繋がる光
10層目へと続く階段の終わりが近付くと、いつもと同じ光沢のある真っ白な床が目に入る。
一応警戒しながら進んできたものの、やはりモンスターの気配はない。そうなると、出迎えてくれるのはあのカーバンクルの像、つまり、導きの泉だろう。いよいよ最後の試練だから、十分に休息をとることができるのはありがたい。思えば、昼食もまだだから、この辺りで補給しておきたいところでもある。
そんなことを考えながら、いよいよレオンが10層目に足を踏み入れようとした、その時だった。
「・・・え?」
「え?」
思わず戸惑いの声を発したレオンに対し、部屋の奥にいた人物も驚きの声をあげてこちらを振り返る。
白亜の妖精の像を挟んだ、そのまさに反対側。
その場所に立っていたのは、見慣れたブロンドの少女。いつもは繊細になびく髪が、今は妙にしっとりとしていて、元々印象的な青い色合いの瞳も見開かれて、一層強調されているようにも見える。
ただ、その次に目に留まったのが、彼女の服だった。
今日着ていたはずの白い魔導衣を、彼女は今、自分の両手で持っている。
そして、その代わりに彼女の華奢な体に巻き付いているのは、枯れ葉のような色合いのくすんだ毛布。
つまり、その、これは──
「ご、ごめん!」
何よりもまず、レオンはそう叫んで、階段を逆戻りし始めた。正確には、逃げたという方が正しいかもしれないが。
ただ、そこでステラの慌てた声が飛んでくる。
「レ、レオンさんダメです!出たら最初からやり直しに!」
「え・・・あ!」
また慌てて急制動をかけるレオン。確かに、ここまで来てやり直しになっては堪らない。
だけど、振り返るとまた、明らかに着替え中のステラの姿が目に入る。持っていた服を胸に抱え込んで縮こまっているのが、より一層、見てはいけないものを見てしまったという罪悪感をせき立ててくる。
進めばいいのか戻ればいいのか、混乱してきた。
「あ、いや、えっと・・・」
「と、と、と、とにかく、落ち着きましょう!」
「わ、わ、分かった。うん、た、確かに・・・」
視線をさまよわせながら、なんとかそう答えたものの、自分が落ち着いていないことは、自分が一番よく分かっている気がした。ステラの声もまた、明らかに冷静とは言い難い。
しかし、なんとかステラに部屋の端まで移動して貰い、そこで改めて服を着て貰った。その場所なら、階段にいるレオンには絶対に見えない。ただし、衣擦れの音は嫌でも届くので、その度に心臓に負荷がかかっていくのを感じる。
それでも、なんとかその重圧に耐え、ステラの「もう大丈夫です」の許可を得てから、ようやくレオンは最下層の導きの泉に足を踏み入れた。再び顔を合わせたステラと気まずい思いをしながらも、ひとまず、互いにここまでこられたことを喜び合う。
「さすがレオンさんですね」
「いや、ステラの方こそ、やっぱり、僕より早かったみたいで・・・」
そんなぎこちない会話をして、ようやく調子が戻ってきたところで、これまでの試練について簡単に報告しあった。すると、ステラが着替えていたのは、全身に水を被ったからだということが判明したので、休憩も兼ねてここで暖をとることになった。ステラも昼食はまだだったので、ついでにそれも済ませることにする。今日は日帰りの予定なので、昼食はベティがお手製のサンドイッチを用意してくれている。
そんなわけで、ふたりで手分けして火の準備を始めた。それもあっという間に済んでしまい、すぐに泉の縁で和やかなランチタイムとなった。
その合間の話題も、先程クリアしたばかりの試練の話で持ちきりだった。
「へえ・・・じゃあ、ステラは本物の精霊だったんだね」
レオンの相手はあくまでも幻だったわけだが、ステラは本物の精霊を相手に見事勝利してみせたらしい。
本当に凄いという感心を込めて視線を送っていると、彼女は照れたようにはにかみつつ、あくまでも謙遜してみせた。
「ええ、まあ・・・でも、やっぱり手加減してくれていたんだと思います。本気だったら、水浸しでは済まなかったはずですから」
「そんな相手に真正面から立ち向かったんだから、凄いことだと思う」
「いえ、そんな・・・」
結局顔を朱くして視線を逸らしてしまうステラ。そこまで嬉しそうにされると、かえってこちらの方が恥ずかしい。
ところが、誤魔化すためにサンドイッチにかぶりつこうとした時、不意打ちのように、ステラが小声で言った。
「・・・レオンさんのお陰ですよ」
「え?」
驚いて目を丸くするレオンに、ステラは控えめながらも真っ直ぐな視線を送る。
「やっぱり、私、前世があるからジーニアスとして認めて貰えているんだって、心のどこかでそう思っていたんだと思います。でも、レオンさんは前世がなくても、自分は自分だって、頑張ってるじゃないですか。だから・・・」
「いや、それは僕だけじゃないよ」
彼女の言いたいことが分かって、レオンは敢えて言葉を遮って言った。
すると、少し遅れて彼女も、穏やかに微笑む。
「・・・はい。みんな、ステラはステラだって、認めて受け入れてくれました。だからあの最後の瞬間だけ、ほんの少しだけですけど、イブさんの枠から外に出られた気がします。私はイブさんじゃなくてもいい。ステラでいいんだって、そう思えたから」
最後の言葉を聞いて、レオンも自然と微笑むことができた。
いつだったか、ステラは偽りの名前なんだと告白してくれたことがある。だけど、レオンはもちろん、恐らくはベティもリディアもデイジーも、敢えて本当の名前を聞いたりはしなかったはずだ。ステラはステラでいい。レオン達にとってステラは、ただの飾りではない強い女性になりたいという思いで努力を重ねてきた、真面目で優しい女の子。それだけで十分だ。
だけど、レオンが以前の自分を認められなかったように、彼女もまた、心の底では、家から逃げ出してきたステラという存在を許せていなかったのかもしれない。それが今日、ほんのちょっとでも許してあげることができた。だったら、こんなにも喜ばしいことはない。
「レオンさんは、どんな試練だったんですか?」
すっかりいつもの調子に戻ったステラが、不意に小首を傾げながら尋ねてくる。
ガレットそっくりの体格と声をした、黄金の甲冑と戦ったということは、既に話している。そうなれば、彼女が尋ねているのは、もっと本質的な意味に違いない。
「うーん・・・」
半分ほど空きスペースのできたバスケットを見下ろしながら、レオンはしばらく考え込む。
どんな試練だったのか。
あの幻影はレオンが想像しているガレットであって、本物のガレットではない。だけど、もしこのダンジョンで戦うとすれば、アレンでもホレスでもなく、ブレットでもシャロンでもなく、彼が一番しっくりくる気がした。それは、幻影自身が話していた強さ基準ではなく、性格的に、それが最も彼らしいと思えたからだ。
そうだとすれば、或いは、レオン自身が、戦うならガレットがいいと思っていたのかもしれない。
見習いの甘えというものを、一喝で根刮ぎ吹き飛ばしてくれるような存在。
いつかベティが教えてくれたように、ガレットが自分のことを息子のように思ってくれているとすれば、レオンもまた、それに近い親近感を抱いているのかもしれない。思えば、ユースアイに来て初めて会った時から、彼になら任せられる、頼ることができると思った。最初に彼が力強く、1年間面倒みてやると言ってくれたからこそ、今の自分がある。
レオンにとって、ガレットは、ユースアイで出会ったもうひとりの父親。
だったら、あの試練の意味は、きっとこうだ。
「・・・しっかりしろって、言ってくれたんだよね。きっと」
顔を上げたレオンの視線を、僅かに目を細めたステラが優しく受け止める。
「・・・ガレットさんらしいですね」
「うん。だけど、やっぱりそれも、ガレットさんだけじゃない。一人前を名乗る以上は、本当にしっかりしたところを見せて、みんなを安心させないとね」
「私達、迷惑かけてばかりですからね」
「・・・だね」
本当にその通りだと思って、レオンは苦笑いする。ユースアイの人達にどれだけお世話になったのか、まさに計り知れない。
そこで不意に、レオンの脳裏に、ある日のベティの言葉が蘇った。
「あ、そういえば・・・」
「何ですか?」
水筒を持ち上げてきょとんとするステラに、レオンは尋ねる。
「ここをクリアした後のこと、ステラは何か考えがあるって聞いたんだけど・・・」
どういうわけか、そこで妙な沈黙があった。
固まるステラ。
そのリアクションに戸惑い、同じように固まってしまうレオン。
「・・・誰から聞きました?」
「えっと、ベティだけど・・・」
「ど、どの辺りまで・・・?」
「いや、ステラは将来のことをちゃんと考えてるって、それだけなんだけど」
「しょ、将来・・・」
何故か言葉を繰り返して、目が合うと赤くなって俯くステラ。レオンには益々意味が分からない。
彼女は、こちらに目を合わせるような合わせないような微妙な視線を寄越しながら、微妙に小さな声で、言い訳するように告げる。
「いえ、あの・・・しょ、将来とか、そんな大それた話じゃないんです。ただ、私なりに、そういうことをやってみたいというか、夢じゃないですけど、目標というか、何というか」
「ええと・・・とりあえず、聞いたらマズい話?」
「いえいえ!そんな、だ、大それたことじゃないんです!本当に!」
そこまで強調されると、物凄く綿密な人生プランが出来上がっているのかもしれないと思いたくなる。
しかし、ステラの必死さに気圧されながらも、それを両手を広げてなだめながら、ひとまずレオンは聞いてみることにした。
「もしよかったら、差し障りのない範囲でいいから教えてくれない?僕も将来のこと、ちゃんと考えないといけないから、参考にさせて欲しいし」
どういうわけか、恨めしそうな上目遣いで、軽く睨まれた気がした。
ただ、ステラはすぐに溜息を吐くと、一度自分のバスケットを見下ろしてから、再びこちらを見据えた。
「・・・本当に、大した話じゃないですからね」
レオンが頷くと、彼女も決心がついたのか、居住まいを正してから話し始めた。
「私、ユースアイを出ようと思います」
彼女の青い瞳は全く揺れていない。その色だけで、彼女の決心の強さが窺える。
もっとも、レオンはそれほど驚かなかった。彼女はいつか故郷に帰るはずだと思っていたからだ。夢を叶えて独り立ちした自分を家族に認めて貰うこと。それが彼女の夢のひとつでもある。
ところが、彼女の青い視線は、もう少し先まで見据えていた。
「もちろん、一度実家に戻って、ちゃんと報告するつもりですけど、それだけじゃなくて、私、もっと強くなりたいんです。ユースアイには確かに初心者用のダンジョンが揃ってますけど、それ以上に強くなろうと思ったら、やっぱり限界がありますから。もっといろんな町を巡って、いろんなダンジョンに挑戦して、もっともっと強くなりたいんです。それで、その・・・」
彼女は躊躇うように一瞬だけ視線を逸らしたものの、すぐにこちらを見つめる。
「・・・あの、最近、見つかったダンジョンがあるじゃないですか。北西の山脈の」
「あ、うん」
「その、それをクリアしたいと思ってるんです」
「え?」
さすがに少し驚く。
北西に発見されたダンジョンと言えば、最高難易度とも噂されるほどの破格の規模を誇るダンジョン。最初の層に、あのサソリ型クラスのモンスターがうようしていると言われ、見習いはおろか、並大抵の冒険者ではクリア不可能とも言われている。そこをクリアするというのは、見習い卒業もまだなひよっこには、明らかに遠すぎる目標にも思えた。
しかし、彼女の言葉には続きがあった。
「クリアするのは無理でも、せめて、その手助けができるくらいにはなりたいんです。1年か2年か、ひょっとしたらもっとかかるかもしれませんけど、でも、強くなったら必ずまたユースアイに戻ってきて、冒険者として、町の役に立てたらいいなって・・・」
「あ・・・」
そこまで言われれば、さすがのレオンも気付いた。むしろ、そこまで説明されないと気付けなかったのを恥じるべきかもしれないが。
そして、同時に感心した。
あの大規模なダンジョンが出現したせいで、ユースアイを訪れる人が減っているという話はよく耳にする。そもそも、そのダンジョンから出てきたモンスターに、レオンとベティは襲われたことがある。ステラは冒険者として、災厄の根源であるそのダンジョンを攻略することで、ユースアイに恩返しをしたいと言っているのだ。
それが、ステラが見つけた新しい夢。
まさに冒険者という立派な目標。
とても魅力的で、格好いい。
「なるほどなあ・・・」
「ど、どうですか?」
思わず唸るレオンを、ステラは上目遣いで不安げに見つめていた。
だけど、彼女が不安がらなければならないような要素は、どこにも見つからない。
レオンはにっこり微笑む。
「すごくいいと思う。僕も一緒に叶えてみたいな」
ステラの目が点になった。
そのリアクションにレオンが一番驚いたが、それに気が付く様子もなく、彼女は瞳を輝かせた。
「・・・ほ、本当ですか?本当に?」
「もちろん。ユースアイの人達にお世話になったのは僕も一緒だし、それに、人の役に立てる冒険者になるのが僕の夢だから」
「だ、だったら・・・」
両手を握って前のめりになるステラ。
「だったら、その、もしレオンさんがよかったらですけど、見習い期間が終わって、また春が来たら、一緒に旅に出ませんか?いろんな町を巡って、私の故郷で海を見て、それからまた、ユースアイに戻ってくる旅」
より広い世界を体験して、もっと強くなるための旅。
ユースアイの人達に恩返しする為の旅。
そして、その隣には、自分と同じ志を持ったパートナーまでいる。目が眩むほど魅力的な、まさに夢の旅路だ。
レオンに断る理由はひとつもない。むしろ、こちらからお願いしたいくらいだった。
「そうだね。絶対に一人前になって、一緒に旅をしよう」
ステラの青い瞳が、湖面のように輝く。
「・・・はい!」
いつになく活力に溢れた返事と共に、ステラは零れんばかりの笑顔に変わった。その圧倒的な輝きを受けた影響はもちろんながら、レオンも心の底から微笑むことができた。
幾度となく、彼女とは、互いに信頼できる仲間になりたいと思ってきた。その願いが、ここでひとつ成就したような気がする。
戦える。
このパートナーと一緒なら、たとえどんな相手でも。
頷き合ったふたりは、その思いを確認して、もう一度微笑む。
「とりあえず、まずは最後の試練をクリアしないとね」
「はい」
その前に腹ごしらえもしなければならない。ふたりとも話に夢中で、まだあまり食べていなかった。ここがガレットの酒場だったら、店主やその娘に注意されている頃だ。ふたりとも同じことを考えていたのか、レオンとステラはそこで顔を見合わせて、どちらからでもなく小さく吹き出した。
「そういえば、ふたりだけで食事するの、久しぶりじゃないですか?」
「え?」
一瞬どういう意味なのか分からなかった。ダンジョンでは何度も一緒に食事をしているはずだからだ。
しかし、ステラはにっこり微笑んで、すぐに補足してくれた。
「いつもはソフィが一緒ですから」
「ああ・・・」
言われてみればその通りだ。食事中も基本的に暇そうにしているソフィだが、ステラは相手してくれていることが多い。だからこそ、いない違和感に気付きやすかったのかもしれない。
「そういえば、どうして着いてこなかったんでしょうね?」
ステラが首を捻る。確かに、結局罠らしい罠はなかった。いつものソフィなら、何食わぬ顔で着いてきていてもおかしくはない。
なんとなく頭に浮かんだ答えを、レオンは投げかけてみる。
「試練の邪魔になっちゃいけないと思って、遠慮したとか?」
「そうでしょうか・・・」
まだ釈然としない様子のステラだったけど、すぐに気持ちを切り替えたのか、いつものように微笑みかけてくる。
「ちょっと心配ですけど・・・多分、大丈夫ですよね。れっきとした妖精ですから」
「きっと昼寝してるんじゃないかな」
「そうかもしれませんね」
可笑しそうに口元を押さえるステラ。冗談を言ったつもりはなかったのだが、気晴らしになったようでよかった。
「旅をする時は、ソフィも一緒に行きましょうね」
「うーん、大丈夫かな」
純白の妖精ということで、変に目立ってややこしいことにならないだろうか。それ以前に、あまりアウトドア派に見えないソフィは、旅をするよりも、ユースアイで留守番する方が好きそうに見える。その場合は、ベティかデイジー辺りが面倒をみてくれそうだけど。
ただ、ステラはその微笑みそのままの穏やかな口調で告げる。
「だって、ソフィも仲間じゃないですか」
何もしていないようで、実は影ながら支えてくれている導きの妖精。何を考えているのか分からないことが多々あるけれど、確かにそういう意味では、ソフィも仲間だと言えるかもしれない。
「そうだね」
その言葉に納得したというよりも、そういう考え方ができるパートナーのことが誇らしくて、レオンは思わずそう返事をしていた。ただ、今はいない妖精が、自身を話題にすることでそれを確かめさせてくれたのかもしれないと、レオンは密かに感謝して、ステラにも気付かれないようにそっと微笑んだ。