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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第1章 自治都市ユースアイ
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導きの妖精


 毛の長いマフラーを引きずったヒヨコが、頭の上を右往左往している。

 簡単に表現するなら、そんな感じだった。

 レオンは自治都市ユースアイのギルド事務所にいた。正確には、冒険者ギルド・アンリミテッドのユースアイ支部事務局。だけど、この町まで連れてきて御者の人も、ここに来る途中で道を尋ねた人も、皆がここを、単にギルド事務所と呼んでいた。それどころか、目の前に座っている受付のお姉さんでさえ、正式名称では呼ばなかった。レオンが正式名称を知ったのは、ここの入り口に書いてあるのを読んだからだが、それも掠れてしまっていて、かなり読みにくかった。

 入った途端にいかつい男達に睨まれる。そんなシチュエーションを予想していたのだが、聞いていた通り、人は少なかった。それでも、ぴりぴりした雰囲気の男が数人ベンチに腰掛けていたので、レオンは少し緊張した。

 それでも、何事もなく窓口まで行き、冒険者見習いとして登録したい旨を説明すると、あっけなく手続きが始まった。田舎者のレオンにとって、こういう手続きは初めてなので、何か失敗しないか心配だったが、とりあえず、最初は上手くいったようでほっとした。

 その矢先に、頭に飛び乗ってきたのが、この生物だった。

「・・・あの、すみません」

 おずおずと聞くと、受付の女性がこちらを見上げる。自分より年上のお姉さんで、理知的で落ち着いた雰囲気の人である。彼女はレオンの書類を作ってくれているらしく、椅子に腰掛けたままだった。

「はい。何か?」

 ブラウンの瞳には、こちらをからかっている色は見えない。だが、レオンの今の状態に気付いていないわけがない。

 やや躊躇したものの、聞かないわけにはいかなかった。

「この、頭の上をうろちょろしてるのは・・・」

 当然の質問だと思ったのだが、受付の人はきょとんとした顔で聞き返してきた。

「カーバンクルですけど・・・」

「いえ、それは僕にも分かります」

 それくらいはレオンも知っていた。色違いだが、村に一匹だけいたからである。

「そうじゃなくてですね・・・なんで、僕の頭の上をうろちょろしてるんですか?」

 受付のお姉さんは、ようやく理解したという顔になる。

「あ、すみません。最近だと、みなさん既にご存じの場合が多いので、説明を省略させて頂いていたんです」

 はあそうなんですかと、レオンは生返事を返す。つまり、知らなかった自分の方が珍しいという事のようだ。

「そのカーバンクルは、そうやって貴方の前世を見ているんです。もちろん全部は見られませんが、一部を読みとる事が出来ます。それを私に伝えて貰って、今度は私がギルドのレコードを調べます。そうすれば、貴方のおおよその適性が分かるんですよ」

 そんな事が出来るとは初耳だった。村にいたカーバンクルは、ただのペット同然で、ほとんど役には立っていなかったからである。

「カーバンクルって、そんな事が出来るんですか?」

「あ、でも、それはギルドに住み着いている子だけです。他の場所にいる子には出来ないみたいですね。特技とか芸みたいなものじゃないかとか、そういう役目として居着いているんじゃないかとか、諸説あるみたいですけど・・・」

「へえ・・・」

 そこで、レオンの頭の上にいたカーバンクルが、受付の女性の方に飛び移った。反動のようなものはほとんど感じない。感じたのは、ふさふさの毛の感覚だけだった。

 藍色の瞳が一瞬だけこちらを向くと、そのまま受付の女性の頭に上って、そこでまたくるくると堂々巡りを始めた。

 それを全く気にかける様子もなく、受付の女性は微笑んで、右手を部屋の奥に向けた。

「もうしばらくかかりますので、そちらにおかけになってお待ち下さい」

 レオンは軽く頭を下げてから、示されたベンチに腰掛けた。入った時にそこにいた男達は、もういなかった。

 他に見るものもないので、レオンは、女性の頭の上をくるくる回っているライトイエローの生物をなんとなく眺めていた。女性は気にする素振りもなく、書類作りに精を出しているようだ。

 カーバンクル。別名、導きの妖精。

 見た目で一番近いのは、キツネやイタチかもしれない。同じ4足歩行の生物。それを子供サイズに縮小して、体毛を長くふさふさにした生物というのが、だいたいの外見である。

 だが、その実態の多くは謎に包まれている。

 例えば、体重が非常に軽い事。体毛や瞳の色が様々な事。群を作らない事などが挙げられる。

 だが、最大の不思議は、この生物には死というものがないという事実である。

 カーバンクルには寿命がない。少なくとも、自然死した個体は知られていない。さらに、カーバンクルは食事出来るが、しなくても生きていける。食べても排泄はしない。眠る事もするのだが、それが必要なのかは不明。呼吸が必要なのかすらもはっきりしない。水中を普通に歩く個体もいるという噂だった。もっと言えば、どうやって数を増やしているのかも、まるで分からない。オスとメスがあるのかすらも分かっていないのだ。

 今までにいろいろな学者が調べたが、まるで何も分かっていない。捕らえようにも、いつの間にか逃げてしまう。だから、大昔にもう諦めてしまったというのが、レオンの村の長老の話だった。

 まさに不思議生物なのだが、大昔の人達の間でも、そもそも生物となのかという話にはなったらしい。

 そこで、とりあえずのカテゴリーとして、カーバンクルは妖精という事になっている。他に妖精と分類されているものはないから、専用枠である。それだけ特殊な種なのだ。

 そういうはっきりしない存在なのだが、人を襲うわけでもないし、作物を荒らす事もない。気ままだが、大人しいし、鳴いたり暴れたりするわけでもない。特別な世話も必要ないし、懐いた人間なら言うことも聞く。そして何より、見た目が愛らしい。

 そういうわけで、レオンの村ではペット以外の何者でもなかった。何か特殊能力があったわけではないが、見た目で少し癒される。見かけたら撫でてやって、何か食べ物でも与えてみる。それを食べる姿にまた癒される。はっきり言って、かなり良いご身分である。だけど、まあそれくらいはいいかなと思わせるくらいの愛らしさがあった。

 だけど、ここのカーバンクルは立派に仕事をこなしているようだ。能力の理屈は不明だし、見た目には、人の頭の上をくるくる回っているだけなのだが、このギルドの一翼を担っているらしい。思ったより多才だった事に、レオンは驚きだった。

 やがて、仕事が済んだのか、ぐるぐるしていたカーバンクルは不意に足を止めて、そのまま女性の頭の上で丸くなった。色合いもあって、金の王冠みたいに見える。

 妖精は目を閉じていた。まさか、そこで休憩するつもりだろうか。

 その数秒後、女性は書類を持って立ち上がった。まったく頭上を気にする様子はないが、カーバンクルの方もバランス感覚がいいのか、張り付いたように動かなかった。

 そのまま、女性はカウンターの奥の扉の向こうに消えた。

 見るものがなくなってしまったので、仕方なく、事務所の中を見回してみる。

 木で出来た建物。このベンチも、カウンターも椅子も、全部同じ木材を使っているようだ。照明はあまり多くないが、それでも十分なのだろう。あまり広くはない部屋に、事務員らしき女性が1人。レオンの母親くらいの年齢だろうか。その女性も、さっきの受付の人も、全く同じ服を着ている。ギルドの制服なのだろうか。黒が基調で、なんだが格好いい。そういう服を着ている人は、もちろんレオンの村にはいない。御者の人は小さい町だと言っていたが、レオンにしてみたら、十分都会である。

 ここから始まる。

 不意に頭を過ぎったその言葉に、レオンは急に気分が高揚してきた。緊張していたためだろうか、今まで忘れてしまっていたワクワク感が戻ってきたのである。

 新しい世界。その始まりの場所。思ったより、劇的な事はなかったが、田舎者の自分にはこれくらいがちょうどいい。あまり刺激が強すぎても困る。

 ここから頑張って、何とか一人前の冒険者になる。とりあえずはそれが目標だが、そこまでの道のりを想像するだけでも、レオンは楽しみで仕方なかった。

 新しい出会いがあって、新しい事を知って、新しい自分を見つける。 

 そこでレオンは、ふと気付いた事があった。

 自分の前世を見たい。それがこの旅立ちの目的のひとつでもある。

 だが、さっきの受付の女性は、あのカーバンクルが自分の前世を読みとってくれると言っていた。そして、詳しく調べるとも言っていた。

 もしかして、それではっきりするのだろうか。

 はっきりしてしまうのだろうか。

 もしここで分かってしまったらと思うと、レオンの胸中は複雑だった。目的が達成されるのだから、もちろん悪いわけはない。だからといって、こんなにあっさり分かってしまうと、自分の悩みはなんだったのかと思えてしまう。

 どちらがいいんだろう。

 聞きたいような、聞きたくないような。

 レオンの予定では、自分の前世が分かるのは、見習い冒険者卒業の時だった。

 一人前の冒険者として認められるには、魂の試練場というダンジョンを攻略しなければならない。そこの最奥で、その冒険者はカーバンクルと出会うと言われている。そのカーバンクルが、自分の魂の場所まで案内してくれると言われているのだ。

 その魂の名前がアーツ。

 前世の自分が、来世の自分の為に残した遺産。それを手に入れる事が、冒険者の証。

 それを手に入れたら、自分の前世の事が分かる。

 そんな予定を立てていたのだけれど。

「レオンさん」

 不意に名前を呼ばれて我に返ると、いつの間にか、受付の女性が戻ってきていた。頭の上の妖精もそのままである。本当に装飾品みたいだった。

 レオンは慌てて立ち上がって、窓口に向かう。

 ここで分かっても、まあ、それはそれでいいじゃないか。懸念がひとつ解消されたと思えばいい。どちらにしたって、冒険者を目指すのは一緒なんだから。

 だが、どうやらそんな話ではなかったようだ。受付の女性の表情は、傍目にも分かるくらい困惑顔だったのである。

「あの・・・申し訳ないんですけど、該当するレコードが見つからなかったんです」

 レコードというのはよく知らないが、要は、自分の前世がよく分からなかったという意味だろう。

 嬉しいような、残念なような、入り交じったような表情で、レオンは頷いた。

「そうですか・・・あの、やっぱり、珍しい事なんですか?」

 女性は控えめに頷く。少し揺れたはずだが、頭上のカーバンクルに起きる気配はない。

「ええ、まあ・・・それで、出来たら、レオンさん自身が見た前世の記憶を教えていただけませんか?そこからまた探してみますので」

「記憶ですか」

 レオンは苦笑した。ないものは教えようがない。

「あの・・・?」

「あ、いえ、実はですね・・・あの、驚かないで下さいね」

「驚くような前世なんですか!?」

 何か期待するような響きが含まれていた気がしたが、それは必死に無視した。

「実は、僕、前世の記憶がないんです。今まで全く、夢を見た事がなくて・・・」

 レオンはなるべく驚かせないようにゆっくりと言ったのだが、無駄だったようだ。

 思いっきり気まずい静寂。

 受付の女性は完全に固まっているし、奥で事務をしている人も、手が止まっていた。

 他に誰もいなかったのが、救いといえば救いだった。

 カーバンクルだけが呑気に眠っている。

 どうしようかと困り果てたところで、受付の女性が絞り出すように言った。

「・・・あの、冗談ではないですよね?」

 レオンは慌てて手を振る。そう思われるのが一番困る。

「いえいえ!そんな、冗談なんて・・・」

 それを見て、受付の女性は額に手を当てた。何やら難しい顔をしていた。 

「・・・もしかして、何か問題があったりしますか?」

 もしかしたら追い返されるかもしれないという懸念が、再び顔を見せ始める。

 しばらく間があってから、女性はこちらを向いた。

「えっとですね。ギルドに加盟する事は可能です。それ自体には、特に資格というものは必要ありませんので。ただ、前世が分からないというのは、レオンさんにとって不利になります。適性が分からないという事になりますから、何でも手探りという事になります。ですが、あの、もちろん、ご存じだと思いますが・・・」

 そこで女性は間を取った。レオンもなんとなく姿勢を正した。ここからが、特に重要な話なのだ。

「冒険者は戦闘に重きを置きます。最初はある程度の安全を確保してありますが、基本的には命がけです。ですから、手探りと口で言うのは簡単ですが、その手探りにも命の危険がつきまといます。人より苦労するのはもちろんですが、冒険者の場合は、苦労だけで済まない事もあるんです。あと・・・これは申し上げにくいんですけど、レオンさんが仲間を探されるときに、恐らく障害になると思います。他の皆さんも命がけです。冷たいようですが、適性を十分に生かせていないレオンさんを受け入れる人は少ないと思うんです」

 正直、ショックな話だった。

 こんなに自分にハンデがあるとは思っていなかった。自分だけで済むならともかく、仲間が見つからない可能性まであるのだ。 

 そうなったら、ずっと1人で戦うのだろうか。

 それは無理だろう。何より、辛いだろう。

 だけど。

 レオンは微笑んだ。

「大丈夫です」

 女性の瞳が少し大きくなる。

「心配してくれてありがとうございます。でも、とりあえず、やってみようと思うんです。あまり強くなれないかもしれないし、仲間も出来ないかもしれないけれど・・・でも、やってみないと分からないですから。とにかくやってみます。それでもダメだったら、村に帰るなり、他の仕事を見つけるなりします。それくらいの決断は出来るつもりです。だから、挑戦だけはさせてくれませんか?」

「しばらく1人のままかもしれません。1人はつらいと思います。無理して冒険者にならなくてもいいんですよ?」

「1人じゃないですよ。ここまで乗せてきてくれた行商の人が言ってました。この町は良い人ばかりだって。だから、なんとかなります。ギルドの受付のお姉さんも、すごく優しい人ですし」

 女性の真摯な瞳としばらく見つめ合った。

 だが、やがてふっと微笑んでくれた。

「分かりました。では、ギルドとして正式にサポートさせて頂きます。何か分からない事がありましたら、何でも聞いて下さい」

「はい。これからよろしくお願いします」

 レオンが頭を下げると、女性も少し笑って頭を下げる。

「よろしくお願いします」

 その揺れには耐えられなかったのか、黄色のカーバンクルが頭からカウンターに滑り落ちてきた。

 だが、目覚める気配はなかった。

 気持ちよさそうに眠っている。

 レオンと女性は、それを見て笑った。

「お疲れみたいですね」

「そうですね。レオンさんの前世がなかなか見えなくて、大変だったみたいです」

「・・・すみません。起きたら代わりに謝っておいて下さい」

「それでしたら、今どうぞ。撫でてやると喜びますから」

 レオンは少し意表を突かれたが、すぐに撫でてみた。

 村のカーバンクルとは色が違っても、手触りはほとんど同じだった。ふかふかでふわふわ。いつまでも触っていたくなる。 

「・・・あの、名前はなんて言うんですか?」

「私ですか?」

 その言葉に、レオンは気付いた。

「あ・・・そういえば、聞いてませんでしたね」

「聞きたかったんですか?」

 女性は悪戯っぽく笑う。なんというか、年上の余裕みたいなものを感じた。

 少しどきどきしたが、そこで蘇ってきたのは御者の言葉だった。

 妙なトラブルは遠慮したい。

「あ、いえ、すみません、その・・・聞かなくても、大丈夫ですよね」 

 戸惑ったように言うと、それが可笑しかったのか、女性は吹き出した。

「すみません。そんなに困るとは思わなかったので・・・」

「そ、そうですよね。こちらこそ・・・」

「ケイトと呼んで下さい」

 そう名乗ってケイトは微笑んだ。理知的で落ち着いた、ブラウンの髪と瞳の女性。恐らく20歳前後だろう。格好いい制服と、まとまったヘアスタイルのせいで大人っぽく見えるだけかもしれないけれど、少なくともレオンより年下という事はない。

「あと、この子はシニアです。もちろん、私が名付けたわけじゃないですけどね。だけど、このギルドで一番の年上なのは間違いないです」

「ということは、もしかして、町が出来てからずっといるんですか?」

「はい。少なくとも、もう400歳以上」

「へえ・・・」

 どういうわけか、カーバンクルは一カ所に居着く事が多いらしい。人から聞いた話だったが、ここの妖精も、その例に漏れないようだ。

 その最長老の大御所も、今は愛らしい姿で寝息をたてていた。 



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