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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第2章 ビギナーズ・アイ
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初心者の残照



 入り口から覗いてみると、階段の先の部屋から灯りが差しているのが見える。扉などはないようだ。距離があり過ぎて、ここからでは部屋の様子は分からない。

 この階段に罠があったりしないだろうか。

 いきなり罠というのも容赦のない話だが、絶対ないとは言えない気がする。そもそも、どの程度用心すればいいものなのか、加減が分からない。ダンジョンとは、何の為にあるのかも、誰が造ったのかも分からないものなのだ。ただ経験則として、罠が仕掛けられている事が多いというだけの事である。侵入者を撃退する意志は見えるのだが、何故撃退したいのかは分からない。これが仮に、元々誰かのお屋敷だったとか、誰かが住んでた洞窟だったとか、そういう来歴でもあれば、罠がありそうな場所に見当がつくのだが。

 それでも、冒険者達はここを進むのだ。

 彼らは怖じ気付いたりしない。どんなダンジョンでも、どんなモンスターでも、きっと冒険者が倒してくれる。そういう希望を一身に背負う存在なのだから。

 自分もそういう人間になってみたい。それは結局レオンにとって、自分を知りたいという事に他ならない。前世が分からない自分は、どんな人間なのか自分でもよく分からない。空虚というか、足元がよく見えない。他の人にはある来歴が自分にはない。だが、もし冒険者になれたら、人の希望を背負えるだけの人間になれたという事なのだろうか。

 それもよく分からない。

 ただ、それでも挑戦してみたいと思ったのだ。自分を見られるチャンスがあるなら、見てみたいと思った。自分を確かめてみたいと思った。

 そして、もし見られるとしたら、それはダンジョンの中だと思ったのである。

 魂の試練場。

 導きの妖精。

 レオンは小さく頷いた。

 進もう。

 ダンジョンに足を踏み入れる。石材の固さを確かめるような、そんな慎重過ぎる足取りだったが、これでいい。自分1人なのだから、自分らしい方法でいい。

 一歩一歩慎重に進む。

 下り階段は思ったよりも明るい。上からの太陽の光と、下からの室内の灯り。階段には何の光源もないのだが、その両者の光だけでも十分な程明るかった。もしかしたら、この通路に使われている石材が、光をよく反射しているのかもしれない。

 結局、最初の部屋にたどり着くまでに10分以上はかかった。安全を買ったと思えば、安いものかもしれない。

 聞いていた通り、最初の部屋には導きの泉がある。もちろん見るのは初めてだが、間違えようがない。中心に白亜の石で出来た泉と台座。その台座の上には、実寸大よりも少し大きいくらいのカーバンクルの像。普通の妖精とほとんど同じだが、やはり言われた通り、翼のようなものが背中から2枚生えている。その翼を中途半端に開いた状態で、まるで躾られたかのように行儀良く座っている。翼のせいなのか、どこか優美に見える。

 当然だが、その瞳も白い。全身真っ白の石像が、こちらをじっと見つめている。

 どこかで見た事がある。なんとなくそう感じたレオンだったが、すぐに思い出した。

 そして、驚いた。

 初めてモンスターと戦ったあの日。その後、ホレスの演奏を聞いていた時、一瞬だけ見えたあの光景。白毛に紅眼のカーバンクルがこちらをじっと見ていた。その光景と今の光景がそっくりなのだ。違いといえば、妖精の瞳の色と、翼の有無くらいのもの。

 妖精もそうだが、背景には一点の違いもない。

 まさにこの場所。少なくとも、こことそっくりの場所が、あの時見た光景の場所。

 それを確かめずにはいられなかったレオンは、部屋の入り口で、じっと像の方を見つめたままになってしまった。今にもその石像がひび割れて、中から紅眼のカーバンクルか出てくるのではないか。そんな気さえした。

 しばらくして、ようやく我に返る。

 こんな事をしてる場合じゃない。部屋の様子を確認すらしていなかったのだ。モンスターがいたら怪我どころでは済まなかったかもしれない。

 自分は一体何をしていたのか。

 気を取り直して、部屋を観察する。

 ケイトが言っていたように、相当な広さがある部屋だ。ニコルのガレージより広い。中央に泉があるものの、10人くらいは問題なく寝られるだろう。壁も床も天井も、どうやら石レンガのようだ。白に少し黄色が混じったような、見た事もない石材である。各壁の中央辺りには、松明に似た物が取り付けられていて、煌々と部屋を照らしている。

 ふと、先日のモンスターの事を思い出した。そして、すぐに腰を屈めて、床に触れてみる。

 結構しっかりしているようだし、仮にここから何か出てきても、音がするのですぐ分かるだろう。

 壁にも軽く触れてみた。床と同じような感触。天井は高すぎて手が届かない。

 水の流れる音が泉の方から響いている。

 この部屋は上から見たらほぼ正方形の構造になっているが、入り口から見て、左と右の壁のそれぞれ中央辺りに木製のドアがある。正面の壁には何もない。

 進むなら、左か右か。そういう事らしい。

 とりあえず、レオンは中央の泉に向かった。水が流れる音がしているのに、泉の中の水が増えたり減ったりする様子がない。どんな構造になっているのか見ておこうと思ったのだ。

 縁に立って覗き込むが、ただ白いだけ。穴はおろか、突起や凹みのようなものもない。

 水の流れる音がするだけ。

 中央の像や泉の縁に触れたり、軽く叩いて音を聞いてみたりしたが、何も分からない。

 手がかりはない。

 レオンは左の扉に向かった。なるべく足音を立てないようにする。

 そっとドアに耳を当てる。何も聞こえない。

 今度は右のドアの前まで行き、また耳を当ててみた。もちろん、音は立てないようにする。

 音が聞こえた。

 糸車が廻るような、カラカラという音。まさか本当に糸車があるとは思えないが、音はそっくりだった。

 迷わず、レオンはまた反対の扉に向かう。

 こういう時どちらのドアを選ぶべきなのか。そういう類の話を全く聞かなかったわけではないのだが、その答えは十人十色と言ってもよかった。そして、そのいずれの答えも、思わず頷けるようなものだったのだ。だから逆に、あまり参考にはならなかった。余計混乱したと言ってもいい。

 だから、今の選択はレオンの勘である。

 音がしない方が安全という根拠はない。だけど、何か異変があった時、聴覚を頼りに出来る。

 異変を察知出来たからといって、対処出来るとは限らないのだが。

 左の扉の前でもう一度耳を当てて音がしない事を確かめてから、少しだけ開けてみた。

 その隙間から向こう側を覗き見る。

 扉の先には通路が続いているようだった。ドアは1人が通れる程度の大きさのものだが、通路の幅は3人並んで歩ける程広い。向こう側にも灯りがあるらしく、通路の様子もよく分かる。一応、背負い袋の中には松明もあるが、使わないで済むならそれに越した事はない。

 通路は20メートル程先のところで右に折れているようだ。左側の壁にはその曲がり角の辺りに、右側は通路の中程の位置にドアが1つずつ。

 何かが動く気配はない。

 まるで深夜に部屋を抜け出る時みたいに、忍び足で通路に出て、静かにドアを閉めた。

 静寂。

 何も物音はしないが、もちろん安全が保障されているわけではない。

 間違った選択をすれば、それはすぐに自分の身に跳ね返ってくるのだ。

 思わず、唾を飲み込む。

 ダンジョン攻略の為には、ボスモンスターを倒す事が条件。そして、ボスは大抵最深部にいると言われている。ここビギナーズ・アイは2階層ダンジョンで、ここは地下1階。つまり、下り階段を見つけたら、ボスがいる階層にたどり着く事になる。だが、階段がどこにあるのかはほぼランダム。決まった法則はないとの事だった。

 とりあえず、しらみつぶしに確認していくしかない。

 レオンはまず、すぐ近くの右のドアを調べる事にした。少しずつ、空白を埋めていくように進んでいきたい。不用意に進んで挟み撃ちにでもされたら、仲間がいない自分には対処出来ない。

 罠がないか注意しながら、そっと扉を引く。

 向こうには灯りがないようだ。かなり暗い。

 それでも、こちらからの光が差し込んで、近くだけはうっすらと確認出来る。

 何かと目が合った。

 暗闇に浮かぶ青い髑髏。

 その眼窩がじっとこちらを見ている。

 動く様子はない。

 他人の部屋に間違えて入った時みたいに、たっぷり間を空けてから、レオンはゆっくりとドアを閉めた。

 考える。

 今のは何だろう。

 モンスターだろうか。それにしては、こちらを襲ってくる気配はなかった。どちらにしても、不気味なのは間違いなかったのだが。 

 それでも、悪い状況の方を想定しておくべきだろうと考える。つまり、モンスターだと思っておくべきだ。さっきは襲ってこなかったが、次もそうとは限らない。

 戦って倒しておくべきだろうか。だが、さっきのが一体だけとは限らないのだ。暗くてよく見えなかったから、もっと大量にいる場合もある。そうなったら、自分1人の手には負えないだろう。

 しばらくその場で頭を悩ませていたレオンだったが、そこで、ニコルのガジェットの存在を思い出した。

 右腕に巻き付けていた方を、くるくると解いていく。現在の長さは1メートル程。

 両端の円錐状の器具を持って、その扉と導きの泉の中間辺りまで行く。そこでレオンは、床から1メートル程の高さの壁面に、円錐の平面部分を押し当てた。ニコルに教えられたように、傘の部分にある突起部分を操作する。しばらくしてから手を離すと、円錐状の器具は接着されたように壁から離れなくなった。

 もう一方の端は反対側の壁面に取り付ける。通路の幅は3メートル以上あるが、端の器具内に予備部分が収容されているのだ。簡単な操作で、紐というか糸の長さを調整出来るようになっている。

 程なくして、通路の高さ1メートルの辺りに1本の見えにくい糸が張られた格好になる。これ以上ないくらい、原始的で簡易なトラップ。

 ニコルの発明にしては穏やか過ぎるが、端の器具が手の込んだ代物で、何度でも取り外し出来るし、取り付いている間は滅多な事では外れない。空気の圧力を利用しているとの事だが、レオンにはよく分からない。本人の目標としては、モンスターが引っかかって糸が切れた時に、その器具が爆発するようにしたかったそうだが、それだと小型化出来なかったらしい。そこで、もっと切れにくい丈夫な糸を使う事にして、簡易トラップという事にして落ち着いたようだ。結構高級な糸らしく、人が乗っても切れない程丈夫な物らしい。

 ちなみに、この糸は昔鍛冶場からくすねてきた物らしい。後でリディアに伝えておくべきだろうかと、少し悩んでいるところである。

 いずれにしても、こうして罠を張っておく事にした。自分が引っかからないようにしないといけないが、こちらまで逃げてくれば足止めくらいにはなる。そうすれば、落ち着いて迎撃出来るはずだ。

 その後、背負い袋から松明を取り出した。通路に取り付けられている松明から火を貰おうとしたが、その時初めて全然熱を持っていない事に気付いた。どうやら魔法の灯りのようだ。仕方なく、発火用の石と紙切れを取り出して、それで火をつける。

 松明は左手で持った。

 先程のドアの前に立ち、音をたてないように小さく息を吐く。

 覚悟を決める。

 先手必勝。

 ドアを少しだけ開いてから、思い切り蹴破る。

 さっきと全く同じ位置に青い髑髏。

 確認すると同時に、ダガーを右手で飛ばす。

 完璧な軌道。

 ダガーはあっさりと髑髏の眉間辺りに突き刺さり、それだけにとどまらず、その周辺をバラバラに砕いた。

 だが、それだけではなかった。

 残った部分は、まるで振り子のように宙をぶらぶらと揺れている。

 正確に言えば、振り子そのものだったわけだが。

 元々、違和感はあったのだ。こちらと目が合ったはずなのに、身動きひとつしない。追いかけてこないのはまだしも、まったく動かないのは、意志あるものとしてはおかしい。

 だが、まさか、こんな悪戯みたいな物があるとは思わなかった。

 レオンは松明の灯りを近づけてみる。

 髑髏の頭頂部。そこから目立たないくらい細い糸が、天井に伸びている。紛れもなく、ぶら下がっているだけだった。

「・・・なんだ」

 ほっとしたような、騙されて少し悔しいような、複雑な気持ち。あまり気持ちがいい悪戯ではないが、噛みついてくるわけではない。

 だが、自分が思わず声を出していたのに気付いて、思ったより緊張していた事が分かった。モンスターと戦うという事に、それほどの心理的な負担があったのか。

 やはり、先日の一件があったからだろうか。

 最初の戦闘が敗北だったというのは、どうやらマイナスな部分が多いようだ。負けた経験だけで勝った経験がないから、どうしてもいいイメージを持つのが難しい。

 悪戯ひとつに、馬鹿みたいに怯えなくてはならない。

 そんな自分が弱く感じられて、そして情けない。

 少し落ち込む。

 だから、レオンは気付かなかった。

 確かめなかったのだ。

 そこが何の為の部屋なのか。

 しばらくして、ダガーの分だけ増えた重さに耐えられなくなったのか、糸が切れて髑髏が床に落下する。乾いた破砕音と、金属音。

 それから一瞬遅れて、カチッという音が部屋の奥から聞こえた。

 レオンが視線をそちらに向けたのと、弦を弾く音がしたのはほぼ同時だった。

 その音を聞いた事があったのは不幸中の幸いだった。クロスボウがボルトを発射する音。クロスボウとは弓の一種だが、自分の力で弦を引くわけではなく、板バネの力を利用する。ニコルが趣味で作っている装置の中にそれを改造したものがあって、発射する音を聞いた事もあった。

 だから、咄嗟に気付いた。

 罠だ。

 半歩身を引く程度しか動けなかった。

 一瞬前まで自分の右半身があった空間を、視認出来ない程の速度の何かが射抜く。

 背後の壁で乾いた音が響く。

 壁の陰に避難してから、後ろを振り返る。

 折れたボルトが床に落ちていた。

 自分の身体を射抜いていたかもしれない、凶器。

 跳ね上がった鼓動を抑えながら、頭の中を整理する。要は、あの髑髏を吊っていた糸がスイッチだったのだろう。冒険者が髑髏を攻撃するなり取り外したりすれば、その分そちら側が軽くなる。すると、反対側の重りか何かが下に落ちて、罠を起動させる仕組みだったのだ。今回は幸運にもダガーが刺さったまま残ったから、すぐには起動しなかったのだ。

 もっとしっかり天井を見ていればよかった。せっかくの幸運をふいにするところだったのだ。

 自分は何故見なかったのか。

 落ち込んでいたからだ。

 何を馬鹿な事をしていたのだろうか。

 未熟。

 その一言に尽きる。

 だが、不思議とレオンはそれで気が晴れた。開き直ったと言ってもいい。

 自分が未熟なのは百も承知だ。だから、危険な思いをするし、惨めにもなる。

 だけど、そもそも何のリスクもなく冒険者になれるわけがない。もしそんな冒険者がいたら、頼りない事この上ない。

 それを自分は、何を勘違いしていたのだろうか。今日すぐにダンジョンをクリア出来ると思っていたのだろうか。

 自分は何を落ち込んでいたのだろう。これからこんな経験ばかりだというのに。

 小さく息を吐く。今度は音を抑えたりはしなかった。

 来るなら来い。むしろ、来て欲しい。そう思えるくらいでないといけない。

 まず生き残れるようにならないと。

 状況を把握する。罠は発動したが、それで安全を確保したわけではない。じっくり室内を観察しなければ。投げた短剣も向こうの床に残ったままだ。

 松明の灯りを差しのべながら、すぐ横のドアの奥をそっと覗き見る。

 あまり広くない部屋。用途は分からないが、木製の棚が奥の壁に2つ。そこにあったクロスボウからボルトが発射されたようだ。

 天井には予想通り、糸を通せる木製のリングが何カ所か取り付けられている。

 床には粉々になった髑髏。すぐ脇に短剣。

 そして、ここから見て右奥の方には、これみよがしに小さな木箱が置いてある。

 もしかしたら、何か役に立つ物かもしれない。そういう考えが、頭の片隅にはあったが、今の自分にはそんな余裕はない。

 レオンは問答無用で、その木箱めがけてダガーを投擲した。

 問題なく突き刺さったが、普通の木材に刺さった時のような硬質な音ではなかった。カリカリに焼いたパンをフォークで刺した時のような、パリッとした音。

 それは紫の煙を上げたかと思うと、あっという間に姿を消した。

 何かのモンスターだったらしい。どんなモンスターだったのかはさっぱり分からなかったが。

 意外にやれるじゃないか。

 そんな思いがわき上がりそうになったが、すぐに飲み込む。これから先しばらく、もしかしたらずっとかもしれないが、とにかく今は必要ないものだ。

 部屋に入って、ダガーを2本とも回収した。今はそうでもないが、何度も投げたら刺さりにくくなっていくに違いない。次からは砥石を用意した方がいいかもしれないと思った。

 部屋には役立ちそうな物はなかった。だが、クロスボウはニコルが喜ぶかもしれない。そんなに重い物でもなかったので、持って帰る事にした。自分が通路に張っていた罠も、忘れずに回収しておく。

 それから先も、とにかく扉をひとつひとつ確かめていく。中には鍵がかかった扉もあったが、開けられないような複雑な鍵はなかった。罠もいくつかあったが、気付かずにひっかかったものはない。というのも、明らかに不自然な物ものばかりだったからである。最初の部屋の髑髏のように、なんとなく気になる物や無視しにくい物があったら、なるべく飛び道具を当ててみる事にした。そして、その後すぐに、壁の陰に隠れる。難易度の低いダンジョンだからなのか、それで困るような罠はなかった。

 モンスターも少ない。途中でモモンガみたいなのが3匹飛んで来るには来たが、ほとんど嫌がらせレベルの能力しかなかった。というのも、どうやら目があまりよくないらしい。こちらの顔に飛びかかってきたら怖いが、ほとんどそういう事はなく、ただこちらの周りを飛び回っているだけの有様だった。

 それでもやはり、そう簡単にはいかなかった。

 レオンが今身を屈めて覗き見ているのは、もしかしたらこのダンジョンで一番広い部屋かもしれない。40メートル四方はある大広間。何も物がない部屋なのだが、それは物に限った話である。

 黒い鳥型のモンスター。何か意味があるのか、あの時のサソリと同じく一つ目である。大きさはそれほどでもないが、小動物なら十分に狩っていく程はある。その鳥が高い天井付近に3匹、休む事なく旋回している。

 そして、下を守っているのは、カタカタと音をたてながら歩いている人の骸骨だった。右手に剣、左手に盾という標準的な装備だが、鎧はない。その骸骨が4体。

 1人だと手に余る数である。だが、骸骨の動きは遅いから、駆け抜けていけば、攻撃されずに向こう側に見える扉までたどり着けるかもしれない。狭い部屋だったら無謀な話だが、これだけ広い部屋だから可能性はある。それでも、あくまで可能性だ。骸骨の動きがあれで全力とは限らないし、扉に鍵がかかっているかもしれない。それに、上にいる鳥型のモンスターをやり過ごすのは難しいだろう。

 やり過ごすのが無理なら、おびき寄せるのがいいだろうか。

 レオンが今いるのは、その広間に続く扉の前である。ドアを少しだけ開けて覗き見ているのだが、こちらの通路ならば、それほど広くはないから、ニコル特製の簡易罠を使う事も出来る。足払いくらいにはなってくれるかもしれない。だがそれも、倒すとなると難しい。

 こちらは諦めて、引き返すべきだろうか。

 ここまで分かれ道のようなものはなかったから、引き返すなら最初の部屋まで戻る事になる。

 それも仕方ないか。

 そう思った時だった。

 薪が破裂したような音。

 すぐ近くで起きた突然の爆音にレオンの心臓は飛び跳ねたが、衝撃は身体にもあった。

 ドアをこちらに向かって蹴破る何かがいたのだ。

 咄嗟にドアから離れながらも、レオンの頭の中は思いの外冷静だった。

 事態を把握しようと試みる。

 骸骨の足音はしなかった。

 という事は鳥の方か。向こうからは見えないようにしていたつもりだが、もしかしたら、匂いか何かで分かったのかもしれない。

 その予測を裏付けるように、開かれたドアの向こうから、鳥が3匹とも、一斉に襲いかかってきた。

 鳴き声はない。そもそも口がない。

 レオンは咄嗟にダガーを投げつけてから、身を屈めた。

 それが1匹に命中。後の2匹は翼をはためかせながら、こちらの頭の上を飛び抜けていく。

 まだ左手には松明を持っている。それがふと頭に過ぎった。動物ならともかく、モンスターに役に立つだろうか。

 鳥は低くなった天井にぶつかりながら旋回している。止まっているも同然だった。

 すぐにダガーを抜き、2投目。

 問題なく命中。

 床に崩れ落ちるモンスターを尻目に、残る1匹の動きを確認する。まだ旋回中。3投目も十分間に合う。

 だが、そこで気付いた。もう1本は左側にぶら下げているのだ。もちろん手が届かないわけではないが、時間がかかる。そこまでの余裕があるかどうか、レオンは一瞬迷ってしまった。

 結果、投擲のタイミングを失う。

 モンスターは、既にこちらに滑空してきていた。

 咄嗟に左手を掲げる。松明よりも、盾を掲げたつもりだった。だが、モンスターは火を見て驚いたようだった。滑空の勢いが衰える。

 今度は見逃さなかった。

 モンスターと盾が接触したと同時に、レオンの右手が腰から抜いたショートソードが、3匹目を仕留めた。

 消滅していくモンスターを確認してから、レオンは振り返った。

 やはりというべきか、骸骨の方もこちらに気付いたようだった。ゆっくりとこちらに近づいて来ている。あまり速くは動けないのか、まだ開かれたドアの向こう側だった。

 レオンは迷った。進むか、退くか。今は骸骨しかいない。だから、広間を通り抜けられるかもしれない。

 悩む事数秒。

 レオンは広間に背を向けた。

 そのまま走り出す。

 ショートソードを腰に差し、2匹目が落下した辺りに落ちていたダガーを回収する。

 それを腰に下げながら、床に手を突き、再び反転した。

 駆け抜ける。

 1匹目を仕留めたダガーを拾いながら、広間に飛び込んだ。ここも屋内には違いないのだが、まるで屋外に出たかのような開放感があった。

 骸骨の動きは遅い。

 その間を抜けるようにしながら、レオンは奥に見えていた扉を目指す。戦わないで済むなら、それに越した事はない。

 十数秒程で近くまでたどり着く。

 だが、すぐに駆け寄るわけにはいかない。もし罠があるとしたら、広間のどこかよりも、扉の近くだろう。他には何の特徴もない部屋なのである。今までのパターンからすれば、一番目立つ位置に仕掛けているに違いない。

 走って速くなった呼吸を整える。

 背後の骸骨達とはまだ距離がある。慌てなくても大丈夫なはずだ。近づいてきたら音で分かるはずだし、ここが開かなかったとしても、また駆け抜けて向こうに戻ればいい。

 レオンは慎重に扉に近づく。一歩一歩、床の感触を確かめるように歩いた。

 程なくして扉にたどり着く。

 金属製の扉だった。遠くからは分からなかったが、装飾に隠されるようにして鍵穴があるのが見える。

 開けようとしてみるが、やはり鍵がかかっていた。どれくらい時間がかかるのか、外から判別するのは難しい。それに、背後からモンスターが迫っている状況で、自分が解錠に集中出来るかは難しいところだった。頭と手に相当な神経を使うのだ。後ろの方まで気にしていられない。

 やはり戻ろう。

 レオンは振り返る。

 だが、そこで気付いた。

 こちらに迫っている骸骨が2体しかいない。あとの2体はどこに行ったのか。

 その2体の姿を見つけた時、レオンは驚いたというよりも、何故か感心してしまった。

 骸骨モンスターは半分だけ、向こうの扉の前に陣取っているのである。

 戦略とかそういう物とは無縁なのだろうと思いこんでいた。そもそも、この骸骨達は動きが鈍いので、意志のようなものがあるとも思えなかった。だが、それはただの先入観だったようだ。少なくとも、敵の退路を断つ事を思い付くくらいの知能はあるらしい。

 2体ずつに分かれているというのも、なんともそつないところだった。扉の前に1体だけだったら、そちらを奇襲して突破出来たかもしれない。だけど、2体ずつだったらそれも出来ない。その方が逃げられる可能性も減るし、こちらに向かってくる方も2体いるから、数の上で優位なのは変わらない。

 まさに冷静沈着。

 閉じこめられたのは確かだった。

 出たければ倒せという事か。

 レオンは松明を床に置いた。元々この広間は、十分な魔法の灯りがある。背負い袋も下ろす。それほど重くはないが、身体が軽いに越した事はない。

 左手と右手。両方に短剣を1本ずつ持つ。ちゃんと回収していて良かったと、心からそう思った。

 近づいてくる2体の骸骨は、つかず離れずといった距離を保っている。

 遠距離なら攻撃し放題。とりあえずダガーを投擲しようとしたレオンだが、どこを狙おうか迷う。人型の骸骨だが、もちろん心臓も脳もない。どうやって動いているのか見当もつかない。

 しばらく思案した結果、とりあえず頭を狙ってみる事にする。的として一番大きい。この距離なら、外す事もない。

 呼吸を整えて、右腕を一閃。

 真っ直ぐに頭蓋骨めがけて飛んでいったダガーだが、驚く事に、それは阻まれた。

 骸骨の左腕が、まるで計算されたかのような正確な動きで、その軌跡を阻んだのである。

 今までとは段違いの機敏な動きに、レオンの脳裏には先日のサソリ型モンスターの光景が一瞬フラッシュバックした。

 だが、すぐに振り払う。冷静になれと言っている自分が、どこかにいるような気がした。

 思ったより手強いかもしれないというのはマイナスだが、守ろうとしたという事は、頭部への攻撃が有効と考えられる。それが判明したのはプラスだ。

 左手のダガーを腰に戻してから、弓を手に取る。あまり上手ではないが、こういう時に使わなければ意味がない。

 矢を取ってから、構えて弦を引く。

 十分弓がしなってから、手を離した。

 矢の残像だけが残る。

 速度は十分だが、頭蓋骨には命中しなかった。距離が近過ぎるのもあるかもしれないが、自分の腕が足りないのが原因だろう。はっきり言って、あの小さい的に当てる自信はない。

 レオンは距離を取りながら、新しい矢を用意する。

 次は身体を狙う事にした。隙間の多い身体だが、的としては大きい。

 2本目は胸の辺りに命中。

 少し頷いてから、次々と矢を取って射る。

 3本目、4本目と命中したが、5本目はあさっての方向へと外れた。

 あと半分。焦る気持ちを抑えつつ、また距離を取る。

 6本目も命中。だが、あまり効いている様子はない。

 7本目。

 放った瞬間、いい感触がしなかった。力が少し抜けてしまったような、どこか失敗したような気がしたのだ。だが、それが逆に良かったらしい。

 その矢は偶然にも、頭蓋骨の眼窩の辺りを射抜いていた。

 骸骨は紫の煙を上げながら消滅した。

 思わず声をあげそうになったくらい嬉しかったが、そんな場合ではない。まだもう近くにもう1体。それ以外に2体もいるのだ。

 矢はあと3本。

 8本目。

 少し力を抜いてみたが、やはりそう上手い話はなかった。外れたのを見て、内心かなり落胆したが、なんとか気を取り直す。

 9本目。胸に命中。だが、モンスターの様子に変化はない。

 ラストの10本目。

 精一杯の願いを込めてはみたものの、やはり当たってはくれなかった。

 半分溜息のような息を吐いてから、弓を背負い直す。1体倒せただけでも儲けものだと思うしかないだろう。

 ショートソードを抜く。

 前回のサソリの時とは違い、今度は鎧もある。それに相手も1体だ。向こうの方が、武器も盾も立派な物だが、それくらいは妥協するしかない。

 レオンは駆け出す。骸骨の周りを回るようにしながら、隙を窺う。レオンは騎士でも戦士でもない。正面から切り込むつもりはない。骸骨の動きは遅いままで、こちらの動きについてこれていない。

 背後を取ってから、思いっきり剣を振り下ろす。

 だが、それは甘かった。

 骸骨は向こう側を向いたまま、腕だけ動かして、盾であっさりとそれを受け止めたのである。視界もさることながら、人間だとあり得ない関節の動きだった。

 その動きに目を疑う。

 隙だらけだと、モンスターにも分かったのだろうか。

 やはり後ろ向きのまま、右脇腹めがけて剣を振るってくる。

 その動きに、レオンは気付けなかった。

 鎧越しの衝撃だが、裂けるような痛みがした。

 レオンの身体を、骸骨は右腕一本で綺麗に吹き飛ばした。

 床の上を数回転がってから、レオンは左手をついて起きあがる。

 痛みで呼吸が乱れる程だった。

 骸骨の持つ剣は立派な物だが、さすがに丈夫な鎧なだけあって致命傷ではない。それでも、骨が折れていないのは幸運だっただけだろう。だが、もちろん無傷というわけはないし、若干右手の握力が弱い気がした。

 それでも、剣は手放していない。

 骸骨は振り返ってこちらに近づいてくる。

 前後どちらでも見えるようだし、後ろ向きでも、剣も盾も問題なく使えるのだから、振り返る必要などないだろう。もしかして、それを隠しておくためだけにわざわざ向きを変えていたのだろうか。だとしたら、なんとも小憎らしい話だ。

 なんとなく、そこで悟った。

 このモンスターはかなりの剣の腕がある。訓練所のアレンと少し似ている剣かもしれない。少なくとも、自分よりもずっと上手なのは間違いない。

 勝てない。

 正攻法では。

 レオンは距離をとりながら、右腕に巻いていたニコルのガジェットを解く。そして、それを今度は右手の平に巻いた。その糸の先端の器具をショートソードの柄に接着させる。これで、仮に剣を手放したとしても、床に落ちる事はない。

 ショートソードをぶら下げたまま、両手にダガーを握る。二刀流は自分にはまだ難しいが、今は贅沢を言っている場合ではない。

 手首を曲げて右手の感じを確かめてみる。怪我の影響はさほどない。だが、剣を下げているから、とにかく重い。投擲出来ない事はないが、狙い通りの位置には飛ばないだろう。だが、それでもやるしかない。

 勝つ為に必要なのは、手数。

 骸骨の方を見やる。悠々と歩いているように見えた。

 これで駄目ならもう後はない。

 一呼吸する。

 レオンはモンスターに向かって走り出しながら、同時に右手で投擲を行った。

 狙いは頭部。投げる前は心配したものの、上手く飛んでいる。

 骸骨は盾をかざして防ぐ。

 この時には、レオンはもう接敵していた。

 既に、右手にはショートソードを握っている。いつでも握れるようにする為の処置だ。

 それを頭蓋骨めがけて振り下ろす。

 モンスターの盾はこれも的確に受ける。

 剣と盾が接触する前に、レオンはあっさりショートソードを手放した。この攻撃はフェイントだ。

 既に左手の短剣を繰り出している。

 実はこれもフェイントだった。そもそも、自分はまだ左手を上手く使えないのだ。

 骸骨がそれを迎え撃つように、右手の剣を振り下ろすのが見える。

 ここがタイミングだった。

 左手のダガーを離しながら、その剣に盾を合わせる。さらに、その手放し方が問題だった。

 その短剣が敵の頭蓋骨めがけて飛ぶように手放す。

 ここが正念場。というか、ほとんど賭だった。

 骸骨はそれにも機敏に対処した。

 ショートソードからは既に力が抜けている。それくらいは、その剣を受けた盾から伝わってくるだろう。ならば、ダガーの方を対処するべきなのだ。それが刺さるかどうかは別にして、そちらの方が危険なのは間違いないのだから。

 まさにギリギリの位置で、盾の端でその短剣を弾いた。

 内心、レオンは舌を巻いた。

 なんという対応力だろうか。見た目は骸骨でも、腕も頭脳も馬鹿に出来ない。  

 だけど、それでよかった。

 きっと出来ると見込んでいたのだから。

 骸骨が短剣を弾いた一瞬後。

 力を失ったはずのレオンのショートソードが、再び命を取り戻したかのように一閃し、モンスターの頭蓋骨を捉えた。

 モンスターでも、もしかしたら驚いたかもしれない。

 レオンは煙を上げ始めたモンスターを見ながら、そんな事を考えた。

 だが、それも一瞬の事。

 骸骨は敗北を認めた騎士のように、潔くその姿を消した。

 右手にはショートソードがしっかりと握られている。

 最後の攻撃の姿勢のまま、じっとその剣を見つめていたレオンだったが、しばらくして大きく息を吐いてから、ゆっくりと体勢を戻していく。

 相手の盾を攻略する為には、2方向から同時に攻撃するしかない。だが、向こうにも腕が2本ある。敵の攻撃を防ぎながら、さらに両手で攻撃するのは、普通なら不可能な事だ。

 だから、あんなややこしい方法をとったのである。一度右手がフェイントだと思わせれば、特に、一度柄から手を離すのが見えたら、さすがに油断してくれると思ったのだ。そうすれば、頼りない左手の攻撃を受けてくれる。その瞬間なら、相手の剣は自分の盾が、相手の盾は左手から飛んだ短剣に対処中であり、自分の右手が空いている。だが、そこで腰から剣を抜いている時間はないのが悩みどころで、正直、一瞬でまた手放した剣を握れるかは賭だった。

 結局のところ、運の勝利。

 あまり喜べない。

 だけど、喜びも悲しみも、命あればこそというじゃないか。

 右の脇腹はまだ痛む。重傷という程ではないが、イザベラ医師の言う通り、これ以上戦えば重傷を負うのは確実だろう。

 そろそろ潮時だろう。

 ふと、入ってきた方の扉を見やる。 

 まだ、門番の骸骨が2体陣取っている。意地でも逃がす気はないようだ。片方だけでも近づいてくるかもしれないと思ったが、その辺りは徹底している。少なくとも、向こうは食糧がなくても生きていける。我慢比べならば向こうが有利という事なのだろう。

 短剣を回収してから、レオンは反対の扉へ向かう。近くには、背負い袋と松明があるが、松明はいい加減消え始めていた。

 装飾が施された、金属製の扉。

 向こうが駄目なら、こちらを開けるしかない。

 背負い袋から、解錠ツールを取り出す。

 針金を差し込んで程なくすると、簡単にはいかない事が分かる。高級品の鍵に違いない。あまり嬉しくはないが、さっきの骸骨に比べたら何でもない。

 意識を頭と手と耳に集中する。

 そこで気付いた。

 扉の向こうから、ほんの少しだが水の流れる音がする。

 今日聞いた音だ。

 入り口で聞いた音。だけど、今は出口を示す音。

 根拠はない。

 だけど、確かに信じたくなるものなんだ。

 先輩冒険者達の気持ちに一歩近づいた気がする。

 だが、それを確認するのはここを開けてからだ。

 レオンの意識が、鍵穴の中へと深く浸透していった。

 


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