオン君も何か特定の素材が欲しくなったら、僕に言ってくれれば都合出来るかもしれないから、その時はよろしく。もっとも、そこまでギルドは面倒みてくれないから、取り寄せた素材はタダではないけどね」
そこで、鉱石を調べていた少女が木箱の蓋を閉めた。
「うん。これならたぶんいける」
ラッセルがすぐにそちらを向いた。
「よかった。じゃあ、下まで運んでおくよ」
「それくらい、私がやるから・・・」
「いいよ。こんな重い物持って階段で転んだら、怪我じゃ済まないかもしれない。そんな事をお得意様にさせられないよ」
ラッセルはそう言って、木箱を持ち上げた。そのまま奥のドアに向かい、それを足で開けて、ドアの向こうに消えていった。それを後ろから少女が追っていく。
どういうわけか、それを見届けたベティがクスクスと笑い出した。
「・・・どうかしたんですか?」
レオンが聞くと、ベティは意味ありげに微笑む。
「ラッセルも、なかなか頑張るよねー」
「え?まあ、仕事頑張ってますけど」
「そうじゃなくてさー・・・レオンは、リディアの事どう思う?」
リディアという名前に心当たりがなかった。
「誰ですか?」
「あ、まだ言ってなかった?さっきまでいたのが、ジェフさんの娘のリディア。ここの受付と、あと、細かい装飾品とか作ってるんだー」
明るい髪と瞳をした、中性的な顔立ちの少女。彼女の名前がリディアという事らしい。物言いがつっけんどんな感じだが、それが格好いいと思わせる不思議な印象の少女だった。細かい装飾品とは、アクセサリーとかの事だろうか。
「へえ・・・そのリディアさんがどうかしたんですか?」
「だから、レオンはリディアの事、どう思った?」
「どうって言われても・・・なんとなく格好いい人ですね」
レオンがそう言うと、ベティが何度か頷いた。
「そうそう。まあ、そういう事なんだ」
「・・・どういう事ですか?」
「だいたい分かるでしょー?」
「全然分かりませんけど」
その言葉に、ベティが苦笑する。珍しい表情だった。
「レオンはさあ・・・」
「はい?」
「人生の楽しみを、半分くらい損してると思うな」
レオンはその言葉に首を捻るばかりだった。