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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第2章 ビギナーズ・アイ
22/114

微笑みの夜



 ビギナーズ・アイを出た頃には、既に夜が更けていた。

 ダンジョン内では時間の感覚が曖昧だ。太陽が今どの辺りにあるのか、確認する術がないからである。自分では数時間程度だと思っていたが、いざ外に出てみると半日以上経っていたというのも珍しくない。今日も、出る前まではまだ夕方だろうと思っていたが、実際は完全に日が沈んでしまっている。

 いつもこのギャップを認識する度に、急にお腹が減った気になる。確かにほとんど何も食べていなかったのだが、さっきまでは全然空腹感がなかったのだから不思議である。時間の感覚というものは、目で見ないと実感出来ないものなのだろうか。

 闇にうっすらと浮かぶ石畳の上を、レオンは唯1人歩いている。うら寂しい光景だが、そんな事は全く気にならない。それを忘れられる程の嬉しさが、自分の身体から光として溢れ出ているような気さえする。

 帰り道がいつもより明るい。

 本来なら、この足ですぐにギルドに向かうべきだった。魔石の鑑定は、原則ギルドでしか行えない。持っていても役に立つわけでもないし、金銭的にも価値があるものだから、盗難に遭う可能性もある。

 だけど、実はギルドにも営業時間がある。冒険者達は、規則正しいとは正反対の生活をしているにもかかわらず、意外にも、ギルドには夜間営業なんてものはない。もしかしたら、もっと大きい町のギルドにならあるのかもしれないが、少なくともユースアイのギルドにはない。従業員が少ないから、そこまでするのは無理なのかもしれない。

 そういうわけで、こんなに日が沈んでしまってからでは、ギルドを訪ねても誰もいない。カーバンクルのシニアはあの建物に居ついているという事だが、いくら優秀でも、さすがに魔石の鑑定までは出来ないだろう。

 ふと、シニアの姿が脳裏を過ぎった。イエローの毛並みに藍色の瞳をしている。レオンがギルドを訪ねる事があると、大抵受付のケイトの頭の上で寝ている。小振りな帽子だと見間違えそうなくらい、綺麗に丸まっているのが常である。もしかしたら、ケイトも半ば帽子だと思っているかもしれない。実際、ファッションの一部みたいに思える時もある。

 今頃はどこに寝ているのだろうか。

 事務所のどこかで丸まっているシニアを想像して、ちょっと心が和んだ。こんな無駄な想像をしている時点で、相当機嫌がいいのが自分でも分かる。

 そんな事をしているうちに、ガレット酒場の入り口に到着した。さすがにまだ灯りは消えていない。こちらはまだまだ営業時間中である。

 だが、扉の前に立った時、レオンはいつもと違う事に気付いた。

 いつもなら、ここに立った時に、中の喧騒が嫌というほど聞こえてくるはずなのだ。特に、夜といえば、酒場にとって一番繁盛する時間帯である。この酒場は冒険者が客の大半を占めているから、そういった常識が丸々通用するわけではないものの、基本的には、ここも夜が一番込み合う。酒場店主の目が届いているから、どんちゃん騒ぎという程ではないものの、それでも十分過ぎる程賑やかになるのが、毎晩の定番だった。

 それなのに、今日は喧騒が聞こえてこない。全く物音がしないというわけではないものの、どこか静まりかえったような空気が、中から伝わってくる。

 もしかして、思ったよりも深夜になってしまっているのだろうか。だから、お客も大半が帰ってしまった後なのだろうか。

 そう考えながらも、レオンは扉を開けて、中に一歩足を踏み入れる。

 だが、そこで足が止まってしまった。

 店内はいつも通り、満席という程ではないが、テーブルの多くが屈強な男達で埋まっている。そのテーブルも床も壁も、両奥にある階段も、毎朝店主が手持ち無沙汰に掃除しているからなのか、キラキラと輝いて見える。照明が多いのもあるかもしれない。手入れの行き届いた内装がその光をしっかり反射している為、光が乱舞しているような印象である。

 ただ、レオンが足を止めたのは、そういった内装云々が問題なのではない。

 自分が店内に足を踏み入れた瞬間、店内の男という男の視線が、一斉にこちらを向いたからである。

 しかも、全然友好的な視線ではない。

 この眼力があれば、それだけでモンスターを倒せる。

 そう思わせるくらいの迫力があった。

 もちろん、レオンは指1本すら動かせなくなった。ここで何かが終わるような、そんな予感までした。

 どういうわけか、誰も何も言わない。

 何か聞こうと思ったが、身体がその命令を完全に拒否していた。きっと防衛本能が働いていたのだろう。

 動いたらまずい。何も分からなくとも、それだけは確かだった。

 そんな熊をも殺せそうな沈黙が、十数秒だけ続いた。レオンの体感時間では、十数時間だったかもしれないが。

 その時間に終わりを告げにきた人物は、レオンの正面から歩いて近付いてきた。

「よう、レオン。少し逞しくなったんじゃないか?」

 この場の雰囲気をものともせずに話しかけてきたのは、少し顎髭を伸ばした親しみ易そうな男性。上下グレイの一見上等そうなファッションだった為、一瞬分からなかったが、その声でレオンはやっと気が付いた。

「あれ・・・ガイさんですか?」

 行商人のガイ。この町までレオンを乗せてきてくれたのが縁で知り合った人である。その時は名前を教えてくれなかったものの、最近また会う機会があって、その時にベティから名前を教えて貰っていた。ただ、ガイという名前は商売上の通り名らしく、本名は違うらしい。

 ガイは微笑んではいたものの、ほとんど口元だけだった。

「遅い帰りなんだな。ビギナーズ・アイに挑戦中なんだって?」

 様子が少しおかしいような気がするものの、レオンは頷いた。

「はい、一応・・・あ、でも、今日なんとかクリア出来ました」

 彼はそれには無反応だった。

「疲れて帰ったところ申し訳ないんだけど、ちょっと出てくれるか?」

「・・・はい?」

 帰って来たのに、いきなり出ろとは何事だろうか。

 その戸惑いの声も無視して、ガイはレオンの身体を反対向きに振り返らせる。そのまま背中を押してくるので、仕方なくレオンはそれに従う。ちゃんと足が動いたのが、自分でも不思議だった。

 2人とも外に出てから、彼は酒場の扉を閉める。言いようのない開放感があった。

 そこでようやく、ガイはいつもの笑顔を見せる。それでも、いつもよりは控えめな笑みだったかもしれない。

「タイミングが悪かったな。実は、ちょっとした騒ぎがあってな」

「騒ぎですか?」

 ガイはそのまま歩き出した。レオンもそれに着いていくと、酒場のすぐ脇の路地へと進んでいく。どうやら、酒場の勝手口を目指しているようだ。普段はほとんど使わないが、たまに酒場の手伝いをする時に通る事がある。ガイも、商品の搬入をする時に使っているのだろう。

 彼は唐突に口を開いた。

「レオンは見た事ないんだろうな」

「・・・何をですか?」

「ひねくれた冒険者見習いが来た時なんか、結構見物なんだけどなあ」

 話が飛び過ぎてよく分からないが、冒険者見習いという言葉に、レオンは反応した。

「もしかして、冒険者見習いの人が来たんですか?」

 勝手口の扉にたどり着く。こちらを横目で一瞥してから、ガイはその扉を開けた。

 その中は資材置き場のような場所である。数メートル先の正面にまたドアがあって、そこを開けると、右側に部屋が並ぶ廊下にたどり着く。そこがガレットやベティの居住スペースなのだ。ここからなら、少し先の通路を右に行けば調理場に出られるし、すぐ近くの階段を上がれば2階の宿場にも出られる。

 ガイはその階段を上がっていく。

「まあ、あれだ」

 急に口を開いたかと思えば、彼の口調は歯切れが悪かった。

「・・・何ですか?」

 一瞬だけ口元を上げてから、ガイは答える。

「見習いは来た。というか、俺が乗せてきた。だけど、まあ、その後だよな、問題は。俺も道中一緒にいる時、大丈夫かなって思ったんだけど・・・」

 本当に歯切れが悪い。だが、なんとなくレオンは思い当たる事があった。

「もしかして、不合格だったって事ですか?」

 この町に来たその日の事を思い出す。ガレットの役目は、見習いとしてやってきた人間を見定めて、必要なら追い返す事らしい。しかも、追い返す手段は選ばないというか、むしろ、明らかにバイオレンスな手段を選ぶ。

 階段を上がった先は、掃除用具等が閉まってある倉庫である。奥にある扉を開ければ、そこから先は全て宿場用のスペースだ。

 彼はその扉に手をかけたが、すぐに開けなかった。

 こちらをじっと見てから、真面目な表情で口を開く。

「レオン」

 今日の彼は、やはり少し様子がおかしい。そう思いながらも、レオンは返事をする。

「はい」

 ガイはにこりともせず言った。

「男に生まれた事を後悔する覚悟はあるか?」

 時が沈黙した。

 まず、言葉の意味が分からない。さらに、その意味を推測しようとしても、そんな後悔をする状況が想定出来なかった。

「・・・えっと、どういう意味ですか?」

 彼はドアから手を離して腕を組んだ。

「いいか、レオン。心して聞けよ?」

「え?あ、はい」

「世界にはな。もうこれでもかっていうくらい、美人が大勢いる」

 一瞬にして、聞く気が失せてしまった。

「・・・いえ、もういいです」

 だが、ガイは話を止めなかった。

「だからな、たまに理不尽な性格をした美人もいる。例えば、もっと背が高くないとダメとか、目がもっと大きくないとダメとか、行商人なんかダサいとか、前世が料理人なんてつまらないとか・・・とにかく理不尽だけどな。まあ、それは仕方ない」

「・・・仕方ないですね」

 後半はかなり具体的だった。その内容が目の前にいる人と完全に一致しているのは、きっと気のせいではない。 

「そう。仕方ないんだけど、でも、やっぱり言われたら傷つくだろ?傷つくんだ、これが。それを忘れるなよ、レオン。お前は1人じゃない」

 ガイは1人で勝手に何度も頷いている。

「いや、あの・・・何がですか?」

「さあ、とにかく行くか。心配しなくても大丈夫だ。俺がついててやるから」

 全然人の話を聞いてなかった。

 レオンは何か言うよりも早く、ガイは目の前の扉を開けた。

 さっさと歩いていく彼に着いて廊下を進んでいくと、奥にドアが開け放たれた一室があるのに気付く。その扉の陰からはみ出しているのは、山男をさらに少し強化したような、筋骨隆々とした逞しい身体だった。

 顔は見えないが、もちろん誰かは分かる。ここの主人のガレットである。

 2人がある程度の距離まで近付くと、気配で分かったのか、彼はドアをさらに開いてこちらを確認してきた。

 そこでレオンは気付いた。最初はドアに隠れていて見えなかったのだが、その部屋の入り口付近、ガレットが立つすぐ近くに、誰かいる。顔等はほとんど見えなかったものの、服装から、どうやら女性らしいというのは分かった。 

 ドアの陰から出てきたガレットが、部屋の手前でレオンとガイを出迎えた。

「帰ったか、レオン。明日になるかと思ったが」

「え?」

 そこで、扉の向こうから声が聞こえた。

「あ、レオン帰ったの?」

 ベティの声である。だけど、いつもの彼女よりも、声のトーンを抑え気味だった。夜だから周囲に気を遣っているのだろうか。

 娘の質問に答える代わりに、ガレットは振り返りながら言った。

「とりあえず、部屋に入って、そこで・・・」

 だが、すぐにベティの声が割って入る。

「それはちょっとなー。どう考えても、お父さんと同じ部屋なんて耐えられないだろうし」

 よく分からない答えだった。何が耐えられないのだろう。

 しかしそこで、新しい人物の声が聞こえた。

「いえ、私、大丈夫です」

 全く聞き覚えのない声。ただ、女の子の声らしいとは分かった。どうやら、先程少しだけ見えたのが、その女の子の服だったようだ。 

 ベティの声がそれに答える。

「本当ー?無理しなくていいよ。レオンはともかく、私のお父さんは普通に怖いと思うし」

 レオンにとって、嬉しいような悲しいような、何とも言えない評価だった。

 怖ず怖ずといった女の子の声が返事をする。

「大丈夫です・・・たぶん」

「説得力ないなー。まあ、目の前にあんな大男がいたら、普通は怯えるのかな。私にとってはお父さんだから、さすがに慣れてるけど」

 ベティは見えないから良いだろうけれど、本人が目の前に立っているレオンは内心戦々恐々である。

「いえ、そんな事ないと思います。ただ、私が、その・・・」

「じゃあ、レオンならいけるんじゃないー?なんていうか・・・そう、あんまり強そうじゃないから」

「えっと・・・」

 困ったような女の子の声だった。本人が近くにいると分かっているわけだから、返事に困っているのだろう。

 それを気にする様子もなく、ベティの声がこちらに響いてくる。

「というわけだから・・・レオン!ちょっとこっちまで来てみてー。お父さんはそこで待機」

 状況が掴めない為、ガレットの方に視線を送ってみると、彼は黙って頷いた。

 歩き出そうとしたレオンだったが、そこで隣にいたガイが片手をこちらの肩に乗せてくる。

「俺がついてる。心だけは強く持てよ」

 相変わらず、意味不明な発言である。

 その声が向こうにも届いたのか、ベティの声がまた響く。

「ガイさんも待機ねー」

 視線を送ってみると、彼は肩から手を退けて、ゆっくりと首を横に振った。珍しく、少し寂しそうな表情だった。

 何も分からないものの、レオンはとりあえず歩みを進める。

 開け放たれたドアの前で足を止めて、そっと身を乗り出して室内の方を覗き見た。

 やはり、見慣れない少女がそこにいた。ベティに寄り添われるようにして立っている。

 目を引くという言葉が、まさに彼女を言い表していた。黒や茶色の髪が多いこの地域ではほとんど見かける事がない、真っ直ぐで流れるような金色のショートヘア。そして、宵闇に一瞬だけ現れるような、深みのある青色を宿した瞳。珍しいという意味でもそうだが、彼女の髪と瞳は、芸術品だとしてもおかしくない程、繊細かつ深みのある色合いをしている。明るい髪や瞳が一般的な町の人々が見たとしても、きっと目を引かれるに違いない。そんな確信が出来る程だった。

 だが、髪はともかく、瞳に関して言えば、レオンは見慣れていた。むしろ懐かしさを覚えたと言ってもいい。何故なら、レオンの母親も同じ瞳の色をしているからである。その色はさっぱり遺伝しなかったが、縁がある色だと言えない事もない。

 そのお陰なのか、レオンは彼女を見てもそれほど驚かなかった。むしろ、隣にいるベティを見て驚いたくらいだった。寄り添っているというか、彼女は少女の肩に手を回して、横から抱きついていると言っても過言ではない。だが、驚いたのはそこではなかった。

 部屋の中が、見るも無惨に荒らされた状態である。それも、ただ散らかっているだけならともかく、所々に氷の固まりが落ちている。冬の嵐が去った後のような、そんな惨状だった。

 それが気になって仕方がなかったが、とりあえずレオンは黙っていた。どうしてなのかは分からないものの、ベティと少女がじっとこちらを見ているから、なんとなく喋り辛かった。

 しばらくして、何かの観察が済んだのか、ベティは少女の方を向く。

「・・・どう?平気?」

 少女はこちらから目を離さないものの、やがて小さく頷く。

「は、はい。一応・・・」

 ベティはほっとしたように微笑んだ。

「そっかー。よかったよかった。レオンでダメなら、ちょっとお手上げだったなー。他はもう女の子を探すしかなかっただろうし」

 どういう基準で自分が選ばれたのか、なんとなく分かったような気がした。

 文句を言いたいのは山々だが、とりあえずレオンは、最大の疑問点を聞く事にする。

「あの・・・何があったんですか?」

 この部屋の中は、明らかに普通の状態ではない。吹雪いている時に窓を開けっ放しにしていたらこうなるかもしれないが、今はもう春だから、それもあり得ない。

 その質問をした時、明らかに少女が動揺した。見に覚えがあるのだろうか。しかし、怯えているようにも見えたので、なんとなく聞き辛い。

 少女の身体から手を離して、ベティはこちらに向き直った。表情はいつも通りだが、彼女も珍しく言い辛そうだった。

「話せば長いんだけどねー・・・とりあえず入って。あと、自己紹介してあげて」

 そう言えば、まだちゃんと名乗ってもいなかった。

 レオンは室内に数歩踏み入れて、2人から微妙な距離を残したところで止まった。少女が怯えている気がしたから、近付き過ぎるのも悪いと思ったのだ。

「初めまして、レオンと言います。一応、冒険者見習いとして、ここでお世話になっています」

 そんなつもりはなかったのだが、いつもより声が大きかった気がした。場の雰囲気が暗いように感じて、無意識に気を遣ったのかもしれない。

 簡単にそれだけ言うと、少女もやや躊躇ってから口を開いた。

「ステラです。よ、よろしくお願いします・・・」

 尻すぼみに小さくなっていく声。

 何か小動物を怯えさせているような、そんな罪悪感があった。

 いたたまれなくなってきて、レオンはベティに視線を送って助けを求める。

 その視線を受けて彼女は一度大きく瞬くと、室外の人物を大声で呼んだ。

「お父さん!どうするのー?」

 娘から呼ばれたガレットは、姿を見せないまま答える。

「レオンとステラに聞けばいいだろうが!」

「アドバイスとかないわけー?」

「そう言われてもな。ステラはギルドの登録もまだだろうが。まだそんな段階でもねえ」

「それでも、ここでちょっと良い話を捻り出すのが、元冒険者ってものじゃないのー?」

 呆れたようなガレットの声が返ってくる。

「どこの詩人だ?それは・・・そんな事より、後はお前に任せていいか?」

 父親には見えなかっただろうが、ベティの顔には笑みが浮かんでいた。

「私の自由にしていいって事ー?」

 彼女の自由と言われると、どうしても穏やかに聞けない。だが、ガレットはすぐに否定してくれた。

「言っただろうが!本人に聞け!」

「はいはい。あ、でも、ステラの部屋は自由にしていいでしょー?」

「どうする気だ?」

「私の部屋はー?」

「許す」

 それだけ言い残すと、まるで丸太を突いているような足音が遠ざかっていく。どうやら、1階の酒場へと戻るようだ。そういえば、ガレットもベティもいないわけだから、店内には誰もいなにのだろうか。ガレットには奥さんがいるにはいるのだが、接客はらしく、ほとんど調理専門と言ってもいい。

 もっとも、例え誰も店内にいなかったとしても、盗みを働こうとする人はいないだろう。そんな事をすれば後が怖いし、それに、客の何人かは店長と顔馴染みだから、見つければ代わりに成敗してくれる事は間違いない。

 何はともあれ、父娘の間で何かしらの合意が成されたらしい。その詳細は不明だが、新たに判明した事もあった。

「ステラさんも冒険者見習いなんですか?」

 そう本人に聞いたが、隣にいる酒場娘が笑って言った。

「だいたい見て分かると思うけど、ステラはレオンと同い年だってー」

 彼女が何を言いたいのかはすぐに分かったが、一応控えめに反論する。

「ついさっき初めて会ったばかりですから、知り合いとは言えないと思うんですけど・・・」

「自己紹介したでしょー?私くらいになると、会って数分くらいでもう親友だと思うなー」

「・・・さすがですね」

 いろんな意味で勝ち目がなさそうなので、レオンは大人しく従う事にした。ステラの方を向いてから、少し苦笑する。

「えっと、すみません。いろいろ諸事情があって、呼び捨てにする事がありますけど、嫌だったらすぐに言って下さい。その・・・ステラが言えば、たぶんベティも許してくれると思うので」

 彼女は青い瞳をパチクリさせたが、すぐに思い出したように頷いた。

「あ、はい・・・あ、いえ。嫌って事はないと思います」

 少し弱気過ぎるような気もするが、割と常識的な人のようだ。まだほとんど何も知らないとはいえ、とりあえずその部分が分かっただけでも、レオンは結構安心した。

 それはそうと、質問の中身の方は完全に忘れ去られているようだった。

「それで、ステラも冒険者見習いなんですか?」

 答えたのはベティだった。

「そうそう。今日っていうか、本当についさっき来たんだよねー。もう夜だったからギルドも開いてなくて、ガイさんがここまで案内してくれたんだよね」

「へえ・・・」

 そういえば、ユースアイまで見習いを乗せてきたと言っていた。こんな夜中に連れてきて、そのままほったらかしというのは、さすがに嫌だったのだろう。

「それで、お父さんに会って合格って事になって、そこまでは良かったんだけど・・・」

「何があったんです?」

 この部屋の惨状と、何か関係があるのだろうか。

 ベティはステラの方へと視線を向ける。それに気付いたステラは、少し躊躇したものの、小さく頷いた。

「ステラをこの部屋まで案内してたんだけど、その時に酔っぱらいが絡んできて、まあ、なんていうか、それが行き過ぎだったんだよね。完全に悪酔いしてたし、下心見え見えだったし。それに相手が多かったから、これはとっとと成敗しておこうと・・・」

「・・・成敗したんですか?」

 彼女流の成敗は、明らかに一般的な成敗ではない。想像を絶するような技が乱舞するのだ。

 だが、ベティはあっさりとこう言った。

「ステラがね」

「・・・はい?」

 なんとか聞き返したレオンだったが、ベティは腕を組んで、視線をあさってにやる。

「あれはなかなか凄かったなー。私も見るのは初めてだったから」

 レオンはゆっくりと首を動かして、ステラの方を見る。彼女はあからさまに視線を逸らした。

 あのベティに凄いと言わせるような技を、この少女が繰り出したというのだろうか。どこからどう見ても普通の、それどころか、少し小柄で華奢な少女だと言ってもいい。そんな奥義が使えるとは、露ほども思えない。

 だが、よく考えてみれば、ベティだって普通の少女だ。特に大柄なわけでも、体格がいいわけでもない。そう考えると、ステラが想像を絶する武闘派だとしても、不思議ではないのかもしれない。人は見かけに寄らないという言葉だってあるではないか。

 そんな結論で納得しかけていたレオンの耳に、ステラの言葉が入ってきた。

「私もあんな技を見たのは初めてです。ベティの方がよっぽど凄いような・・・」

 また分からなくなってきたレオンだったが、ベティはその言葉に嬉しそうに返事をする。

「そうかなー?でも、ステラを絶対守らないといけないって思ったから、久しぶりに力が入ったなー。あの技を出したのはいつ以来だっけ・・・確か前使った時は、勢い余って壁を壊しちゃったんだよね。だけど、今回は上手く決まったから、その分の衝撃が本人にいったはずだなー。そうそう。だから、あの客もしばらく歩けないはずだから、ステラも安心してねー。まあ、もう金輪際この店に近付かないと思うから大丈夫だと思うけど」

 満面の笑顔のベティだが、ステラは表情に困っているように見える。

 その表情を見て、ますますレオンは分からなくなった。どうしても、彼女がそんなに戦い慣れているようには思えない。

「あの、すみません・・・結局、具体的に何があったんです?」

 ベティとステラは同時にこちらを向き、そして、しばらくしてお互いに視線を交わした。

「だから、そいつらをやっつけたんだけど」

「それは分かりましたけど・・・そこをもう少し具体的に」

「私の使った技の事?なんなら、教えてあげようか?」

 彼女にとって教えるとは、その身に叩き込むという事と同義である。

「い、いえ!それは遠慮します!」

「そう?遠慮なんていらないのに」

 ベティは悪魔的に微笑んでいるが、ステラはきょとんとしている。確かに傍目から見れば、よく分からない会話かもしれない。

「まあ、それは置いておくとして・・・その後よくよく聞いてみたら、どうも、ステラは男の人が苦手らしいんだよね。だから、大男達に囲まれて動揺したみたいなんだ。それで思わず、本気が出ちゃったみたいなんだよ」

「え?あ、そうなんですか・・・」

 少し理由が気になったものの、あまり突っ込むべきではないと思い留まる。何か辛い経験をしたのかもしれないではないか。そのくらいの苦手は、誰にだってある。それに、ステラの表情はお世辞にも明るいとは言えない。

 若干陰鬱になりかけた空気を、ベティの明るい声が吹き飛ばした。

「というわけで、よかったね、レオン。最初の仲間が出来て」

 その言葉にすぐに反応したのは、ステラの方だった。

「いえ、あの・・・やっぱりいいです。私、迷惑をかけると思うし」

 答えるベティの声は、少し優しかった。

「いいのいいの。レオンも仲間募集中だったし。それに、女の冒険者は少ないから、待ってても望み薄だと思うよー。だったら、今のうちからレオンで慣れておいた方がいいと思う」

「でも、その・・・大丈夫ですか?」

 何を聞いているのか、レオンには分からなかったが、ベティはすぐに答えた。

「大丈夫大丈夫。ちゃんと私が頭押さえてるし、それに意外と丈夫だから、ちょっと手が滑ったくらいなら問題ないし。そもそも、レオンくらい無害そうな見習いを探そうと思ったら、なかなか大変だと思うなー」

「無害そう・・・」

 自分が有害であるつもりはないが、気になってしまって、レオンはつい呟いてしまった。

 ステラはちらりとこちらを見る。

「そ、そうですね・・・」

 どうやら無害そうなのは納得されたらしい。喜んでいいのか分からなかった。

 ベティは満足そうに頷いてから、こちらを見た。

「レオンもいいでしょ?」

 一応自問してみたものの、答えは決まっていた。

「はい。もちろん、ステラがよければですけど」

 本人の方を見ると、彼女は怖ず怖ずと頷いた。

 いつからかは分からないが、今のレオンの心はあまり仲間を求めていないようだった。仲間がいらないという意味ではなく、仲間探しに焦っていないという意味である。心に余裕があるという事なのかもしれない。

 だけど、この町に来た最初の頃は、酒場の手伝いをするたびに、無駄とは知りつつもダンジョンに連れて行って貰えないか頼んだものだった。それくらい不安だったのだ。仲間がいないと先が見えない。仲間とは、それくらい比重が大きいものだったのである。

 その頃の事を思い出すと、今のステラの気持ちが分かるような気がした。

「よろしく。ステラ」

 笑顔で右手を差し出す。いつの間にか、その右手にも傷が増えている。

 彼女はその手をじっと見つめた後、同じ右手でそっと触れるようにして握った。少し冷たい手だった。

 何か小動物を餌付けているような、微笑ましい感覚。

 ステラは顔を上げると、こちらを見て遠慮がちに微笑んだ。

 初めてちゃんとした笑顔を見たような気がする。なんというか、妙な達成感があった。

「よろしくお願いします」

 彼女の声に頷いたところで、ベティが口を出す。

「名前呼んであげたらー?レオンは真っ赤になって喜ぶから」

 いつかの診療所での事を思い出して、あの時の恥ずかしさで顔が熱くなった。

「呼ぶ前から真っ赤だねー。いけ!ステラ!ここでトドメだー!」

 可笑しそうに笑いながら言うベティだが、ステラは話についていけないらしく、戸惑い顔である。正直、その方がありがたい。

 手を離してから、レオンは無理矢理話題を変えた。

「そういえば、酒場の方の様子が変だったんですけど・・・」

 そのせいで寿命が縮まったに違いないレオンとしては、聞いておきたい事だった。

 ベティは両の拳を胸の前に持ってきてから、こちらを見てウインクした。レオンの背筋を冷たいものが駆け抜けていった。

「まあ、あれだよね。倒したのは私達でも、後始末するのはお父さんなんだよ。その始末が済んだ後、酒場の方を通って放り出しに行ったんじゃないかな。勝手口は狭いから、その方がやりやすいと思うし」

「・・・それは分かりましたけど、それでどうしてあんな空気になるんです?」

「そんな空気になるようなものになってたんじゃないかなー。お父さんが処理したわけだから、人間だとは分かっても、人相は分からなくなってたかもしれないねー」

 聞くんじゃなかったと、一瞬で後悔した。

「まあ、元々素行が良くない連中だったんだよね。ステラも全然気にしなくていいよー。氷漬けにしてやった程度なら、まだまだヌルいくらいだから」

 そのベティの言葉で、レオンはやっと気付いた。

「氷漬けですか?あ、そうか・・・」

 ステラの格好を見る。藍色のワンピースだと思っていたが、どうやら違ったらしい。

 これがローブという物なのだ。

 もう廃れてきた文化らしいが、ジーニアスでも優秀な人達は、その証としてローブを着用していたらしい。幼い頃に、母親がサイレントコールドの記憶を話してくれた時、そんな風習を聞いた覚えがあった。

 よく考えてみれば、この部屋にその痕跡も残っているではないか。所々落ちている氷の固まりは、自然の物ではなく、魔法の産物だったのだ。

 勝手に1人で納得しているレオンを見て、ベティとステラは顔を見合わせる。さすがに付き合いの長さが違うのか、最初に気付いたのはベティの方だった。

「あ、もしかして・・・ステラがジーニアスだって気付かなかった?」

「え?あ、はい。何かおかしいとは思ってたんですけど」

 ベティは笑った。

「普通気付くと思うなー。だって、ステラはどう見てもアスリートじゃないでしょ?私じゃないんだから」

 堂々と自分で言えるところは、さすがベティである。

 彼女は瞳だけ真面目な表情になる。

「ジーニアスなんだから、アスリートのレオンが守ってあげないといけないんだよ。それに、レオンは先輩でもあるんだから」

 普段の言動や行動に惑わされるが、ベティも思いやりのある女の子なのだ。

 レオンは頷く。

「はい。分かってます」

 元の笑顔に戻ったベティは、ステラの肩に手を置く。

「それと、いくらステラが可愛いからって変な真似をしたら、あの世よりももっと遠いところに送ってあげるから」

「・・・はい」

 ステラの方を向いたベティは、その頭を軽く叩く。妹の面倒をみている姉のようだった。

「まあ、レオンだから心配いらないけどね。それでも、普段から手懐けておくのが安心かなー。後で、いろいろコツを教えておいてあげる」 

「コツって・・・」

 そんなものを見切られていたのだろうか。もしかしたら、いつの間にか手懐けられていたのかもしれない。

「何?教えてあげようか?」

 ベティの微笑みに、レオンは力なく両手を振った。

「いえいえ・・・遠慮します」

「遠慮しなくてもいいよ?そんな手間じゃないし」

「・・・僕のコツは、そんな簡単なものなんですね」

「そんな言い方されると、試して欲しいのかと思っちゃうよね」

「いえ!そんな、滅相もないです!」

 滅多に使わないような言葉を使ってしまったが、内容自体はいつもの会話とほとんど同じだった。 

 しかし、このやりとりには意外な効果があった。

 ステラが笑っていた。

 なんというか、その笑い方が物凄く上品だった。手で口を隠しているのは当然だが、それだけではなくて、物腰というか、仕草が凄くお淑やかだった。彼女の瞳や髪に相応しい気品が、確かにその仕草にはあった。

 それにはレオンだけではなく、ベティも目を丸くしていた。

 やがて、ステラはその視線に気付いて笑みを止めた。

「あ・・・すみません。つい笑ってしまって」

 前と同じ口調だが、気のせいか上品な口調に聞こえた。

「うーん・・・そっか、なるほどね」

 何かに納得したように頷くベティ。レオンは何も気付かなかったが、彼女は何か分かった様子だった。

「なるほどって何がです?」

 ベティは、ある意味で完璧な笑顔になってこちらを向く。

「聞きたい?」

「・・・いえ、いいです」

 早めの撤退が賢いのだ。

「まあ、あれだよね」

 不意に、彼女の笑顔が優しい色になる。

「私にとってはもう親友だから。どんな所から来てても、どんな身分でも、この町ではステラはステラって事なんだよ」

 急な発言に驚いたものの、その言葉自体は、レオンにも異論はなかった。

 確かに、この町では自分は自分だ。田舎から来ていても、才能がなくても、誰も差別したりはしなかった。ありのままの自分を見てくれたのだ。

「・・・そうですね。そうだと思います」

 きっと優しい表情になっていたと、自分でも思う。

 その表情のまま、ステラを見た。

 彼女は困惑の中に不安が混じったような表情だった。何か事情があるのだろうという推測くらいしか出来ない。

 だけど、それでいい。

「ようこそ、ステラ」

「そうだねー。ようこそユースアイへ。これからよろしく」

 青い瞳の少女は戸惑いつつも、2人の表情が移ったように笑顔になった。

「よろしくお願いします」

 その顔に浮かんだ笑顔こそ、何よりこの町を象徴するものだと、レオンは確かにそう思った。



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