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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第3章 ジーニアス・ステラ
33/114

透き通る由来



「これは、クリアスチール」

 向かいに座る女の子は淡々とそう述べてから、両手に持っていた透明な三角形の板をテーブルに置いた。そして、こちらを真っ直ぐに見つめてくる。子供らしい遠慮のない視線だとレオンは思ったが、口にすると目の前の少女が怒るらしいので、それは心の内に留める事にする。

 それはともかく、名前だけ言われても、レオンにとっては何も分からないに等しい。

「えっと・・・つまりどういう物?」

 レオンの質問に、少女はコクリと頷く。柔らかそうな黒いロングヘアが少し波打っただけで、相変わらずニコリともしない。

 少女の名前はシャーロット。これでも一応魔法用品店の店主らしいのだが、はっきり言って説得力が全くない。明るい大きな瞳と幼い顔立ちに加えて、今日もフリルの多いブラウスを着ている。どこからどう見ても子供。その上全く愛想がない。これほど店長に見えない人もなかなかいないのではないかとレオンは思うのだが、逆に言えば、そういったハンデを補える程、知識や技術に優れているという事なのかもしれない。

 シャーロットはすぐに説明を始めた。その対象は、先程彼女が持っていた透明な三角板。昨日のビギナーズ・アイでレオンが見つけてきた謎の物体である。

「簡単に言えば、魔法金属。魔法生命体系統のモンスターを倒して浄化される時、ごく稀に、完全に浄化されずに残る事がある物質。要するに、ドロップアイテム」

 ドロップという言葉には聞き覚えがあった。最初にダンジョンに入る前に、ギルド職員のケイトが使っていた言葉だ。

「アイテムって事は、これって利用出来る物?」

 思い付くまま尋ねたところ、シャーロットは一度大きく瞬きした。それを見て、もしかしたら馬鹿な質問をされて戸惑ったのかもしれないと、レオンは気付く。

 それでも、他には特にリアクションもなく、彼女は淡々と答える。

「クリアスチールは硬度が十分あるし、調整すれば魔法耐性を得る事が出来る。一般的な用途としては、鎧や盾の強化やルーンの補助材とされる事が多い。ただ、より上級の魔法の剣や防具を作る時に、クリアスチールは大量消費される場合がある。そして、ドロップアイテムは例外なく供給不足でもある。だから、欲しがっている人がいる。つまり、売り払ってもそれなりにいいお金になるはず」

「あ、なるほど・・・」

 普通に使うのではなく、売ってお金に換える事も出来るのだ。その発想がレオンにはなかったので、少し感心した。

「鎧や盾に使うならリディアに相談したらいいと思う。ステラの魔導具を作るなら私に。換金するならギルドに頼んだ方が安心。いずれにしても、ステラと相談して決めた方がいい。結構高価な物だから」

 正論である。レオンとしても、是非相談して決めたいところだった。

 しかし、なんというか、今は少し難しいのだ。

 一応レオンは、それとなく左の方を確認してみる。

 ここはガレット酒場のテーブル席。いつもはカウンター席に座っているレオンだが、今日は多少事情があって、珍しく丸テーブルを囲っているのである。レオンのほぼ正面にシャーロットが座っているのだが、実はレオンから見て左側に、もう2人少女が座っている。当たり前だが、少し視線を動かせば視界に入る位置である。しかし、向こうの2人には、恐らくこちらの姿は見えていないに違いない。

 2人の少女のうち1人は、繊細なブロンドのショートヘアと青い瞳をしたステラ。今はクリーム色のマントを羽織っているが、その下には魔導衣を着ているので、見る人が見ればジーニアスだと分かるかもしれない。もう1人は、ブラウンのポニーテールと瞳のベティ。彼女はワンピースもブラウンで、その上に白いエプロンをしている。ある意味彼女の普段着とも言えるが、本来は彼女の仕事着のはずであり、そして今まさに彼女は仕事中である。しかし、残念ながら、どこからどう見ても、彼女が仕事をしているようには見えない。

 その2人の少女は、身体を寄せ合うように並んで座って、テーブルの上で丸くなっている白い生命体を満面の笑顔で撫で回している。

 改めて2人の様子を窺うレオンだが、なんというか、これ以上ないくらい幸せそうな表情である。照明の光が煌びやかに乱舞しているこの店の雰囲気に引けを取らない程、彼女達の表情には幸福が満ち溢れている。あまりに幸せそうなので、声をかけるのを躊躇ってしまう程だった。

 それでも、一応聞いてみないわけにはいかない。怖ず怖ずとレオンは尋ねる。

「あの・・・ステラ?」

 やや間があってから、ステラはこちらを向いた。しかし、目尻が完全に下がっている。白い生き物を撫で回す手が休まる気配もない。手だけ独立して動いているのかもしれないと、レオンは少しだけ思った。

「なんですか?」

 その言葉は確かにレオンの耳まで届いたものの、これ以上ないくらい気が抜けていた。ちゃんと魂が入っているだろうかと、レオンが本気で疑った程だった。

 この距離で今の話が聞こえなかったわけがないが、どうやら聞こえていなかったと信じるしかなさそうだ。こんなに至福に満ちた表情で嘘が吐ける人間は、恐らく存在しない。

 シャーロットの解説をかいつまんで説明しようとしたレオンだったが、どうしても言葉にならなかった。幸せそうなところを邪魔するのは悪いし、いざ邪魔したところで、彼女が普段通りに戻る保証はない。

「いや・・・やっぱり後でいいよ」

 諦めたようなレオンの言葉に、ステラは少し首を傾ける。いつもの彼女もよくする仕草だが、どう見ても顔は腑抜けていた。

「そうですか?じゃあ、後で」

 その言葉の後半辺りでは既に、彼女の意識はレオンから白い生命体の方へ移っていただろう。何故なら、じゃあという言葉がほとんどにゃあになっていたからだった。

 そんなステラをしばらく見てから小さく息を吐き、レオンはシャーロットに視線を戻す。

「ごめん。せっかくわざわざ来て貰ったのに」

 クリアスチールなる物の説明をする為に、わざわざここまで出向いて来てくれたのである。それなのに、ステラがあんな状態では、あまりいい思いはしないだろう。

 シャーロットは首を横に振る。

「仕事のついでに寄っただけだから」

 相変わらず表情には出ないものの、気遣いしてくれているのは確かだった。

 少し気が楽になって、レオンは表情を弛める。

「また明日にでも、ステラと相談してみる。ルーン関連に使う事になったら、その時はまたお願いします」

 頭を下げると、シャーロットは軽く頷きイスから立ち上がる。

 そのまま帰るのだと思って、腰を上げかけたレオンだったが、シャーロットは出口の方へと向かわなかった。

 彼女はステラとベティの方へと歩いていき、2人の間から身を乗り出して、ふさふさの白い物体に手を伸ばす。

 撫で回すというよりも、未知の物体の感触を確かめているような、慎重な手付き。

 程なくして、気のせいか、シャーロットの口元が少し綻ぶ。あまり感情が顔に出ない彼女だから、相当喜んでいるのは間違いない。

 腰を上げかけたままの体勢でそれを見ていたレオンは、やがて大きく溜息を吐いた。

 もしかしたら、とんでもないものを連れて帰ってしまったのかもしれない。

 レオンの脳裏にその考えが過ぎったものの、すぐにまた溜息になって出て行った。連れて帰ってしまったものは、もうどうしようもない。しかし、これから先にどれだけ虜が増えるのかと思うと、面倒な事になりそうな気がしないではいられなかった。

 ふと、その魅惑の生命体に視線を移す。

 長い毛並みは新雪のような純白。今は閉じられていて見えないが、その双眸はガーネットの様に紅い。愛玩動物さながらの小柄な体躯だが、その中にはいくつもの不思議を抱え込んでいる。世界で唯一、妖精に分類されている存在。

 そんなカーバンクルだが、今はただ気持ちよさそうに眠っている。少女3人に頭や背中を撫で回されているが気にする様子はない。カーバンクルの毛並みというのは、ふかふかで病みつきになる程気持ちいいのだが、案外撫でられている方も、マッサージされているように気持ちいいものなのかもしれない。

「あー・・・可愛い」

 囁くように言ったベティ。こういう喋り方をする彼女は珍しい。いつも活力に満ちているが、今はそれも完全に抜けてしまっているように見える。

「可愛いですね・・・」

「・・・可愛い」

 ステラとシャーロットが答えるが、2人とも上の空だ。

 レオンも確かに可愛いとは思うものの、3人のように夢中になれる程ではない。3人の少女の反応は、何か魔法にでもかかっているのかと疑ってしまう程だ。ただ、魔法の発動兆候はなかったはずだから、そんな可能性はないはずだ。

 どうしたものかと思案していると、仕事中のガレットがこちらに歩み寄ってくる。

「おい!腑抜けてねえで仕事しろ!」

 乱暴な言葉遣いはともかくとして、言っている事は正しい。昼前というお客が少ない時間帯とはいえ、接客役は原則2人しかいないのだから、片方が休めばもう一方にしわ寄せが来る。

 しかし、娘の方はそちらを見向きもしなかった。

「確かに腑抜けるのはまずいよねー・・・でも、こんなに可愛いんだから仕方ないし」

 まさに開き直りである。

 ガレットの片眉がピクリと動く。この世のものとは思えない程の威圧感で、酒場全体の空気が瞬時に凍ったが、ベティ達3人娘の周囲だけは至福の空気に包まれたままである。

 もしかしたら手が出るかもしれないと、内心レオンは戦々恐々としていたが、実際にはそうならなかった。

 無言のままガレットはベティの襟首を掴んで、無理矢理立たせる。

 そんな事を堂々と出来るのは父親くらいなもので、他の人間がやれば大怪我をするのは間違いない。彼女の服に触れた次の瞬間には、どこかに拳か足が叩き込まれているか、或いは投げ飛ばされているだろう。今は上の空だからといって油断は出来ない。反射的に身体が迎撃してしまうのが達人というものである。

 それはそれとして、さすがにそんな扱いをされたら気に障ったらしい。ベティは父親の手を軽く振り解くと、そちらを向いて食って掛かる。相当な身長差があるものの、この娘がそれくらいで怖じ気付くわけがない。

「何!?せっかくいいところだったのに!」

 いつもの元気なベティに戻っている。しかし、あんまり嬉しくないレオンだった。彼女が完全に不機嫌になっているからである。

 こうなると、ガレットも一歩も退かない。

「いいところだあ?ただ撫で回してるだけだろうが」

「そんなの別にいいでしょ!私には・・・」

 どういうわけか、そこで急にベティは気が抜けてしまったようだった。軽く片手を挙げて、すぐにイスに座り直してしまう。

「お父さん、ごめんねー。なんか調子出ないからまた今度」

 その言葉に、レオンは驚きを隠せなかった。彼女と父親が口論する場面を幾度となく見てきたが、こんな肩すかしは初めてである。

 ベティはそのままカーバンクルを愛でる作業に戻ってしまった。

 しばらく呆気にとられてから、ふとガレットの顔色を窺ってみると、さすがに彼も驚いた様子だった。もしかしたら、こんな対応をされたのは、正真正銘の初めてだったのかもしれない。気のせいか、少し寂しそうに見えない事もない。

 多少居たたまれなくなってきたのもあって、レオンはなるべく穏やかに申し出た。

「あの・・・よかったら、僕が手伝いますけど」

 ガレットは憮然として答える。

「いや、この馬鹿娘の仕事だ。久しぶりに一発・・・」

 急に指を鳴らし始めるのを見て、レオンは慌てた。これくらいの事で乱闘騒ぎになるのは御免である。

「いえいえ!元はといえば、僕が連れ帰ったのが原因ですし。それに、日頃からお世話になってるので・・・」

 それでも強行されたら止める術はなかったが、ガレットは渋々了承してくれた。

「全く・・・仕方ねえな。悪いが、少しだけ接客しといてくれるか?何か問題があったら、そこの馬鹿娘を殴ってでも応対させろ」

 そんな事が出来るわけがないと思ったが、レオンは素直に頷いておく事にする。

 それを見て、ガレットは調理場の方へと消えた。裏口の方へ行ったのかもしれない。資材の運び込み等の力仕事は、彼の奥さんやベティには荷が重過ぎる為、原則ガレットにしか出来ない。

 結局、しばらくレオンが1人で酒場の接客をした。とは言っても、簡単な注文が2件あっただけだった。店のメニューやお酒の銘柄を全て把握しているわけではないものの、調理場にいるガレットの奥さんに伝えるだけなので、問題と呼べるような事態はなかった。

 しかし、その2件とも、お客にある質問をされた。その事がレオンは気になったので、しばらくして帰ってきたガレットに尋ねてみる。

「あの・・・白いカーバンクルって珍しいんですか?」

 カウンター席に1人で座ってから、レオンは尋ねる。カウンター奥のいつもの場所に陣取るガレットは、横目で娘達が座っているテーブル席を一瞥した。少女達によるカーバンクルを愛でる会は、まだ続いている。

 腕を組んだガレットは、少し難しい顔をして答える。

「珍しいんじゃねえな」

「はい?」

「白いカーバンクルはいないと言われてる」

 思わず2回瞬くレオン。

 お客にされた質問とは、あのカーバンクルは何色かというものだった。変な質問だとは思いながらも、白だと思いますけどと答えると、それっきりお客は何も言わずにカーバンクルの方を見つめるだけだった。

 だから、もしかしたら、白色のカーバンクルは珍しいのかもしれないとは思っていたが、いないとはどういう事だろうか。今、すぐそこにいるのだが。

 ガレットは珍しく歯切れが悪かった。

「俺もよく知らねえが・・・カーバンクルには、全く同じ色の個体は存在しないと言われてる。それくらいは、レオンも聞いた事あるか?」

「あ、はい。でもそれ、確かめたわけじゃないですよね?」

 おおよそ確かめようもない事である。カーバンクルは人里に居着いているものも多いが、それ以上に野生の個体もいると言われている。彼らの故郷は、人間が誰も足を踏み入れた事にないような未開の地にあるとも言われるが、それも定かではない。要するに、生態のほとんどが謎のままなので、憶測でものを言うしかないのである。

 どこか遠い目をするガレット。難しい話をする時の彼の目である。

「今までに確認されたカーバンクルは山ほどいるわけだが、完全に色が一致した個体はいねえ。体毛だけとか、瞳だけなら、一致する場合はあるがな。俺もカーバンクルとはそれなりに縁のある生活をしていたが、例えば、ここのギルドのカーバンクルみたいに藍色の瞳をした個体はそこそこ見かけた事がある。他にもニコルのカーバンクルは黒い体毛をしてるが、ハワードのところは瞳が黒だ。その程度の一致なら多いが、体毛と瞳の色の組み合わせが完全に一致する場合というのはねえらしい・・・まあ、その辺りの詳しい話が聞きたければ、ハワードがケイトにでも聞きに行ってこい」

 急に投げやりになるガレットだが、その気持ちも分からないではない。学者タイプの人でもなければ、詳しく知りたいとも思えない内容だろう。何かの役に立つ情報でもないのだから。

「まあ、はい・・・それで、白がいないっていうのは?」

「いや・・・ただそれだけの意味だ」

 ガレットは首の運動をしながら説明を続ける。

「今までに、白い体毛や瞳のカーバンクルは確認されてねえ。他の色はおおよそ出尽くしているはずなんだが、白だけはねえんだ。フィオナのとこみてえな水色とか、白に近い色は普通にいるんだが、真っ白だけはいねえ。ただ、確認されてねえってのは、記録に残ってねえって意味だ。たまに見たって奴がいるにはいる。いるんだが・・・そういう場合、ほとんどが狂言だろうな」

 その一言は、レオンにとって意外だった。

「嘘って事ですか?どうしてそんな嘘を吐くんです?」

 つまらなそうな口調でガレットは答える。

「さっき言った通り、白いカーバンクルは存在が確認されてねえ。だから、そいつが始祖の個体だとか、突然変異だとか、そういう憶測をしてる連中がいる。はっきり言えば、学者連中だな。そういう奴らに白い個体を見かけたって言うと、馬鹿みたいにすぐに食いついてくる。見かけた場所まで案内しろって言うわけだな。その見かけた場所っていうのが、大抵一般人が近寄れねえような場所なんだよ。じゃあ連れて行ってやるから、案内料と護衛料を寄越せって言うわけだ。冒険者にしてみれば、ダンジョンに入るよりも危険が少ねえし、すぐに金になる。半人前の浅知恵なんだが・・・学者は馬鹿な奴ばかりだから、未だにこの手の詐欺にひっかかる馬鹿がいる」

「はあ・・・」

 案内しても当然白いカーバンクルはいないわけだが、今日はたまたまいなかったと言い張るのだろう。元々幻の個体なのだから、不自然ではない。

 それはそれとして、ガレットは学者に対してあまりいい感情を持っていないようだった。どこか言い方に棘がある。そういえば、ハワードもガレットに対して棘のある言い方をしていた。やはり冒険者と学者は仲が悪いのだろうか。或いはガレット達の仲が悪いだけなのか。今度、先輩冒険者であるブレットに聞いてみるのもいいかもしれない。彼はハワードの息子でもあるから適任だろう。ただ、彼の場合、まずちゃんと会話出来るかどうかが怪しいのだが。

 ガレットは娘達の陣取るテーブルを見やる。ここからでは彼女達の背中に隠れて見えないものの、テーブルの上には、その幻かもしれないカーバンクルがいるのだ。

「・・・まあ、色の話はともかくとして、あれはレオンについてきたわけだ」

「多分・・・」

 確認しようがないものの、結局レオンの肩に乗ってダンジョンから出てきたし、レオン以外の言葉には従ってくれない。その事で、少しステラに恨めしそうな目をされたが、カーバンクルの気分次第だろうから、仕方のない事である。

 視線をレオンに戻して、ガレットは言った。

「カーバンクルの考えてる事はよく分からねえが・・・まさか、レオンに伝承者になれと言ってるのか?」

 なんとも答えづらい問いだが、レオンは首を捻りながら答える。

「・・・でも、前世がない伝承者って」

 伝承者になっても、見習いの人に何も教えられない。そもそも、自分も見習いなのだ。これほど頼りない伝承者はいない。

「分からねえな・・・カーバンクルってのは、必要な奴のところに必要なだけ来ると言われてるんだが」

「そうなんですか?」

 この町だと、ギルドに1匹と伝承者達に1匹ずつだから、必要最低限と言えるかもしれない。しかし、レオンの村にいた1匹は何だったのだろうか。まさにペットでしかなかったから、厳しい村の生活には、少しくらい癒しがあってもいいと思われたのだろうか。

「しかし、レオンにカーバンクルが必要だってのは・・・」

 そこでガレットの言葉が途切れる。彼の目線は娘達のテーブルの方を向いていた。

 自分も振り返ってみようとしたレオンだが、その前に背中を駆け上ってくる軽い感触があった為、何が起こったのかはすぐに分かった。

 その感触は右肩で止まる。そちらを見ると、真っ赤な双眸と目が合う。

 どうやら、気持ちよく目覚めたはいいが、傍にレオンがいない事に気付いて、ここまでやってきたようだ。どうしてここまで懐かれているのかは分からないものの、この妖精はレオンから片時も離れようとしない。なんだか幼い子供のように思えてくるので、ないがしろにするのも忍びない。従って、今のところ、この妖精が望むままに一緒にいるレオンだった。

「随分懐かれてるな」

 淡々と言うガレットに、レオンは苦笑を返す。

「ええ、まあ・・・」

 昔から割と動物や妖精との相性はよかった。狩人をしていた時も、なんとなくだが動物達と気持ちが通じ合っているような感触があったのだ。その分、狩りをする時は心が痛んだものだが、不思議とそれほど重荷にはならなかった。むしろ、こちらも向こうも、それが生きていく為だからと許し合っているような、そんな印象を持っていた気さえする。もちろん、レオンの勝手な思いこみだとは思うけれど。

 ただ、昔からよく、人の気持ちには鈍感だと言われていた。そして、どうやら今もそうだったようだ。

 ガレットは顎でレオンの背後を示しながら言った。

「今回もいいところだったみてえだな。カーバンクルに好かれ過ぎて、どこかの馬鹿娘に恨まれねえようにする事だ」

 笑顔が固まるレオン。あまり振り返りたくなかったが、ここで無視すると、ますます状況が悪くなるのは必至である。

 立て付けの悪くなった扉のようなぎこちなさで、レオンは後ろを振り返った。

 案の定というべきか、いつの間にか娘3人がそこに立っている。そして、何故か3人とも冷たい目をしていた。原因は分かるが、まだその心理だけは理解出来ないままである。

「・・・とりあえず、テーブルに戻りますね」

 レオンはカウンター席から立ち上がる。カーバンクルだけ戻ってくれればいいのだが、レオンから離れるのを嫌う為、結局レオンが移動せざるを得ない。

 再びテーブル席に戻ったレオンが肩に乗るカーバンクルに一言頼むと、妖精は軽い身のこなしでテーブルに降り立って、中央で丸くなる。そこへ、イスに座った少女達が手を伸ばして、嬉しそうに撫で回す。このカーバンクルを連れ帰ったのは昨日の事だが、この手順をもう何度も繰り返している。それでも、ベティとステラはまだまだ飽きない様子だった。先程初めて触れたばかりのシャーロットは尚更である。まだまだ続くのは間違いなく、今から疲労感が募るレオンだった。

 今回は白いカーバンクルが眠る様子はない。紅い瞳を開いたままこちらを見ている。表情というものがあるのかは分からないが、特に痛いとか気分が悪いとかいうわけではなさそうだった。

「いいなー、この子。可愛いし、大人しいし、手触りもいいし・・・うちの子にしたいな」

 ベティが微笑みながら言った。

「よかったら、引き取って貰ってもいいんですけど・・・」

 思ったまま発言したレオンだったが、ベティは満面の笑みで答える。凄みのある笑顔と言った方がいいかもしれない。

「ダメだよ、レオン。ちゃんと最後まで面倒みないと。もしこの子を途中で放り出すような事があったら、ちょっと私、自分を抑えきれないかもしれない」

 言葉の後半が少し早口だった。途端に居心地の悪くなるレオンである。ベティに怒り狂われたら、間違いなく二度と笑って過ごせなくなる。

「そ、そんなに手間がかかるわけでもないですし、なんとか頑張ってみます」

「うんうん。いい心がけだー」

 機嫌を損ねなかったようでよかったと思っていると、左側にいるステラが口を開く。今回の席順は、左からステラ、ベティ、シャーロットだった。

「いいな・・・レオンさんは、一日中この子と一緒なんですよね」

「え?うん、まあ・・・」

 確かに基本的にいつも一緒である。しかし、昨日出会ってから、まだ丸一日も経っていない。

「いいなぁ・・・一緒に寝たら、きっとふかふかで気持ちいいですよね」

 確かにそうかもしれないとレオンは言おうとしたが、その前にシャーロットが発言した。

「レオンと一緒に寝れば、一挙解決」

 慌てるレオンだが、ステラはあっさり言った。

「それもいいですね・・・」

 猛烈な咳が出た。

 しかし、3人娘は誰もそれに気付く様子はない。どうやら、シャーロットもステラも、無意識に発言しただけのようだ。シャーロットは日頃からそういう発言をするから不自然ではないし、ステラは意味も分からずにただ同意しただけだろう。これ以上は、あまり深く考えたくない。

 いずれにしても、かなり疲れる場所だった。

 なんとかレオンの気が鎮まったところで、今度はベティが不意に立ち上がった。

「そうそう!名前を決めないと!」

 何を言い出すのかと思って身構えていたのだが、思いの外、まともな提案である。

 ステラとシャーロットも頷く。ただ、この2人の手は相変わらずカーバンクルを撫で回しているままである。

 再びイスに座り直しながら、ベティは言葉を続ける。

「名前って親が責任をもって付けるものだよね。だから、ここはやっぱりレオンに決めて貰うのがいいと思う」

 急に3人に注目されたので、レオンは少したじろぐ。

「え・・・いや、でも、あんまり自信がないですから、皆さんに決めて貰ってもいいですよ」

 ベティは力強く頷く。

「大丈夫。センスがない名前だったら、即却下するから」

「・・・そうですか」

 それなら最初からそちらで決めて欲しい気もする。それに、どうやらレオンがこのカーバンクルの親という事になっているようだ。もちろん、レオンが自分で宣言したわけではない。

 こうなっては仕方ない。レオンは名前を考える事にする。

 じっと白いカーバンクルを見つめる。本当に雪のように真っ白な毛並みだ。その中に浮かぶ紅い瞳がこちらを見ている。

 あまり知識が豊富とは言えないので、それほど気の利いたネーミングが出来るとは思えない。それに、今までに何かの名前を考えた経験がほとんどない。人生の節目に自分の名前を変えられるという風習だったレオンの故郷だが、レオンは今まで名前を変えた事がない。この名前が割と気に入っているし、人生の節目というものがよく分からなかったからだった。

 しばらく考えたものの、いい名前は何も思い付かない。

 ところが、諦めようとした時、ふっと頭にある言葉が浮かんだ。

「ソフィですかね」

 思い付いた次の瞬間には口に出していた。

 特別な意味がある言葉ではない。ただ思い浮かんだだけの言葉だ。

 しかし、気が付いてみると、何故か女性陣から冷たい視線を送られていた。

「・・・センスなかったですか?」

 恐る恐る聞いてみると、ベティが首を傾げながら答える。

「センスというか、うーん・・・そんな女の子の名前、聞いた事あったかなー」

「女の子?」

 そこでシャーロットがぼそりと言う。

「・・・好きだった女の子の名前を娘に命名するのは不謹慎」

 訂正すべき箇所が多過ぎるが、とりあえず言える事は、完全な濡れ衣である。

「いや、そんな・・・」

 レオンの言葉が終わるよりも前に、ステラの声が割って入る。

「いくら忘れられないからって、そんな重い名前を付けられたら、この子が可哀想です」

 物凄く真摯な表情で諭されてしまった。彼女の中では、何か盛大なストーリーが出来上がっているのかもしれない。

 なんだかもう、いちいち説明するのも大変そうだったが、そこでベティが急に聞いてくる。

「それで、ソフィって誰?」

「誰って言われても・・・ただなんとなく思い付いただけなので」

 正直に言ったつもりだが、ベティはにやりと笑う。

「でもさー、突然名前を考えろって言われて、レオンにソフィなんて思い付くとは思えないんだけど。シロとかルビーとか言うと思ってたのにー」

「あ、ルビーっていいですね」

 ポンと手を叩いてレオンは言った。瞳がルビーみたいだからいいかもしれない。

 ベティは苦笑しながら軽く手を振る。

「ダメダメ。もうそういう名前のカーバンクルがいるらしいから」

「あ、そうなんですか?」

「お父さんが会った事あるらしいんだよねー。それはともかく、ソフィって誰?」

 なかなか粘り強いが、自分でも何故思い付いたのか分からないのでどうしようもない。

「と言われても・・・」

 仕方なくそれだけ答えたが、ベティの追撃は終わらない。彼女は口元に余裕の笑みを浮かべている。

「いい加減に白状した方がいいと思うなー。ここで黙ったままにしてると、後々関係が拗れると思うよ。この町の女の子全員と」

 何か根も葉もない事を言いふらす気だろうか。本気かどうかはともかくとして、彼女なら造作もない事だろう。

 いつの間にか、ステラとシャーロットが手を止めてこちらを見つめている。やはり少し視線が冷たい。

 どうしたら誤解が解けるだろうかと考えていると、いつの間にかベティの背後にいたガレットが声をかける。

「そんな事はどうでもいいだろうが。とっとと仕事に戻れ!」

 どうやらもうすぐ昼のようだ。お客が少しだけだが増えている。

「はーい」

 今度はベティもあっさり返事をした。食事時が忙しいという事は、彼女もよく分かっているのである。

「じゃあちょっと行ってくるね。ソフィ」

 イスから立ち上がって、微笑みながら白いカーバンクルを撫でるベティ。一瞬きょとんとしたレオンだが、すぐに聞いた。

「あれ・・・ソフィでいいんですか?」

 ベティは軽く頷く。

「それでいいんじゃないかなー。まあまあ可愛い名前だと思うし。よね?」

 両側に座るステラとシャーロットに同意を求めるベティ。

 2人は同時に頷いた。

「そうですね。深い意味がないなら・・・」

「・・・柔らかそうでいいかも」

 じゃあ今までの会話はなんだったのかと思ったが、ベティはちゃんと捕捉した。

「後々どういう由来か分かったら、その時は覚悟しておく事だね。もしレオンに何かあっても、ソフィは私がちゃんと面倒をみるから安心して」

 笑顔で言われても、返答に困る。

 そこで店の中央にいたガレットが娘に催促する。

「おい!いつまでも遊んでねえで、とっとと働け!」

 ベティはそちらを見向きもしないでソフィを撫でていたが、話しかける声はやたらと大きかった。どうやら当てつけのつもりらしい。

「ごめんねー。お祖父さんは怒りっぽいんだよー」

 それに対するガレットの返事も大声だった。

「祖父さんだあ?そういう台詞は本当に孫を作ってから言いやがれ!」

 何かが切れる音がしたのは、恐らく気のせいではなかった。ベティはつかつかと父親の方に歩きながら、負けないくらいの大声を張り上げる。

「孫って簡単に言うけど、誰のせいで苦労してると思ってるの!?」

「てめえのせいに決まってるだろうが!」

「お父さんのせいだって!だいたい、お父さんみたいな怪物を倒せる男がそうそういるわけないでしょ!」

「それくらいの根性を見せろって言ってるんだよ!」

「根性見せても、それで骨が折れたら馬鹿みたいじゃない!」

 盛大な口喧嘩が始まったが、お客は誰も気にしていなかった。これくらいの事にはもう慣れているのだろう。

 しかし、1人だけおろおろしている人間がいた。

「あ、ステラ。心配しなくても平気だから」

 よく考えてみれば、ステラがこの光景を見るのは初めてかもしれない。やはり初めだと、不安になるのだろう。表情を見れば一目瞭然である。

「え?でも・・・」

「大丈夫。なんていうか・・・あれがコミュニケーションなんだ」

「コミュニケーション?」

「お約束とも言う」

 シャーロットがソフィを撫でながらボソリと言った。多少意味合いが違う気がするが、全く的外れというわけでもない。

「そ、そうですか・・・」

 釈然としない様子で、親子喧嘩を見守るステラ。レオンも見てみるが、ベティは調子が戻っているようだし、心なしかガレットは嬉しそうである。先程肩すかしされたのが、多少なりとも堪えていたのかもしれない。

 ふとテーブルに視線を戻すと、ソフィが欠伸をしている最中だった。この町でいろいろなカーバンクルに出会ったレオンだが、こうやって眠そうにしている事が多いように思える。

 手を伸ばして頭を撫でてみる。他のカーバンクルと同じく、ふかふかのいい感触だった。

「よろしく。ソフィ」

 そのレオンの声はあまり大きくなかった。だから、親子喧嘩の声に隠れて誰にも聞こえなかったようだった。

「何か言いました?」

 ステラが聞いてくる。どうやら口が動いているのが見えたようだ。

 レオンは微笑んでから言った。

「なんでもない。だよね?ソフィ」

 もちろん妖精は答えない。だけど、こちらに頷きかけてきているような、そんな印象を確かに感じさせる紅い瞳だった。



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