フェアリー・ステップ
カーバンクルは気まぐれだ。
何を考えているのか分からないというのは、妖精も動物も同じだけれど、子供の頃から動物と触れ合ってきたレオンにしてみれば、動物の行動はまだ予想がつく。いつも本能で動いているように見える動物達だが、レオンの印象は少し違って、割とストイックなところがあると思っている。彼らは無駄な事はしないし、いつも本気だ。そしてとても潔い。だがそれは、自分が狩人として接していたから、向こうに出来るだけ敬意を払わなければならいという感情からくる、ただの錯覚なのかもしれない。生粋の狩人であるホレスに聞いてみれば、違った答えが返ってくるような気もする。
それに比べて、カーバンクルはストイックさと無縁に見える。ギルドや伝承者達と共にいる妖精は人間の仕事を手伝っているが、それが生活の本質と関係があるとは思えない。そんな事をしなくても、彼らの命が危うくなるとは思えないからである。彼らが生きる上では必要ない事なのに、何故自分達を手伝ってくれているのだろうか。もちろん、学者でもないレオンがいくら推測したところで、確かな答えが得られるわけではない。
それはそれとして、今レオンが困っているのは、もっと小さな問題についてだった。
「・・・どうしようか」
隣にいるステラを見るが、彼女も困惑顔だった。
2人がいるのはビギナーズ・アイの入り口の前である。資金稼ぎの為、そして、まだクリアしていないステラのステータスの為にこのダンジョンを攻略する。そう意気込んで、しっかり準備を整えてここまでやってきたのだが、ここで問題があった。
ソフィが離れてくれないのだ。
基本的に、いつもレオンの右肩に乗っているカーバンクルのソフィだが、頼めば降りてくれるし、たまに自分で降りる事もある。しかし、レオンが近くにいないのが分かると、すぐさま駆け寄ってきて定位置の右肩まで登ってくる。そして、そこでこちらをじっと見つめてくるというのが常だった。
ここまで懐かれるというのも意外だが、それがカーバンクルだというのはもっと驚きだった。レオンが知っているカーバンクルといえば、自分が好きな時に好きな場所にいるというのが標準で、ソフィのように特定の人物に執着するという例を知らない。ギルドにいるシニアはケイトの頭の上にいる事が多いが、ケイトの家まで着いてきたりはしない。伝承者達のカーバンクルは基本的にパートナーの近くにいるものの、それに拘っているようには見えない。レオンの村にいた妖精に至っては、自由気ままに村の中をうろついていた。
しかし、どういうわけか、ソフィはレオンから離れたがらない。元々思考が読めないカーバンクルだが、必要のない事に執着されると、その理由を推測しようもない。それならそれで、日常生活を過ごす上では特に問題はないのだが、ダンジョンに入るとなると話は別だった。
今、ソフィはレオンの右手に乗っている。体毛が長いので体積はそこそこあるが、体重は小石程度しかない。
じっとこちらを見つめてくる赤い双眸。潤んでいるようにも見えるから、困りものである。
「・・・どうします?」
「連れて行くっていうわけにもいかないし・・・」
いい考えが思い浮かばない。ここまでソフィが頑固だと思わなかったのが誤算だった。すぐ隣の診療所で待っていて貰おうと思ったのだが、言っても聞いてくれないのである。
だがそこで、ステラが意外な事を言い出した。
「連れて行きませんか?」
思わずステラの顔をまじまじと見るレオン。突然何を言い出すのかと思ったからだったが、その反応が大袈裟過ぎたのか、ステラは戸惑った様子だった。
だが、彼女の青い瞳にからかう色はない。
「ソフィが一緒に行きたいみたいですから、連れて行ってあげましょうよ」
「いや、だって・・・ピクニックじゃないんだから」
当然の意見だと思ったが、ステラは微笑む。
「見た目は可愛いですけど、ソフィだってれっきとした妖精なんですよ。私達よりもずっと長生きしてるはずなんです。それに、カーバンクルは不死の存在だって、聞いた事ないですか?」
もちろん聞いた事がある言葉だった。
「それがどうしたの?」
「カーバンクルを傷つける事は出来ないって、そう言われているんです。それに、捕まえる事も出来ないんです。災害があってもモンスターに襲われても、いつの間にかいなくなっていて、後からひょっこり出てくるって、昔から言われています。多分、そういう魔法が使えるんじゃないかっていう噂ですけど・・・」
「へえ・・・って、それは信じていい話なの?」
不確かな話を簡単に信じるというのもどうなのだろうか。特に、ソフィの身の安全に関わるので慎重にならないといけない。
そこでステラは苦笑した。
「でも、このままだとダンジョンに入れないまま日が暮れちゃいますよ」
言葉に詰まるレオン。確かに、このまま代案を思い付かなければ、ダンジョンに入れそうもない。
「後ろに安全な場所を確保しておいて、ソフィはそこにいて貰いましょうよ。レオンさんと離れるのが嫌みたいですから、それくらいの距離なら我慢出来るんじゃないですか?」
レオンは右手に乗るソフィを見る。相変わらずこちらを見ているが、もちろん表情に変化はない。だから、ステラの案で妥協してくれるのか、それとも不満があるのか、よく分からない。
長生きしてるはずなのに、子供みたいなカーバンクルである。だけどもう、それくらいしか案がなさそうだった。どこかに閉じ込めるとか、紐か何かでどこかに繋いでおくという方法もあるかもしれないが、良心が痛み過ぎるので、とてもじゃないけれど出来ない。それに、そんな事をしたら、ベティとステラに何をされるか分からない。
一度小さく息を吐いてから、レオンはステラに微笑みかける。
「・・・そうしようか。その方が慎重になれるし、かえっていいかもしれない」
「ですね。そうしましょう」
ステラは身体を弾ませる。やたら嬉しそうなのは、ダンジョン内でもソフィと一緒にいられるのを喜んでいるからだろう。
そんな2人をソフィはじっと見ていた。もちろん、喜んでいるのかどうかは分からない。
多少出鼻をくじかれた感はあるものの、そうして本日のダンジョン攻略が始まった。
もう何度もビギナーズ・アイに入っているレオンなので、前に見た事のある部屋も多い。同じ罠やモンスターの組み合わせを見かける事も多かった。白地に黄色の混ざる石レンガや、魔法の松明といったものは、もう見飽きていると言ってもいいくらいである。
だが、そういった例が当てはまるのは、あまり脅威とは言えないような部屋の場合である。このダンジョンに何箇所かある手強いモンスターが待ち構えている部屋は、入る度にモンスターの組み合わせや戦術を変えているのが常だった。レオンが警戒しているのも、当然そちらの部屋である。不用意に進んで奇襲でもされたら、怪我だけでは済まない。
入る前は心配したものの、ソフィは割とお利口だった。というより、気が利いていると言えるかもしれない。レオンが先行して偵察に行く時やこちらから奇襲をかけにいく時は、何も言わなくても勝手に肩から下りてくれるし、戦闘が終わると、迎えに行かなくても勝手にレオンの位置まで戻ってくる。どこが安全とかをいちいち説明していないのだが、それはちゃんと理解しているようだった。伊達に長生きしているわけではないという事のようだ。
しかも、それが役に立つ時もあった。
レオンとステラがL字型通路の曲がり角の位置で相談している時だった。一方を進むと大きな両開きの扉があって、その向こうの部屋にはモンスターが徘徊しているのを確認していた。反対側は既に踏破してきた道で、モンスターはいない。部屋数は多いものの、いちいち処理する間でもなく、最初から何もない部屋がほとんどだった。
「じゃあ、行こうか」
軽く頷いてからレオンは言った。ようやく相談が終わったところで、とりあえずレオンが奇襲して気を引いてから、ステラが魔法で援護するという、いつもの作戦を採用する事になった。
だが、振り返ろうとしてレオンは足を止めた。いつもならステラが頷き返してくれるはずなのに、何故かステラがこちらを見たまま動かなかったからだった。
「どうしたの?」
体勢を戻して聞いたところで、レオンは気付いた。ステラは自分の顔ではなくて、右肩の上を見ている。つまり、ソフィの定位置である。
そちらに視線を向けると、ソフィはじっとこちらを見ている。それ自体はいつもの事だから気付くのが遅れたが、次のステラの一言で気付いた。
「・・・動きませんね」
そうなのだ。これから突入するのだから、普通は何も言わなくても肩から下りてくれるはずなのだが、今はまるで動かない。
「ソフィ。危ないから下りてくれる?」
言葉にしてみても駄目だった。その紅い双眸を見ても、もちろん何も分からない。
仕方ないから無理矢理下ろそうとするが、そこでステラが両手を合わせて声をあげる。
「あ・・・そういえば、さっきちょっと思ったんですけど」
「さっき?」
ステラは頷く。ブロンドの前髪が柔らかく揺れた。
「レオンさんが偵察に行った時も、ちょっとソフィの様子が変じゃなかったです?」
先程奥の部屋の様子を見に行った時の事らしい。その時はソフィは普通に肩から下りたから、あまり不自然だとは思わなかった。
「変って、具体的にどういう風に?」
「いつもレオンさんを見てるのに、反対側の、さっき通ってきた部屋の方を見てたんですよ。それで、どうしたんだろうって思ったんですけど・・・」
なんというか、ステラはソフィの事をよく観察している。もしレオンとステラの役割が逆だったとしても、レオンでは視線の事まで見ていなかったに違いない。本当に、まるで自分の子供かのように気にかけているようだが、ダンジョン内でそれはどうなのだろうか。少し心配になったレオンだった。
それはさておき、ステラの言いたい事が、レオンにはしっくりこなかった。
「・・・つまりどういう事?」
ソフィが余所見していたからといって、それがどうしたというのか。
ステラははっきりと断言した。
「向こうに何かいるって事ですよ」
一瞬固まってから、レオンは怖ず怖ずと聞く。
「何かって・・・モンスターって事?」
軽く頷いてから、ステラは問題の部屋の方を見た。
「つまり、このままだと挟み撃ちにされるって、教えてくれてるんじゃないですか?」
「いや、でも、何もいない事を確認したと思うんだけど・・・」
「絶対いますよ。ソフィがそう言ってるんですから」
真顔で言い切ったステラ。よっぽどこの妖精の事を信用しているようだ。ちょっと盲目過ぎる気もするが、それだけソフィが可愛いという事なのかもしれない。
そこまで言われたら確認しないわけにはいかない。レオンは来た道を引き返して、一度安全を確認した部屋をもう一度調べる事にする。灯りのない部屋なのだが、拝借した魔法の松明を使って既に入念に調べている。レオンが泊まっている部屋が少し膨張した程度の広さしかなく、何故か大きな棚が置かれている以外は何の変哲もない空き部屋だった。こういった部屋は、このダンジョンでは珍しくない。
改めてその部屋を入念に調べるレオン。ソフィも一緒である。
結論から言うと、モンスターはいなかった。
しかし、代わりに別のものを見つけた。
部屋にただひとつ置いてあった棚だが、本を整理するのに使うような背の高い棚で、もちろん中身は空である。だから、最初調べた時には触らなかったレオンだが、今度は試しに触れてみたところ、変な手応えがあった。この棚が床ごと揺れているような感触だった。
そこで本格的に引っ張ってみたら、本当に棚ごと床がスライドしたのである。
棚に隠されていたのは下り梯子。階層をまたぐような規模の物ではなく、地下1.5階とでもいうべき場所に行く為のものだった。
1人で入るのも危険だろうから、とりあえずステラを呼んでみる事にする。
「なんですか?ここ」
ステラが梯子の先を覗き込みながら聞いた。中は真っ暗だが、レオンが持つ松明の灯りで、すぐ下の床は見える。特に代わり映えのしない、ここと同じ石レンガである。
「分からないけど・・・モンスターの気配とか感じない?」
視界が届かない場所を調べる場合は、ジーニアスの感覚の方が頼りになる。フィオナ程ではないにしろ、ステラも数メートル先程度までなら、ある程度の気配を感じ取れる。
しばらく目を瞑っていたステラだが、しばらくしてから目を開けて首を捻った。
「・・・感じませんけど、結構長いですよ。もっと奥にはモンスターがいるかもしれません」
どうやら、地下室ではなくて地下通路のようだ。
「えっと・・・まあ、入るんだよね」
確認する間でもなかったが、一応聞いてみる。
やはりというべきか、ステラは力強く頷いた。
「当然です。ソフィが教えてくれたんですから」
真っ暗闇というのが少し気になったレオンだったが、入ってみる事にする。ソフィは肩から下りなかった。安心していいのかどうか、判断しかねるところである。
レオンとソフィが前方を確かめながら進み、その後ろをステラが着いてくる。地下通路はいくつか曲がり角があったものの、結局一本道だった。5分程歩いただけで、あっさり行き止まりになる。そこには入ってきた場所にあったのと同じ様な梯子が備え付けてあった。
天井は簡単にスライドした。上の部屋は明るい。
結局、出てきたのは、入ったのと同じ様な狭い部屋だった。灯りがちゃんとある事以外は、全く同じと言ってもいいような、ただ棚があるだけの部屋。それも、下り梯子を隠す為の物なのだから、もはや何もない部屋に等しい。ドアがふたつあって、ちょうど向かい合うような位置に設置してある。
その片方を少し開けて覗いてみた時、ようやくこの地下通路の意味が分かった。
ドアの向こうにはモンスターの集団。しかも、先程レオンが確認していたものと全く同じ。
「つまり、こちらを通れば、わざわざ戦わなくても通り抜けられるって事だったんですね」
ステラが小声で言った。そして、レオンの肩にいるソフィを誇らしげに撫でる。
「でも、そんな事が本当に分かってたのかな」
呟くように言うレオン。隠し通路の存在は分かっても、その先がどうなっているかまでは、いくら妖精でも分からない気がする。
しかし、ステラはあっさりと微笑む。
「きっと分かるんですよ。だって妖精ですから」
いまいち納得しかねるレオンだが、ジーニアスでもあり、女性でもあるステラには、何か感じ取れるものがあるのかもしれない。
結局そういう事にして、ダンジョン探索は続いた。
そうそう隠し通路があるわけもなく、ソフィが役に立ったのはその一度だけだった。しかし、元々ビギナーズ・アイは厳しい遭遇が数える程しかない為、一度戦闘を回避出来ただけで、ダンジョン全体の脅威の何分の一かは回避出来た事になる。その後、一度戦闘があったものの、それも難なくこなして、あっという間に下り階段まで辿り着いた。
最初にここをクリアした時は、最初の遭遇がボスモンスターだった。そして、どうやら今回もそうらしいと否応なく思わされる。
下り階段の先は導きの泉。そこにひとつだけある扉を通り抜けると、すぐにそれが見えてきたのだ。
立派な彫刻が施された巨大扉。いつかと同じく、大きな目玉の周りを絡み合った草木が包んでいるようなデザイン。何か意味がある模様なのかは分からないものの、覚悟した方がいいのは間違いなさそうだった。
「・・・ここですか?」
ステラが小声で聞く。いろいろ省略された質問だが、彼女の真剣な表情を見れば、何を聞いているかは一目瞭然だった。
レオンが頷くと、ソフィは肩から床に下りたった。この妖精も分かっているようだ。
「これ・・・ちょっとだけ開けて覗くってわけにはいかないですよね」
あまりに巨大過ぎて、そしてその分重い扉である。ちょっとという言葉とは無縁の代物と言ってもいい。
「それに、ステラ1人だと開けられないかもしれない」
いつもの作戦は使えないのだ。レオンだけが先に入ったら、ステラが入れないからである。
巨大扉をまじまじと見てから、ステラは聞く。
「・・・どうします?」
同じように扉を見てから、レオンは答えた。
「とりあえず開けて確認はする。いつでも戦えるように、準備だけはしておいて」
頷くステラを見て、レオンも覚悟を決めた。
前回のボスモンスターを思い出す。冷静に対処出来れば、勝機があるはずだ。それに、今回はレオン1人ではないのだ。
扉に両手を押し付ける。
そこで、ステラもレオンの隣で扉を押そうとする。
「あ、ステラはいいよ。それより、魔法の準備をしておいて」
ステラは困ったように微笑む。
「いえ・・・私、見えないと駄目なので」
「あ、そうか・・・」
言われてみればその通りだった。それに魔法の準備中は動けないのだ。ここで予め準備しておいて、中に入ってから発動するという事は出来ない。
「なんとか、感覚だけで魔法を使えないかと思って練習してるんですけど・・・なかなか難しくて」
「そうなんだ・・・あ、でも大丈夫。出来る範囲で頑張ろう」
「はい」
一瞬で真面目な顔に戻る。
レオンが合図して、2人は同時に扉を押す。あまり動かなかったので、今度は全力で押すと、ようやくゆっくりと開き始めた。
開けた途端にモンスターの大群が押し寄せてくるというパターンもあり得たのだが、そうはならなかった。今回も中は大広間であり、そして静かだった。
ただ、中に何もないわけではなかった。前回は奥に扉があったのだが、それはモンスターの擬態だった。しかし今回は、部屋の中央に、あからさまに怪しい物体がある。
それは球形をしていた。しかし、結晶型モンスターのように綺麗な形ではなく、歪な球形である。ツタが絡まって出来たような、ある意味毛糸の玉のようなものなのだ。ただし、大きさは毛糸どころではなく、人間を丸ごと1人包み込めそうな程ある。
扉を大きく開いても、その球は動かない。そもそも、モンスターなのか分からない。
しばらく待っても何も起きない為、レオンはステラに目配せする。彼女は頷いてから、扉から手を離して部屋に入った。少し遅れて、レオンも手を離して中に入る。
ゆっくりと大扉は閉まった。
ステラはすぐに魔法準備を始めていた。準備が長くかかるわけだから、いい判断だった。レオンも左手を腰の後ろに回して、ニコルのガジェットを準備する。そして、ゆっくりと球体に近づいていく。ステラよりも、モンスターの近くにいた方が得策なのだ。
しばらく歩いたところで、大扉が完全に閉まる。
それが合図だったのか、それとも、レオンとの距離が縮まったのに反応したのか。
球体が振動し始めた。
十分投擲の届く距離だったが、ダガーを投じるのは止めておいた。仮に命中したところで、何か影響があるとも思えなかったのだ。サイズが大き過ぎるのである。ニコルのガジェットによる爆発なら効果が期待出来そうだが、まだ準備が済んでいない。
球体はやがて表面に割れ目が入った。次第に変形を始め、球形ではなくなった。
寸胴な脚を突き、床を震わせる。
あっという間に変形が済んでみると、それは人型を模していた。身長は3メートル以上あるだろう。腕と脚が2本あって、どちらも丸太どころではない太さだ。ただ、頭が付いておらず、その代わりと言うべきか、両肩の辺りで小さな目玉が蠢いている。
もちろん、自然の生き物ではない。モンスターなのは間違いなかった。そして、以前ステラから聞いた言葉を、レオンは思い出していた。
生ける人造。ゴーレム。
目前のモンスターは恐らくそのゴーレムの一種だろう。要は、ツタで出来た人形である。
レオンはゴーレムから10メートル程距離を開けた位置で立ち止まっていた。もっと近づく事も出来たが、相手がこれだけ巨大だと、近づいたところで出来る事は少なそうだ。
半身になって背後をちらりと見ると、目を瞑っているステラが見える。その眼前には青白い光の文字。ほとんど準備が出来ているようだ。
あのモンスターが何かするよりも前に、ステラの魔法で決着がつくかもしれない。そう思ったものの、やはりそう上手くはいかなかった。
完成したステラの魔法。しかし、その文字が一際輝いて消える瞬間、レオンの目にも、確かに緑のラインが書き足されるのが見えた。
声は出さなかったものの、驚いた様子のステラ。
魔法相殺だった。
ゴーレムに視線を戻したレオンは、両肩の目玉が自然と気になった。
向かって右側。つまり、ゴーレムにとって左肩についている目玉だが、それはじっとステラの方を見ている。体内がどういう構成になっているのか分からないが、あの目玉は別のモンスターで、ステラの魔法を打ち消したのも、あれの仕業かもしれない。
そして、右肩を見ると、その場所にある目玉はじっとこちらを見ている。
身体が緊張する。
そう思った次の瞬間、ゴーレムがこちらに突進してきた。
床が揺れる程の振動だった。それでいて滑らかな動き。恐ろしく動きが速い。
「レオンさん!」
背後からステラの声が聞こえた。しかし、返事をする余裕はない。
立ち止まっていては避けられない。そう思って、早めに動き出していたレオンだったが、やや目算が甘かった。
ゴーレムがこちらめがけて両の拳を振り下ろしてくる。
それ自体は間一髪で避けられたレオンだったが、そこで右目玉の前に一瞬だけ赤い文字が走った。
その数秒後、床に打ち付けられたゴーレムの拳から、凄まじい爆音が轟いた。
わずかに遅れて襲ってくる爆炎。
咄嗟に盾を前方にかざしたが、全て防ぎきれるものではない。
衝撃で数メートル飛ばされた。
それでも、すぐに起きあがりながら、レオンは叫んだ。
「大丈夫!魔法の準備を!」
ちゃんと伝わったかは分からない。しかし、確認する余裕はない。
爆炎で自分の両拳が吹き飛んでいたゴーレムだが、驚くべき速度でそれは再生していく。ただのツタではないのは確実だった。あっという間に元の拳に戻る。
そして、再生するや否や、こちらに突進してくる。
手も足も出ないレオンだが、今度は攻撃の内容が分かっているので、幾分気が楽だった。それに、自分を無視してステラの方に行かれるより、よっぽどいいと言える。
再び拳を叩きつけてくるゴーレム。
今度も間一髪といったタイミングでしか避けられなかった。それくらい、ゴーレムの動きは正確で速い。そして、一度避けたら終わりというわけではないのだ。
それでも、爆発まで一瞬だけタイムラグがある。その一瞬で、レオンは出来るだけ距離をとった。
目玉が一瞬で魔法を発動する。今度は左の目玉も魔法を発動しているのが確認出来た。両目玉による共同作業なのだろうか。
再びの爆炎。
炎と衝撃がレオンの身体を襲うが、少しだけでも距離をとったのが功を奏したようだ。体勢を低くして、なんとか耐える。今度は飛ばされずに済んだのでほっとした。
しかし、何度も避けられる自信はない。
再生するゴーレムの拳を後目に、レオンはステラを見た。ちゃんと魔法準備をしている。それでも、まだもう少し時間がかかりそうだった。
それまでに、レオンにはやっておかなければならない事がある。
レオンの左手はニコルのガジェットを引き抜く。そして、右手でダガーを握った。
引き抜いた円柱状の金属管を手首のスナップだけで握り直す。そのまま安全スイッチを切ってから、すぐにゴーレムの足下めがけて投げ込んだ。
それと同時にダガーを投擲する。狙いは、左肩の目玉。ゴーレムは倒せなくても、目玉を処理しておかなければ、ステラの魔法がまた相殺されてしまう。
しかし、ダガーはゴーレムが左腕であっさり弾いてしまった。巨体に似合わない機敏な動き。
それでも、爆薬の方は無視された。恐らく、身体に命中しないと分かったからだろう。それ自体は正しい予測なのだが、このゴーレムは、ニコルのガジェットの恐ろしさを知らないのだ。
一応、レオンは身を屈めた。
その直後、凄まじい爆炎がゴーレムの足下で炸裂する。まるで雷が落ちたかのような轟音。距離がそれなりにあるとはいえ、ステラの精神集中を乱してしまわないか心配だったが、さすがに彼女も聞き慣れているのだろう。問題はなかったようだ。
立ちこめた白と黒の煙が徐々に薄くなっていく。
次第に明らかになっていく光景を見て、レオンは唖然とせざるを得なかった。
もちろん無傷ではない。ゴーレムの脚はほぼ木っ端微塵になっていた。しかし、それすらもすぐに再生しようとしているのである。今はまだ半分程度しか再生出来ていないものの、見る間に脚が再構成されていく。もう数十秒あれば、完全に再生してしまうだろう。
後はステラに頼むしかない。
背中の弓を取って、矢をつがえる。
回り込みながら狙いをつける。今なら向こうは移動出来ない。絶好のチャンスである。
右肩の目玉を捕捉する。
思いっきり弓を引き、そしてすぐに離した。
矢は十分な速度で飛んでいく。
しかし、目玉には命中せず、その少し上に刺さった。人間なら痛がるはずだが、ゴーレムは気にする様子もない。それもきっと当然なのだろう。
外してしまったものの、レオンは気にせず次の矢を準備する。そもそも、あまり命中させようと思っていなかった。上下に角度がついているので、狙って当てるのは難しいのだ。実際に何度か射てみて、徐々に照準を合わせていった方が早い。
2本目も当たらなかったものの、3本目の矢は目玉を射抜いた。
思ったより早く命中したので、レオンは自分で驚いた。
紫の煙を上げて、右の目玉は消えていく。
休む間もなく、レオンは反対側へと回り込む。ただ近くを通ると拳が降ってくる可能性が高い。遠回りせざるを得ない。
左の目玉を視界に入れるのに十数秒はかかった。
すぐに弓を構えるレオンだが、そこで予想外の事が起きる。
ゴーレムが上半身を捻ったのだ。せっかく捕捉した目玉が見えなくなってしまった。
こちらの動きに対応したのだろうかと思ったが、そうではなかった。
左の目玉が向けられているのはステラの方だった。
そこでレオンは気付く。ステラの魔法準備が済みそうだと気付いて、それに対処しようとしているのだ。
「ステラ!ちょっと・・・」
魔法発動を止めようとしたレオン。今発動しても、相殺されてしまうからである。しかし、その言葉は最後まで続かなかった。
珍しい表情だった。ステラは余裕の笑みを見せている。
その一瞬後、ステラの魔法が発動する。
当然ながら、モンスターはそれに緑のラインを書き足す。これで意味のない文字にする。これはただのイメージ的解釈でしかないが、正しく理解していても、イメージしか理解出来ていなくても、結果は同じだ。
つまり、こうなると魔法は失敗する。
落胆しかけたレオンだったが、それで終わりではなかった。
横に伸びた緑のラインに対して、斜めの青白いラインが書き足されたのだ。
確かに驚いたものの、レオンは思い出していた。最初にステラとダンジョンに入った日、あの結晶型モンスターにされたのと全く同じ事だ。
相手の魔法相殺を取り込んで、自分の魔法を強化する。
左肩の目玉モンスターは、それを予測出来ていなかったようだった。
次の瞬間、レオンの位置ですら冷たさを感じるような、圧倒的な冷気が、ゴーレムを取り囲んだ。
身体を構成するツタが、あっという間に白く凍る。
その次に起きた事は、場違いにも少し綺麗だった。
ゴーレムは少しずつ粉々になっていき、その小さな破片が渦になってくるくると回転する。
白い霧のカーテンが輪を描いているようだ。
恐ろしい威力の魔法だという事を忘れさせる程、幻想的な光景だった。
結局、そのままモンスターは塵となって消滅していく。
溜息を吐く暇もない、瞬く間の出来事だった。
「レオンさん!」
戦闘が終わったと一息吐いた直後、ステラがそう言って駆け寄ってくる。
「大丈夫でした!?」
目の前で立ち止まった彼女は心配そうな表情だったが、レオンはどうしても言いたい事があった。
「ステラ」
「な、何ですか?」
「・・・凄いね」
それしか言えなかったが、言いたい事は要するにそれである。あのゴーレムを塵にしてしまうなんて、レオンには絶対無理だ。もし1人で戦っていたら、もしかしたら勝てなかったかもしれない。
最初は困惑気味だったステラだが、しばらくしてから、恥ずかしそうにはにかんだ。
「いえ、そんな・・・上手くいってよかったです」
「いつの間にか、魔法相殺にも対応出来るようになってるし」
「あれは、ちょっとだけ練習してたんです。フィオナさんに手伝って貰って・・・」
具体的にどんな練習をするのか、ちょっとだけ気になったものの、結果として実を結んでいるのだから立派な事だ。
「本当に凄いね・・・」
他に言葉が出ないレオンだが、ステラはそこで思い出したように言った。
「それより、怪我はないですか!?」
何でそんなに興奮してるのか、レオンはよく分からなかった。
「怪我って言われても・・・大した事ないけど」
「そんなわけないです!あんなに吹き飛んでたのに・・・」
断言されてしまったが、本当に大した怪我はなかった。
「大丈夫だと思うけど、そんなに言うなら、一応イザベラ先生に診て貰った方がいいかな」
どこか他人事みたいに話すレオンを見て、ステラは少し呆れたようだった。
「・・・私よりも、レオンさんの方がよっぽど凄いですよ」
「え、何で?」
多少面食らいながらも、ステラしっかりとした口調で話す。
「あんな大きいゴーレムを相手に、1対1で戦ってたんですよ?こういう事言うのもなんですけど、見ていた私は気が気じゃなかったんですから。魔法準備の為に精神集中しないといけないのに、気持ちが焦って仕方なかったですし・・・それなのに、終わってみれば、レオンさんはいい運動した後みたいな顔してるし。あんな戦いをした後に、そんな平気そうな顔が出来るなんて、いったいどういう事なんですか?」
何故か、最後はやや責める口調だった。
「どういう事って言われても・・・」
戸惑いつつ答えるレオンを、しばらく上目遣いで見つめていたステラだったが、やがてふっと微笑む。
「とにかく、無事に終わってよかったです。じゃあ・・・帰りましょうか」
「あ、うん。そうだね」
微笑みを返すレオン。
そこで何かが背中を駆け上ってくる感触があった。もうさすがに慣れているので、誰の仕業かは分かる。
右肩を見ると、紅い瞳をした白い妖精の姿があった。
しかし、一瞬目が合ったと思った次の瞬間、ソフィはすぐに右肩から飛び降りて、部屋の中央付近まで駆け出していく。数メートル程進んだところで立ち止まり、行儀よく座ってこちらを見つめてくる。
「・・・あ」
2人は同時に声をあげた。
今回は、ソフィが何を言いたいのかレオンにも分かった。ソフィが座る少し手前の位置に、赤い小さな石が落ちているからである。
通訳するならば、魔石を忘れるな、だろう。
レオンとステラは顔を見合わせて、そして同時に吹き出す。そして、ソフィの前まで並んで歩いていった。
ステラは身を屈めて、ソフィの頭を撫でる。
「教えてくれてありがとう」
レオンの位置からは見えないものの、ステラが微笑んでいるのは間違いない。
ソフィは頭を撫でられて、気持ちよさそうに目を細めている。
それを笑顔で見ていたレオンだったが、ふとある事に気付いて、入ってきた扉の方を見る。
もちろん開いていない。
人間でも開けるのが大変な重い扉なのだ。カーバンクルに開けられるわけがない。
どうやって入ってきたのだろう。
すぐに思い出すのは、今日ステラから聞いた言葉だった。
カーバンクルを捕まえる事は出来ない。
それを具体的に言えば、どこかに閉じ込める事が出来ないという意味ではないだろうか。出口に鍵をかけても、いつの間にか外にいる。例え重い扉であっても、カーバンクルには関係がないという事なのか。
今なら信じられる。そんな気がした。
そんなレオンの心境を知ってか知らずか、ソフィはステラに撫でられながらも、その紅い双眸はしっかりとこちらを捉えているように見えた。