祝宴(レオン編)
夕刻を迎えたガレット酒場は今日も盛況だ。ただ、いつもは屈強な冒険者達が店の隅々までを占めているはずが、この日は、その一角だけ様相が違った。
その冒険者らしからぬグループの一角で、レオンは内心かなり戸惑いながらも、テーブルを挟んだ向かい側にいる女性の話に耳を傾けていた。
「だからぁ、ギルドがやってることなんて、所詮その程度なんです。たまたまうまく天下取ったから偉そうな顔してるだけで、だからって、実体はどうなんだって話ですよ。いざって時には、どうせ大したことはなぁんにもできやしないんです!」
「はあ・・・」
「ちょっと・・・ちゃんと聞いてます?」
「あ、は、はい」
テーブルにほぼうつ伏せの前傾姿勢になったケイトに軽く凄まれて、レオンはほとんど強制的に姿勢を正した。何というか、村の長老に叱られている時の心境に似ている。
いや、違うか。
完全に酒飲みに絡まれている状態だ。
ギルド受付のケイトは、仕事帰りに立ち寄ってくれたので、今もその制服姿。しかし、いつもの大人のお姉さんの余裕はどこにもない。今や顔は真っ赤で、ブラウンの髪もやや乱れている。顔とグラスの高さがほぼ同じなのは、もしかしたら、それ以上体を起こせないほど酔っているのかもしれない。
一般的に、酔っぱらうと陽気になることが多いのが冒険者だが、ケイトの場合は、完全にいつもより機嫌が悪かった。これが俗に言う酒癖が悪いというやつかもしれない。
「私だって、そりゃあ、レオンさんの為にどうにかしてあげたいですよ。そういう気持ちくらいあります。当たり前じゃないですか!」
「で、ですよね・・・」
「近所の人からは、性格が冷たいから相手が見つからないんじゃないかとか、よく言われますけどぉ・・・」
「は、はあ・・・」
そんなことを言われているのだろうか。意外というか、多分、ケイトの勘違いな気がする。それくらい、さっきから辻褄の合わない発言が多々ある。
そこでまた、テーブルに頬を載せたケイトの視線が鋭くなった。
「もしかして、レオンさんもそう思ってます?」
「え?・・・あ、いえいえ!」
慌てて否定したが、それがよくなかったらしい。ケイトはむくりと体を起こして、テーブルに頬杖をつく。その睨むような視線より、まだ起きあがる余力があったことに、レオンは心底驚いた。
「なんですか、それ?そりゃあ、ステラさんに比べたら、私なんて可愛げのない女ですよ。冷徹女ですよ!でも、それが何か悪いんですか?何か罪になるんですか?」
「いや、だから・・・」
「いいですよねぇ、レオンさんは!あんなに優しくて可愛らしい彼女がいて!」
この人は急に何を言い出すのだろう。
心臓にずっしりとした負荷が掛かるのを自覚しながら、レオンはなんとかケイトのグラスを取り上げようと腰を浮かせる。とにもかくにも、これ以上飲ませると、何か甚大な被害を生みそうな気がする。
だけど、こういう時だけ異様に素早いのが酔っぱらいの習性だったりする。ケイトも機敏にグラスのガード体勢に入ってしまった。体の支えがなくなったせいか、またテーブルに突っ伏してしまったが。
どうしよう。
困り果てたレオンに、ケイトの隣に座る女性から優しい声がかかった。
「大丈夫ですよ。ケイトはお酒弱いですからね。すぐに大人しくなると思います」
「・・・そういうフィオナさんも、さっきからニコニコしてません?」
事実、既にほんのりと頬の朱いフィオナ。いつもと同じく、長い栗色の髪を背中に下ろしていて、水色のコットンのワンピースに白のカーディガンという彼女らしい服装だが、その止まらない微笑みだけ、妙に違和感がある。
しかし、彼女はおっとりとした仕草で頬に右手を当てて、少女みたいに首を傾げた。そうしていると、確かに、ケイトに比べればそれほど変化はないようだ。
「だって、ふたりのお祝いの席でしょう?しんみりしているわけにはいかないと思うし」
「まあ、その方が、僕もありがたいですけど・・・」
「結婚式もこういう感じなのかしら」
突然の不意打ちに、咳が出た。
やっぱり、この人も酔っているのかもしれない。
その咳が収まったところで、レオンは、彼女の膝の上に座っている少女と目が合う。そのポジションにいるのが誰なのかは、もはや説明する必要はないだろう。
シャーロットの服装はいつものフリルのブラウスと紺のジャンパースカート。さらに、その膝の上には、水色のカーバンクルのセラが丸まって眠っている。そのせいで、彼女の子供っぽい容姿がさらに助長されているのは間違いなかった。この酒場で一番浮いているのは、間違いなく彼女だ。
そして、その彼女だけはアルコールではなく、目の前にホットミルク入りのカップが置かれている。それは彼女が注文したわけではなく、店主のガレットが勝手に置いていった物だ。一応16歳だから成人しているはずなのに、完全なる子供扱い。当然と言っていいのか、彼女は一口も飲んでいないし、また、周りの誰もがそのことには触れない。
そう思っていた矢先、母親のように彼女の頭を撫でていたフィオナが、あっさりと禁断の箱を開けてしまった。
「せっかくだから、シャーロットも頂いたら?」
言われるなり、恐ろしく素直にカップに手を伸ばし、口をつけるシャーロット。同じ言葉をレオンが言えば、完全無視されるのは目に見えているが、フィオナへの愛情はそこまで深いのか。心なしか、人形のような無表情の中にも、幸福の色が見える気がする。彼女だけは、フィオナがいるからという理由だけでこの場にいるのかもしれない。
それでも、レオンは一応お礼を言っておくことにした。そういえば、今日はまだ彼女と一言も会話していない。それどころか、彼女が喋っている場面をまだ一度も見ていない気がする。
「シャーロット。今日はわざわざ来てくれてありがとう」
大きな明るい瞳でこちらを見つめた彼女は、やがて身を乗り出して、カップをテーブルに戻してから、いつものように淡々と答えた。
「・・・おめでとう」
正直、あまり興味がないとしか思えない答え方だけど、こういう時は不器用になるのが彼女なのだろう。最初に話した時も、こういう感じで激励の言葉を貰った記憶がある。
だから、レオンは素直に受け取ることにした。
「ありがとう」
すると、やっぱり彼女はコクンと頷く。いろんな意味で、飾らない女の子なのだろう。そうでなければ、いくら大好きでも、ここまでフィオナに甘えられないはずだろうから。
その時、ダウンしていたはずのケイトが、しぶとく起き上がった。それでも、せいぜい頭が少し持ち上がった程度だったけれど。
「ちょっと・・・レオンさん、聞いてますか?私の話はまだ終わってないんですけど?」
「あ、いや、その・・・」
話を終わらせる前に、彼女の意識が保たない気がする。どうにかしてグラスを取り上げようとするが、やっぱり異常なまでの勘の鋭さで、あっさり腕の中にガードされてしまう。こちらの予備動作から、その意図を先読みしているとしか思えない。まるで熟練の冒険者。いや、酔っぱらいの本能か。
仕方なく隣のフィオナに視線で助けを求めるが、相変わらず、彼女は目を閉じたままニコニコしているだけだ。その膝の上のシャーロットにいたっては、こちらに視線を寄越すどころか、膝の上のセラを撫でて、そのふわふわの毛並みを堪能しているようだ。ある意味、マイペースなところは母娘並に似ているのかもしれない。
しかし、このままケイトが本格的に酔いつぶれるのを待つしかないのだろうか。
ところが、そこで、フィオナとは反対側から近づき、慣れた様子でその肩に手を載せる男性が現れた。
「おいおい。今日はまた、随分調子がいいな」
どこか可笑しそうに声をかけるのは、高級そうな質感のブラウンのジャケットが目を引く顎髭の男性。まさに今日の午後にユースアイに戻ってきたと聞いて驚いたばかりだが、彼こそ、ユースアイまでレオンを運んできてくれた行商人。ガイである。
その彼を一瞥したケイトは、その手を払いのけるようにして、急に起き上がる。
「調子いいのはあんたでしょうが!そもそも、あんたがいつまでもそうやって・・・」
「分かった分かった。今日はとことん付き合ってやるから」
そう言うなり、ガイはこちらを向いて、手で追い払う仕草。彼もいくらか飲んでいるのか、顔が多少朱いものの、浮かんでいるのはいつもの余裕の笑み。ほとんど酔っているようには見えない。
ただ、レオンは少し戸惑ってしまった。
「ええと・・・?」
「いいんだよ。ここは俺に任せとけって。こうなったら、話長いんだ、こいつは」
「はあ・・・」
「それよりも、お前はあっち」
絡んでくるケイトを慣れた様子で捌きながら、ガイはカウンターの方を指さした。
そちらを振り返ってみると、カウンター内に大男がひとり、その正面にふたりの男性が椅子に座っているのが見える。もちろん、大男はガレット。そして、並んで座っているのは、わざわざ来てくれたアレンとホレスだ。アレンはほぼ普段着と言える格好だが、ホレスは夏祭りで見たような上等な服装。この祝宴の為に、わざわざ着替えてくれたのは間違いない。
ただ、あの一角だけ、傍目にも分かるほど空気が重いのがよく分かる。
それを確認してから、レオンはガイに視線を戻した。
彼は軽く口元を上げて、簡単に答える。
「俺も30分ぐらいは頑張ってみたんだけどな。だけど、ずっと独りで喋り続けるとか、どう考えても無理。しかも、なんで野郎の為に俺がこんなことしてんだろって、途中から虚しくなってくるんだよな・・・」
ケイトの相手をしながら、器用に遠い目になるガイ。正直、何が言いたいのかはよく分からなかったが、不思議と状況は伝わった。
少し迷ったものの、結局レオンは頷く。
「じゃあ・・・こっちはお任せします」
「ああ。そっちも任せた」
そんな言葉を交わしてから椅子から立ち上がる。相変わらずいつになく機嫌が良さそうなフィオナと、顔には出ないものの、やはり機嫌が良さそうなシャーロットにそれぞれ会釈してから、レオンはテーブルを離れた。
しかし、その矢先だった。
「あ、レオン!」
急に飛んできたガイの声に振り返ると、彼は右手の親指を立てて微笑む。
「やったな。伝説の男になれよ」
懐かしいフレーズ。ここに来る馬車の中で、そんな会話をしたのを思い出す。
伝説の冒険者になれるかどうかは分からないけれど、きっとそれが、彼なりの激励の言葉なのだろう。
レオンも同じポーズと笑顔を返す。
「はい!ありがとうございます」
それからさらに一度頭を下げてから、レオンはカウンターへと近付いていく。あそこにいる3人にも、改めて、同じ笑顔と感謝の気持ちを伝えるために。