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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第3章 ジーニアス・ステラ
24/114

フレキシブル・ブルー



「冒険者にしておくのが惜しいなー」

 両開きの酒場のドアを蹴破るようにして出てきたポニーテールの娘は、レオンの姿を見つけるなり、そう言い放ってきた。

 汚れた雑巾を、やたらへこみが目立つバケツの中に放り込んだところで、ようやくレオンは返す言葉をみつけた。

「・・・そんな開け方してたら、ドアが開かなくなりますよ」

 その前に、蹴破るという文字通り、蹴った箇所に穴が空くかもしれない。

 ベティは笑った。本当に、彼女はいつも明るい。

「そうだねー。でも、ほら、今両手が塞がってるから」

 確かに彼女は両手で大きなバスケットを抱えていた。彼女が手料理を作った時、よくそれを持ち運ぶのに使っている、特大の代物である。 

 外からでは重さは分からないが、とにかく大きいので大変そうだった。

「僕が持ちますよ。あ、すみません。その前に、これ片づけてきます」

 バケツを持ち上げながら言うと、彼女はレオンが立つすぐ脇の壁を見る。先程までそこを掃除していたから、まだ少し濡れている。

「掃除なんかしなくていいのにー。今までに、そんな事してた見習いの人いないよ?」

「そうですか?でも、じっとしてるのも落ち着かないので」

 にやりと微笑むベティ。悪い前兆以外の何者でもない。レオンは一歩たじろいだ。

「もしかして・・・レオンは何かアピール中?」

「アピール?」

「例えば、まずお父さんに気に入られておいて、外堀から攻めようとか、そういう事?」

「外堀?」

 よく意味が分からなかった。自分はどこに攻めると思われているのだろう。

 こちらの顔をじっと見ていたベティは、やがて苦笑する。

「ダメだなー。意味分からないって感じだよね」

「あ、はい・・・何を攻めるんです?」

「言ってもいいけど、レオンは卒倒するかも」

「・・・片づけてきますね」

 早めに避難しておく事にする。

 ベティの横を抜けて勝手口の方へ向かおうとしたが、そこでレオンは気付いた。

「そういえば、ステラはどうしたんです?」

 一緒に出てくると思っていたが、出てきたのはベティだけだった。

 彼女は片目を瞑ってから答える。これも、全然いい前兆ではない。思わず一歩距離をとってしまった。

「いろいろね、準備があるんだよ」

「・・・分かりました」

 ここで聞き返したらまずい事になる。そう直感が警告していたので、レオンはそこで切り上げて勝手口に向かった。

 片づけをしてから、手を洗う。再び正面入り口の方へ戻ってくると、今度はステラが出てきていた。繊細な金のショートヘアに、吸い込まれるような深みのある青い瞳。最初に会った時は怯えているような印象しかなかったが、彼女が幾分慣れてきた為なのか、今はそうでもない。

 レオンが抱く彼女の印象を一言で言うなら、どこかアンバランスな少女だろうか。やや小柄で華奢なのに加え、大きな瞳が目を引くから、実年齢よりも多少子供っぽく見えるのは確かなのだが、基本的に物静かで落ち着きがあって、不思議と大人っぽくも感じる。それらが合わさって、どこか浮き世離れした幻想的な印象を感じるのだ。まだ会って3日目だから分からない部分が多いとはいえ、今まで会った事がないタイプの人間なのは間違いない。

 改めて2人に挨拶してから、レオンはバスケットを受け取った。中から小麦と肉のいい香りが漂ってくる。その匂いに食欲をそそられるが、かなり詰め込んだのか、結構重かった。

 3人はユースアイの暖かい大通りを歩き始める。

 町も春本番といった様子で、道行く人も明るい色の服が多い。レオンはブラウンが中心の冴えない服だが、ベティは淡いピンクのワンピースを、ステラは茜色のローブを着ている。

 昨日もこの3人で町の中を闊歩したのだが、正直注目の的だったと言ってもいい。当然だが、ステラが目立つのである。金の髪も青い瞳も、この地域では一般的ではない。本人はその視線が気になって仕方がなかったようだが、ベティの方は気にかける様子もなく、行き交う町の人達と挨拶を交わしては、律儀にステラの事を紹介していた。どうやら、彼女の事を周知させるのが目的だったらしい。顔見知りを増やしておけば、窮屈な思いをしなくて済むという事のようだ。それに1日使うというのも、彼女らしい豪快な手法だが、彼女らしいエスコートと言えるかもしれない。

 その反動というのもなんだが、結局昨日はあまり冒険者らしい事が出来なかった。ギルドでステラの登録は出来たのだが、それ以外はほとんど町を歩いただけだった。レオンはホレスに弓を教えて貰う予定だったのだが、気を遣われたらしく、あっさり中止になった。だから、この2人に着いていったのだが、それはそれでなかなか大変だった。

 ホレスとアレンはあっさりしていたのだが、途中でリディアとデイジーに会った時が凄かったのだ。とにかく話が長いのだ。

 どれくらい長かったかというと、4人の女子が話し始めてしばらくしてから、たまたまラッセルが通りかかり、する事もないので彼の仕事を手伝い、その一環としてニコルのガレージまで商品の配達に行き、そこで勉強していて分からなかった事のアドバイスを貰い、思わぬ長話になったから急いで帰ろうとしたらブレットと出くわし、そこで謎の因縁をつけられながらも無視するのも悪いと思って付き合い、彼の気が済んで解放されるのを待ってから4人の所まで戻ったものの、それでもまだ会話が続いていた程だった。しかも、全く飽きる様子もなく。

 このまま止めなかったら本当に日が暮れる気がしたので、レオンがそれとなく進言すると、ようやくそこで会話が打ち切りになった。デイジーは笑顔で、また今度続きを話しましょうと言っていたが、これ以上話す事があるなんて信じられなかった。

 そんな時間の使い方をしていたわけだから、伝承者を訪ねるような余裕もなかった。昨日行けたのは、ギルドと診療所くらいなものである。

 ただ、ステラはジーニアスだから、鍛冶屋を訪ねる必要はない。武器を使う人はいるが、鎧を着た上で魔法を使うというのは、実質不可能な事らしいのだ。魔法が使えないレオンにはよく分からないものの、魔法を制御する為には周囲の環境を肌で感じる必要があるらしい。鎧を着ているとそれが上手く感じ取れないのだ。ステラが着ているローブは、ジーニアスの身分証明みたいな物でもあるが、元々はその感覚を阻害しないように考案された物らしい。

 この話も、昨日ステラから直々に教えて貰ったばかりだった。母親に才能が少しあったとはいえ、レオンは魔法の事をほとんど知らない。これから一緒に戦うのだから、さすがにそれではまずいに違いない。多少は知識を得ておくべきだと思い、今日もこうして着いてきたのである。

 今日の目的地は3カ所だった。

 まず、魔法用品を扱うというシャーロットの店。そして、ジーニアスの伝承者であるフィオナとハワード。シャーロットとフィオナは聞いた事のある名前だが、ハワードは初めてだった。どんな人なのか聞いてみると、意外にも、ブレットの父親だと言う。

 昨日初めてその事実を聞いたレオンは、思わずベティに尋ねていた。

「という事は、ブレットさんって、実はジーニアスなんですか?」

 見た目はどう見てもアスリートだった。だけど、よく考えてみれば、ジーニアスが身体を鍛えていたとしても、別に問題はない気がする。

 ベティは笑って首を振った。

「全然。というか、ハワードさんもほとんど魔法が使えないんだよ」

「え?それって・・・」

 そんな伝承者でいいのだろうかと思ったが、ベティはそれ以上は説明してくれなかった。

「実際会ってみた方が早いと思うな。ブレットとは違って立派な人だから」

 最後の一言が気になったものの、一応頷いたレオンである。

 というわけで、3人は最初の訪問先であるシャーロットの店を目指して歩いていた。道案内をしているのは、当然ベティである。訪問の順番を決めたのも彼女だった。

 大通りを離れ、狭い路地に入っていく。それでも、うら寂しいというわけではなく、むしろ活気があって賑やかである。この道は小さな商店が軒を連ねているようだ。木材が並んでいる店もあれば、パン屋や小物雑貨屋、寝具店やクリーニング店もある。レオンの村にはこういう店舗はほとんどなかったから、看板から推測しただけなのだが。

「こんな場所があったんですね」

 周囲を見回しながらレオンが言った。この辺りには初めて来るのだ。町をゆっくり歩くような事がなかったし、そんな必要もなかった。衣食住、ほとんどが宿屋で間に合っていたのだ。

 誰の返事もなかったが、ふと気付くと、ベティとステラは道を歩くお婆さんと親しげに話している。2人も笑顔だが、お婆さんの方も目尻に笑い皺が寄っている。こういう光景を見ると、レオンもついつい顔が綻んでしまう。

 お婆さんが挨拶をして去っていくと、ベティが聞いてきた。

「何か言った?」

 レオンは微笑む。

「大した事じゃないです。それより、シャーロットさんのお店はどの辺りなんですか?」

 ベティは腰に手を当てた。顔は笑っている。

「シャーロットさんじゃないでしょ?シャーロット」

「・・・まだ知り合いでもない人を、呼び捨てには出来ないです」

 そこでベティは少し首を傾けて苦笑した。

「というかねー・・・シャーロットをさん付けで呼ぶ方が、ちょっと無理があるんだよねー」

「はい?」

 彼女は返事をしなかった。ステラの肩を軽く叩くと、2人で先へと進んでしまう。

 どういう意味だったのかは分からないまま、レオンも特大バスケットを両手にその後を追う。

 その後も、ベティとステラは時々立ち止まり、道行く人や店員と会話しながら少しずつ進んで行った。レオンは少し遅れてその後を着いていく。もちろん挨拶は交わすものの、基本的に話しているのは、前を行く少女2人だった。

 昨日よりも慣れてきたのか、ステラも少しずつだが笑顔が目立つようになってきた。ただ、最初に感じたように、どこか気品のある微笑み方なのだ。デイジーも上品な仕草をするが、それよりももっとである。否応なく、自分達と違う身分なんだと思い知るのだ。それを最初に見る人が面食らった表情をする程である。

 そして、それはステラにとって嬉しくない事らしい。その表情を見る度に、彼女は笑みを引っ込めてしまうのだ。優しいこの町の人々は、気を遣って微笑んでくれるのだが、彼女はぎこちない笑みを返すのがやっとなのである。彼女の本来の笑みを隠すように。

 それがステラのどういう心理によるものなのか、レオンには断定出来ない事だと思う。自分の生まれを知られたくないのか、或いは、町の人と壁が出来るのが嫌なのか。もしかしたら、他の全然違う理由かもしれない。

 仲間として、先輩として、彼女に直接聞いておくべきなのかもしれない。だけど、レオンは聞かない事にしている。彼女が必死に隠そうとしている事を、会って数日程度の間柄で聞き出そうとしても、その後いい関係が築ける気がしないからだった。それに、自分だって人に見られたくない部分がある。それを直接口に出してはいないが、それでも、今はこの町の人に受け入れて貰えたと思えるのだ。

 だから、彼女が秘密を言おうと言うまいと、そのままの彼女を受け入れればいいのだと思う。彼女の秘密も含めて、丸ごと受け入れればいい。この町の人達が自分にしてくれたように。

 そんな事を考えているうちに、先を歩いていた2人の足が止まった。

 彼女達が正面に立って見ているのは、普通ならただの民家にしか見えない家だった。

 木造2階建てというのはこの町では一般的だが、この家はまさにその典型と言ってもいい。だが、この辺りは周りが商店だらけなので、そういう意味で浮いていた。他の建物は看板があったり、中には路上に商品を陳列している店もあるから、外見でだいたいどういう店かは分かる。だと言うのに、この店はそれらしき看板もないどころか、人気が全くない。この建物の前だけぽっかりと空白が出来ているような、そんな感じである。

「ここですか?」

「そうだねー」

 レオンの質問に、ベティは軽く答える。

「あ、そうだ。ほら、向こうがラッセルの店だから」

 彼女がそちらを見もせずに指さした場所はすぐ隣の建物である。同じ様な2階建てだが、こことは違い、外からでも商店だと分かる。具体的には、商品が多過ぎるのか、雑多な物が木箱に入れられた状態で屋外に置かれているので、一目で雑貨屋だとは分かるのだ。ただ、ここも人気がない。ドアは開けっ放しだが、中に誰かいるとは思えなかった。配達か何かに出かけているのかもしれない。

 少し覗いてみようかと思ったレオンだが、ベティにはそんなつもりはないらしい。ステラの手を握って、目的の建物へと入っていく。ノックどころか、挨拶もしなかった。

 その後を追って、レオンも中に入る。

 入ってみて、とりあえずここが商店だった事に安心した。あまり広くない部屋だが、確かにそれらしい品が陳列されていたからである。

 ここの店主は几帳面な性格のようだ。正面に大きなカウンターがあり、部屋の左右の棚に商品が並んでいるのだが、凄く綺麗に整頓されている。左手には怪しげな植物や見慣れない鉱石が、右手には織物や書籍がというように、きちんと種類毎に分類されているようだ。

 ただ、その店主らしき人間が見当たらなかった。誰もいないのである。もしかしたら、出掛けているのだろうか。あるいは、奥に見えるドアの向こうで休憩中なのか。

「留守ですか?」

 レオンの質問に答えず、ベティはステラの手を離してから、つかつかとカウンターまで歩いていく。そして、カウンターの陰を覗き込んだ。

「シャーロット。お客さんだよ」

 どうやらそこに店主が隠れていたらしい。なんでそんな場所にいるのかは不明である。

 ベティに見つかったらしい店主だが、こちらに顔を見せようとはしなかった。ただ、彼女の声だけが聞こえた。

「・・・今ちょっと忙しい。また後で来て」

 冷たいというわけではないが、淡々とした口調だった。どこか上の空にも聞こえる。

 だが、問題はそこではない。まさかの職場放棄である。レオンは唖然としたが、もっと驚いたのはステラだっただろう。

 当然と言うべきか、ベティが素直に帰るわけがない。どこかからかうような口調になる。

「いいのかなー?そんな事言って」

「何を言おうが、私の勝手」

「お客さんだよ?普通はもっとサービスするでしょー?」

「うちは普通じゃないから」

 結構難敵だった。ベティにここまでの口が聞ける人は珍しい。

 だが、どうやら彼女には切り札があったようだ。

「そっか。仕方ないなー。これからフィオナさんのところに行くんだけど、じゃあ、私達だけで行くね」

 この時確かに、何かが変わった。そう思わせるのに十分過ぎるくらいの沈黙があったのだ。

 それを確かめたのか、しばらく間を空けてから、ベティは言葉を続ける。完全に余裕いっぱいの口調で、カウンターに両肘を突いて、片足をぶらぶらさせている。。

「私差し入れ持ってきたんだよねー。もしかしたら、フィオナさんと一緒にお昼かも」

 その直後、積んでいた本が崩れるような音がして、カウンターの陰から店主が姿を見せた。

 ただ、見えたのは顔だけだった。

 この時レオンの脳裏には、いつか聞いたニコルの言葉が蘇っていた。ニコルに、シャーロットとはどんな人物か聞いた時の返答である。

 僕に似てるよね。

 見るまではどういう意味か分からなかったが、見たら一目瞭然だった。

 本当にニコルそっくりだったのだ。

 大きい瞳が幼く見える顔立ち。今はカウンターに隠れていてその顔しか見えないのだが、顔だけならまさに瓜二つである。違いと言えば、ニコルはショートヘアだが、今見ている少女は肩まで髪があるという事くらい。その髪も色は同じ黒なのだ。双子というか、本人の変装だと言われても疑いようがない。ニコルは変装の達人だというから、余計ややこしい。

 ただ、変装というのは容姿が変わるから変装なのであって、仮にこれがニコルだったとして、変装だと言い張るのは無理がある気がする。はっきり言って、開き直っているも同然だろう。ただ別人だと言い張っているだけに等しい。

 そんな事を考えている間に、シャーロットと呼ばれた人物は、こちらとステラの顔を数秒ずつ見つめてから、カウンター奥のイスに腰掛けた。腰掛けたというか、よじ登ったという方が正しいかもしれない。とにかく、そこでようやく本人の胸から上が見えた。

 そこでまたひとつ、ニコルとの違いに気付いた。ニコルも小柄だが、彼女はもっと背が低いようだ。明らかに子供にしか見えない。10歳か下手するともっと幼いかもしれない。着ている服もフリルの多いブラウスで、完全に子供服に見える。胸の中心辺りにある、イエローの宝石が印象的だった。

 そうなると、ニコルが彼女に変装するのは無理がある。体格が大きい者が、小さい者になるのは難しいだろう。

 だが、よく考えると、ニコルの姿の方が変装の場合だってあるのだ。考えていると頭が混乱してきたレオンである。今からニコルのガレージまで行って、本人がいるかどうか確かめたくなってくる。

 彼女は再びこちらの顔を見回す。

「・・・仕事はどっち?」

 無感情な声。本当に子供みたいだ。こういうところは、ニコルとは全然似ていない。

「あ、私です」

 そう答えてから、ステラはカウンターの前まで行く。そして、首の後ろに手を回す。どうやらネックレスを外しているようだ。外したそれを、シャーロットに手渡す。金色の鎖のネックレスだった。

 シャーロットは首に下げていたモノクルを着けて、そのネックレスを観察する。その容姿のせいで、子供が遊んでいるように見えてしまうが、本人の表情は真剣だ。ネックレスを見ているというよりも、飾り部分に付いている大きな宝石が重要らしい。ステラの瞳を映したような、青い宝石だった。

 いったい何をしているのか聞きたかったが、どうやら仕事が始まったようだから、邪魔をするのも悪い。だから、レオンは何をするでもなく、店内に陳列されている物をなんとなく眺めていた。しかし、不意にシャーロットから声がかかる。

「置いたら?」

 声が大きかったが、自分に対する発言だと認識するのに、レオンは数秒を要した。

「・・・あ、はい?」

 シャーロットは観察中の目を一瞬だけこちらに向ける。

「重そうだから。カウンターに置いて」

 どうやらレオンが抱えているバスケットの事らしい。 

「え、いや・・・」

「置いて」

 なかなか強情である。

「じゃあ、お言葉に甘えて・・・」

 カウンターに歩み寄って、その上にバスケットを置かせて貰う。

 3人の少女は、一言も口を聞かずに青い宝石を見つめている。

 その沈黙が数分程続いたところで、シャーロットが呟いた。視線は宝石に向けたままである。

「まだ生きてる」

 何の事か分からなかったが、仕事を依頼した本人は当然分かっているようだ。ステラはすぐに答える。

「調整出来ますか?」

「出来るけど、これ、貴女の物?」

「はい」

「全然貴女に馴染んでないけど」

「その・・・贈り物なんです。ですけど、装飾品としてだったので」

 シャーロットの瞳が一瞬大きくなる。

「・・・本当?」

「はい。ただ、その・・・」

 口ごもるステラだったが、シャーロットはまるで気にする様子もなく、宝石を睨んだまま言った。

「本当なら、それで問題ないけど」

 逆にステラの方は、その言葉に驚いたらしい。表情だけでも分かる程だった。

「え?あ、その・・・」

「盗品じゃないなら問題ない」

「でも・・・」

「名前は?」

 前置きも何もなかったので、すぐに反応出来なかったステラだが、躊躇うようにしながら答える。

「ステラです」

「見習い?」

「はい」

「サイレントコールド?」

 今度は相当驚いたらしい。ステラは絶句して固まった程だった。

 しばらく待っても何も言わないので、シャーロットとステラをキョロキョロと見比べていたベティだが、やがてシャーロットに質問した。

「ステラの前世の話?」

 今度はレオンが驚く番だった。

「え?本当ですか?」

 ベティがこちらに振り向く。

「そうじゃないの?今の話の流れから言って」

 今の話に流れなんてあっただろうか。だが、どうやらベティも、ステラの前世を知らないようだ。それはつまり、ステラが秘密にしていたという意味である。彼女がそんなポピュラーな話題を聞かなかったわけがないのだから。

 シャーロットはようやく宝石から目を離し、モノクルも外してこちらを見た。

「・・・誰?」

 今更な質問だが、彼女は真顔そのものだった。あまり愛想がない店長のようだ。本当に子供にしか見えない。

 それはそうと、そういえば、まだ名乗っていなかったレオンである。

「レオンです。初めまして」

 一応微笑んだレオンだが、相手の表情に変化はなかった。

「もしかして、最近来たっていう、噂の?」

 どんな噂なのか気になったが、とりあえず頷く。

「一応・・・」

 こちらの身体を上から下まで見て、シャーロットはただ一言だけ呟いた。

「・・・まあ頑張って」

 全然応援している口調ではなかった。暗に、見込みがなさそうと言われている気さえする。しかし、これがいい事なのかは分からないが、レオンは既に慣れてしまっている。

 それでもつい苦笑してしまったが、控えめに答えた。

「はい。ありがとうございます」

 すると、意外な事にシャーロットは頷いてくれた。無視されるかと思ったが、もしかしたら、さっきのは本当に激励の言葉だったのだろうか。

 それはそうと、そこでようやくステラが復帰した。

「あの・・・どうして分かったんですか?」

 そちらを向いて、シャーロットは簡潔に答える。

「ルーンを見たから」

「それは・・・分からないでもないんですけど。でも、見ただけで分かるものですか?」

「普通は分からないと思う。でも、私は慣れてるから」

「慣れてる?」

「フィオナのルーンを調整してるから」

 レオンには不十分な説明だが、ステラはそれで分かったらしい。一度瞳を大きくしてから、やがてゆっくりと頷いた。

 それでこの話題は終わったようだ。シャーロットが別の質問をする。

「他のルーンは持ってない?」

 その言葉でようやくレオンは、その青い宝石がルーンと呼ばれる物なのだと分かった。ボスモンスターを倒すと得られる魔石を加工した魔法具である。

「あ、はい」

 頷くステラを見てから、シャーロットはカウンターの下に両手を入れて、何かを探し始める。イスに座ったまま身を乗り出しているから、バランスを崩して倒れてしまいそうで、レオンはそれが心配だった。

 彼女がカウンターの下から取り出したのは、片手に軽々と乗る程度の大きさの、透明な水晶玉だった。

 それを黙って、ステラに差し出す。

 とりあえずといった様子でそれを両手で受け取ったステラだが、意味がよく分かっていないようだった。

「あの・・・これをどうしたらいいですか?」

 シャーロットは小さく頷いて、やはり端的に言った。

「その中に魔法を使って」

 水晶に目線を落としてから、ステラは聞く。

「・・・どんな魔法を使えばいいですか?」

「全力で」

 その言葉に反応したのは、カウンターにもたれ掛かっていたベティだった。

「えー、それはやめた方がいいんじゃない?この部屋が氷漬けになっても知らないよ?」

 シャーロットはそちらを向いた。

「水晶の中だから平気」

「万が一って事があるんじゃないの?シャーロットは知らないだろうけど、ステラの本気は伊達じゃないよ?酔っぱらい4人をあっという間に動けなくしたんだから」

 ステラに向き直って、シャーロットは少し考えてから言った。

「・・・制御出来る範囲で」

 少し怖じ気付いたようだ。

 水晶を持ったステラはカウンターから少し後退した。部屋の中心辺りに立ってから、こちらに告げる。

「あの、たぶん大丈夫だと思いますけど、凍り付きそうだったら言って下さい」

 レオンとベティは顔を見合わせた。特に何か確認出来たわけではないのだが、ベティはすぐにステラに向き直ると、こう言った。

「平気平気。危なそうだったらレオンを盾にするから」

 当然みたいな口調だった。だが、反論しても無駄なので、レオンは溜息を吐いてからステラに言った。

「・・・危なそうだったら盾が言いますから、気にせずどうぞ」

 ステラは困ったように苦笑してから、正面に向き直る。そのまま少し俯いてから目を瞑った。

 しばらくすると、彼女の顔と水晶の中間辺りに青白い光文字が軌跡を描いていく。幼い頃に母親が一度だけ使って見せてくれた魔法と、同じ光の色だった。

 光は忙しなく動き、文字はどんどん連なっていく。ビギナーズ・アイのボスが使った魔法と、文字の色は違うが、文字の数では負けていないように思える。

 もしかしたら、本当にとんでもない大魔法を使う気かもしれない。そう思った瞬間、光の文字が青く輝いて消失した。

 その直後、部屋を冷たい空気が駆け抜けていく。春の風とは全く違う、冬の風。

 一瞬身構えたレオンだが、結局それだけだった。しかし、ふと気付くと、水晶が真っ白になっている。氷の塊のように見えなくもない。

 しばらくして目を開いたステラは、カウンターまで歩いて行って、シャーロットにその白く変色した水晶を手渡した。

「これでいいですか?」

 シャーロットは少し目を見開いていた。

「・・・いけると思う。でも、ここまで強いとは思わなかった」

 感心したように呟く彼女に、ステラは照れたような笑みを返した。やはりどこか、抑制されたような表情だった。

 それは特に意に介した様子もなく、シャーロットは淡々と告げる。

「調整自体は数日あれば終わるけど、でも、ステラはその格好でダンジョンに入るの?」

「え?」

 ステラは自分の服を見た。ローブと言われる服だが、言ってしまえば、ロングスカートのワンピースである。

 その言葉に、ベティが便乗する。

「そうそう!もっとお洒落しないと!」

 ダンジョンとは全く関係ない言葉である。

 そんなベティを一瞥してから、シャーロットはステラに言った。

「ルーンは単体でも意味があるけど、他の素材と組み合わせた方が効率が上がる。同じルーンでも、取り付ける服の生地やアクセサリの素材を選べば、魔法補助にも出来るし、防御用にも出来る。自分に合わせてカスタマイズするのが、ルーンの基本」

「そうなんですか?でも、どうしたら・・・」

 シャーロットはこちらを見る。だが、それも一瞬だけで、すぐに視線はステラに戻った。

「・・・レオンと一緒に入るの?」

 ステラもこちらを一瞥してから頷いた。   

「もう入ってみた?」

「ダンジョンですか?いえ、まだ全然そんな・・・」

「じゃあ、当たり障りがないところで、魔法補助にしておく。効果が強くなるから、レオンを巻き込む時は注意」

 自分は巻き込まれるのだろうか。そんな事態は避けたいが、案外ある事なのかもしれない。

「後で工夫したくなったら、またここまで来て。それでいい?」

「あ、はい。じゃあ、それで・・・」

 そのステラの返事を聞くなり、シャーロットはイスから飛び降りて、歩いてカウンターの奥から出てきた。白いブラウスの下は、意外にも、紺色の固そうなスカートだった。

 彼女は無言のまま、さも当然と言わんばかりに、堂々と玄関から出て行こうとする。

 だが、誰も着いてこないのが不思議だったのか、ドアに手をかけたところで振り返った。

「・・・行かないの?」

 あまりに端的過ぎて訳が分からないレオンとステラだったが、ベティは分かっていたようだ。にこにことしながらシャーロットのところまで歩いていくと、彼女の手を引く。なんというか、母娘まではいかないが、近所の子供の面倒を見ているような光景だった。

 ベティは一度だけ振り返った。

「レオン。バスケット忘れないでね。あと、鍵は気にしなくていいから」

 それだけ言い残すと、彼女はシャーロットの手を引いて店の外へと出て行った。

 店内には、文字通り置いてきぼりの2人が残る。

「・・・出ましょうか」

 ステラの呟きで、レオンは我に返る。

「あ、そうですね。本当に置き去りにされそうだし」

 最後に言われたように、バスケットを忘れないようにしないといけない。カウンターに置かせて貰っていたそれを両手で抱えたところで、ステラが尋ねてくる。

「重くないですか?よかったら手伝いますよ」

 レオンは微笑む。

「大丈夫ですよ。そんなに重くないので」

「凄い大きさですけど」

「大きさは確かに・・・でも、食べ物ですから、大した事はないです」

 それでもステラは気を遣っている様子だったので、レオンは話題を変えた。 

「それよりも、前世が伝説の冒険者なんて、ステラは凄いですね」

 一点の曇りもない笑みで言ったレオンだったが、相手の表情が沈んだので、慌ててしまった。

「じ、実は、僕の母もそうなんですよ!だから、なんていうか奇遇ですよね!」

 少し目を見開いて、ステラは聞く。

「え、お母さんですか?」

 興味を持ってくれて、内心レオンは助かったと思った。理由は分からないが、落ち込ませたままにしておくのは気分がよくない。

「そうなんですよ。小さい頃に、よくイブ様の話をして貰いました」

「イブ様?」

「えっと、サイレントコールドの本名というか・・・って、知らないんですか?」

「いえ。イブという名前は知ってますけど、どうして様を付けてるんですか?」

 レオンは少し首を捻る。そう言われると、例えばソードマスターやスニークの本名を知っていたとして、様を付けて呼ばない気がする。

「そういえばそうですね。まあ、僕の村では、イブ様は守り神みたいなものなので、みんなそう呼んでたんですけど・・・」

 そこから先は言葉が続かなかった。

 ステラが瞳を大きくしたまま、じっとこちらを見つめていたからである。驚きの度が越えてしまったのか、人形の様に微動だにしない。

 何事だろうかと驚いていると、急にステラが顔を綻ばせてこちらの手を両手で握ってきた。その手でバスケットを支えていたので一瞬落ちそうになったが、咄嗟に腕の内側を押し当てて難を逃れた。

「ど、どうしたんです?」

 ステラの青い瞳は本当に輝いていた。

「・・・羨ましい」

 彼女の口から絞り出すように出てきた言葉がそれだった。

「は、はい?」

「イブさんの故郷で育ったって事ですよね?いいなぁ・・・凄く綺麗な所ですよね」

「え?・・・そうですか?」

 汚い場所ではないが、凄く綺麗かと言われると自信を持って頷けない。もちろんレオンは気に入っている故郷だが、例えばユースアイだって綺麗な場所だと思う。そんなにずば抜けて綺麗とは言えない気がした。

 ステラはまだうっとりしている。

「冬になると、真っ白になるくらい雪が積もるんですよね・・・」

「えっと、まあ、そうですけど・・・」

 それはそれで、なかなか大変なのである。

「私、本物の雪って見た事がないんです。いつも夢で見るだけで・・・あの白い景色が、イブさんは大好きだったんですよね」

「あ、なるほど・・・」

 つまり、ステラには雪景色を見ているイブの気持ちが伝わっているのだろう。自然を愛したと言われているサイレントコールドなのだ。彼女の目には、故郷で見る冬の景色が余程美しく映っていたに違いない。

 その気持ちに共感しているステラを見ていると、レオンは少し嬉しいような気がした。嬉しいとは少し違うかもしれないが、自分が信じていたイブ様を肯定して貰えたような気がしたのだ。毎年見ている雪景色をここまで美しいと思えるような、そんな女性だったのである。彼女にその面影を見たような気がした。

 自然と頬が緩む。

 だが、そんな時間も長くは続かなかった。

 突然玄関のドアが開かれる。

 そちらを見ると、当然というべきか、いたのはベティとシャーロットだった。まだ手を繋いだままだ。いつまでも出てこない2人を心配して戻ってきたのだろう。

 2人ともこちらを見て固まっている。それが何故なのか分からなかったレオンだが、その後の彼女達の言葉で明らかになった。

「そっかー・・・さすがの私も、そこまで関係が発展してるとは気付かなかったなー。レオンも意外とやるんだね」

「・・・不純行為なら、宿に帰ってからにして」

 シャーロットの言葉の方が強烈過ぎた。

 だが、慌てたらバスケットが落ちてしまいそうだったので、慌てられなかった。その反動なのか、目が回った時のように頭がくらくらした。

「そういう事ならお邪魔しないから、ゆっくりしていってー。私達は先に買い物を済ませておくから」

 ベティは笑顔でそう言い残してから、シャーロットの手を引いて出て行った。弁解する暇もなかった。

 しばらくして、ようやくレオンの頭が立ち直る。とりあえず今の状況をなんとかしなければならない。状況というか、包み込むように自分の手を握っているステラに、どうにか離れて貰うだけなのだが。

 だが、ステラの方を見たレオンは唖然となった。

 全然変わっていない。

 感動を宿した瞳のまま、ステラはまだこちらを見つめている。というより、きっと何も見えていないのだろう。今の彼女が見ているのは、前世の記憶に出てくる雪景色なのだ。しかし、さっきの物音や会話に全く気付かないというのも、結構凄い話である。

 凄いけれど、全然ありがたくはないのだが。

 今の状況をどうしたらいいのだろうか。

 声をかけるなりすればいいはずだったのだが、ここまで感慨に耽っている人の邪魔をしていいのだろうか。

 それは何か、罪ではないだろうか。

 どうしても、レオンには出来なかった。

 結局、ステラが自力で現世に帰ってくるまで、一歩も動けなかったレオンだった。



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