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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第10章 魂の試練場
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アフター・レイン



「あ、貴女は・・・!」

 9層目の大扉を通り抜けたステラは、現れた人影を目の当たりにして、思わず杖を握る手に力が入った。

 広間の中央に造られた円形の噴水。導きの泉をそのまま大きくしたような台座に腰掛けているのは、水色に透き通る長い髪の少女。はっきりと分かるのは、その羽衣のような服装と体つきくらいだったものの、見間違えようもない。

 夢の中でサイレントコールドと激闘を繰り広げた、湖の悪霊だ。

「また会ったわね。ステラさん?」

 精霊は微笑みながら片手を軽く挙げて、その指を動かして見せる。友達同士みたいな軽い挨拶だったけれど、もちろん、そんな親しい間柄とは思えなかった。

 だけど、レオンが大怪我した際に手助けしてくれたこともあって、今では、素直に敵対心を向けることに僅かながら抵抗があった。最初間近で見た時は、それこそ、何も考えずに成敗しようとしたくらいだったけれど、今回はそういう気持ちも起きない。もっとも、相変わらず距離があるため、攻撃しようと思っても届かないけれど。

 それでも、馴れ馴れしくするつもりはない。

「何の用ですか?」

 今、こちらは、見習い卒業できるかできないかという山場だ。そろそろブルー・フェニックスに出くわすのではないかと思っていた矢先だったので、声に緊張が混じるのも仕方ない。

 ところが、精霊は意外なことを言い出す。

「何の用って、魂の試練場にいるのだから、分かるでしょう?貴女の9番目の試練が私なの」

 さすがに一瞬戸惑ったものの、不思議とすぐに納得できた。確かに、彼女もまた、ダンジョン内で会った強敵には違いない。モンスターかどうかと言われると、微妙なところかもしれないけれど。

 いずれにしても、8層目までに戦ってきたモンスターとは、その強さは段違い。

 緊張で心臓の鼓動が速くなっていくのを感じる。

 しかし、精霊はいたってリラックスした様子だ。

「調子はどう?なかなか苦労してるみたいだけど」

「どうと言われても・・・」

「愛しのパートナーの方は、とっくに9層目の試練に挑戦中みたいね」

 その呼び方は訂正したいところだったけれど、レオンが無事らしいことを聞いて安心した。しかも、自分よりも快調に進めているようだ。やっぱりさすがだ。

「ひとりになってみて、改めて彼氏の有り難みが分かるってものでしょう?」

「だから、レオンさんは、そういうのでは・・・」

「あら、そう?だって、この間、婚約の挨拶に来て・・・」

「違います!」

 思わず大きな声を出してしまったけれど、精霊の口元に笑みが浮かんでいるのが分かって、益々恥ずかしくなった。完全に遊ばれている。

 だけど、精霊の口は止まらない。

「これも何かの縁だし、私が指輪のひとつでも用意してあげましょうか?精霊仕込みのエンゲージリング」

「そ、それは・・・」

 精霊の指輪と言えば、小説や童話などで結構有名な品だ。精霊がその愛を認めたカップルにしか渡さないと言われる、永遠の絆の象徴。周囲に結婚を認めてもらうために、身分違いのカップルが精霊を探し求めに行くというのが、その手の創作では王道とも言えるストーリーだったりする。

 それが貰えるのだったらと一瞬心が揺らぐが、もちろん、今はそんな場合じゃなかった。

「そ、そうやって人を誑かすのはやめなさい!」

 杖を構えてそう告げてみるものの、声が揺れているのが自分でも分かった。

 当然というべきか、精霊の余裕の笑みも全く崩れない。

「別に誑かしてないけどぉ?貴女達、お似合いのカップルだと思うし。それに、このまま見習い卒業したら、多かれ少なかれ、ふたりで旅をしたりするんでしょう?今はどうか知らないけど、同じ部屋に泊まったりするんじゃないの?」

 もはや固まるしかなかった。とにかく顔が熱い。その時になってみなければ分からないと、なるべく考えないようにしていた懸案なのに。

「その様子だと、今は別々の部屋なんだ。道理で、キスのひとつも進まないわけね」

 戦う前から倒れそうだ。

 石膏のように動かなくなったステラを、精霊はニヤニヤしながらたっぷりと観賞していたようだった。それが半ば分かっていたものの、ステラは動く気になれない。こちらが生きていると分かれば、向こうがさらなる追撃を加えにくることが分かっているから。要するに、死んだフリと同じだ。

 長いようで短い静寂の後、泉に沈んだ足を組み直した精霊が、その水が跳ねる音と共に、居心地の悪い沈黙をようやく破った。

「まあ、それは当人同士の問題だし、私がとやかく言うことじゃないけど」

 だったら最初から何も言わないで欲しいと思ったけれど、ステラは黙っておくことにした。なんとなくだけど、レオンの思考と少しだけ似てきた気がする。

 そんなステラを後目に、精霊の話は一転して、真面目な内容へと変わっていく。

「いずれにしても、アスリートの有り難みが分かるのは本当でしょう?貴女の方が時間がかかっているのは、試練そのものについてじゃない。その合間の探索や安全の確認、それと、そこの大扉を開けるのに苦労しているだけだから」

 実のところ、その通りだ。戦闘そのものは、さほど苦労している印象はない。だけど、とにかくあの大扉が重い。なるべく休憩を挟みながら、治癒魔法を併用したりして凌いでいるものの、そろそろ筋肉痛になりそうだ。ベティ達に護身術の稽古をつけてもらっていなかったら、そもそも筋力が足りなくてリタイアしていたかもしれない。

 精霊はそこで再び口元を歪めた。少し前のそれとは、多少質が違った。

「要するに、貴女の実力が彼に劣っているわけじゃない。そもそも、私が見る限りにおいて、見習いクラスとしては、貴女達の実力は十分過ぎるもの。だからこそ、わざわざ私が出てきたんだけどね」

「出てきた・・・?」

「ええ。だって、貴女と1対1で戦ってみたかったから」

 そこで、ステラの表情が強ばった。

 精霊を纏う魔力の流れ。それが明らかに自然的ではない、異様なものに変わりつつある。

 敵意や殺気というほど禍々しくはない。

 だけど、非常に鋭利で荒々しい。それこそ、氾濫する湖や河川を思わせるような、何かを振り切ったような狂気、或いは狂喜を感じさせる空気。

 似ている。

 夢の中でサイレントコールドと戦っている時の、笑いながら魔法を乱発するあの悪霊に。

「この9層目は、貴女が無意識下に自分より強いと思っている相手、それでいてなお倒したい、勝ちたいと思っている相手が現れる。実際に現れるのはその幻影だけど、要は、貴女が本気以上を出さなければ勝てない相手が用意されているというわけ。でも、そんな素敵な役目、幻影なんかに任せるのは勿体ないと思わない?」

 湖の少女はそう言って、右手を前に掲げる。

 その時には既に、ステラも魔法準備を始めていた。いつもは広間の奥から出てくるモンスターが、今回は中央に陣取っていたため、少し進めばギリギリ射程圏内に届く。

 向こうも本気だ。

「かかっていらっしゃい」

 ステラと精霊は、ほぼ同時に魔法準備を始めた。

 しかし、魔法の完成が精霊の方が先だ。同じ収束型。威力がさほど無い代わりに準備が早い、牽制用の魔法のつもりだったけれど、それでも速度負けしている。実力の差を浮き彫りにされた気がした。

 少女の足下から太い渦状の水が3本吹き上がる。

「さあ、どうする?」

 その言葉を合図にして、水の渦が一斉に襲いかかってくる。

 速度はそれほどでもないものの、視界を埋め尽くすほどの圧倒的な水量。

「くっ・・・」

 水鉄砲程度なら構わず撃ち合うことも考えたが、これをまともに受けては精神集中が保ちそうにない。仕方なく、魔法をキャンセルし、簡易発動した氷の障壁を展開する。

 ところが、水の渦は障壁の前で突如方向転換して、迂回するように、その奥のステラに襲いかかってくる。

 背筋に冷たいものが走る。魔法を準備する段階で、ここまで完全に読まれていたのだ。

 直後に、3本の水の渦が全身に命中し、辺りに水しぶきが飛び散る。

 あまりの激流に倒れ込むステラ。

 ところが、終わってみれば、ただそれだけのことだった。

 怪我をしているわけでも、毒が混じっていたわけでもない。それどころか、精霊は余裕の笑みのままで、追撃があるわけでもなかった。

 びしょ濡れになって床に座り込み、戸惑いのまま瞳を瞬かせるステラ。

 そこでようやく、精霊の解説が飛んでくる。

「簡単に終わったらつまらないでしょう?」

 どこか嘲るような口振り。

 ステラの顔が、少し前とは別の意味で強ばる。

「その可愛らしい顔を、これから何度も水浸しにしてあげる。傷はつかなくても、私に負けたという屈辱を、その冷たさで何度も刻み込んであげるわ。貴女はせいぜい足掻いて、私を楽しませてみるのね。そのうち体が冷え切って、一歩も動けなくなったら、その時は湖の底まで引きずり込んで、永遠に私の人形として可愛がってあげる」

 まさに悪霊さながらの冷徹な物言い。

 だけど、ステラの中には、怖いとか、逃げたいという感情はなかった。

 舐められている。

 見下されている。

 それがどうしようもなく腹立たしい。

 精霊の顔を睨みつけたまま、ゆっくりと立ち上がった。

 相手の笑みは、益々濃くなるばかりだった。

「いいわ・・・その顔。本当にイブそっくり」

「すぐにそんな減らず口、叩けなくなりますよ」

 ほぼ同時に魔法準備を開始する。互いに相殺や防御は一切考えておらず、正面からの撃ち合い勝負。さっきは速度で負けていたものの、あの程度の水撃なら真正面から受けても問題ない。捨て身で魔法を撃ち込めば勝てる。

 ところが、そう考えていたのはステラだけだった。

 こちらの魔法が完成する直前、精霊は自身の魔法を解除して、相殺に切り替えてくる。

 ここで一瞬迷う。明らかに向こうは発動を待ちかまえている。このまま発動していいのか、それとも一旦別の魔法を準備し直した方がいいのか。虚を突かれたという焦りが、ステラの対応を遅らせた。

 そして、戦闘中は、その一瞬の空白が仇となる。

 ほとんど勢いのまま発動しようとした魔法に、精霊が割り込んでくる。あからさまに利用してやろうという大胆な割り込み方だったが、判断が遅れたステラの対処は、明らかに後手後手だった。

 途中で諦めて後方に跳ぶが、もう遅い。

 目の前で発動したステラの魔法。巨大な氷塊がその場で炸裂し、つぶてのように飛んでくる。元の魔法の形は跡形もなく、完全に向こうのものになってしまっていた。

 さらに、そのつぶてを両腕でガードしたステラに、間髪なく水撃が飛んでくる。殴られるというよりは、押されるような重圧がガードを襲い、また尻餅をついてしまった。

 辺りに舞い散る水滴。

 その向こうでほくそ笑む精霊。

 またやられた。

 相殺で遅れをとったのはもちろん、水撃の魔法にも全く気付かなかった。それくらいスマートで滑らかな魔法準備だった。

 あれがもっと強力な魔法だったら、自分は命を落としていた。彼女の実力なら、それくらいできたはずだ。

 手加減されている。

 遊ばれている。

 悔しい。

「またびしょ濡れになっちゃって・・・でも、すごくセクシーで、可愛らしい。ジーニアスとしてはともかく、お人形としては才能あるんじゃない?」

 あからさまな挑発。だけど、言い返せない。

 自分が彼女に負けたのは事実だから。

 負けたまま終わるのは、絶対に嫌だ。

 ステラはまた立ち上がった。そして、それを見て、精霊は益々濃く微笑む。

「まだまだ遊べそうね。せいぜい、私の手の上で踊って御覧なさい」

 返事はせずに魔法準備を始める。向こうは動かない。完全に相殺狙い。明らかに、確実に勝てると思われている。その余裕の表れだ。

 そして、いざ相殺勝負になると、見事に負かされる。

 よろめいたところに、撫でるような水撃が飛んでくる。いつでも殺せる。遊んであげているだけと言わんばかりの弱い攻撃。

 悔しい。

 何度も何度も立ち向かいながら、そしてその度にずぶ濡れにされながら、ステラの心の中でその気持ちだけが大きくなっていく。

 勝てない。

 夢の中で鮮やかに勝利する伝説の女性のように、自分はこの精霊を倒せない。彼女だったら、こんな相手は一捻りだったはずなのに。

 それが、自分の理想と現実の差。

 彼女に追い付くところか、その彼女があっさり倒した相手に遊ばれているような有様。それを改められて見せつけられているようで、どうしても我慢ならなかった。

 次こそ、次こそは勝ってみせる。

 だけど、うまくいかない。

「どうしたの?その程度の腕前なら、やっぱりお人形の方がお似合いなんじゃない?ステラちゃん?」

 人形。

 貴族の娘として生きていた頃、蔑んだ自分を表現していた言葉。

 家にとって、両親にとって、私はただ飾られるだけの存在。魂なんてない、あってもなくても変わらない、ただ生きて微笑むだけの人形。

 夢の中の自分はそうじゃないのに。

 全て自分で決められる、全てを自分で変えられる、世界で一番強い伝説の女性。そんな人になりたくて、家族に辛い思いをさせてまで、故郷から出てきたというのに。

 それでも、まだ届かない。まだこんなに差があるのだから、もしかしたら、一生届かないままかもしれない。事実、今のステラの歳には、サイレントコールドは既に希代のジーニアスとして頭角を現していたと言われるくらいなのだから。

 悔しい。

 そして辛い。

 自分の夢が、夢でしかないかもしれないという恐怖。あの人には永遠に触れることすらできないままかもしれないという絶望。

 それだけは嫌だ。

 今まで自分を支えてくれたもの。その彼女の背中を追うことだけが生きる活力であり、魂そのものだった。人形だった自分に生を注ぎ込んでくれた唯一の存在だった。

 それを失うことだけは、絶対にできない。

 でも、再び立ち上がって魔法準備を始めたステラの脳裏に、その伝説の彼女ではない、別の見慣れた背中が思い浮かんだ。

 彼にはそれがない。

 今、自分が必死にしがみついているものを、そもそも彼は持っていない。

 どうやって、彼は自分を支えているのか。その答えを、当然ステラは知っている。もちろん、彼が教えてくれたからだ。

 いや、彼だけじゃない。

 ユースアイで出会った全ての人が教えてくれた。

 そして、この時唐突に、自分が今何をすべきか、ステラは気付いた。

 心を染め上げようとしていた激情が、一瞬で色を変えるのが分かった。

 そうだ。

 同時に訪れる確信。

 目を閉じる。

 準備していた魔法を取り消すと、精霊が一瞬だけ息を止めるのが分かった。

「・・・もう諦めた?お人形になる覚悟が決まったのかしら?」

 そこで目を開ける。

 さらに、真っ直ぐ精霊を見据えたまま、前に進み出す。魔法の準備は一切せずに、ただ自分の足で歩いて、彼女との距離を詰めていく。心の中にある思いはひとつだけ。

 私は、ステラだ。

 彼のパートナーとして、冒険者になるために、ここにいる。

 今大事なのは、それだけ。

 精霊は、微笑んでいるようにも警戒しているようにも見える中途半端な表情で、こちらを見つめている。

 だけど、やがて右手を顔の横に掲げて、魔法準備を始めた。

「次で、その心臓まで凍らせてあげる」

 彼女の冷淡な言葉にも、ステラは歩みを止めない。

 青い光のサインが彼女の前を走る。

 発動までほんの数秒。

 その直前に、ステラは立ち止まった。

 そして、その魔法に割り込む。

 目まぐるしく書き足される光のライン。やはりというべきか、向こうはこちらの手筋を完全に読み切っている印象だった。逐一的確に、こちらの狙いを潰していく。

 最後の一筋以外は。

「え?」

 精霊の顔に初めて浮かぶ戸惑いの顔。

 やっぱり、とステラは思った。

 意外性はあったに違いない。

 そこだけ、サイレントコールドらしくない手を使ったから。

 その唯一の異物で誤作動を起こした魔法は、彼女の目の前で冷気の球体となる。もっとも、あまり上手な割り込み方とは言えないため、あっという間に力を使い果たして消えてしまう。サイレントコールドほど優秀なジーニアスなら、こんな粗悪な割り込み方はしない。もっと精密で細やかで、かつ大胆不敵な王道の力を使ったはずだ。それでも、周りは決して追いつけないほど速いのだから。

 だけど、私は私だ。

 前世が伝説の女性だからといって、いつまでもしがみついてはいけない。それではただ、惨めになるだけだから。

 それが、前世のない彼のパートナーとしての、私の覚悟。彼もまた、前世がない自分という孤独から、抜け出す覚悟を決めたのだから。

 魔法を相殺した隙をついて、ステラは精霊の目の前まで機敏に駆け寄る。そして、その勢いのまま、杖を精霊の胸に刺し入れた。物理攻撃は効果がないと聞いていた通り、何の抵抗もなく体内に杖を受け入れた彼女は、半ば呆然とした様子で、その黒い柄を見据えて、それから、こちらの顔を見上げた。

 対して、ステラはにっこり微笑む。

「私の勝ちですね」

 突然の勝利宣言に、まだ状況が飲み込めていないらしい少女は、目をぱちくりさせる。

「・・・何が?」

「分かりませんか?この杖のルーンは、発動保留用に調整してあります。さっきのように防御用の障壁を展開するのが普段の使い方ですけど、私は収束型ですから、ある程度応用が利きます。こうやって、杖が触れた物を凍らせるくらいなら、もちろんできますよ。そして、いくら貴女でも、発動省略された魔法までは相殺できませんよね?」

「ああ・・・」

 精霊は何度か頷いてから、やがて諦めたように苦笑した。

 発動留保された魔法は用途が限定される上に効果も小さくなるが、発動が一瞬で済むため、相殺されるリスクがない。こうして杖を触れさせた時点で、少なくとも、ステラはいつでも彼女の体を凍結させられることが決定している。もちろん、それで倒せるとも思えないけれど、人間同士の魔法勝負であれば、1本取ったと判断できるくらいの十分な有効打だ。

 だからこその勝利宣言。

 しかし、ステラはすぐに杖を引いた。

 精霊はまた戸惑った様子だったものの、今度はすぐにいつもの笑みを見せた。

「別にいいのよ?ちょっとくらいやられたところで、すぐに復活できるわけだし」

「いえ・・・もうやめます」

 そう告げてから、ステラも微笑んだ。

「貴女が悪霊だったのは、もう何百年も昔のことですから。イブさんの記憶は、今でも私にとって大切なものですけど、でも、私は私ですし、生まれ変わったと言うなら、貴女も貴女です。レオンさんのように素直な目で見れば、貴女は私達を助けくれたわけですし、私が戦う理由はありません」

「あら、そうなの・・・」

 彼女はとぼけていたものの、ステラは薄々気付いていた。

 自分は自分であって、夢の中のイブとは違う。きっと、この精霊はそれを伝えたかったに違いない。前世にしがみついてもいいことはない。いつまでも彼女の背中を追うだけでは、結局、本当の意味で彼女と肩を並べることはできない。イブともステラとも話したことのある彼女には、きっとその事実が嫌というほどよく見えたのだ。

 ステラは改めて、頭を下げた。

「あの、ありがとうございました」

 すると、珍しく、精霊は照れたように目を逸らして頬を掻いた。

「いや、別に・・・私が好きでやったことだしね」

 やっぱり優しい。ユースアイの気質は、精霊にまで染み着いているのだろうか、そう考えると少し可笑しくて、ステラは笑ってしまった。

 それを見ていた精霊も、途中からクスクスと笑い出す。

「・・・まあ、いよいよあと1層なわけだし、なんとか頑張ってみたら?貴女なら大丈夫だと思うし」

「はい。頑張ります」

「あ、そうそう。そういえば、意外に武闘派だったりするの?さっきの杖の使い方とか、魔法剣士みたいに様になってたけど」

「あ、いえ・・・ちょっと、友達に教えて貰って」

 魔法に比べればささやかな力ではあるけれど、サイレントコールドの持っていなかった技術のひとつでもある。何より、ステラにとっては、親友達との大切な絆のひとつだ。

「へえ・・・頼もしいこと」

 精霊は意味深に微笑んだものの、それ以上は特に何も言わなかった。

 ただ、相変わらず、余計なことだけは言っていったけれど。

「じゃ、私はこれで帰るから・・・愛しの彼氏にも、よろしく伝えておいて」

「だ、だから、そんなのじゃ・・・」

「またね」

 彼女は半ば無視する形で軽く手を振ると、台座に座ったまま振り返る。そして、そのまま飛び込むようにして、透明な水の中に溶け込んでいった。

 なんとなく否定し損ねた気がしないでもないけれど、仕方なくステラは微笑む。そして、息を吐いて体の緊張を解いてから、一旦入り口に引き返した。大扉の奥にある荷物を回収したら、次はいよいよ最後の試練。

 しかし、その前に、着替えないと風邪をひいてしまう。

 水浸しになった石の床を歩きながら、そんなことを考えていた時、背後から突然水音が上がった。

「あ、そうそう。妖精のエンゲージリング、貴女と彼氏なら大歓迎だから、いつでもいらっしゃい」

「だから、そういうのじゃないです!」

 振り返りながら必死に否定したステラの視線を、悪戯っぽい水の精霊の微笑みが、いとも容易く跳ね返していた。



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