孤独と夢
身体は心を映す鏡。
そんな言葉を思い出したのは、青空を背景にくるくると舞う剣を見ていた時だった。
その剣自体には、何か特別なものがあるわけではない。ただの剣。訓練用だから、剣先や刃は潰してある。
だが、それは自分が握っていた剣だった。
自分の武器を弾き飛ばされたという事は、自分は今丸腰の状態。だというのに、呑気に飛んでいった物を見ている場合ではない。いつもなら、すぐに間合いをとるか、それとも相手の懐に飛び込むか考えているはずだ。まさか、自分はあの飛んでいく剣を空中でキャッチするつもりだろうか。それはそれで奇策かもしれないが、現実味がこれっぽっちもないし、そんな余裕を相手が与えてくれるわけがない。
ただ、どちらかというと、そんな行動をしている自分よりも、この行動に対して全く危機感がない自分に驚いていた。戦術を間違える事はよくある。だけど、それに対して何とも思わないのは初めてだった。
何を諦めているのだろう。
諦める。
その一言が思い浮かんだ時、レオンの脳裏に先程の言葉が閃いた。
身体に危機感がない。訓練に身が入っていない。
この時初めて、自分の心が思ったよりも重傷な事に気が付いた。
それとほぼ同時に、レオンの頭めがけて剣が振り下ろされてくる。
十分な速度。場所が場所だけに、当たれば怪我どころか、死を誘発してもおかしくはない。
だが、レオンはそれに対しても、一歩も動けなかった。いつもなら避けられるはずだと頭では分かっていたが、身体は家畜の牛のように鈍いままだった。
レオンの髪を撫でるようにして、それは寸前で止まる。
その剣の主であるアレンは、そんな無防備なレオンを見て溜息を吐いてから、剣を肩口に戻した。いつもリアクションの薄い彼が溜息を吐いたという事は、よっぽど呆れたに違いない。それを頭では理解していたレオンだが、何故かどうしても本気で反省しようとは思えなかった。
「休憩だ。少し休んだ方がいい」
素っ気ないようだが、労っているようにも聞こえるアレンの声。
「・・・はい。すみません」
その言葉を返すのが精一杯だった。
アレンはそのまま小屋の方へと歩いていく。だが、レオンはあまり動く気になれなかった。何をするでもなく、ただ土の上に突っ立ったまま、遠くに見える山と空の境界を眺めていた。
イザベラ先生は何か身体に後遺症が出ないか心配していたようだが、幸い何もなかった。一日安静をとった後の、今日はその翌日。こうして訓練にも出て来られたし、体力トレーニングも問題なくこなせた。
だが、いざ剣を握ってみるとあの有様だった。
最初から、なんとなく動きが鈍いような違和感があった。訓練に間が空いたから、きっと身体が鈍ったのだろうと思っていたが、どうやらそれだけではなかったようだ。
心の中の何かが欠けてしまったようだった。
原因は何だろうか。
そんな前置きを心の中でしたものの、実のところ考えるまでもない。やはり、蝶のモンスターとの戦いだろう。
死闘というよりも、はっきり言って、死にかけていたのはこちらだけだった。今こうして生きているという事は、恐らく倒せたという事だとは思うが、その記憶がないばかりか、実感すらない。どうやって勝ったというのか。
今回こそ、本当に運があっただけなのである。自分は攻撃を避けて間合いを詰める事に精一杯で、モンスターの弱点を探ろうともしなかった。攻撃しさえすれば勝てると思いこんでいたが、それはこちらにとって一番都合がいいケースに過ぎない。
光が集まったような不可思議な形態のモンスターに対して、ダガーをぶつけたところで本当に効果があっただろうか。あったとして、一撃で倒せたのだろうか。攻撃すれば魔法を妨害出来ると思っていたが、それだって絶対ではない。もしかしたら、こちらの攻撃は何も効かなかった可能性もある。
それだけなら逃げればいい。だけど、仮に逃げようとしたとしても、自分は逃げられただろうか。
結局、自分は何も勝っていない。
何も出来なかった。
どうしようもなくなって、否応なく溜息が出てしまう。そうやって逃げようとしているような気もする。真剣に悩むべきなのに困った振りをしているだけのような、そんな冷めた目で見ている自分が、心のどこかにいるような気がした。
そんなに自分の前世が大事なのか。
リディアに聞かれたその言葉を思い出す。
彼女に答えたように、立派な冒険者になる為に、或いは自分自身に自信を持つ為に、この道を進もうと決めた。だけど、彼女の言う通り、ここでこの道を諦めたところで、自分が失うものは何だろうか。
前世なんてなくても生きていける。それは、村にいる時から皆が言ってくれた言葉でもある。当然ながら、皆の優しさからかけてくれた言葉だ。
だけど、その言葉に甘えて生きるのは嫌だった。それに、いくら目を瞑ったところで、時折訪れる空虚さを無くす事は出来なかった。自分は何故人とは違うのか。何故人にはあるものがないのか。ある日突然自分が消えてしまうのではないか。子供心にそんな事を考えて、父や母に甘えたくなったのは、一度や二度ではない。
父も母も慈しむように自分の頭を撫でてくれたが、そんな両親ですら、自分とは違う。成長するにつれ、その事に漠然と気づき始めた頃は、そんな自分に嫌気がさした事もあった。両親の愛を疑っているような気がして、自分が情けなくなったのだ。
だけど、いつしか、これがきっと孤独という事なんだと思い至った。
誰にも分かって貰えない気持ち。世界中の人に会って確かめたわけではないけれど、事実がどうとかではなく、もしかしたら一人きりかもしれないと考えた時の言いようのない不安の方が、自分の心にとってはずっと重要で大きい。
この思いだけは、今まで誰にも話した事がない。ベティに個人情報を暴露させられた時も、一昨日リディアが心配してくれた時も、そして、両親にだって、誰にもである。こんな格好悪い話はしたくないし、それに、聞けばきっと、相手が悲しい顔をするだろう。そんな表情は見たくない。だけど、両親はきっと気付いていただろうと思う。だからこそ、自分が冒険者になりたいと言った時、何も反対しないで送り出してくれたに違いない。
その思いを胸に潜めながら、そしてそれを力に変えながら、今までやってきた。それは今も変わらない。この孤独を克服したいという思いは、消しようがない。
だけど、思いだけではどうにもならない。
その言葉が心にかつてない程大きくのしかかっているのを感じて、今まで自分が、漠然とどうにかなると考えていたのだと思い知る。
自分みたいなのが、本当に冒険者になれるのだろうか。そう考えた事が全くなかったわけではないが、答えはいつも、やってみなければ分からないだった。
少しだがやってみた。果たしてどうだろうか。
もしかしたら、自分は無茶な事に挑戦しているのだろうか。
また溜息が出る。
頭が働かないというよりも、さっきから同じ事を繰り返し考えているだけだった。何も答えが出ない思案。疲れるだけである。
ちょうどそこで、アレンが小屋の方から戻ってきた。剣はなく防具だけ。どうやら訓練は終わりという事らしい。まだそれほど訓練していないが、自分が腑抜けているのが原因だろう。
「・・・休む時はしっかり休め。突っ立っているだけだと、何事かと思われる」
「そうですね・・・すみません」
「子供達が心配して見ている」
「え?」
振り返ってみると、少し離れた場所で訓練中の子供達が、確かにこちらを見ていた。向こうも休憩中なのだろうか。教師の男性と10歳前後の子供が3人、固まって座って話をしている。
「・・・すみません」
アレンに視線を戻しながら謝ると、彼は小さく息を吐く。
「実は、デイジーが来ている。小屋の前で待っているから、会ってこい」
デイジーがここに来る事自体は珍しくない。だけど、差し入れのついでにとかならともかく、自分を直接訪ねてくるのは珍しい。
「僕に用事ですか?」
「ハルクもいる」
聞いた事のない名前だった。だが、アレンはすぐに言い直す。
「フレデリックさんのカーバンクルの名前だ」
それならば見た事がある。焦茶色の毛で深緑の瞳のカーバンクルだ。最初にお屋敷を訪ねた時以来見ていないが、よく覚えていた。
子供達の方を見ながら、アレンは言った。
「しかし、レオンは見かけによらず芯の強い人間だと思っていたが・・・」
その言葉につい視線を逸らしてしまう。
「・・・すみません」
「いや、むしろ安心した」
「え?」
視線を戻した時は、アレンは既に小屋の方を向いていた。
「行ってこい。悪いが俺は他にする事がある。デイジーによろしく伝えておいてくれ」
そう言うなり、彼は小屋の方ではなくて、さっき見ていた子供達の方へと歩いて行った。指導の手伝いをするのかもしれない。彼が受け持っているのは、自分1人だけではない。
なんとなくそちらを眺めていたレオンだが、やがて小屋の方へと歩を進めた。
何の用事だろうかという疑問があったものの、その推測に集中出来なかった。先程から堂々巡りしている思いが、思考力を半ば奪ってしまっている。
結局、何も考えていない状態で小屋の入り口まで着いたが、意外な事に、そこにいた人物はデイジーだけではなかった。
確か、ブレットという名前だった。今日は全身グレイで統一した服装だが、体つきと短髪から見ても間違いない。彼とデイジーは向かい合って、親しげに話している様子だった。
もしかして、今行ったら邪魔だろうかと思ったが、デイジーの方がすぐにこちらに気付いて、優雅に会釈した。薄紫のブラウスに長い黒髪がかかっていて、下は白が基調の柔らかそうなロングスカート。さらに、白い高そうな日傘を差している、彼女らしいファッションだった。
そして、聞いていた通り、左肩に茶色のカーバンクルが乗っている。しがみついているのではなくて、礼儀正しく座っている感じだった。もしかしたら、相手によって乗り方を選んでいるのだろうか。
近づいていくと、デイジーは笑顔のままだが、ブレットは不満そうな表情だった。やはり邪魔だったのかもしれない。
「レオンさん。お忙しかったでしょう?訓練中のところを呼びつけてしまって、申し訳ありません」
いきなり謝られたので、レオンは恐縮して両手を振る。
「いえいえ!そんな事は・・・」
そこでデイジーは、少し首を傾げてこちらを見つめたまま動かなくなった。リディアならともかく、彼女にしては珍しい事だった。
どうしたんだろうと思ったところで、ブレットが口を開く。
「君がレオンか?」
かなり冷たい声だった事に驚いたが、レオンはそちらを向いて答える。
「あ、はい。ブレットさんですよね。初めまして」
軽く頭を下げたが、彼の視線は心なしか冷たい。もしかしたら、これが彼の普段の表情なのかもしれないが、デイジーやリディアと話していた時とは正反対の表情と言ってもいい。
「見習いなんだって?剣を下げているけれど、ジーニアスじゃないのか?」
「ええ、まあ・・・魔法はさっぱりなので」
「ふうん・・・弱そうだけど、大丈夫なのか?」
何度も言われているので、さすがにその言葉にも慣れた。レオンは苦笑いしながら答える。
「大丈夫とは言えないかもしれませんけど・・・でも、なんとか頑張っているつもりです」
「頑張ったからって、どうにかならない事もあるだろう?」
「・・・そうですね」
その言葉は、今のレオンには重かった。だけど、落ち込んでも仕方ない。ただ淡々と、その一言だけ返した。
ブレットは少し目を細めたが、彼もそれっきり何も言わなかった。
気まずい沈黙の訪れを制するように、デイジーが微笑みながら言った。
「立ち話もなんですから、小屋の中をお借りしませんか?レオンさん、お時間は平気ですか?」
「あ、はい・・・今日はもう訓練は終わりですから、大丈夫です」
普通はこんな時間に訓練が終わるわけがない。その事は、ここによく差し入れを持ってきてくれるデイジーもよく知っている。
だから、理由を詮索されたら困ると思っていたのだが、デイジーは何も聞かずに微笑んだままだった。
「僕も同席させて貰う」
ブレットが唐突に言った。
その言葉を受けて、デイジーが少し困った表情で聞いてきた。
「よろしいですか?本当は2人きりの方がいいのですけど、ブレットがどうしてもって・・・」
「当然だ。こんな場所でデイジーと男が2人きりなんて・・・そんな状況を見過ごせるものか」
「・・・という事らしいんです。すみません、レオンさん。大袈裟だと思うのですけど、少しだけ付き合ってあげていただけませんか?」
別に断る理由はなかった。いまいちブレットの思考が理解できなかったのだが、彼なりに見過ごせない何かがあるという事だろう。
「構いませんけど・・・あの、そもそも今日はどういうお話ですか?」
彼女は答えなかった。微笑んだまま小屋の中へと入っていく。実際には、彼女がドアを開けようとしたら、ブレットが微笑みながらそれを制して、代わりに開けた。女性に対する気遣いという事らしい。そんな作法をレオンはよく知らないので、素直に感心した。
小屋のテーブルを借りて、その周りに3人が腰掛ける。レオンとブレットが並んで座り、向かいにデイジーが座るという配置だった。どちらの正面というわけでもなく、どっちつかずといった中間の位置である。
彼女の肩のカーバンクルは、その緑の双眸でじっとこちらを見ている。その事がレオンは気になった。
「実は、昨日リディアから話を聞きました」
その言葉から、デイジーの話は始まった。
「いろいろレオンさんに言ったみたいですね。リディアはそれを後悔していたみたいです。言い過ぎてしまったと・・・ですから、リディアの事を悪く思わないで下さいね」
「いえ、悪く思うなんてそんな事は・・・」
反射的にそう答えたが、デイジーはじっとこちらを見てから尋ねた。
「そうですか?でも、今、そのせいでお悩みではありませんか?」
ずばり言い当てられて、レオンは声も出なかった。
見て分かるほど、自分は暗い顔をしているのだろうか。
「情けない。女の子に何か言われた程度の事で」
その声にそちらを向くと、ブレットが腕組みしてつまらなそうな表情をしていた。
「デイジーもそんな事でわざわざ来たのかい?いくら伝承者の手伝いとはいえ、そんな事まで面倒をみなくていいだろう?」
言われたデイジーはブレットに微笑みを向ける。気のせいか、いつもより凄みが増しているような気がした。
「黙っていて貰えませんか?今は大事なお話をしているんです」
ブレットはあからさまに視線を逸らした。
「そ、そうか・・・いや、済まない。話の邪魔をする気はないんだ」
彼の声はこもり気味だった。何かレオンの知らない力関係があるようだ。うっかり忘れそうになるのだが、デイジーもいろんな意味でただ者ではない。
彼女の視線がこちらに戻ってくる。
「言い方は悪いですけれど、ブレットの言う事も間違いではないと思います。普段のレオンさんなら、きっとそこまで悩まなかったと思いますから。ですけど、リディアの言葉はタイミングがタイミングでしたから・・・今日お話に来たのは、リディアの気持ちを少しだけお伝えしておこうと思ったからなんです」
「気持ちだって!?」
まさしく大袈裟に反応したブレットだったが、デイジーが一瞥すると大人しくなった。
「リディアの気持ちと言っても、最初にリディアが口にしただけなんですよ。この町でレオンさんが知り合った人全てが、きっと同じ気持ちだと思います。ですから、差し出がましいようですけれど、私が代表して説明するだけなんです。それをまず分かっていただけますか?」
レオンが頷くと、彼女は優しく微笑んだ。
「それでは・・・まずお聞きしますけれど、レオンさんは、冒険者になるのが夢という事ですよね?冒険者は立派な方々だから、その横に自分も立ってみたい。そういう気持ちでこの町に来られたのですよね?」
「はい。そうです」
デイジーは変わらず微笑んでいたが、少しその性質が変わったような気がした。曇った表情を笑みの下に隠して抑えているような、複雑な表情だった。
「それでは、いずれ分かる事ですから、はっきりとお伝えしておきます。レオンさんのような動機でこの町にやって来られる方は、実はほとんどいないのですよ」
「え?」
驚きの声を上げると、彼女はブレットの方を見た。
「例えばブレットの場合・・・どんな動機でしたかしら?言ってみて下さい、ブレット」
珍しくからかうように聞いたデイジーに、バツが悪そうな表情を浮かべたブレットはそっぽを向いて答えた。
「そんな人に話すような、大した動機じゃない」
「そう。つまらない動機なんです」
まるでブレットの回答を予測していたかのような早さで、デイジーはすぐにこちらを向いて説明した。
そんな彼女に、ブレットは何か言いたげな視線を送ったが、それも一瞬だけだった。
置いてきぼりのレオンに、デイジーは補足してくれた。
「この付近には初心者向けダンジョンが揃っていますから、毎年ユースアイには見習い冒険者の方々がいらっしゃいます。ですけど、そうですね・・・その半分くらいの方は、なんとなくやってくるだけなんですよ」
「・・・なんとなくですか?」
これ以上ないくらい曖昧な動機だが、デイジーは躊躇なく頷いた。
「なんとなく、ただ剣が上手く使えるからとか、魔法の才能があるからとか、要は向いていると思ったからなんです。後の半分は、もっと単純です。ただ、お金が儲かると思ったから。それだけの理由です」
冒険者とは儲かる職業なのだろうか。まず、レオンにはそんな認識がなかったが、いずれにしても、自分が持っていた冒険者のイメージとは全然違う。
「他にも、例えば、ここはサイレントコールドの故郷に近いですから、彼女に憧れてこの地までやってくる方々もいらっしゃいます。レオンさんのような方も、もちろん全くいらっしゃらないわけではないです。ブレットのような方は・・・さすがに聞いた事はありませんけれど」
最後は失笑が混じっていた。いったいどんな動機だったのか気になって、ブレットの方を向いてみたのだが、彼は気まずそうに視線を逸らした。
「でも、そういった方々は、ほんの一握りです。そうですね・・・毎年1人いらっしゃるかどうかくらいだと思います」
「え・・・本当ですか?」
「ええ。私がお会いするのはガレットさんのお目にかなった方々だけですけれど、100人に1人はいないと思います。私の想像よりも遙かに厳しい選考基準かもしれませんから、もしかしたら、1000人に1人という事もあるかもしれませんね」
お金儲けの為に冒険者になって悪いというわけではない。だけど、そこまで偏っているとは思わなかった。少なくとも、イブはそんな人物ではない。レオンの村出身で、サイレントコールドと呼ばれる彼女は、人と自然を愛し、世界の為に災厄級のモンスターに立ち向かったと言われている、強くて優しい女性だったと言われている。
だがよく考えてみると、レオンにはそれ以外の冒険者像がなかった。村には元冒険者が1人もいないし、前世が冒険者だった人は母親を含めて数人いるが、その記憶も断片でしかないから、曖昧な情報が多い。
唖然としていたレオンに、デイジーが淑やかに首を傾げる。
「驚かれましたか?」
「・・・はい。僕が世間知らずという事がよく分かりました。あ、いえ、元々分かっていたつもりですけど、なんというか、思い知りました」
彼女は微笑んでから、こちらを見つめて居住まいを正した。
「それで、レオンさん。つまり私が言いたいのは、この町の人にとって、冒険者がどういう風に思われているのかという事なんです」
「どういう風、ですか」
考えてみようとしたが、ブレットがすぐに口を出す。
「僕が言うのもなんだけどね、冒険者っていうのはろくな奴がいない」
デイジーが苦笑して頷いた。
「あくまでもこの町ではですけれど、そう思っている方が多いんです。特に見習いの方々は、まだ若い方も多いですから、乱暴な振る舞いをしたり、迷惑をかけたり、そういう方も多いんですよ。この町はそういう人達とずっと接してきているんです。特に、私やリディア、ベティやラッセルは、幼い頃から仕事を手伝っていますから、冒険者をずっと直に見てきているんです。そんな中でもリディアは、あまり人付き合いが上手ではありませんから、冒険者を毛嫌いしているところがあるんです。その・・・リディアは目立つ容姿ですから、そういった方々の振る舞いに嫌な思いをさせられる事が多かったですから」
「実際、そういう冒険者は多いよ。ちょっと腕が立つからって、いい気になってる奴も多い。特に見習いの中には、何か勘違いしてる奴もいるね。自分が世界で一番強くなるとか、そういう事を本気で信じてる奴もいる。信じるだけならいいんだけど、それで大きな態度に出る馬鹿もいるんだ。自分は特別だから、それらしく周りが振る舞う事を要求する馬鹿がね。リディアだけじゃなくて、デイジーだって、そういう馬鹿から言い寄られた事があるだろ?」
満面の笑みを浮かべながら、彼女は答えた。
「ええ。今、目の前にもいます」
どうやら皮肉のようだが、今回はブレットも涼しい顔をしていた。
「デイジーやベティはそういう馬鹿をあしらう事くらい、なんて事ないんだよ。だけどリディアは慣れてないから、いい気になった馬鹿がつけあがるんだ。まあ、つけあがったらあがったで、そこでベティが出てくるから、二度といい気になれないような思いをさせられるんだけどね」
何とも末恐ろしい話だが、それもリディアを守る為なのだろう。
よく考えてみれば、ガレットといいベティといい、この町の人々が冒険者達と付き合っていく上で、結構重要な役割を果たしているようだ。あの父娘がしっかり面倒を見てくれるというか、問題があっても処理してくれるわけだから、いるといないとでは安心感が違うだろう。
それはそうとして、レオンにはまだ話が見えなかった。
「とりあえず、冒険者がどう思われているのかは分かりましたけど、それが一昨日の事とどう繋がるんですか?」
デイジーは軽く頷く。
「つまりリディアも含めたこの町の人達にとって、レオンさんは冒険者見習いとしては珍しい方なんです。特にリディアは、ある種の偏見を持っていたと言ってもいいです」
「偏見ですか?」
そんなものを持たれていただろうか。そんな感じはしなかったのだが。
少しだけ笑ってからデイジーは言った。
「付き合いが短い人には分かりにくいと思いますけれど、今はリディアも、レオンさんにだいぶ心を開いているんです」
「・・・そうですか?」
全然気付かなかった。ずっと変わらないというか、基本的に表情に出ないから分からない。究極のポーカーフェイスと言ってもいい。分かる事といえば、考える時の癖と、どうやら赤面症らしいという事だけだった。その赤面症にしても、一昨日気付いたばかりである。
そこでデイジーは真面目な表情に戻った。
「ですから、どうか分かって下さい。リディアがあんな事を言ったのは、レオンさんを心配したからなんです。今までのリディアにとって、武器や防具を作るのは、ただそれだけの仕事だったんです。どんな人が使うとか、そんな事はどうでもいい事でした。考えもしない事だったんですよ。冒険者なんてどうなってもいい。自分はただ注文通りに、出来るだけいい仕事をするだけ。リディアはもちろん仕事が好きですけれど、人一倍没頭出来るのは、他の事を忘れたいと思っているからなんです」
「え・・・」
そんな風にリディアを見た事はなかった。ただ仕事が好きなんだと思っていたのだが、どうやらそれだけではなかったらしい。
デイジーは真摯な瞳で話を続ける。
「ですけれど、レオンさんは今までの冒険者と全然違う人なんです。少なくとも、どうでもいい人間とは思えなかったんです。ですから初めて、自分が作った防具の向こうにそれを着ている人を連想してしまって、それで怖くなったと言っていました。前はただの壊れた鎧でしかなかったんですよ。でも、レオンさんの鎧を見て、傷つく場面を連想してしまったんです。リディアは一昨日初めて、ダンジョンがどれほど恐ろしい場所なのか分かったんですよ」
「・・・つまり、僕はどうでもいい人間だったのか」
一昨日が初めてなら、確かに例外がなければそういう事になってしまうだろう。
だが、ブレットの呟きはあっさり無視された。
「ああ見えても、リディアは思いやりのある子なんです。レオンさんにあんな事を聞いたのは、ダンジョンの怖さを知って、つい心配で、居ても立ってもいられなくなったからだと思います。リディアにとっては初めての事ですから、動揺したんだと思います。最初に言いましたけれど、今はリディアも後悔しています。きっと近いうちに謝りにいくと思います。ですから、どうか分かってあげていただけませんか?」
レオンは両手の平を見せる。
「いえ、そんな。僕も最初に言いましたけど、悪くなんて思ってないですから。むしろ、そんなに心配させてしまって・・・僕が謝らないといけないくらいです」
逆にこちらが申し訳ない。自分はそんなに心配して貰えるような人間だろうか。ただ無謀な夢を抱いているだけの、愚かな人間なのかもしれないのに。
デイジーは真面目な表情のまま、話を続ける。
「これも最初に言いましたけれど、その気持ちはリディアに限った話ではないんですよ。ですから、今日こうして私が来ました。他の方々はともかく、私は伝承者である祖父の手伝いをしているだけですから、こういう時にお役に立たないといけませんから」
「え?お役って・・・」
そんなたいそうな身分ではないから戸惑ったレオンに対して、デイジーは落ち着いた笑みを見せる。
「私にとっても、レオンさんは他の見習いの方とは違います。もちろん、他の方を差し置いて特別扱いは出来ません。ですけれど、出来る範囲で、レオンさんが立派な冒険者になれるようにお手伝いさせて下さい」
しばらく、レオンは言葉が出なかった。
そんな言葉をかけて貰って、嬉しくないわけがない。だけど、自分は本当にそんな人間なのだろうか。ダンジョンの中で自分がどれだけ弱い人間なのか、見ている人は誰もいないのだ。
それでも、数分前とは何かが違う。そんな感覚があった。
「・・・僕なんかがなれるでしょうか」
絞り出すようなその声を聞いて、デイジーは微笑んだ。いつになく優しい、本当に花のような笑顔だった。
「私はなれると思いますよ。レオンさんは、ご自身で思っているよりも、ずっと素質があると思います」
そうは思えない。それなのに、レオンは自然に微笑む事が出来た。
今まで心にあったわだかまりが、根こそぎ消えていったわけではない。
だけど、確かに変わった。昼と夜が入れ変わるように。
何を悩んでいたんだろう。
何が変わったのだろう。
それでも、まだ頑張れる。
根拠はない。論理もない。だけど、そう思えただけで十分だった。
そこでブレットが口を挟む。
「こう言っちゃなんだけど、この辺にある初心者ダンジョンに苦戦してるようなら、才能があるとは言えないと思うよ。よく知らないけど、鎧が壊れるような戦いをしたんだろう?初心者ダンジョンでそんな羽目になるようなら、今からでも考え直してみたらいい」
抑揚のない口調。だけど、彼にしては穏やかな物言いに聞こえた。
「・・・そうですね。無茶をしたと思います。もっと慎重にならないといけませんよね」
はにかむようにして答えたレオンを見て、ブレットは面食らったような顔になった。
その言葉に、余裕の笑みを浮かべたデイジーが続く。
「ブレットは最初から慎重でしたね。仲間が集まるのを待っていたくらいですから」
やや目を逸らしながら、ブレットはぶっきらぼうに答える。
「別にいいだろう?大人数の方が安全だ」
「そうですね。別に構いませんよ。ですけれど、レオンさんはまだ仲間がいませんから、あまり参考にならない意見ですね」
物凄い勢いでブレットがこちらを向いたので、思わずレオンは気圧された。
「・・・仲間がいない?」
呟くような声で聞かれたのでたじろいだものの、すぐに答える。
「ええ・・・まあ」
「仲間がいないのにダンジョンに入ったのか?」
「そ、そうですけど・・・」
尋問しているような目で、彼がじっとこちらを睨んでくる。何か悪い事をしただろうかと、身に覚えもないのに確認してしまった。
やがて彼はデイジーに視線を戻す。彼女はいつもの微笑みを返すだけだった。
唐突に、彼は立ち上がった。
「・・・失礼する」
「え、あれ?」
急に帰ると言い出した事に対してつい妙な声を出してしまったレオンだが、即座にブレットがこちらを睨みながら聞いてきた。
「何か文句があるのか?」
「いえいえ!別に・・・」
「レオンと言ったな」
名前を確認される。今日既に二度目だから、いい加減覚えられているのではないだろうか。もしかしたら、その台詞が言いたいだけかもしれない。
「あ、はい」
「ガレットさんのところにお世話になっているのか?」
「そうですけど・・・」
彼は少し考えてからこう言った。
「・・・ベティには気を付けろ」
理由が分かるだけに、重みのある言葉だった。今更聞いたところで、もう遅いかもしれないけれど。
「・・・ご忠告、ありがとうございます」
するとブレットは、今度は真っ直ぐにこちらを見下ろしてきた。
「いずれ決着をつける。だけど、今はまだひよっこのようだし、奇襲は趣味じゃない。いずれ正式に決闘を挑もう。その時を覚悟しておけ」
「・・・何でですか?」
何故決闘なんてしないといけないのか。その理由に見当も付かない。
彼は無言で歩き始め、去り際に一言だけ言った。
「リディアの為だ」
意味不明だった。
ブレットがいなくなった小屋の中でしばらく考えてみたが、理解出来そうもなかった。いったいどういう意味なのか。そもそも彼は何を考えているのか。
「面白いでしょう?」
不意にデイジーが聞く。いつか聞いたような気がする台詞だが、やはり答えにくい。
「・・・よく分かりません」
無難な答えを返すと、デイジーは少しだけ笑みを控える。
「変わった人ですけど、悪い人ではないんですよ。リディアやベティは鬱陶しいなんて言いますけれど・・・もしかしたら、少し鬱陶しいかもしれません。ですけど、慣れればそれほど困るわけではないと思います」
結局鬱陶しいらしい。
「えっと、とりあえず、悪い人ではないのは分かりました」
それ以上の事は全く分からなかったが。
デイジーは微笑む。こちらもつられて微笑んでしまうような、柔らかい笑みだった。
「・・・デイジーさん、今日はわざわざありがとうございました」
彼女は笑顔のまま首を横に振った。
どういう意味だろうと訝しんだが、すぐに思い至る。
「・・・デイジー。本当にありがとうございます」
ベティとの誓約は、1日もあれば完全に定着してしまうのである。
彼女が満足そうに頷くと、今まで肩に乗って大人しくしていたカーバンクルのハルクが、音もなくテーブルの上に飛び降りた。
「私の用は済みました。あとは、この子の用に付き合ってあげて下さい」
「え?あ、はい・・・」
カーバンクルの用事とは何だろうか。
茶色の中に沈み込むような深緑の瞳。その双眸で、こちらをじっと見つめてくる。
何故か、そのまま動かない。
しばらく待っても何も起きないので、レオンはデイジーに尋ねる。
「あの、用事っていうのは?」
彼女は笑って首を振る。
「私には分かりません。この子が勝手についてきただけですから」
「え、勝手にですか?」
「はい。祖父が頼んだわけでもないですよ。皆さん、よく勘違いされているのですけれど、カーバンクルは、頼んだからといっていつでも力を貸してくれるわけではありません。どちらかというと、自分の意志で力を使う事が多いんです。それに、凄く頭もいいんですよ。もしかしたら、人間よりも、力の使い時をわきまえているかもしれません。先の未来まで見通しているような、そんな思慮深さを感じる時もあるんです」
「へえ・・・」
そんなに優秀だとは意外である。村にいたあのペット同然のカーバンクルは、いったい何だったのだろうか。
レオンの感心した声が合図だったかのように、突然ハルクがこちらの肩に飛び乗ってくる。本当に軽い。大きさはリスより大きいはずだが、重さはその半分もないのではないだろうか。
最初は肩に乗ったカーバンクルだったが、すぐに頭上に飛び移ってくる。
その一瞬後には、周囲に変化が起き始める。
戸惑いつつも、レオンは驚かずにはいられなかった。
時間が遅くなっていくあの感覚。以前、あの蒸留所で経験した感覚とよく似ている。
デイジーは動いていない。だけど、時間の変化は音で分かる。最初は多少気になる程度だったものの、次第に、放たれた矢を楽々手掴み出来そうな程、スローモーションになっていく世界。
やがて、時が止まった。
その一瞬と言ってもいい時間で、レオンは長い時を見た気がした。
場所は屋外。
ここよりももっと人が多い町。その一角の訓練場。ここのものよりも狭いが、中で剣を振っている人間は多い。そのほとんどが子供だった。
皆笑っている。
剣を振っているのは男の子がほとんどだ。女の子は奥に見える建物で、何か料理している様子だった。そちらも楽しそうだった。
自分も楽しい。
幸せな気持ち。その気持ちが流れ込んでくる。
やがて、自分の腰の辺りにまとわりついてきた男の子が、こちらの顔を見ながら言った。
僕もお兄さんみたいな冒険者になる!
自分が体験している彼。伝説の男の気持ちが分かった。
言いようのない程、嬉しい。
溢れ出してくる優しい気持ち。
その子供の笑顔が最後だった。
気付くと、レオンの意識は小屋に帰っている。
静かだった。
だけど、心は感情でいっぱいだった。その感情に身を任せるようにして、レオンはじっと目を瞑った。
しばらくして目を開けると、デイジーは首を少し傾けて聞いた。
「・・・いかがでしたか?」
相応しい言葉を選ぶ。だけど、すぐに諦めざるを得なかった。あんなに大きな感情を経験したのは初めてだったのだ。
結局、口から出たのはこの一言だけだった。
「・・・僕も負けてられないですね」
偉大なるソードマスターにも。その彼に憧れた少年にも。
だけど、何より、見た光景そのものが羨ましい。
夢だけで出来ている。そんな場所だった。
伝説となった男の夢。その彼を夢にした子供達。今まで見た事がないくらい、夢で溢れている場所。
自分もいつか、その場所に立ってみたい。
デイジーは一度だけゆっくりと頷いた。
「本当に今日はありがとうございます」
頭を下げると、頭の上にいたハルクが音もなく目の前のテーブルの上に降り立ってくる。
何か言いたげにこちらをじっと見る緑色の瞳。
レオンは貰った気持ちそのままに、その焦茶色の妖精の頭を優しく撫でた。
「ハルクも。本当にありがとう」
気持ちよさそうに目を細めたカーバンクルは、どこか優しく微笑んでいるようにも見えた。