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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第2章 ビギナーズ・アイ
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レッド・アライブ



 白い背景。紅い双眸。

 どうしてなのか、あの光景を思い出していた。

 ダンジョンの中で、じっとこちらを見ている妖精。もしかしたら、あの妖精が自分の魂まで案内してくれる妖精なのか。魂の試練場の最下層で、アーツの場所を示すと言われているカーバンクル。その光景なのだろうか。

 だとしたら、未来の光景を見たという事なのか。

 それとも、もしかしてあれが自分の前世の記憶なのか。

 前世の自分はダンジョンの中に行くような人間、つまり冒険者だったのだろうか。だけど、前世の記憶は寝ている時に夢として見るのが普通だ。あの時は、少し特異な状況だったけれど、寝ていたわけではない。

 ただ、レオンは前世の記憶はおろか、夢自体を見た事がない。だから、夢と似ているのか判断出来ない。

 寝ている時は、ただ真っ暗なだけ。

 あのダンジョンの中のように。

 オレンジ色の蝶と戦った、あの通路と・・・

 そこで物音がした。

 ドアが閉まる音。

 レオンの視界が、日が昇るように明るくなった。

 まるで背景の一部のようだった自分の身体に、感覚が戻ってくる。

 仰向けに寝ている体勢。

 下は柔らかい。

 ベッドの上。木の天井。

 そして、足音が近づいてくるのを認識するや否や、視界に見知った少女の顔が入ってくる。

 ライトブラウンの髪と瞳。女性だというのは分かるが、男前な印象もある不思議な顔立ち。あまり彼女の笑顔を見ないが、仕事に一生懸命で、どこか充実しているように見える。

「あれ・・・リディア?」

 自分の声が掠れているのに気付く。口の中が乾燥していた。

 身体を起こそうとすると、リディアがそれを止める。

「まだ寝てた方がいいと思う。待ってて。イザベラさんを呼んでくるから」

 その言葉を聞いて、ここがビギナーズ・アイ横の診療所だという事に気付いた。

「・・・どうして僕はここにいるんです?」

 蝶のモンスターと戦ったところまで覚えているが、その後の事が記憶にない。そのモンスターにしても、倒したのかどうかすら定かではない。覚えている一番新しい記憶は、確か、火球の魔法の熱波を至近距離から浴びて、床を這いずり回された事。とにかく、床との摩擦やら壁とぶつかったりやらで身体中が痛かったのだけはよく覚えている。

 リディアは淡々と答える。

「私はよく知らないから。イザベラ先生に聞いた方がいいと思う」

 レオンが何か言う前に、広間の奥のカーテンを手で退けながら、そのイザベラが姿を見せた。彼女とリディアは雰囲気がよく似ている。颯爽とした振る舞いもそうだし、髪も瞳も明るい。今日は2人とも白いブラウスを着ているから、歳の離れた姉妹と勘違いされそうだった。

 イザベラはベッドの横に立つなり、こちらの顔を見下ろしながら真顔で言った。

「顔色がいいな。若い女の子が効いたか?」

 その一言で急激に血圧が上がった気がした。取り乱したレオンは起きあがろうとしたが、背中に鋭い痛みが走って顔をしかめた。

 女医の方はその慌てぶりに面食らったような表情をしたが、すぐに元の表情に戻った。

「そうか。いや、悪かった。レオンはそういう子だったんだな」

 どういう子だと思われたのか少し気になったが、とりあえず一番聞きたい事を先に聞く事にする。

「あの・・・僕、どうやって帰ってきました?」

 ダンジョン内に他の誰かが救出に向かうのは事実上不可能だから、自分で出てきたと考えるしかない。だが、その記憶が全くなかった。

 彼女の回答は簡潔だった。

「歩いて帰ってきた」

「え・・・僕がですか?」

 歩いたどころか、起きていたとも思えない。ただ眠っていたらここに戻ってきていたような、そんな印象しかない。

 イザベラは軽く頷いてから口を開く。

「まあ、朦朧とはしていたな。だが、誰か助けにいけるわけがないから、自分で歩いたと考えるしかないだろう?歩いたといっても、ここの勝手口の前までだ。そこで物音がしたから、行ってみたらレオンが倒れてた。それが今日の早朝だ。意識があるようなないような、そんな状態だったから、とりあえずベッドまで運んで治療して寝かせていた。頭を打っている可能性もあったから心配していたが、夕方になってやっと目を覚ました。それが今だ。理解したか?」

「えっと、すみません・・・僕がダンジョンに入ったのは、昨日ですか?」

「そう」

 つまり、丸一日経って出てきたという事らしい。あの蝶型モンスターと戦ってから何時間後の事だろうか。ダンジョン内では時間感覚があやふやだから、はっきりとは言えないものの、1時間や2時間程度ではないはずだ。そんな長時間もかけて、自分はどうやってダンジョンから出てきたのだろう。

 その記憶を何とか辿ろうとしているレオンに、イザベラが少し諭すような口調で言う。

「私が思っていたよりも丈夫な身体だからよかった。だけど、全身傷だらけだったし、鎧もボロボロだ。頭からも出血していたし、鎧には焦げたような跡もあった。どんなモンスターと戦ったのかは知らないが、大怪我しなかったからいいとは思わない事だ。リディアもあの酒場娘も心配していた。まだ見習いなんだから、まず自分の身体を大事にしなさい」

「・・・はい。すみません。ありがとうございます」 

 逃げたくても逃げられる保証がなかったから戦ったわけで、そういう言い訳が出来ないわけではなかった。だけど、それでも逃げるべきだったかもしれない。少なくとも、戦う場所は選ぶべきだった。それを怠ったのだから、反省しなければならない。

 イザベラは少しだけ表情を緩める。

「身体が動くようなら、もう帰ってもいい。それほど深刻な怪我はない。だけど、頭を打っている可能性もあるから、念のために明日は安静にしてなさい」

「はい。分かりました」

 レオンが返事をすると、用事は済んだとばかりに、彼女はカーテンの向こう側へと戻っていった。そちらが、イザベラ先生の居住スペースなのだ。3人も子供がいるから、きっと忙しいに違いない。こんな事を言ってはいけないのかもしれないが、やはり、自分の為に早朝から仕事をさせてしまってのが、少し心苦しい。

 イザベラの足音が聞こえなくなってから、レオンは身体を起こした。

「大丈夫?」

 リディアが聞く。彼女は丸イスに腰掛けていた。

 相変わらず表情には出ないものの、イザベラ先生曰く、彼女も心配してくれていたようだ。レオンは少しだけ微笑んで見せた。

「大した事はないです。リディアさんも、わざわざすみません。忙しいのに、見に来てくれたみたいで・・・」

 だが、彼女はあっさりこう言った。

「仕事だから」

「え?・・・あ、仕事の次いでって事ですか?」

 リディアは軽く頷いてから、すぐ脇に置いてあった布袋の中に両手を入れる。そこから取り出した物を、包んでいた布を取り払ってから、レオンに差し出した。

 それはレオンが使っている物と同じスローイングダガーだった。だが、明らかに新品である。

「・・・どうしたんですか?これ」

 それを差し出す意図がよく分からなかったので聞いてみると、彼女は簡潔に答える。

「補充」

 あまりに端的過ぎる言葉にすぐには理解出来なかったものの、しばらく考えてから、レオンははっとなった。

 反射的にいつも短剣をぶら下げている辺りに手をやるが、そこには短剣どころか、それをぶら下げておく革ベルトもなかった。治療したのだから当たり前だが、鎧も着ていない。その下に着ているインナーウェアだけの状態である。

 ふとリディアがベッド脇の方へと視線を送るので、そちらを見てみると、そこにある低い棚の上にベルトと短剣が置かれていた。新品ではなく、いつもレオンが使っているものだ。

 だが、そこには短剣が2振りしかない。

 回収し損ねた。ダンジョン内で回収し損なえば、それは即ち、永久に見つからないという事と同義だ。

 レオンは棚の上にある物を見つめながら、固まってしまった。

 鍛冶師の父娘が丹誠込めて作ってくれた物を紛失してしまった。しかも、長年使って壊れてしまったとかなら分かるが、自分の勇み足のせいで、一ヶ月もせずになくしてしまった。

 どんな顔をして謝ればいいのだろう。

 だが、そこで聞こえてきたリディアの声は、いつも通りだった。

「投擲武器だから、なくなるのが普通」

 彼女の方に視線を戻すと、やはりいつも通りの彼女の表情だった。当たり前だが、嬉しそうには見えない。だけど、その無表情に救われたような気がした。

「無理して拾わなくていいと思う。それよりも命の方が大事だから。もちろん、粗末に扱って欲しいわけじゃないけど」

 淡々と述べる彼女。だけど、彼女が自分の作った武器に愛着を持っている事も、レオンはよく知っている。

 差し出された短剣を受け取る。

 リディアの瞳に視線を戻してから、レオンは言った。

「ありがとう。でも、大事に使わせて貰います」

 彼女は少し顔を伏せただけだった。

 心なしか顔が赤いような気もするが、理由がよく分からない。

 そのまま、静寂が訪れた。リディアは何も言わないし、出て行こうともしない。まだ何か用があるのだろうかと考えて、はたとレオンは気付いた。

「あ、そういえば・・・僕の鎧、もしかして修理に持って帰ってます?」

 この部屋には見当たらないのだ。イザベラもボロボロだったと言っていたし、その可能性が高い。

 リディアは顔を上げてから頷く。

「ちょっと時間がかかると思う。たぶん一週間くらい。だから、ダンジョンにはしばらく入れないから」

「あ、はい・・・分かりました」

 何故か、再びの沈黙。

 何か他に用事があるのだろうと思ったのだが、鎧の事ではなかったようだ。

 今度は、リディアはじっとこちらを見つめている。だが、レオンの顔に何かついているわけではなく、考え中のサインだった。まるでこの顔に眼力で穴を空けようとしているかのように、一点を見つめて動かない。一旦気付けばそれほどでもないが、それまではさすがにドキドキする。

 仕方ないので、受け取った新品の短剣の棚の上に置いた。

「どうしてレオンは冒険者になりたいの?」

 唐突な質問だった。

 どうしてそんな事を聞くのだろうと思ったが、彼女の瞳にからかっている色はない。そんな事をするような人でもない。

「えっと、ベティから聞いてないですか?僕の前世の話なんですけど・・・」

「聞いてる。でも、それがよく分からないから」

「え?」

「そんなに前世を知りたいの?」

 言われてみれば、確かに他の人にはよく分からない動機なのかもしれない。

 だが、簡単に説明出来る気持ちでもない。どうやって話したらいいだろうか。

 リディアの言葉がさらに続いた。

「前世が見えなくても、レオンは十分生きていけると思う。見えなくてもいいんじゃない?それで納得出来ないのはどうしてなの?」

「あの、すいません・・・どうして、急にそんな事聞くんですか?」

 どうしても気になったので、レオンは尋ねた。あまり口数が多くない彼女だけに、尚更こんな事を聞いてくるとは思わなかった。

 リディアは少し躊躇うような素振りを見せたが、それでも話してくれた。

「鎧を見たから」

「え?」

 彼女の声が心なしか小さくなる。

「私はダンジョンに入った事がないからよく分からなかったんだけど、あの鎧を見て分かった。本当に命懸けの場所なんだって。私も作るのを手伝った鎧だから、どれくらいの力が加わったのかは見れば分かるから。だけど、どうしてそこまで頑張るのかなって。特に、レオンは1人だから。たった1人でそんな場所に行って戦うなんて、どうしてなのかなって思ったから。そんなに前世が大事?そんなに頑張れるレオンなんだから、前世なんてなくてもいいんじゃない?私もデイジーもラッセルもガイさんも、前世とはあまり関係のない仕事をしてる。そういう人だってたくさんいる。そう納得するのはダメなの?」

 彼女の表情はいつもと同じ。つまり、真剣そのものだ。

 対するレオンは少しはにかんだような表情で答える。真面目な顔では言えない。自分の弱いところを説明しているようなものだからだ。

「あんまり言いたくはないんですけど・・・やっぱり、僕は不安なんだと思います」

 リディアの表情は動かない。

「結局僕は、前世を知りたいというよりも、前世がある事を確かめたいんだと思うんです。自分のルーツがちゃんとあるんだって事を、この目で見てみたい。他の人がみんな持っているものだから、余計に気になるんです」

「命懸けでも知りたい事なの?」

 レオンはそこで照れたように頬を掻く。

「リディアさん。それは違うんです」

 首を少し傾けた彼女に、自信なさげなレオンの声が伝わる。

「こういう言い方もなんですけど、結局、僕も冒険者になりたいだけなんです。そもそも、僕の前世が分かるとしたら、魂の試練場をクリアした時です。それは、冒険者にとってゴールではなくて、スタートです。そこをクリアして終わりなんて、さすがにそんな事は思ってないですよ」

「どういう意味?」

「つまり、僕が命を懸けてるのは、冒険者になるためですよね?他の冒険者見習いの人と同じです。その為に命を懸けるのは普通の事ですよ。僕が言うのもなんですけど、命を懸けた事がない冒険者なんて頼りないですから。ただ、前世を知らないっていう不安を抱えたままだと、頼れる人間になれないと思ったんです。自分に自信のない人間が、人から頼られる人間にはなれっこないですから」

 リディアの視線は動かない。よく見ると、どうやら考え中らしいと分かった。レオンはあまり説明が上手くないだけに、理解する方も大変だろう。

「・・・つまり、前世を知りたいのはついで?」

 ついでというのもあんまりな言い方だが、全く見当違いではない。

「なんというか・・・前世を知りたいのは確かです。それを知る事で、自分の足元がしっかりするような気がするんです。ですけど、冒険者になりたいっていう気持ちも確かなんですよ。両方あると思って貰えればいいです。最終的には、人の期待を背負えるような人間になるのが僕の夢というか、憧れなんです」

 彼女の視線がこちらの目を捉える。今度は考え中ではないようだ。何度か瞬きしているからである。考え中の場合、まるで時が止まったかのように静止するから、独特の違和感があって分かり易い。

 そんな事を悠長に分析していたレオンだったが、よく考えると、それはつまり見つめられているという事だった。その事に不意に気付いた途端、気恥ずかしくなって視線を逸らした。

 こうなると、気まずい沈黙でしかない。

 そこで、勝手口のドアがノックされる。

 その音で固まりかけていた空気から解放されたレオンは、リディアの方を見る。その表情はほとんど変わらないものの、彼女も訪問者に心当たりがないのはよく分かった。

 どちらかが返事するよりも先に、勝手口が開く。

 入ってきたのは、レオンの知らない男性だった。

 この町では一般的な、ダークブラウンの短髪に瞳。ブルーのシャツに象牙色の上着とズボン。その服の組み合わせはあまり見かけない感じだが、スッキリとした顔立ちに不思議と似合っているし、結構上等な服のようだ。だが、気のせいか、サイズが少し窮屈なようだ。身長はそれほどでもないが、体格はいい。というより、物腰から言っても、明らかに荒事の経験者である。

 根拠はないものの、レオンは直感で、この人は冒険者だろうと思った。

 男はこちらを一瞬だけ見たものの、リディアを見るなり笑顔になって親しげに話しかけた。

「やあ、リディア。お久しぶりだね」

 にこにことしている男に対して、無表情なままのリディア。イスから立ち上がったから、挨拶を返すのかと思ったがそうではなく、訝しげに質問した。

「・・・いつ帰ってきたの?」

 結構辛辣な物言いのような気がした。彼女は基本的に無愛想と言えるかもしれないが、言葉が刺々しいわけではない。それなのに、挨拶を返さないのは珍しい。

 勝手口から数歩進んだ位置で立ち止まり、男は答える。

「今日だよ。決まってるだろ?今日帰ったから、こうして挨拶に周っているんだ。さっきリディアの店にも行ってきたんだけど、会えなくて残念だと思っていたところさ。だけど、ここでこうして会えたんだから、僕の運も捨てたものじゃないね」

 大袈裟な言い方だと思ったが、彼なりのジョークなのだろうか。

 リディアはくすりともせずに言葉を返す。

「じゃあ、ベティにも挨拶したら?ここで待ってたら来ると思うけど」

 その一言で、男の笑顔は固まった。

「・・・悪いけどここで失礼するよ。イザベラ先生によろしく伝えておいてくれないかな」

 依頼口調だったが、彼は答えを待たずに勝手口からそそくさと出て行った。

 本当に顔を見せただけという訪問だった。もっとも、イザベラ本人には顔すら見せていないのだが。

 とりあえず、さっきの男が誰だったのか聞こうとした時、勝手口の外の方から声が聞こえた。

「あっれー。ブレットだね。いつ帰ってたの?」

 ベティの声だった。

 答える男の声は、明らかに取り乱していた。

「や、やあ、ベティ。ご、ご機嫌いかがかな?」

 強いて言うなら、尋ねた本人よりはいいだろう。本人の声はどう聞いても、機嫌がよさそうには聞こえない。

「お陰様で元気だよ。そういうブレットは、ちょっとくらい強くなった?」

 話している光景を直接見られないレオンだが、雲行きが怪しいのは分かった。ベティの場合、そんな質問をした時点で、それを実際に確かめる事が半ば決まっているのだ。

「そ、そうだね。だから、ベティも、もう・・・うわ!ちょっ!待った!!」

 待って貰えなかったようだ。地面に小麦袋を叩きつけたような音が響いたからである。

「うーん・・・だめだなー。ちゃんと訓練してる?まだレオンの方が倒しがいがあるなー」

 喜んでいいのか悪いのか、判断しにくい言葉である。

 やがて、服を払うような音がしてから男の声が聞こえた。

「・・・と、とにかく、これで失礼するよ」

 颯爽とというより、明らかに走って逃げていくのが、足音で分かった。

 今のやりとりはなんだったのだろうか。そう考えているうちに、勝手口のドアが開いてベティが入ってくる。彼女はノックしなかったが、よくある事だった。

 彼女はこちらの顔を見て、少しだけ瞳を大きくした。

「あれ、もう起きても平気なの?」

 彼女にも心配をかけたのだ。そう思って、レオンはなるべく明るく微笑んだ。

「はい。明日は安静という事ですけど、もう帰ってもいいそうです。すみません。ベティさんにも心配かけたみたいで・・・」

 彼女の普段着とも言えるエプロン姿だが、仕事中なのは間違いない。

 ベティは笑って手を軽く振る。

「いいよいいよ。ちゃんと帰ってきたんだから。それより、リディアもいたんだねー。ブレットも来たみたいだけど、平気だった?」

 その質問の意味がレオンにはよく分からなかったが、聞かれたリディアは小さく頷く。

「最初にベティの名前を出したら逃げていったから」

「そっかー。でも、リディアがいるって分かってたら、もう何発かおまけしてたんだけどなー」

 そう言ってウインクしてみせるベティに、内心レオンはぞっとしたが、リディアは小さく頷くだけだった。珍しく、どこか嬉しそうな表情に見える。

「あの・・・さっきの男性がブレットさんですか?」

 ポニーテールの少女2人がこちらを見たが、答えたのはやはりベティの方である。

「そうそう。レオンにとっては冒険者の先輩だね。でも、さすがにレオンにはちょっかい出さなかったでしょー?」

「ちょっかい?」

 それどころか、挨拶すらなかった。

「あいつは女の子を見たら、見境なく口説くんだよねー」

「女の敵」

 リディアの呟きに、ベティは苦笑した。

「敵は言い過ぎかもしれないけど、でも、結構鬱陶しいんだー。私とかはまだいいんだけど、リディアはあんまりそういうのに慣れてないから困ってたんだよね。だから私がちょっと懲らしめてやったんだよ。あれは・・・何年前だっけ?」

「4年前」

「もしかして、この町の人ですか?」

 2人ともいつ帰ってきたのかと聞いていたし、4年前なら、ベティとリディアはもちろん、先程の男性も恐らく、16歳未満の未成年だろう。 

 遠い目をしながら、ベティが答える。

「そう。あの時はまだ、ブレットもリディアも13歳か。普通は誰か好きな女の子が出来て、その子を一途に想うんだろうけど、あいつは最初から見境なく口説いてたよね・・・うん、やっぱり、あの時ちゃんと頭を押さえといて正解だったなー。あのまま調子にのってたら、たぶん本物の女の敵になってたよね」

 その結果、ブレットは名前を聞くだけで逃げ出す程、ベティの事が苦手になったらしい。いったい何をしたのか、想像するのも恐ろしい。

 ベティは口元に笑みを浮かべながら言った。

「レオンもリディアに鬱陶しいって思われたら、私がきっちり成敗してあげるから」  

「・・・思われないように努力します」

 口説くとかそんなつもりはないから大丈夫なはずだが、気を付けるに越した事はない。

 だが、そこで意外にも、リディアから不満の声があがった。

「鬱陶しくはないけど、レオンはちょっと他人行儀過ぎると思う」

 他の時なら普通に聞けただろうが、今は、直前のベティの発言のせいで、彼女の言葉は重みが違う。

「いえいえ!そんな事は・・・」

 面白そうな口調で、ベティが言った。

「そうかもねー。もうすぐユースアイに来て1ヶ月になるわけだし」

「それに、ニコルには敬語を使ってないってラッセルが言ってた」

 意外なところから、余計な情報が伝わっていたようだ。この時ばかりは、ラッセルを少し恨んだ。

「何でー?あ、そうか。同い年だから。じゃあ、シャーロットにも敬語使わないって事になるよね・・・うん、それはちょっとまずいような気がする」

「・・・何がですか?」

 ベティはその質問を無視した。

「よし!じゃあ、これからレオンは敬語禁止」

 突然の言論規制に唖然となったが、すぐにそれは翻された。

「・・・は可哀想だから、そうだなー、じゃあ、まずは、さん付け禁止。呼び捨てに挑戦」

 それも結構厳しい。

 レオンはしばらく待ってから、怖ず怖ずと申し出る。

「あの・・・例えば、ガレットさんとかフレデリックさんとかは、さすがに呼び捨てには出来ないと思うんですけど」 

 特に前者は、呼び捨てにした瞬間拳が飛んでくるだろう。

 腕を組んでしばらく考えていたベティは、小さく頷いてから口を開いた。もっとも、表情は笑みが浮かんでいたから、真面目に考えていたとは思えない。

「仕方ないなー。じゃあ、10代の知り合いは呼び捨て。これでいいでしょ?」

 10代。ベティ、リディア、ラッセル、デイジー、ニコル。後は、まだ知り合いとは言えないと思うが、ブレットとシャーロット。思ったよりまともな条件だった事に驚いてしまった。何か罠があるのだろうかと疑ったが、疑ったところで、どうにかなるとも思えない。

「はい。リディアで練習」

 いつの間にか、リディアの両肩を掴んだベティが、彼女とレオンを向き合わせるようにしながら言った。

「・・・何で私なの?」

 リディアの疑問にベティは満面の笑みを返す。訳が分からない。

 次に彼女はこちらに視線を送ってきた。早くしろという催促だというのは分かったが、何とも不条理な気がしたのは、きっと気のせいではない。

 仕方なくリディアの方を向く。目が合うと、何故か緊張してきた。

 息を落ち着ける。自分はどうしてこんな事をしているんだろうと思いながら。

「よろしくお願いします・・・リディア」

 同様せずに言えたと思ったが、彼女の頬が朱く染まるのを見て、こちらも顔が熱くなった。

 耐えきれずに視線を逸らす。

 遊ばれていた。気付くのに遅過ぎたけれど。

「2人とも顔が朱いねー。ベッドで休んでいったら?」

 ベティの追い打ちが自分にとっては強烈だった。顔が真っ赤になったに違いない。

 分かりたくもなかったが、なんとなくレオンは、ブレットが彼女を恐れる理由が分かったような気がした。



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