魔法考察
人類には腕が2本しかないはずだ。
それなのに、ベティと戦っていると、向こうには腕が3本も4本もあるような、そんな錯覚を覚えてしまう。そして、そんな相手の攻撃を、腕が2本しかない一般的な人類であるレオンが受けきれるわけがない。今日はスカートだからよかったが、そうでなければこれに足まで加わるのだ。その波状攻撃を受けきれる人間がいるのだろうか。彼女の父親は受けきれるようだが、恐らくリーチと体格を生かしているのだろう。そのどちらにも恵まれないレオンはどうしたらいいのだろうか。
そこでつい溜息が出る。
仮にベティに勝てるようになったところで、ダンジョンでは役に立たない技術かもしれない。当たり前だが、彼女は人間しか相手にした事がないからである。それに、向こうはどういうつもりなのかは知らないが、こちらはベティに怪我をさせたくない。だから、どうしても受け中心になってしまう。ダンジョンでは相手に遠慮なんてしないし、モンスターを倒さずに取り押さえる機会なんて皆無だろう。
しかし、何を言ったところで、結局言い訳にしかならない。
「結局何があったんですか?」
ユースアイの大通り。昼食の残った特大バスケットとシャーロットをフィオナの家に残し、人の数が増えてきた広い道を歩きながら、隣を歩くステラが青い瞳をこちらに向けて聞いてくる。
「いえいえ。結局僕が悪かったので・・・」
この返答は2度目だが、前と同じく、ステラは釈然としない顔だった。ちなみに、彼女の質問は3回目。最初に聞かれた時、レオンはうっかり、ベティに成敗されてましたと答えそうになって、口をつぐんでいた。そう答えた場合、何故成敗されていたのか理由を話さなければならなくなる。気付かなかったとはいえ、レオンはステラの身体のサイズを測っている現場に踏み込むところだったのだから、そんな事を知ったらいい気がしないに違いない。止め方に異論がないとは言えないものの、そこを止めてくれた事に関しては、ベティに感謝しなければならない。
そのベティだが、レオンから見てステラを挟んだ向こう側に並んで歩いている。それはいいのだが、先程から周囲をキョロキョロ見回しているのがレオンは気になっていた。
「どうしたんです?さっきから誰か探してるんですか?」
聞いてみると、ベティはブラウンのポニーテールを揺らしながらこちらを向いた。彼女は瞳もブラウンだが、珍しく笑顔ではなかった。いつもの人懐っこい表情はなりを潜めていて、何かに驚いているような感じに瞳を大きくしている。
「いやー・・・なんかねー、気配を感じるんだよ」
「気配?」
彼女は真顔のまま頷く。
「なんていうか、分かるんだよね。私を警戒してるような、そんな感じが」
「そ、そうですか・・・」
女の勘だろうか。或いは、武闘家としての勘か。
2人の間に挟まれている格好のステラが怖ず怖ずと聞く。
「もしかして、その・・・私のせいですか?」
レオンには不明瞭な質問だが、ベティには分かったらしい。ステラに優しい笑顔を向ける。
「違う違う。この間みたいなのは、酒場では日常茶飯事なんだよ。向こうも一応は正式な冒険者なんだし、ちゃんとした大人なんだから、それで逆恨みする程落ちぶれてないって。そうじゃなくて、もっとこう・・・私個人に対する警戒というか、まあ、ある意味本能だよね。虫の知らせっていうか、私の存在を察知されてるような、そんな感じがする」
なんとも抽象的な話だが、そんな感覚を察知できたとしても、ベティならあり得ない話ではない。
「大丈夫なんですか?」
不安そうに聞くステラに、ベティは余裕の笑みを見せた。
「私はね。向こうはどうか知らないけど」
ほんの少しだけだが、ベティを警戒しているというその人物にレオンは同情した。
そんな事をしているうちに、本日最後の目的地に到着する。
「あ、ここだよー」
ベティが指さした物自体は一般的な民家だが、レオンは声を上げざるを得なかった。
「広いですね・・・」
その言葉通り、物凄く広い敷地なのだ。敷地だけならガレット酒場よりも広い。
ただ、建物の規模はそれほどではないのかもしれない。一般的な木造2階建てが2棟ある。ニコルの家も民家とは別にガレージを置いてあるし、フレデリック邸はこの2棟を合わせた位の規模があるのだ。ただ、それ以上に、ここの家は庭が広かった。訓練場に匹敵するようなスペースの更地に加えて、その向こうに野菜や果物を育てている庭が見えるし、その脇には鶏か何かの飼育小屋が見える。
しかし、一番目に留まるのは、その敷地内を走り回る子供達である。
「もしかして、ここは学校ですか?」
「学校?」
ステラの質問につい聞き返してしまったレオン。その2人にベティは微笑みながら言った。
「レオンの村には学校なんてなかったよね。ステラの町の学校はもっと大きかった?」
その質問にステラは小さく頷く。レオンの村もその通りだった。そもそも、学校という言葉に馴染みがない。
それを察してくれたのか、ベティが説明してくれる。
「学校っていうのはね、子供達に文字の読み書きとか計算を教えるところ。だけどここの場合、実質的には子供達の遊び場って言った方がいいかな。ただなんとなく、子供が集まる場所。勉強とかもそうだけど、植物とか動物と触れあったり、もっと単純に広場で遊んだりとか、そういう所だね。特に、小さい子供とかは町の外で遊ばせられないでしょ?そういう子供を少し年上の子供が面倒をみるんだよ。私も小さい頃は、フィオナさんやケイトさんに遊んで貰ったし、リディアやデイジーと知り合ったのもここなんだ」
「へえ・・・」
思わず感心してしまったレオンである。確かに、村くらい小規模な共同体なら必要ないが、これくらい大きな町になると、こういう施設があってしかるべきなのかもしれない。
ベティは懐かしげに学校の方を見渡す。
「いい事も悪い事もいろいろあったけど、ここで知り合った人とは今でも付き合いがあるし、いい思い出だよねー。特に、フィオナさんに面倒みて貰えたのが、凄くいい経験だった気がする」
その言葉に、ステラが反応する。
「小さい頃のフィオナさんは、どういう子供だったんですか?」
嬉しそうな表情で、ベティはステラを見た。
「今は普通に生活出来てるけど、小さい頃のフィオナさんはまだ慣れてなくて、よく転んだり物にぶつかったりしてたんだよ。一応私達が遊んで貰ってる立場なんだけど、そんなだったから、こっちもフィオナさんに気を遣ったりしてたんだ。それでも、フィオナさんはいつも笑顔で、一生懸命で、何も諦めたりしない、とにかく凄く強い人なんだ。今では伝承者や服飾の仕事も立派にこなしてるし。私やシャーロットはもちろん、私達世代の女の子はそんなフィオナさんを見てきたから、みんな影響を受けてると思うな」
「あの・・・そういえば、フィオナさんのご家族は?」
ふと気になってレオンは聞いてみた。フィオナの家には他の人の気配がまるでなかった。もう成人しているとはいえ、盲目の女性があの広い家で1人暮らししているのだろうか。
だが、質問してすぐにレオンは後悔した。立ち入った質問だし、それに、明るい話題になるとも思えない。
変わらないように見えるベティの表情だが、少し陰っているのがレオンには分かった。
「ちょっとね・・・ご両親とも、もうおられないんだよ。元々あんまり身体が強くなかったからね」
レオンは頭を下げた。
「・・・すみません。あの、こういう時こそ殴って貰っていいです」
デリカシーがなさ過ぎる。自分でも呆れるくらいだから、身体で分かった方がいい。
そんなレオンを見て、ステラは目を丸くしていたが、ベティは少し笑った。
「別にいいんだって。町の人みんなが家族みたいなものだから。私もたまに差し入れ持って遊びにいくし、ケイトさんとも親友だし。シャーロットなんか暇さえあれば行ってるから、ずっと1人ってわけでもないし。だいたい見て分かったと思うけど、シャーロットはフィオナさんにベッタベタだから」
確かに、仕事中は遠慮していたようだが、昼食の最中はまるで母娘に見える程甘えていた。今思い返してみれば、家の中でのシャーロットは、フィオナから1メートル以上離れていなかった気さえする。手を伸ばせば触れられる距離を保っていたのだ。
そんなシャーロットを、嫌な顔ひとつせずに受け入れていた。そういうところが、フィオナの器の大きさなのかもしれない。
「というか、こんな話してる場合じゃないよね。じゃあ入ろうか」
笑顔で言うベティ。彼女がいつも明るいのは、フィオナから学び取ったからなのだろうか。よく考えてみれば、彼女だって過去に辛い経験をしているのだ。それでも強く生きているのは、身近にそういう生き方をしている人がいるからなのかもしれない。
微笑みを返すレオン。自分が暗い顔をしていても仕方ない。
だが、返事を返す前に、学校の敷地の方から男性の声が飛んできた。
「そんなところに突っ立ってないで、早く入ってこい!ガレットの馬鹿娘!」
レオンの笑みが凍り付く。なんという暴言だろうか。自分の命が惜しくないのか。そして、今ベティを目の前にしている自分の命をどう保証してくれるのか。
だが、レオンの不安をよそに、ベティは普段通りの笑顔のまま、声のした方へ手を振った。
「先生!元気してたー?」
そのまま駆け寄っていってしまったので、レオンとステラは一度視線を交わしてから、彼女の後を歩いていく。
広大な敷地の左手。ベティが最初に指さした建物の玄関の前にその男性は立っていた。
上下ダークグレイの質実そうな服装だが、その反面、かなり逞しい体つきをしている。ガレット程ではないものの、普段から身体を鍛えているのは間違いない。距離が近付くにつれ、その厳格そうな面構えに威圧されるが、その割にどこかまとまった顔立ち、そしてダークブラウンの短髪と瞳。年齢相応に皺は多いが、確かに面影があると納得した。
彼こそがブレットの父親で、伝承者であるハワードその人である。
その近くにレオンとステラが到着する頃には、彼とベティは、親密なのか険悪なのかよく分からない会話の最中だった。
「最近会ってなかったねー。たまにはお父さんに顔見せにくればいいのに」
「あいつの方が暇に決まってる。今日帰ったらあの野郎に、たまには顔を見せに来るのが礼儀だと言っておけ!」
しっかりとした口調で言うハワードだが、本当に命知らずとしか思えなかった。少なくとも、ガレットに対してそんな言い方が出来る人間を初めて見た。
唖然とした表情を見せるレオンと、それほどではないが面食らった様子のステラ。そんな2人を一瞬ずつだけ見たハワードは、ベティに向かって言った。
「話はケイトから聞いた。ちょうどいいから、お前は子供の面倒をみてろ」
かなりの命令口調だったが、ベティは割と乗り気だった。
「任せてー。あ、そういえばブレットは?」
その質問を言い終わる頃には、既にハワードは玄関のドアに手をかけている。
「知らんな。あの馬鹿息子は・・・今度見かけたら、代わりに何発か叩き込んでやれ」
恐ろしい事を言い残し、ハワードは玄関の向こうに消えた。
ベティは楽しそうな表情だが、レオンとステラは呆然といった様子でそれを見送るしかなかった。
やがて、こちらを向いたベティは軽く片手を振る。
「じゃあ、私は子供の相手をしてくるから、レオンとステラは頑張って」
「・・・何をですか?」
ほとんど無意識にその質問が口から出たレオンに対して、ベティは笑顔で片目を瞑った。
「いろいろ」
その言葉を最後に、彼女は別の建物の方へと駆けだしていった。
完全に取り残された2人は、ただ沈黙するしかない。
「・・・どうします?」
ステラがぽつりと聞いたが、何と答えればいいのか、レオンには分からなかった。
そこで突然玄関の扉が開く。
びっくりしてそちらを向いた2人の見習いを見ながら、ハワードは簡単に言った。
「早く入ってきなさい」
再び扉が閉まる。
全くにこりともしなかったが、どういうわけか急に丁寧語になっていた。そのせいなのか、少し緊張感が和らいだ気がした。
「入りましょうか」
「そうですね」
レオンの提案にステラが同意する。彼女の声が落ち着いているのが分かって、レオンも踏ん切りがついた。
改めてこの建物を観察してみると、植木鉢やプランターがいくつか置いてある。その中に植えられた色とりどりの花が玄関前を彩っているのだ。敷地奥には畑もあるようだし、結構華やかな場所だと言えるかもしれない。
玄関扉を開けると、ハワードが立ったまま待ってくれていた。そのまま、玄関を入ってすぐの部屋に案内される。そこが応接間だった。
フレデリック邸のように調度品がたくさんあるわけではないが、かなり立派な部屋だと言っていいはずである。中央の黒いテーブルを囲うように焦げ茶色ソファが3つ。他には黒い棚と、風景画が2枚。そして、ここにもやはり植木鉢がいくつか置いてある。そのほとんどが、高い木が植えられた物だった。
ハワードの対面にレオンとステラが並んで座る配置になったが、しばらく間を空けてから、ハワードはいきなりレオンに質問してきた。
「レオン君だったね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「君は字の読み書きが出来るのか?」
予想外の質問だったが、レオンは落ち着いて答える。
「一応は出来ます。何でも読めるわけではないですけど」
「誰に教わった?」
「母です」
しばらくレオンの目を見たハワードは、続いてステラの方に質問する。
「ステラさんだね?」
多少緊張した面持ちのステラだった。
「はい・・・」
「君はかなり上等な教育を受けたはずだ。違うか?」
その言葉に、レオンがびっくりする程ステラは動揺した。
「あの!それは・・・」
何か言い掛けて、ステラはそのまま黙ってしまう。気になったレオンはその表情を窺おうとするが、彼女は俯いてしまっていて、その横顔しか見えなかった。ただ、それでも分かる程、ステラは思い詰めたような表情をしていた。
次に口を開いた時のハワードは、初対面の時の様子からは想像もつかない程、優しい声をしていた。
「ベティは優しいだろう?」
顔を上げるステラ。青い瞳を見開いている。
対するハワードの表情は変わらないが、不思議と穏やかな雰囲気になっている気がした。
「昔から元気が有り余っている子だったが、それは今も変わらないな。だが、それと同じかそれ以上に、彼女は思いやりのある子だ。他人の気持ちを汲んで、もしその人が苦しんでいればその力になりたいと思うような、そんな優しい心の持ち主なんだよ。そして、それはベティだけじゃない。私が面倒をみた子供は皆、その心を持っている。私が保証する。だから、君が心配するような事にはならない。そんなに不安がる事はない」
じっとステラを見るハワード。ステラは視線を逸らしたりはしないものの、どう返事をしたらいいのか、決めかねている様子だった。
やがて、ハワードは再び視線をこちらに向けた。
「レオン君・・・いや、レオンと呼ばせて貰っていいね?」
「あ、はい」
彼は腕を組んだ。
「君は私が勧めるよりも前に、ソファに座っただろう?」
「え?」
思い返してみるが、確かにそうだった気がした。ハワードがソファの前に立った為、その時点で座る位置が決まったと思ったのだ。だから、後は勝手に座るだけだと思ったのだが、勧められるまで座ってはいけなかったのだろうか。
ハワードはここで初めて口元を上げた。
「ステラさんの方はすぐに座らなかった。普通の教育を受けていたら知っているような事だが、それが正しい礼儀だ。だから、それだけなら別に不思議な事はない。彼女も普通の教育を受けていたのだろうと思うだけだ。しかしね、彼女はその後、すぐに君の真似をするように座ったんだよ」
レオンはステラの方を見てみる。彼女はその視線に気付くと、そのまま視線を逸らしてしまった。どこか恥ずかしがっているような様子だった。
それを見て、ハワードは苦笑した。
「私もそういう場面を初めて見た。どうしてこの子はわざわざ礼儀に反する行いをするのか。礼儀を知らない者が、知っている人間の真似をする事はよくある。しかし、その逆は聞いた事がない。教育を受けていないと思われたいのだろうか。だとしたら、それは何故か。それで先程の質問をしてみたわけだ。はっきり言って山勘だがね」
まだレオンには話がよく分からない。彼女はどうしてそんな偽装をするのだろうか。
ハワードの視線がこちらを向いているのに気付き、レオンはそちらを向いた。彼は既に真面目な表情に戻っている。
「最初にレオンにした質問は少し失礼だったかもしれない。だが、別に君に学がない事を貶したわけじゃない。一応確認しておきたかっただけだ。冒険者でも、文字の読み書きくらいは出来た方がいいに決まっている。他にも知っておいた方がいい事もあるが、まあまだ若いから、後からでもどうにかなるだろう。だから、文字が読めるなら私から言う事はない。ひとまずはこれで許して貰えないか?」
最初とは大違いの低姿勢な言い方に、レオンは戸惑った。
「いえいえ、僕は別に何も・・・礼儀を弁えていないのは確かですから、あの、気付いた時だけでも、注意して貰えるとありがたいです」
少しだけハワードの瞳が大きくなったような気がした。
「・・・なるほど。ガレットも目だけはまだ腐ってはいないか」
普通の口調でとんでもない事を言うので、レオンは絶句するしかなかった。本人が聞いていたら、間違いなく喧嘩沙汰ではないだろうか。全く油断出来ない。
ハワードはそこで間を取った。どうやら、2人の教育云々の話は終わりらしい。まだ聞いてみたい事があったのだが、ステラの表情が明るくないのを見て、レオンは諦める事にした。
次に彼の口から出た言葉は、やはり別の話題だった。
「アナライザーを知っているか?」
レオンでも知っている名前だ。サイレントコールドと同じ、伝説のジーニアスである。
彼はそこで頬を掻く。照れているように見えるが、彼にしては意外な仕草だった。
「私は一応、そのアナライザーの伝承者という事になっている。なっているんだが・・・こう言うと失望するかもしれないが、私はあまり魔法が得意ではない。もしかしたら、ベティから聞いているか?」
「あ、はい。ちょっとだけですけど・・・」
答えたレオンに、ハワードは苦笑を返す。
「今からもう20年以上前になるが、その頃この町にはジーニアスの伝承者がいなかった。知っての通り、ここには毎年見習い冒険者がやってくるが、そんな状態だったから、ジーニアスには誰もろくなアドバイスが出来なかった。私も、前世こそ伝説のジーニアスだが、魔法の才能がお世辞にも優れているとは言えない。いや、まあ、アナライザーもそうだったんだがね」
「本当ですか?」
例に漏れず、サイレントコールド以外の人物についてはほとんど知らないレオンである。
ハワードは頷く。
「ああ。だが、私はアナライザーのように冒険者になるつもりはなかった。ずっと学問に興味があったから、その道に進もうと思っていた。今のような教師になるのもいい。とにかく、私の魔法の才能なんてものはちっぽけなものだ。それを生かそうなんて事は考えた事もなかった。しかし・・・ジーニアスというのは、アスリートからは理解されない部分が多い。彼ら特有の悩みを抱えている事もある。そして、この町では誰にもそれを理解して貰えない。本当に、あの時の彼らは孤独だったと思う」
どこか遠い視線で、壁にかかっている絵を見つめるハワード。その絵は、この町のすぐ近くのような草原の風景を描いた物だが、なんとなくどこか寂しげな感じがした。
「それで伝承者になったんですか?」
いつの間にか顔をあげていたステラが聞いた。明るい表情とはいえないが、落ち込んでいるというわけではなさそうだった。
少し表情を緩めて、ハワードは答える。
「なろうと思ったところで、急になれる職業ではない。カーバンクルがいないと、伝承者としては認められないからだ。だから、最初はただ勝手に話を聞いているだけだった。自分の前世はアナライザーで、魔法の研究の為に話を聞かせて欲しいと嘘を言った。今思えば、恐らく嘘だとバレていただろう。私も若かったから、そんな幼稚な嘘が通用すると勘違いしていたわけだが、まあ、若気の至りというのも悪いものではない。何人かはその嘘に付き合って、話を聞かせてくれる事もあったからね」
つまり、全くの無報酬で話を聞いていたらしい。簡単に言うが、なかなか出来ない事だとレオンは思った。
ハワードの瞳は、何か懐かしいものを捉えている様子だった。
「それを何年も続けていると、いつの間にか私は伝承者と呼ばれるようになっていた。やっている事は、伝承者に似ていると言えない事もない。だから、いつしか町の人にそう認識されていたという事だろう。だが、ある日突然、カーバンクルが私の前に姿を現した。その時初めて、自分の事を伝承者と認識したと思う。不思議なものだな。カーバンクルにはこうなる事が分かっていたのか。それとも、町の人が私の事をあまりにしつこく伝承者と呼ぶものだから、渋々都合をつけてくれたのか。いずれにしても、私は言わば町の都合で伝承者になったようなものだ。もちろん文句があるわけではないが、言わば間に合わせだと言えるな。今ではフィオナという立派な伝承者がいる。私はもうお役御免と言ってもいい。私のカーバンクルも、最近はほとんど力を使った事がない。ここに来る子供達のペットと言ってもいいくらいだ」
外で聞いたのとは大違いの、穏やかな声だった。
彼の昔話を聞いていてレオンが思ったのは、この人はとても優しいという事だった。この人を見て育ったから、ベティもフィオナも他の子供達も、同じように優しく育ったに違いない。強いフィオナを見て育った少女達が、同じように強く育ったように。
「・・・よろしくお願いします」
レオンよりも早く、ステラがそう言って頭を下げていた。
少し遅れたが、レオンも同じ気持ちだった。同じように頭を下げる。
本当に教師なのだ。この人から教わりたいと心から思える。レオンにとってはアレンも教師だが、それは彼の剣の腕が尊敬出来るからだ。尊敬出来るという意味では、目の前の男性も全く不足はない。
ハワードはやはり照れたようだった。
「・・・その挨拶はこの辺りでしか通用しない。だが、まあ、間違いというわけではないな」
ステラとレオンは顔を上げる。ハワードが戸惑っているのを確認して、2人は揃って少し笑ってしまった。
咳払いをしてから、ハワードは言った。
「アナライザーは学問としての魔法の基礎を作った人だ。普通の人には感じ取れない以上、その感覚を一般化するのは不可能な事だが、ジーニアスにとっては普遍的と言える法則があるし、体系だけでも理解しておけば、アスリートでもジーニアスに助言出来る場合がある」
「あの・・・すみません。ちょっと難しくないですか?」
弱気な声を出すレオンだが、ハワードは予想通りとばかりに頷いた。
「そう言うと思っていた。だから、簡単に3つだけまとめておく。今日はこれだけ覚えて帰りなさい」
頷く見習い2人。
「まず、魔法は大きく分けて2種類あるという事だ。それを簡単に言うなら、魔法を身体の外に使うか、それとも身体そのものに使うかという違い。端的に言ってしまえば、前者は攻撃魔法、後者は治癒魔法だ。そして、この両者には決定的な違いがある。それは、攻撃魔法の方が格段に難しいという事だ。つまり、攻撃魔法は真に才能があるジーニアスにしか使えない。逆に治癒魔法は、ほぼ全てのジーニアスが使えると言ってもいい。前者の方が圧倒的に体力を消耗するし、魔法準備の時間も必要だ。アスリートでもそれくらいは理解しておけ。ジーニアスに疲労の色が見えるなら、攻撃魔法は控えさせて治癒に専念させる。それくらいは考えついてしかるべきだ」
「あの・・・」
怖ず怖ずと手を挙げたのはステラだった。
「私、攻撃は出来ますけど、人の怪我を治したりはした事ないんですけど・・・」
ハワードはあっさり答える。
「治癒魔法と言ったのは便宜上だ。実際には、誰でも怪我や病気が治せるわけではない。ただ、そうだな・・・実践的な話はフィオナに聞くといい。私はあくまで理論的な話しか出来ない。実際に、私も人の怪我は治せない。だが、人の状態というか、調子を知る事は出来る」
「調子ですか?」
レオンが聞くと、ハワードは頷いた。
「治癒魔法が簡単なのは、元々人の身体には整然とした力の流れがあるからだ。身体に何か異常があれば、その流れが乱れる。その流れを感じる程度なら、恐らく全てのジーニアスが出来るだろう。その流れに干渉して体調を整えたり、もっと上達すれば、身体機能を増加させたり、或いは怪我や病気を一瞬で治す事も出来る。それが治癒魔法と呼ばれるものの本質だ」
「一瞬で・・・」
そんな事が出来たとしたら、本当に医者いらずである。
「だが、反対に攻撃魔法の場合、身体の外には体内程の整然とした流れがない。自然の流れを、人間スケールで推し量るのは難しいと言うべきかもしれない。いずれにしても、この違いこそ、攻撃魔法が格段に難しい由来だ。煩雑であればあるほど、把握するのも難しくなるし、明確な流れにして意味を持たせるのも難しくなる。こちらは感じ取る事が出来るだけでも、相当鋭敏な感覚だと言える。フィオナの様に視覚の代わりをさせられる程となると、私には想像も出来ない。間違いなく、彼女は天才だろうな」
ふとレオンは、ニコルの言葉を思い出していた。ニコルはフィオナの事を、この町で一番頭がいい人だと言っていた。それは、魔法の才能の事をさしていたのだろうか。天才は天才でも、頭がいいとは少しニュアンスが違う気がする。確かに洞察力は優れていると思えたが、もしかしたら、何かまだレオンの知らない一面があるのかもしれない。
レオンの疑念をよそに、ハワードは話を進めた。
「次に、魔法の属性についてだ。大昔には火属性とか水属性とか言われたが、これは本質的な呼び方とは言えない。拡散型と収束型と大別するのが正しい属性の呼び方だが、はっきり言って定着しているとは言い難い。だが、この際呼び方はどうでもいい。重要なのは、魔法は知識によって応用が利くという事だ」
アスリートのレオンはもちろんだが、ステラもよく話が飲み込めていない様子だった。話が抽象的過ぎるのだ。
ハワードは全く気にかける様子もなく話を続ける。
「知識とはつまり、科学知識の事だ。ステラは得意な魔法があるか?」
急な質問だが、ステラは落ち着いて答える。
「冷気・・・でしょうか」
「収束型に分類されるな。だが、物が冷えるとはどういう事なのかを理解していれば、空気中の水蒸気以外にも応用が利く。例えば、空気そのものを凝固させたり、溶岩を凍らす事も出来るかもしれない。それ以外にも、あくまで理論的にはだが、モンスターが毒の粉を撒いてきた時に、それを一カ所に固める事が出来るかもしれない。冷えるとは違うが、それも収束型だ」
物が集まる事が収束という意味だろう。物が冷えるという事は、つまり収束しているという意味なのかもしれない。
「そして、最後だ。特にレオンは必ず肝に銘じておきなさい」
こちらを見るハワードに、レオンは頷いてみせる。
「ジーニアスは時に孤独だ。それは、彼らにしか見えない世界があるからに他ならない。それをアスリートは忘れてはならない。出来るだけでいいから、彼らの事を理解しようとする事が大切だ。実際に全て理解するのは無理でも、その努力を怠ってはいけない。仮に理解出来なくても、彼らを投げ出してはいけない。ジーニアスの居場所になれるのは、結局アスリートしかいない。今は理解出来ないかもしれないが、この言葉だけは忘れないで欲しい」
ジーニアスの居場所という事は、つまりステラの居場所という事なのか。彼女が戦える場所を作るのが自分の役目。そういう意味だろうか。
いずれにしても、レオンは元からそのつもりだった。彼女がどんな人間でも受け入れる。あまり能力に優れているとは言えない自分だから、せめてそこだけはしっかり支えてあげたい。
「分かりました」
真っ直ぐに返事をするレオン。ハワードはわずかに頷いてくれたようだった。
だが、その言葉の直後、玄関から誰かが入ってくる音が聞こえた。
「あの馬鹿は・・・」
一瞬にして剣呑な物言いになるハワードに影響されて、場の雰囲気が一変する。確かに間が悪いとは言えるかもしれないが、顔も見ていない人物に対していきなり馬鹿と言うのもどうなのだろうか。
ベティが様子を見に来たのかと思っていたが、しばらくして姿を見せたのは、今日は上下淡いブルーの服を着ている彼の息子のブレットだった。本当にハワードを若くしたような風貌で、近くで見ると親子だというのがよく分かる。
どういうわけか、彼は部屋の入り口辺りで固まっていた。その視線はステラの方に固定されている。
少し男性が苦手というステラは、さすがに不安になったのか、レオンの袖口を掴んできた。レオンの方が入り口に近い位置に座っている為、ブレットとステラの間に挟まれる格好になった。
沈黙が続いてから、ブレットは絞り出すように言った。
「・・・美しい」
物々しく言った割には、彼の顔は喜びに満ち溢れているように見える。
美しいのは、どうやらステラの事らしい。それはレオンにも分かったし、多分間違っていないはずである。ただ、その言葉を聞いたステラがあからさまに動揺したので、レオンは少し心配になった。
「あの、ブレット。ちょっと今は・・・」
控えめに言ったつもりだったが、彼は気にくわなかったようだった。
「前々から思っていたんだが、君はどういうつもりなんだ?」
どういうつもりと言われても、レオンには何の事かさっぱりである。
「・・・何が?」
「白々しいな。見れば分かるだろう!?」
何を見ればいいのか分からないし、きっと見ても分からない気がする。
「僕も前々から思ってたんですけど・・・」
どこか会話が噛み合ってない気がすると続けようとしたのだが、ブレットの言葉が割って入った。
「もうこれは止む終えまい。僕も手荒い真似は避けたいところだが、こうなってしまっては被害が拡大するだけだ。ここで決闘を・・・」
その瞬間、場違いな程明るい少女の声が玄関から聞こえてきた。
「決闘かー。いいね、それ。面白そう」
ブレットの表情が気の毒なくらい歪む。
声の主はそのまま勝手に上がり込んでくる。意外にも、足音は1人分だけではなかった。
その気配に気圧されるようにして、部屋に後ろ向きで入ってくるブレット。その視線は、先程まで自分が立っていた応接間の入り口に注がれている。
やがて姿を現したのは、既に半ば分かっていたが、やはりベティだった。
彼女は両手とも塞がっている状態だった。小さい子供の手を引いているからである。左右に1人ずつ、男の子と女の子のようだった。6,7歳くらいだろうか。
レオンはそれとなく室内の人物の表情を窺ってみる。取り乱しているのはブレットだけで、ベティは満面の笑み、ハワードは興味なさそうに壁に掛かった絵を眺めている。ステラと子供2人はきょとんとした表情だった。
「ブレット。決闘もいいけど、家の手伝いくらい、たまにはした方がいいんじゃない?」
「そ、そうだね・・・」
条件反射並の早さで、ブレットはベティの言葉に同意する。
不意にしゃがみこんで子供の目線に合わせてから、ベティは2人の子供に話しかけた。
「よかったねー。ブレットも遊んでくれるって」
「ほんとー?」
「うんうん。というか、気が変わる前に連れて行っちゃえばいいんだよ」
その言葉に歓声を上げて、ブレットに群がる子供のペア。楽しそうに見えない事もないが、ブレット本人だけはベティから視線を逸らす事も出来ない様子だった。
やがてベティが室内に踏み入れて塞いでいた出入り口を解放すると、そこからブレットと子供2人が出て行く。もしかしたら、逃げていくの方が正しいかもしれない。
応接間は再び元の落ち着きを取り戻した。
「さってと・・・先生。もう話は終わり?」
ハワードはちらりとベティを見る。
「ああ」
「じゃあ帰ろうか。あ、その前に、ブレットにちょっと言ってくるねー。決闘とかはどうでもいいけど、ステラの事はしっかり言っておかないと。じゃないとあいつは鬱陶しいからなー」
そう言うなり、止める間もなく部屋から出て行ってしまった。あっという間に来てすぐに出て行く。本当に嵐みたいである。
唖然としたレオンとステラだが、さすがというべきかハワードはぽつりと言った。
「元気のいい事だ」
「・・・ですね」
相槌を打ったレオンだが、ハワードはこちらを一瞥もしなかった。そのまま独り言のように淡々と話し出す。
「だが、あれくらい仕切ってくれた方がいい。特にうちの馬鹿には、あれくらい気の強い女性がいい。ベティかデイジーか、その辺りが嫁に来てくれるとありがたいが」
「よ、嫁ですか」
何故か、反応したのはステラだった。
「しかし・・・ガレットもうちの馬鹿に大事な娘をやる気にはならんだろう。デイジーなどはうちの馬鹿には出来過ぎている。仮にご両親がいいと言っても、フレデリックさんに申し訳が立たない」
その大事な娘に、先程この人は馬鹿娘と言ったはずだが、もしかしたら覚えていないのだろうか。
最後にちらりと、ハワードはこちらに視線を送りながら言った。
「あの馬鹿息子の真似だけはするな。あいつには礼儀もへったくれもない」
返事をしにくい事この上なかった。
だが、きっと真似ようと思っても真似出来ないに違いない。そんな確信だけは確かにあったレオンだった。