新雪に溶けて
ステラが完全に泣き止むまで、結構時間がかかった。それに、嗚咽が聞こえなくなってからもしばらく離れようとしなかったので、レオンも黙ったまま、頭と背中を撫でていた。彼女の黄金の髪は手触りがよく、表面に冷気を感じる体は確かな熱を持っていた。
他に何も要らないと思えるほど、静かで満ち足りた時間。
それでも、そんな時間も遂に終わりを迎える。ステラの腕が背中から離れるのが分かって、レオンも彼女から手を離した。
一歩離れてこちらを見上げたステラの目元は赤く腫れていたけれど、気丈に微笑んでくれた。
「・・・ごめんなさい。本当はレオンさんの方が辛いはずなのに、私がこんなに泣いてたらダメですよね」
その言葉を聞いて、レオンも微笑んだ。
「ダメじゃないよ。代わりに泣いてくれてるんだから、嬉しいって言うのもあれだけど・・・」
「いいえ。甘やかしたらダメですよ」
いつか聞いた台詞だった。不満げな顔に変わっていたステラと同時に、不意に吹き出して、それから一緒に笑った。
それが終わると、ステラも自然な微笑みに戻っていた。
「じゃあ、帰りましょうか」
「そうだね・・・って、そうじゃなくて」
このまま何事もなく帰りそうになったが、レオンは慌ててステラの背後を指さす。そこに彼女のアーツがあるからで、あやうく回収しないまま出るところだった。
一瞬きょとんとしたステラだったものの、こちらの指を見てすぐに思い出したらしく、慌てて自分の台座に駆け寄った。それからこちらを見て苦笑する。どうやら、本当に忘れそうになっていたらしい。
レオンも苦笑を返しながら、彼女の隣に歩み寄った。
そして、ふたりでステラのアーツを見つめる。
やはり質素なネックレスだが、不思議な風格があるのも確かだった。伝説のジーニアスからの贈り物にしては、中心の青いルーンは小振りなサイズに見えるが、その中の対流を見つめていると、溢れ出そうなほどの力強さを感じる。その周りには、銀の金属と黒の木材が螺旋状に編み込まれたような装飾。その至るところに微細な彫刻が施されているのに、継ぎ目のような物は見当たらない。一目見ただけでは、どうやって作ったのかうまく想像できない不思議な形だ。
芸術品のことはほとんど分からないレオンでも、見つめていると引き込まれる何かがあった。それも、ぱっと見ただけでは気付かない。こうしてじっと見つめてこそ、初めて発見できる洗練された何か。見れば見るほど味わいが出てくると言うのだろうか。
或いは、趣があるということなのかもしれない。
これがイブの魂の一部だと言われると、確かに納得できるような気がした。
誰よりも自然を愛したと言われるサイレントコールド。金や宝石が派手に散りばめられた物よりも、こういう地味で素朴な物の方が、きっと自然の美しさに近いのだろう。草原や花、森や小川、湖や空、どれも、静かに心を落ち着けて眺めてこそ価値が分かるものだ。動的な美しさではない静的な美しさ。このアーツは、そういう自然から得た彼女の感動を、ほんの一部だけかもしれなけれど、閉じ込めた物に違いない。
ふと隣を見ると、ステラはそのアーツを穏やかな表情で見つめていた。まさに、湖を眺めていた時の彼女に似ているような気がした。
ふたりはイブの気持ちに思いを馳せる。
レオンもいつの間にか微笑んでいた。
再び訪れる静寂。
きっと、これもまた、至福の時間に違いない。
ひとしきり観賞が済んだ後、ステラはそっと両手を伸ばして、慎重な手付きでアーツに触れる。それを持ち上げたままこちらを見るので、レオンが頷いてみせると、彼女は緊張した面もちで、細い鎖を首に回し始めた。
「ど、どうですか?」
ネックレスを身に着けたステラが、上目遣いで尋ねてくる。
一瞬、今どういう意見を求められているのかで悩んだ。ファッション的にどうなのか聞かれても、レオンには気の利いたアドバイスはできそうもない。
しかし、結局、思ったまま言うことにした。
「似合ってるよ。見習い卒業おめでとう」
彼女は照れたように頬を染めて俯く。それを見ているレオンも、急に気恥ずかしくなって目を逸らした。今日はこのパターンが多い気がする。
ところが、それも一瞬だけのことだった。
「でも・・・」
不安げな様子でステラがこちらを見据える。
「アーツがなかったら、レオンさん、見習い卒業が認められないんじゃ・・・」
まさにその通りだ。普通のダンジョンのクリア証明が魔石であるように、魂の試練場のクリア証明がアーツ。それを持ち帰ることができなければ、いくらクリアしたと主張しても認めて貰えない。
魂の試練場がクリアできなければ、一人前の冒険者としても認められない。
冒険者になれなければ、ステラと一緒に旅をするという約束も果たせない。
少し前の自分なら、前世がないというこの境遇を恨んで、途方に暮れたかもしれない。打ちひしがれて、村に帰ろうとしたかもしれない。
だけど、今のレオンは違う。
「ユースアイに戻ったら、ケイトさんやガレットさんに相談してみるよ」
なるべく頼もしく見えるように、力強く頷いてみせる。
それから、はっきりと告げた。
「僕はまだ諦めてないよ。ステラと一緒に旅をして、もっと強くなって、ユースアイの人達に恩返しがしたい。この気持ちは何も変わってない。前世がなかった程度のことで、そう簡単に諦められるような夢じゃない」
ステラは青い瞳を見開いて、じっとこちらを見つめている。
だけど、もう不安そうには見えない。
彼女の不安を振り払えるくらいには、頼もしくなれただろうか。
レオンはもう一度微笑んだ。
「ステラは、どう?」
「え?」
「僕のせいで、いろいろ迷惑をかけるかもしれない。ステラだけだったら、何の問題もなく冒険者として活動できるだろうから、すぐに旅に出ることだってできると思う。だから、それがいいなら・・・」
「いえ」
この時には、ステラももう微笑んでいた。
「私も諦めません。レオンさんは私のパートナーですから。どれだけ苦労することになったとしても、同じ場所を目指す以上は一緒にいます」
「・・・そっか」
なんとなく、そう答えてくれるだろうと思っていた。でも、実際に言葉にして貰えると、やっぱり嬉しいものだ。
「でも、やっぱり私、ダメですね」
ところが、不意にステラが苦笑いしながらそう言ったので、レオンは戸惑った。いったい何がダメなのだろう。
「どうして?」
「だって、本当なら、私がレオンさんを支えてあげないといけないのに、私の方が沈んでしまって・・・パートナー失格ですね」
「そんなことは・・・」
「レオンさんこそ、私なんかでいいんですか?」
そこでレオンは意表を突かれた。ステラが、珍しい表情でこちらを見据えていたから。
基本は、不安げに返答を待つ女の子の顔。だけど、その口元が中途半端に綻んでいて、微妙にアクティブな印象も含んでいる。
その意味を解読するなら、こうだろうか。
正直な気持ちを聞かせて下さい。
でも、嫌だと言ったら遠慮なく怒ります。
なんとなくデイジーが使いそうな、含みのある表現。ただの少女じゃない、懐に何かを忍ばせた大人の話し方だ。
気付かないうちに、こういうところも成長していたらしい。
思わず吹き出しそうになる口をなんとか堪えて、レオンは答える。今日は笑い通しだ。悲しいことなんて、ひとつもなかった。
ここに来て、冒険者を目指して、本当によかった。
「もちろん。これからも、一緒に頑張ろうね」
「はい」
返ってきたのは、今までで一番眩しい笑顔だったかもしれない。涙の跡はもうどこにも見当たらなかった。
「じゃあ、今度こそ帰ろうか」
「ですね。帰りましょう。ユースアイに」
ふたりはもう一度自分の台座を眺める。ここに来るために、長いようで短い期間、ずっと訓練してきたのだから、感慨深いものがある。特にステラは愛おしげにも見える表情で、表面をそっと撫でていた。
後生の自分がやってくるのを、ずっと待ち続けてくれていた魂の秘宝。
レオンの場合、確かにアーツはなかったけれど、この台座はあったのだ。つまり、ひとりの人間としては認めてくれているということではないか。或いは、何もないこの空間が、ひとつの贈り物だったのかもしれない。
前世がなくても、生きていけるはず。
いつかリディアにも尋ねられたことがあるその問いに、今ならはっきりと頷ける気がした。
ひとしきり部屋を眺めてから、ふたりはそれぞれの荷物を背負い直す。
もうここに来ることもない。
最初で最後の、魂の試練場。
「あれ?」
ところが、そこでステラのそんな声が耳に飛び込んできた。隣に視線をやると、彼女はキョロキョロと床の上を確認している。
「どうしたの?」
何か無くし物だろうかと思ったが、そうじゃなかった。
「いえ・・・あの、ソフィ、知りません?」
そう言われて初めて気がついたが、いつの間にか、白い妖精の姿がどこにもなかった。
狭い部屋なので隠れようもない。そして、出口も入ってきた階段がひとつだけ。カーバンクルの像がそちらを見ているから、地上に続く階段のはずだ。
「待ちくたびれて、先に出ていったとか?」
「でしょうか・・・」
半信半疑といった様子で答えるステラ。その間も、視線は部屋のあちこちをさまよっていた。もしかしたら、何かしら不安を感じていたのかもしれない。
しかし、どこをどう見てもいないものはいないので、外に出る以外にない。
「とにかく一旦出よう。多分、外で待ってるんじゃないかな」
「・・・ですかね」
あまり納得している感じではなかったものの、見つからないのだから仕方ない。結局、ステラも見つけだすのを諦めて、ふたりで階段を上がり始めた。
魔法の明かりがあるので薄暗くはない。だけど、気のせいか、少し重苦しいムードだった。
その道中で、ステラが不意に呟く。
「そういえば、ソフィと初めて会ったのは、ダンジョンの中でしたよね」
「あ、うん・・・」
どういう意味だろうと考える。だけど、しばらく待っても、ステラからその解説が告げられることはなかった。
カーバンクルは導きの妖精。
不意にそんなフレーズが頭に浮かぶ。
魂の試練場の奥で、冒険者をアーツの場所まで案内してくれるのがカーバンクル。レオン達の場合、その案内役がソフィだったということになる。ただ、ソフィは魂の試練場どころか、初めてふたりでビギナーズ・アイをクリアした日からいたわけで、ただの案内役にしては長い付き合いのような気がした。
いや、レオンがソフィを初めて見たのは、もっと前。
ホレスに初めて笛を聞かせて貰ったあの日、導きの泉の前でソフィが待っているような幻影を確かに見た。
あの泉は、最初に会ったビギナーズ・アイの泉だった気がしたけれど、今思うと、もしかしたら違ったのかもしれない。
その奥に、台座の一部が見えたような、見えなかったような。
しかし、よく思い出せないうちに、上がり階段は終点を迎える。
途端にレオンを包み込んできたのは、行きの時とは明らかに違う、ひんやりと湿った冷気。それだけで、レオンには何が起こったのかすぐに分かった。
事実、階段を上りきると、想像通りの光景が広がっている。
ただ、遅れて上がってきたステラにしてみれば、それは初めての光景だったに違いない。
「うわぁ・・・!」
彼女の顔が感動の色に染まっていく。
その青い瞳に移るのは、一面の雪景色。
木々も草原も道も、全て清楚な純白。まさに雪化粧と呼ぶに相応しい、うっすらとだけ積もった淑やかで清廉な雪模様。ただし、どういうわけか空は綺麗な青空で、この雪を降らせたはずの雲はどこにも見当たらなかった。珍しい景色だ。
白く染まった地面が、鈍い冬の日光を反射して、きらきらと輝いている。
清冽な冷たい空気が、あらゆるものを浄化しているようにすら思えた。
「綺麗・・・」
レオンの隣まで進みながら、うっとりとした顔で、ステラは呟く。荷物は既に下ろしてしまっていた。
実際、レオンも綺麗だと思った。
本格的な冬にやってくる荒れ狂う吹雪とは全く違う、大地をしっとりと包み込むような穏やかな光景。しかも、これだけ広大な場所で見たのは、レオンも初めてだ。村に降る雪とはまた違った趣がある。
しばらく黙って、その絶景を、ただ眺めていた。
「あ、でも・・・」
不意にステラが沈黙を破り、辺りを見渡す。何を探しているのか、レオンもすぐに分かった。同じように周囲を観察してみるが、やはり、妖精の姿は影も形もなかった。
不死の存在として、人間よりもずっと長生きしているカーバンクル達。その意図や行動を人間が推し量るのは難しいことかもしれないが、今はなんとなく、レオンの脳裏に浮かぶ言葉があった。
役目は終わり。
あとはふたりでも大丈夫。
そう言ってくれているのかもしれない。
気付くと、ステラはどこか寂しそうな表情で、こちらを見つめていた。
「・・・もしかしたら、これ、贈り物かもしれないですね」
「え?」
「ソフィから、最後の・・・」
新雪と同じ色をした妖精から、見習い卒業の祝福の証。
確かに、そうかもしれない。
途端にステラはまた泣きそうな顔になる。だけど、今度は何とか堪えているようだった。それでも、ひとつ何かがあれば、それだけで崩れてしまいそうな危うい表情だ。
泣いたっていいのに。
それがステラの優しさなのだから。
レオンは彼女から視線を逸らして、遙か先にあるユースアイの方角を見つめた。こうしておけば、そっと涙を拭っても、誰にも見られることはないだろうから。
だけど、その時。
視線の反対側、つまり、北の山の方から、聞き覚えのある笛の音色が流れてきたのは。
ふたりは顔を見合わせて、すぐにそちらを向く。もっとも、すぐ目の前に山の斜面が迫っているので、何か見つかるわけもない。そもそも、笛の音色はかなり遠くからのもので、少し見渡した程度で見つかるわけもないことは明白だった。
だから、結局は、黙って聞き入るよりない。
素朴でゆったりとした、ともすれば子守歌にさえ聞こえそうな、のどかなメロディ。
だけど、のっぺりとしたその単調な音も、聞き入れば聞き入るほど新たな情緒が浮かび上がってくる。見れば見るほど引き込まれるようだった、あのステラのアーツと同じような、不思議な感覚。
ステラがホレスから教えて貰っていた、あの曲だ。
「そういえば・・・」
ふと気になったことがあって、レオンの口が勝手に動いていた。澄んだ表情で目を閉じて、笛の音に聞き入っていたステラが、その瞳を開けてこちらを見つめた。
「何ですか?」
「結局、ソフィって誰だったの?」
その問いに答えられるのは、あの純白の妖精を除けば、恐らくステラだけだ。多分としか言えないが、ソフィに何かの記憶を見せて貰っていたはずだから。
最初は驚いた顔をしていたステラだったが、すぐに微笑んで頷いた。
「ソフィアは、イブさんの幼なじみの名前です」
そこで彼女は、胸のアーツをそっと握って、思いを馳せるように瞳を閉じた。
「雪のように真っ白な肌をした明るい女の子で、きっと、私にとってはベティみたいな、ぐいぐいと前に引っ張ってくれる親友でした。いろいろな物に名前を付けるのは、元々はソフィアの癖だったんです。だから、彼女が亡くなってしまってからは、それを真似して・・・」
「・・・亡くなったの?」
ステラはすぐに頷く。どこか寂しげな微笑みだった。
「元々、病弱だったんです。そんなことを感じさせないくらい、明るい子だったみたいですけどね。イブさんは、そんな親友の体を治してあげたくて、魔法の勉強をしていたんです。でも、結局、ふたりが7歳の頃に、ソフィアは亡くなってしまって・・・」
伝説のサイレントコールドに、そんな幼なじみがいたなんて、初めて聞く話だった。ステラはもちろん、フィオナやレオンの母親もサイレントコールドが前世なはずなのに、誰もそんな話をしていない。聞く限りでは、相当大事な友達だったはずなのに、それでも記憶に現れないのが普通なのだろうか。
その当然の疑問に、何も聞かずとも、ステラがすぐに答えを示してくれた。
「イブさんは、ソフィのことをいつだって覚えていました。ただ、私達には分からなかっただけなんです」
「え?」
不意にステラは、雪の積もった草原を見つめる。
「こういう景色を見て、心を奪われている時、それだけじゃない何かが、胸に突き刺さるようにして伝わってくるんです。その気持ちが、私には分かりませんでした。でも、ソフィが記憶を見せてくれてから、ソフィアのことを思い出してるんだって気付いたんです。真っ白で、まっさらで、どんなものを見てもいいところを見つけてしまう。空や森や動物、自然の綺麗なところを、全部教えてくれた、大好きだったソフィアのことを思い出してるんだって。こうやって、彼女が好きだった自然を眺めていれば、彼女と一緒にいられる。あの頃みたいに、一緒に笑っていられるはずだからって。それがあまりに自然に、イブさんの心の奥深くにまで当たり前のように結びついていたから、私達には見えなかっただけなんです」
自然と触れていれば、大好きだった幼なじみと、ずっと一緒にいられる。
大好きだった自然の中に、彼女はずっといるはずだから。
もしかしたら、この辺りの狩人のルーツは、サイレントコールドにあるのではないかと、レオンは思った。ホレスが話してくれた狩人の理念と、今ステラが話してくれたイブの考え方は、とてもよく似ている気がする。
実際、イブに縁のあると推測していた曲をステラに伝授してくれたのはホレスだ。その曲を、彼はこの辺りではよく知られているはずだと言っていた。イブがよく吹いていた曲が、そのまま何百年もの時を越えて伝わっていた可能性がなくはない。
気がつくと、その笛の音も止んでいた。辺りには、時折思い出したように、鳥や動物の鳴き声が響くだけだ。
どことなく、うら寂しい季節。
だけど、イブにとっては、真っ白な肌と心を持つ幼なじみをより近くに感じられる、大切な季節だったのかもしれない。
レオンも、ステラと同じように、純白の雪原を見つめた。
この景色と全く同じ色をした妖精は、何を思って、自分達に付き合ってくれたのだろうか。
ひょっとすると、危なっかしい後世の親友を見かねて、世話を焼きたくなっただけなのかもしれない。ベティのような性格だったのなら、あり得ない話じゃない気がする。
だとすれば、きっと、今も自然のどこかで見守ってくれているはずだ。
「・・・帰ろうか」
どこか清々しい気持ちで胸がいっぱいになったところで、レオンはステラへ振り向く。彼女もまたこちらを見て、小さく頷いた。
「そうですね。帰りましょう」
いつまでも落ち込んでいたら、きっとソフィに呆れられてしまう。それよりも、立派に一人前として活動した方が、妖精も喜んでくれるはずだ。
ソフィはいつでも一緒だから。
イブのそんな声が聞こえた気がした。
ところが、まさにその時だった。
妙に重々しい、もさっという音がすぐ近くから響いてきた。ちょうど、石段を下りたすぐ目の前辺りからだ。
もちろん、レオンもステラも、すぐにそちらに視線を送る。
そして、必然的に目が合う。
真っ白な雪の中からひょっこりと現れた、紅い双眸と。
いいようのない沈黙があった。
「・・・ソフィ?」
唖然という感じで、レオンが呟く。
すると、純白の妖精はあっさり雪の中から這いだすと、何事もなかったかのように、こちらに真っ直ぐ歩いてくる。まさに、お姫様のような勿体ぶった足取りで。
レオンとステラは、顔を見合わせるよりなかった。
さっきまでのしんみりした空気は、いったいなんだったのか。
「ソフィ、どうして、あんなところに・・・」
釈然としない顔で妖精を見つめながら、呟くステラ。ある意味当然の疑問だ。かくれんぼでもしてない限り、雪の中に埋もれている理由なんてありそうにない。
しかし、そこでレオンはピンときた。
「もしかして・・・そこで日向ぼっこしてた、とか?」
そして、うたた寝している間に雪が降ってきて、いつの間にか埋もれてしまっていたという可能性。人間なら寒さで気付くところだが、妖精ならあり得なくもない気がする。
また気まずい沈黙。
悠長に歩いているのは、当事者のはずの妖精だけだった。
「ま、まさかぁ・・・だって、さっきまで一緒にいたじゃないですか。アーツの部屋まで案内してくれた後は、確かにいつまで一緒だったか記憶が曖昧ですけど、でも、その後ここまで戻って日向ぼっこしても、雪が積もるほどの時間はなかったはずですよ」
ぎこちない笑みのステラ。多分、必死にそう思い込もうとしているに違いない。
だけど、レオンが閃いたのは、その前提が間違っているという発想である。
「だから、下で合った妖精は、ソフィじゃなかったってことじゃない?」
ステラの青い瞳が何度か瞬いた。明らかに、意表を突かれた様子だ。
「え・・・だ、だって、どう見ても、ソフィと同じ色でしたよ?確か、カーバンクルって、同じ色の個体はいないはずですし」
「でも、それ、ちゃんと確かめたわけじゃないし、それに、あの時の妖精がソフィだとしたら、妙に余所余所しい感じがしなかった?」
「あ、いえ、その・・・それは、まあ、確かに」
微妙にショックをうけていた様子だったので、否定できないところなのだろう。しかし、ステラはまだ半信半疑といった様子だった。或いは、混乱の一歩手前と言うべきか。
そうこうしているうちに、純白の妖精は、レオンの目の前で立ち止まると、入った時と同じように、行儀良く座って、紅い瞳をこちらを向けた。背景を除けば、あの日、最初に見た幻影と同じ体勢だ。
そして、何を言うでもなく、示すでもなく、ただ何かを待っている。
きょとんとした顔でそれを見るふたり。
相変わらず、何をしたいのか全くの謎。そもそも、ずっとここで待っていたのか、それとも、もう少し付き合ってやろうと気が変わったのか、そこからがよく分からない。そして、恐らく、ソフィにわざわざ説明するつもりもない。
ただ、よくよく考えてみれば、そんな事実が重要なわけでもなかった。
レオンとステラは視線を交わす。
互いに何が言いたいのかは、それだけで伝わった。
自分達の夢。
冒険者としての新たな目標。
仲間にも確認しないと。
「ソフィ、一緒に来る?」
仲間の妖精の眼前に、レオンはいつものように右手を差し出す。
一緒に旅をして、世界を見に行こう。
もっと強くなって、お世話になった人達に恩返ししよう。
この夢を一緒に歩いてくれるなら。
純白のカーバンクルは、その紅い瞳で、じっとレオンの顔を見上げる。
やがて、その場所に浮かんだ微笑みを存分に確かめてから、妖精は慣れた軽やかな足取りで、その右腕を駆け上っていった。