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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第1章 自治都市ユースアイ
11/114

支える瞳


 昨日の雨の影響なのか、それともいつもこうなのか、湿っぽい空気が漂う場所だった。

 平原にぽつりと建っている、廃屋と呼んでも差し支えない小屋。むしろ、建物というよりも、休憩所と呼んだ方がいいかもしれない。誇張でもなんでもなく、四隅の柱に屋根が乗っているだけの建物である。昔はちゃんとした壁があったのかもしれないと想像が出来るくらいには壁らしき物が残っているが、それもほぼ半壊状態。文句なしのオンボロ小屋である。

 ただ、そもそも屋根さえあれば十分だったのだろう。その小屋の中心あたりに、岩を加工して作ったらしい、地下扉がある。レオン達がいるのはその中だった。

 扉と同じ岩で出来た階段を下っていくと、まず事務室らしき部屋にたどり着く。テーブルやイスはもちろん、棚や水道もある。壁も床も石材だから、暖かみも何もないが、不思議と寒くはない。ろうそくの明かりが、厳かで幻想的な雰囲気を演出していて、ちょっとした非日常を味わえる不思議な場所だった。どこかで匂った事のあるつんとした香りが、うっすらと漂っている。

 レオンは、この部屋にひとつしかないイスに座らされて、ベティに傷の手当てを受けているところだった。彼女は狩人だからなのか、なかなか手慣れた様子だった。

「擦り傷とかはともかく、お腹は平気なの?」

 右手首に包帯を巻きながら、ベティが聞く。彼女は片膝をついた姿勢だった。その方が巻きやすいのだろうが、自分だけイスに座っているこの状況は、なんだか申し訳ない。

 一応、空いている左手で腹部に触れてみる。

「ちょっと変な感じですけど・・・痛くないので、たぶん平気だと思います」

 モンスターの巨大鋏によって、身体が吹き飛ぶくらい殴打された腹部だったが、骨はおろか、内出血している様子もない。違和感があるにはあるが、きっと打撲程度だろう。

 その返答に、ベティは少しムッとしたようだった。薄暗い上に陰になっているので、表情がよく分からない。

「そういうのは危ないと思うなー。町に戻ったら、一応医者に看て貰った方がいいよ」

「え?いや・・・そんなに大した事ないですよ。寝て起きたら元通りだと思います」

「痛くないって、無理してない?あんなに吹き飛んでたのに」

「いえ、全然」

「本当?ちょっと触ってみてもいい?」

「え、あ、はい・・・あの、拳を握るのはやめて下さい」

 そう言うと、ベティは笑った。どうやら突っ込み待ちだったらしい。あっさりと拳を引っ込める。

「そう言うベティさんこそ、大丈夫ですか?」

 最初に思いっきり突き飛ばしてしまったのが、レオンは一番気になっていた。だが、それがなかったとしても、突然モンスターに襲われたわけだから、動揺していてもおかしくない。

「私は平気。レオンのお陰で無傷だったからね」

 ベティは明るく答えたものの、少し元気がないような気がした。この場所の雰囲気のせいかもしれないし、自分が心配しているせいかもしれない。だけど、もちろんそれで納得出来るわけがない。

「・・・すみません。僕につき合ってもらったから、酷い目に遭わせてしまって」

 後悔の念でいっぱいのレオンだったが、ベティは優しい表情でそれに応える。

「それって逆だよね」

「え?」

「レオンがいたから助かったよー。ありがとう」

 思いも寄らない言葉だった。

 自分がここまでの道案内を頼まなければ、彼女が怖い目に遭う事もなかったのに。

「いや、そんな・・・」

 ベティはそこで立ち上がって、両手を腰に当てた。顔は優しいままだ。

「分かってないなー。ここまで案内してあげるって、私が請け負ったんだから、レオンが気にする事ないでしょ?それどころか、あんな大きいモンスターを相手に私を守ってくれたんだから、ありがとうっていうのが普通じゃない?」

「守ったっていうか・・・あんまり守れてませんでしたけど」

 事実、自分だけだったら完敗だっただろう。

 ベティはそこでにやりと笑う。

「そうだねー。レオン、あんまり強くなかったね」

「・・・ですよね」

 武器や鎧がなかったとは言える。だけど、それは言い訳というものだろう。準備万端だったとしても、あの目眩ましの魔法を使われたら、負けていた可能性が高い。

 がっくり肩を落とすレオンに、ベティは顔を近づける。

「でも、格好良かったよ」

 思わずドキッとするような大人びた声が、耳元で囁かれる。

 当然というべきか、レオンはこれ以上ないくらい慌てふためいた。元々バランスの悪かったイスごと、後ろに倒れ込む。

 そんな過剰反応に栗色の瞳を大きくしたベティだったが、すぐに笑顔に戻る。

「ダメだなー。こっちは全然免疫出来ないねー」

「・・・お願いですから、僕で遊ばないで下さい」

 身体とイスを起こしながらレオンが言った。とにかく心臓に悪過ぎる。目眩ましの魔法なら視界だけで済むが、こちらは思考が止まるからもっと質が悪い。 

 ベティは悪びれる様子もなく微笑んだままだった。

「いいでしょー?だって、格好良かったのは本当だし」

「格好良くないですよ。というか、格好良かったとしても普通に言って下さい」

「さっきのは普通だと思うなー。なんなら、普通じゃない方を聞いてみる?」

「・・・すみません。さっきのが普通でした」

 レオンはすぐに折れた。これ以上の衝撃は心臓が保たない。

 それで満足したのか、ベティは一息吐いて、この部屋唯一の木製の扉の方を見る。その扉の向こうにある物が、この地下空間で最も重要な物なのだ。

 即ち、ウイスキーの蒸留所。

「それじゃあ、治療も済んだし、ホレスに挨拶しよっかー」 

「あ、そうですね。さっきのお礼もしないといけないし」

 レオンは立ち上がりながら同意する。

 その言葉を聞くと、ベティは何も躊躇せずにその扉の方に向かう。彼女は子供の頃からここに出入りしているのだ。十分に勝手知ったる場所だと言えるだろう。

 彼女の後ろに、レオンも続く。

 木の扉の向こうに入ると、そこはまさに酒蔵といった様相だった。

 先ほどまでいた事務室らしき場所もそこそこの広さがあった。生活しやすいかはともかくとして、広さだけなら十分一人暮らし出来る程である。だが、こちらの酒蔵の方を見ると、それも氷山の一角だった事が分かる。

 とにかく目に入るのは、棚によって綺麗に整列された酒樽の山だった。人1人が入れるくらいの大きさの樽が、横倒しの状態で所狭しと並べられているのだ。他にも、蒸留用の道具なのか、巨大な木製の器具や箱が積み上げられているが、それすらもほんの一部。とにかく酒樽だけで、ニコルのガレージはおろか、もしかしたら、ガレット酒場くらいのスペースは占拠されているかもしれない。もちろん、高さは一階分程度しかないのだが、広さは相当な規模のものだ。

 その酒樽を収納している棚。それによって通路が仕切られているようなものだが、扉のすぐ正面の通路の奥に、1人の男が壁にもたれて座り込んでいる。どちらかというと、しなだれかかっているという感じかもしれない。足を投げ出して、どこか気の抜けた感じでぼんやりと近くの酒樽を眺めているように見える。

 正直、レオンには違和感があり過ぎた。さっきの神業の射手はどこに行ったのか。もしかして双子の別人だろうか。

 一応周囲を見渡してみる。もちろん、視界のほとんどは酒樽によって遮られているのだが、他の人の気配はなさそうだった。

 そんなレオンをさし置いて、ベティはさっさとその男性の方へ歩いていく。しばらくしてからそれに気付いて、レオンもその後に続いた。

 たどり着くまでの十数秒間。男は微動だにしなかった。

「ホレス。さっきはありがとう」

 ベティが抑えめの声で言う。 

 その声に、ようやくその男はこちらを向いた。

 なんというか、恐らく中肉中背の人なのだ。むしろ、少し上背があるから、体格的には恵まれているはずである。だけど、どことなく彼が貧相に見えてしまうのは、ボサボサの髪と、年季が入り過ぎている服装、そして、まるで魂が抜けてしまったかのような、無造作な座り方のせいに違いなかった。 

 そんな彼の唯一の明るさ。それは間違いなく彼の瞳だった。

 髪に半分隠れているが、確かに彼の瞳は、右目だけエメラルドのような碧色。左目はベティと同じブラウンの瞳。

 瞳の色が左右で違う人がまれにいるとは聞いていたが、実際に見るのはこれが初めてだった。

「気にするな」

 ぶっきらぼうな声だった。不機嫌なのか、それともこれで普通なのか、レオンには判別しかねるところである。

 ベティはそんな口調にも構わず、親しげに会話を続ける。

「気にするなって言われても、気にすると思わない?ねえ、お礼は何がいい?」

「礼なんかされたら困る」

「別に困らないでしょー?キスくらいでいい?」

 一番動揺したのはレオンだっただろう。言われたホレスの方は無表情そのものだった。

「安売りするものじゃない」

「安売りじゃないでしょー?だって、命の恩人なんだし」

「命の恩人なら、そっちの彼の方だ。お礼なら彼にしたらどうだ?」

 とんでもない提案だった。

 密かに、いつでも逃げ出せるように準備していたレオンだったが、ベティはこちらを振り向きもしなかった。それどころか、どこか不満そうな口調になる。

「ホレスは、私がレオンにキスしてもいいわけ?」

「ベティの自由だ」

「何それー?私のフィアンセでしょー?」

 さすがに、レオンはその言葉を無視出来なかった。

「あのー・・・」

 ベティとホレスがレオンの方を向く。

「・・・今、フィアンセって言いました?」

「うん」

 あっさりと頷くベティ。

 レオンの頭の中では、なぜかフィアンセという言葉の定義を確認する作業が始まっていた。もしかしたら、婚約者という以外の意味もあったかもしれない。それどころか、もしかして、婚約者という意味だと思っていたのは自分の勘違いだったかもしれないと、そんな意味不明な疑問が頭の中を駆け巡っていた。 

 もちろん、そんな勘違いはない。

 それをどうにか受け入れた瞬間、レオンの身体は驚きの声をあげるべく、止まっていた空気を思いっきり吸い込んだ。

 そこに、男の声がタイミング計ったかのように水を差す。

「ここで大声は出すな」

 急な要請だったが、なんとか、声ではなく息を吐き出すにとどめる事が出来た。

 そんなレオンの様子を見て、ベティは可笑しそうに笑う。

「もしかして、レオンは私にフィアンセがいてショックだったのー?」

 言われてみて、腕を組んではたと考えてみたが、しばらくして首を捻る。

「・・・いえ、あんまり?」

 ベティは腰に手を当てる。だが、顔は笑っていた。

「それはそれで、ちょっと傷つくなー」

「あ、いえ。もちろん、驚きはしましたけど」

 フォローのつもりだったが、あまり意味をなしていなかった。

 そこでまた、ホレスの声が割り込む。

「フィアンセといっても、もう無効だ」

「無効・・・?」

 そう言われても、レオンにはよく分からない。

 その様子をみて、ベティが説明する。

「さっき、私のお祖父さんの話をしたでしょ?」

「あ、はい」

 あの後モンスターに襲われたわけだが、もちろん忘れてはいない。ここで子供だったベティにウイスキーの味を覚えさせたという、ある意味で罪な人である。  

「ホレスはね、そのお祖父さんのお気に入りだったんだよね。ちょっとした縁で知り合って、ここの手伝いをしてくれてたんだ。えっと・・・もう何年くらい前からだっけ?」

「15年」

 素っ気ない答えにも、ベティは慣れた様子だった。

「その頃はまだ私も小さかったから、ずっとお祖父さん1人だったんだよ。だから、きっと少し寂しかったんじゃないかな。息子がいれば後を継がせたかったんだろうけど、女の子ばかりだったし。だから、ホレスが手伝ってくれるようになって、きっと息子っていうか、まあ、後継者にしたいと思ってたんだよね。ホレスは見込みがあるって、よく言ってたし」

「俺はそれほどでもない」

「そんな事はいいの」

 ホレスの呟きにベティがすぐさま言い放つ。手慣れた会話で、本物の兄妹みたいだった。

「それで、ずっとお祖父さんとホレスが2人でここを切り回したんだけど、3年ちょっと前くらいに、お祖父さんが体調を崩しちゃって、まあ、なんていうか・・・もう仕事には戻れないって事になっちゃったんだ。もういい歳だったからね」

 ベティの表情は明るいが、どこか笑顔になりきれていない。まだ3年程しか経っていないのだから、無理もない。その人とベティには思い出がたくさんあるようだから、尚更である。

「あの、ベティさん。別にいいですよ。僕、そんな話になるとは思わなかったので・・・」

 レオンの言葉に、ベティは少し照れたような笑みを浮かべた。

「いいのいいの。えっと・・・あ、そうそう。それで、いよいよ最後って時に、何かお祖父さんを喜ばせたいと思ったんだよね。それなら、ホレスがここの後継ぎになるって事が決まれば、安心出来るだろうなって思って、もう思いついたその日に、ホレスのところまで行って、すぐに病室まで連れて行って、私達婚約しましたーって」

 なんというか、子供みたいな話だが、レオンは素直にベティらしいなと思った。呆れるよりも前に、思わず笑ってしまった。

 ベティもそれにつられたようで、いつもの笑顔に戻った。

「あの時は、私はまだ結婚出来ない歳だったからねー。もう1年遅かったら、勢いで結婚してたかもしれないなー。ホレスも別によかったでしょ?」

「そうだな」

 当たり前みたいに聞いたら、当たり前みたいな答えが返ってきた。

「いや、あの・・・結婚ですよ?」

 レオンが怖ず怖ずと確認すると、ベティはきょとんとした顔をする。

「そうだけど?」

「えっと・・・結婚ってあれですよね。夫婦になるっていう」

 また言葉の定義をついつい確認してしまう。

「当たり前でしょー?他にケッコンっていったら、すぐに拭き取ったらそうでもないけど、後になったらこびりついて取れなくなる、お父さんの喧嘩の後にいつの間にか増えてるあれの事くらいじゃない?」

 ベティにしてみたら、確かに血痕はそういう物かもしれない。

「そうじゃなくて・・・普通は、結婚って好きな人同士がするものですよね?」

 その質問に、ベティは真顔で答えた。

「私、ホレスの事好きだけど」

 何の偽りも感じられない、堂々とした宣言だった。

 ベティはホレスの方を向いて聞く。

「ホレスも私の事好きでしょ?」

「そうだな」

 またもや、当たり前みたいな会話だった。

 レオンはたっぷり間を空けてから、慎重に言葉を選んで聞いた。

「・・・あの、僕が気付いてないだけで、ベティさんとホレスさんは恋人同士なんですか?」

「ううん」

「違う」

 同時に、同様の答えが返ってきた。

 レオンはなんとか、納得のいく答えを導きだそうとする。

 その数秒後にはあえなく破綻したのだが。

「・・・すみません。僕にはついていけないみたいです」

 正直に敗北宣言する。

 2人がどういう関係なのか、さっぱり分からない。

 あっけらかんとした口調で、ベティは言った。

「それよりも、レオンはここに来た目的を忘れてないー?」

 そうだった。すっかり忘れていたのは事実だが、今ならすぐに切り替えられる。とりあえず、現在の摩訶不思議な難題を忘れ去りたいという思いが強過ぎる。

 レオン本人が聞く前に、ベティが勝手にホレスに尋ねた。

「ホレスー。レオンが弓と笛を教えて欲しいんだって」

 全く見当違いではないが、かといって正解とは言えない。正確には、狩人としての戦闘について、アドバイスして欲しいというのが正しい。

 だが、レオンが訂正するより前に、ホレスの答えがあった。

「いいだろう」

 こちらを見るわけでもなく、隣の酒樽を見つめながらの返事。

 わずか数秒で、話がまとまった。

「よかったねー」

 ベティの言葉はとりあえず置いておく事にして、レオンはホレスに確認した。

「いや、あの・・・いいんですか?」

「ああ」

「こういうのもなんですけど・・・お忙しいんじゃないですか?」

「暇な日もある」

「そうかもしれませんけど・・・別に僕の為に使わなくても」

 そこでホレスはこちらを向いた。向いたのは碧の右目だけだったが、それだけで彼の全てがこちらを向いたような、それほどの存在感があった。

「レオンだったな」

 やや気圧されながらも、レオンは頷く。

「は、はい」

「ベティの命の恩人だ」

 意外な一言である。ベティに言われた時も戸惑ったが、ホレスの口からその言葉が出るのは尚更違和感があった。

「いえ、僕は何も・・・助けたのはホレスさんですよ。どちらかというと、ホレスさんが僕の命の恩人です。本当にありがとうございました」

 その言葉にも、ホレスの碧の瞳は微動だにしない。

「俺はとどめをさしただけだ。俺がいなくてもベティは逃げられた。だから、助かったのはレオンのお陰だ。本当に感謝している」

 全然感謝している口調でも体勢でもない。だけど、きっと不器用な人なのだろうとレオンは思う事にした。

「逃げられたかは分かりませんけど、ベティさんがここまで来たのは僕が頼んだからなんです。だから、あれくらいは当然というか・・・本当は、見習いとはいえ冒険者なんですから、倒せないといけないんですけど」

「ダガーを使っていたな」

 突然の話題変更に、戸惑いつつも頷く。

「え?あ、はい・・・まだ習いたてですけど」

「アレンに言われたのか?」

「そうですけど・・・」

「なるほどな」

「・・・はい?」

 そこでホレスはベティの方を向いた。

「ベティ。これからはレオンと一緒に来い」

 何の脈絡もない言葉だが、やはり慣れているのか、ベティはすぐに答える。

「それはいいけど、毎回一緒は無理だと思うよ。レオンはこれからダンジョンにも挑戦し出すから、結構忙しくなると思うし」

「・・・分かった。遅いようだったら俺が迎えに行く」

「ホレスが?それって、私を心配してくれてるの?」

「当たり前だ」

 ベティは照れたように苦笑する。ホレスの前ではよく見せる表情なのかもしれない。

「そんなに心配しなくてもいいよー。あんなモンスターはそうそう出ないと思うし。だいたい、今まで出た事なかったしね」

「一応だ。絶対に1人では来るな」

「はいはい。心配性だねー」

 諦めたようなベティの口調。お互いの事をよく知っているのだろう。会話を聞く度に、その印象が強くなっていく。

 そこでふと、2人の関係が分かった気がした。

「レオン」

 ホレスの声に、レオンの思考は中断された。

「あ、はい」

「狩人としての弓という事なら教えられる。ベティの護衛を頼むようで悪いが、俺のところまで来て貰えれば出来るだけの事は教えよう。元々、野外でしか教えられない。わざわざ出向かせるようだが、理解してくれ」

 その言葉で、レオンの推測はほとんど確信に変わった。

「いえ、教えて貰えるだけでも十分です。それで、あの、ホレスさん」

「どうした?」

「ホレスさんにとって、ベティさんってどんな存在ですか?」

 回答はやはり早かった。

「幼馴染み。それか、妹か。いずれにしても大切な人間だ」

 やっぱりそうだった。恋人というよりも、そちらが近い。ある意味夫婦にも近い存在なのかもしれない。家族同然の付き合いという事なのだろう。

 そこで、ベティの声が響く。

「恥ずかしい事聞くよねー。そんな事確認してどうするの?」

 そちらを見ると、どこかにやけた顔をしていた。からかう気満々である。

 どう答えたら被害が最小限で済むだろうか。そう思案していた時、ホレスが不意に、懐から笛を取り出す。オカリナに似ているが、穴が少ないように見える。片側しか見えないが、2カ所しか確認できない。薄苔色の不思議な楽器だった。

「あ、吹いてくれるの?」

 ベティのどこかわくわくとした声。

「ああ」

「こんな時間に珍しいね」

「今日は特別だ」

 その言葉に、ベティは微笑んでレオンの腕を掴んだ。

「何ですか?」

「いいからいいから。座って座って」

 腕を引っ張られて、強引に床に座らされる。石材だから冷たいかと思ったが、意外にも少し熱を持っていた。

 2人並んで、ホレスの方を向く。演奏者の方はというと、笛に口を当てて、じっと目を瞑ったまま動かない。精神統一しているのだろうが。

「ホレスはね、よくウイスキーに笛の音を聞かせてるんだよ」

「・・・どうしてですか?」

「味が良くなるんだってさー。だから、ここも大声厳禁なんだよ」

「へえ・・・」

 聞いた事のない話だったが、職人が言うのだから、きっとそうなのだろう。

 そこで突然、笛をくわえていたホレスが口を開く。目は瞑ったままである。

「これはウイスキーの為じゃない」

 ベティは笑顔でそれに返事をする。

「じゃあ、何の記念?」

「記念じゃない」

「あれ?レオンとの出会い記念じゃないの?」

「それもいいが、観客はもう1人いる」

 少女の瞳が一瞬大きくなる。

「・・・へえ。珍しいね」

「これくらいしか出来ない」

「本当に心配性だなー」

 今日何度目かの、ベティの照れた声。

 それを受け止めるようにして、笛の音がその片鱗を見せ始める。

 決して高くはない、身体に直接響いてくるような素朴な音。それをどこか寂しげな旋律で彩るのだが、不思議と暗い印象は全くない。

 悠久の自然に、或いは母の腕の中に抱かれるような、心休まるメロディ。身体中を癒しの音色が包み込んでいく。

 その笛の音に酔いしれながら、レオンは演奏する青年と隣に座る少女を見た。

 さっきの会話を思い出す。

 通じ合った2人の会話だから推測で補うしかないが、やはり兄妹だと考えると分かり易い。兄は、明るく振る舞っている妹の事が心配なのだろう。あんな体験をすれば、本当は辛かったはずなのだ。その心の負担を和らげる為の演奏なのではないだろうか。そんな優しさそのものの音色に聞こえる。

 家族。

 笛の音にのせて、レオンも自分の村に思いを馳せる。まだ村を出て半月程しか経っていない。ホームシックになるには早過ぎるが、この2人を見てこの音色を聞くと、否応なく故郷が恋しくなってくる。

 だけど、それにはまだ早過ぎる。

 ついさっきの戦いを思い出す。文句なく、自分の完敗だった。次に戦う事になった時、自分は勝てるだろうか。もし傍に誰かいたら、その人を守れるだろうか。

 逆の懸念もある。あの時ベティがいなかったら、自分は針の攻撃を避けられなかっただろう。彼女の声があったから、咄嗟に避けられたのだ。それだって、確信があったわけではなく、ほとんど勘みたいなものだった。

 あんなのがダンジョンにはうようよしているのだろうか。

 そんな場所で、自分はたった1人でも生き残れるのだろうか。

 やめるなら今のうち。

 そんな考えが頭を過ぎった時だった。

 最初はそういうメロディーなんだと思った。

 だけど、違った。

 笛の音が次第に遅くなっていく。音色だけではない。他の音も、感覚も、時間でさえ、勢いを失っていくのだ。ゆっくりと、だが確かに停滞していく世界。

 それを認識していたレオンだが、どういうわけか身体が動かなかった。意識だけが遠くから見ているような感覚。

 そしてついに、時が止まる。

 だが、それも一瞬だけだった。

 気付いた時には、時は元に戻っている。

 笛の音は元の旋律のまま。

 ホレスは目を閉じている。ベティはこちらを見ていない。何も気付いてないようだった。

 だけど、レオンは確かに感じた。

 今何か起きた。

 そして、確かに見た。

 時が止まった一瞬。その時自分の視界を支配したのは、この蒸留所の風景ではなかった。

 そして、その場所でじっとこちらを見ている存在。

 行儀良く座って、じっとこちらを見ていたのは、白毛に紅眼のカーバンクル。

 今のは何だったのだろう。

 笛の音はまだ続いている。

 その癒しの旋律も、今のレオンの耳にはどこか遠くの音色のように聞こえた。

  


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