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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第10章 魂の試練場
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試練と様式



 草原を北へ進むにつれて、冬特有の張りつめた空気が、刺すような鋭い冷気に変わっていく。空は靄を含んだようなライトブルー。その中に所々白い雲が混じり、湿度も比較的高いため、今にも雨か雪が降り出しそうな予感がした。だけど、着くまではどうにか持ちこたえてくれたようだ。帰りはどうなっているか分からないけれど、ひとまず有り難い。縁起がいいと言えるかもしれない。

 馬で駆けているうちに、草原は次第にまばらになっていき、固い地面が見え隠れするようになる。山の斜面が迫る頃になると、ゴツゴツとした石や岩が目立つようになり、馬が走りにくそうにしているのが分かった。

 目的地の石屋根が見えてきたのは、それから程なくしてのことだった。

「あ、あれかな」

 前方を指さしながら、馬の背中で振り返り、後方のステラに合図する。手綱を取りながら、彼女は少し微笑んで頷いた。白い魔導衣とマントが風になびき、繊細なブロンドの前髪も分かれ、綺麗な額が見えている。いつもよりも凛々しいというか、少年のような雰囲気に見えた。

 その肩の上で、ソフィは丸くなって目を閉じている。この揺れだというのに、固定されているかのように身動ぎひとつしない。長い毛が雲のように尾を引いていて、傍目にも気持ちよさそうだった。

 それから間もなく、聞いていた通り簡単な馬小屋を見つけたふたりは、その場所に馬を繋いで、枯れ草の準備をしてから、石が敷き詰められた道を歩く。舟だけ用意されていたファースト・アイとは違って、明らかに人の手によって整備されている道だ。ただし、歩きやすいかどうかは別問題な気がする。実際、足で踏みつける度にぐらぐらと揺れるので、結構神経を使う。ステラは大丈夫だろうかと思って振り返ると、黒い杖をうまく利用していたため、こちらよりもむしろ安定した足取りに見えた。

 ゆったりとした行軍を15分ほど続けて、ようやく目的地に到着する。

 山々が迫ったまさに麓という場所に、木々を切り開くようにして、巨大な石碑と神殿のような石造りの屋根。そして、その中央にぽっかりと空いた巨大な下り階段。

 石碑には大きく、魂の試練場と書いてあった。

 北の山の麓であるこの場所まで、馬の足で2時間弱と聞いていたけれど、体感でもだいたいそれくらいだった気がする。

「やっとですね」

 隣に並んだステラが、こちらに顔を向けて告げる。不安と期待が入り交じった表情と言えなくもないが、どちらかというと、ワクワクしている色合いが濃い。杖を握った右手と、反対側の左手と両方とも、何かを確かめるように強く握って、頷きかけてくる。解読するなら、自信を持って行きましょう、だろうか。

 その通りだと思って、レオンも頷き、少しだけ微笑んで見せた。

 本当に、やっとだ。

 見習いとしての自分の最終目標地点が、このダンジョンの最深部。その場所にあるとされる、前世を映す魂のルーンアイテム。

 それがアーツ。

 自分の前世を知る為に、レオンはその場所を目指してきた。それは、未熟な自分から逃げたいための惨めな願いだったけれど、それを理解した今でも、前世を知りたいことに変わりはない。その動機が、前よりももっとクリアな色に変わっただけだ。ただ純粋に、自分を別の面から見てみたい。他の不格好な囲いが剥がれ落ちて、中心にあった単純な想いだけが残った。そんな感じだろうか。

 逆に、前よりももっと強くなった想いもある。

 冒険者になりたい。

 アーツを手にすることがその出発点。ならば、当然、気合いが入るというものだった。今日、絶対に手に入れてみせるという覚悟が、尽きない活力を体内から溢れさせているのが分かる。

 それはきっと、ステラも同じだ。

 彼女の青い瞳に宿る光は、いつになく強く、揺るぎない。彼女にとっては、遠い故郷の家族に認めて貰う為の第一歩。そして、夢で見る伝説の女性、サイレントコールドに近づく為の一歩でもある。その果てない道の先はまだ見えないけれど、そこに足を踏み入れることに、大きな感慨があるに違いない。

 ふたりの見習いは、互いの強い視線を確認し合ってから前を向き、数段しかない石段を上がり始める。

 綺麗に成形された正方形の石の床の上で、荷物の最終チェックをする。魂の試練場は10階層と言われているが、実のところ、クリアまでにかかる時間は数時間程度らしい。それは、各層に遭遇がひとつずつしかないからだ。単純に考えれば、10回戦闘をこなせばクリア。ただし、純粋な戦闘だけとは限らないのが、ダンジョンの難しいところだ。

 さらに、もうひとつ、つい先日聞いたばかりの、魂の試練場固有の特徴がある。

 ソロ専用。

 他のダンジョンと同様に、誰かと同時に入場することはできる。しかし、その場合は中で必ず分岐があり、必ず別々のルートを歩かされることになるらしい。たまにパーティ戦闘を課されることもあるため、誰かと合流する可能性もなくはないが、基本的には個人戦闘のみ。最後のアーツの部屋に辿り着くまで、ひとりで戦い抜かなければならない。それが魂の試練場のルールだ。

 そういう仕様のため、食料などの用意は最小限しか持ってきていない。その代わり、治療用具や薬草などは多い。それでも、レオンとステラがそれぞれ背負っていかなければならないので、その取捨選択には昨晩まで頭を悩ませたところだった。

「・・・行こうか」

「はい」

 背負い袋を持ち上げながら声をかけると、ステラも同じように持ち上げて機敏に返事をする。

 準備万端。後は進むだけ。

 いよいよだ。

 ところが、ようやく下り階段に足を踏み入れようとした、その時だった。

「あ」

 突然、背後からステラが驚く声がして、レオンは振り返る。その彼女の視線はさらに背後を見ていたので、すぐにそれを追った。

 石の床の上に、綺麗に座ってこちらを見つめていたのは、ソフィだった。

 当たり前だけど、何も言わない。

 真紅の双眸が、ただ真っ直ぐにこちらを捉えているだけだ。

 その光景に数秒間戸惑ってから、レオンとステラは顔を見合わせる。

「・・・どうしたの?」

「さあ・・・分かりません。急にソフィが自分から下りたので」

 思えば、最初はダンジョンに入ろうとしても離れてくれなくて困ったものだが、最近ではそれが普通になっていた。なのに、今はそれと全く逆の振る舞い。ここで待っていると言わんばかりの体勢だ。

「・・・どうします?」

 あからさまに困った顔で、ステラが尋ねてくる。

 レオンも少し悩んだが、一応、左手を差し伸べて、声をかけてみた。

「ソフィ」

 しかし、ソフィは動かない。ただ、レオンとステラの顔を交互に見上げるだけだった。

 こうなってはもう、人間達に妖精を動かす手段はない。

「仕方ないから、ここで待ってて貰おう」

「そうですね・・・」

 口ではそう答えながらも、ステラは心配そうな視線を妖精に送っていた。或いは、名残惜しそうと言うべきか。夏祭りの時、ソフィ断ちが堪えていたのは懐かしい思い出だ。だけど、彼女にもソフィの意志を覆す手段はない。

 結局、ふたりの見習いは純白の妖精をその場に残し、明かりの灯る階段を下り始める。

 ただ、その矢先といったところで、後ろをついてくるステラが、思いついたように言った。

「もしかして、いきなり物凄い罠があるとかじゃないですよね。ソフィが避難しないといけないような」

 確かに、ダンジョン内でソフィが離れる時といえば、大抵がモンスターとの遭遇時か、鍵や罠の処理をする時だった。

 なんとなく、嫌な兆候だ。

「・・・とりあえず、できるだけ気をつけよう」

「・・・ですね」

 それ以外に、気の利いた対処法はなさそうだった。

 しかし、大きな異変どころか、怪しい物音ひとつ起こらないまま、階段の終点が見えてくる。

 その階段自体も、ファースト・アイのものよりずっと歩きやすい、綺麗に整えられたものだった。どちらかといえば、ビギナーズ・アイのものに近いだろうか。ただし、色はほぼ真っ白で、特別なダンジョンの割には、普通の石階段のように見える。いずれにしても、人工色が強いのは確かだ。

 そして、その階段が終わると、待っていたのは、翼が生えた純白のカーバンクルの像。

 多少広い以外はとりたてて変わったところのない、普通の導きの泉だった。それどころか、部屋を囲う石材も極めて普通の色合いで、ビギナーズ・アイやファースト・アイよりも高級感こそあれ、特別な雰囲気はなかった。

「なんていうか・・・普通だね」

「ですよね・・・」

 紛いなりにも初めて来るダンジョンなので、レオンとステラは一応その部屋を観察したが、ほんの数秒ほどでその観察も済んだ。特に物珍しさがないため、拍子抜けするほど感動がない。ただ、別に観光に来たわけでもないのだから、それはそれで問題はないが。

 ひとまず荷物を泉の周りに置いたふたりは、ほぼ必然的に、その部屋にふたつある黒い鋼鉄の扉を調べ始めた。他に見るべき物が何もないからだ。

 ところが、まず左側の壁にある扉に近づいた時、ステラがすぐに言った。

「あ、待って下さい」

 杖を両手で抱えた彼女は、そこで一度目を閉じて、すぐにこちらに視線を向けた。既に冒険者モードの真剣な眼差しだ。

「その扉、魔法の鍵が掛かっています」

「え・・・本当?」

「それから、多分・・・反対側も」

 言葉の後半は、振り返って目を閉じながらのものだった。ちょうど部屋の両サイドにある扉の両方に、かなり高級な鍵がかかっているらしい。

 そんな特殊な鍵に遭遇するのは、これが初めてだった。魔法の鍵は、ほぼ間違いなく、普通の技術では開けられない。そもそも、見るからに鍵穴がない。モンスターに会う前から、こんな難題を突きつけられるとは思わなかった。

 しかし、ステラはすぐにこちらを見つめて、はっきりと告げた。

「個人識別用の鍵です」

「識別・・・?」

「個人の体内を流れる魔力のパターンを記憶させて、その人にしか反応しない鍵を作るんです。そうしておけば、その人しか通れなくなりますし、触れるだけで開きますから、鍵穴を作る必要もありません。ですから防犯用として重宝されていて、高位のジーニアスだと、自宅とか研究室なんかにそういう鍵を付けるそうですよ」

「へえ・・・」

 確かに、話を聞く限りでは便利そうな話だ。だけど、急病とかで倒れた時、他の人が開けられないのでは不便ではないだろうか。その場合は、扉ごと破壊するのかもしれないけれど。

 その辺りの事情も気にはなったが、ひとまず、目の前にある障害について、レオンは尋ねる。

「じゃあ、あれも、誰か特定の人しか開けられないってこと?」

 もしかして、その鍵に合う人物を連れてこいという試練なのか。いきなりとんでもない要求だが、それくらい顔が広くて初めて一人前ということなのか。

 それか、ステラに魔法で開錠して貰うしかないが、彼女にはまだそれは難しいはずだ。魔法による開錠は、魔法の知識と鍵の知識の両方が必要だが、彼女はまだ見習い。魔法の知識習得に忙しく、鍵のことまで勉強する余裕はない。

 ところが、ステラは動揺ひとつ見せずに、小さく頷く。

「はい。見た限りですけど、多分、左がレオンさんで、右が私だと・・・」

「え、あ、僕?」

 そこで初めて、ステラが戸惑ったような表情を見せる。しかし、よくよく考えてみれば、それも当然だ。少し頭を捻れば分かりそうなことだから、こちらが気付いていないのが意外だったに違いない。

 要するに、それぞれを別ルートに誘導するための扉ということなのだろう。

「・・・これ、たとえば左を僕が開けて、ふたりともそっちに入るっていうのは駄目なのかな」

 一応確認してみたが、ステラはあっさり首を振る。少しだけ微笑んだようだった。

「いえ。両方同時に触れて初めて開く仕組みだと思います。朧気にしか感じ取れませんけど、機構的にリンクしているみたいですから」

「そうか・・・」

 正直、仕組みは曖昧にしか理解できなかったものの、恐らくそうだろうという予感はあった。見習いが簡単に裏をかけるような構造とも思えない。そうでなければ、ソロ専用のダンジョンに複数人で挑戦する者が続出して、試練に意味がなくなってしまうだろうから。

 結局、大人しく従う以外にはなさそうだった。

 レオンとステラはそれぞれの荷物を背負い直すと、それぞれ反対側の扉に向かう。

 そして、扉の前に立つなり、互いに振り返った。

「じゃあ、アーツの部屋で会おう」

「はい。あの・・・無茶はしないで下さいね」

 遠目にも不安が拭えない顔をしているのが分かったので、敢えてレオンは明るく言った。

「ステラも。僕は時間かかると思うから、焦らないでゆっくり進んでね。あまり急いで早く済んだら、待ちくたびれるかもしれないし」

 彼女は笑いを堪えるように唇を噛んだ。どうやら、少しくらいはリラックスできたようで、安心した。

「行こう」

「・・・はい」

 ふたりは改めて扉に向かう。

 ここからはひとり。

 だけど、その終点の先からは、ずっと共に歩んでいけるように。同じ道を進むことができるようになる為に。

 見習い達は、その肩書きとしては最後になるかもしれないダンジョンの扉を開ける。

 これから先、幾多にも立ち塞がるであろう、もっと大きく堅牢な扉を開けられるための、確かな力と自信を手に入れる為に。



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