暖炉端ガールズトーク
歴史を感じさせる木目調の床。その一朝一夕では出せない重みのある黒色に加え、所々に置かれている年代物の燭台と、赤い煉瓦造りの暖炉が、この喫茶店の古ぼけた雰囲気をさらに助長させている。錆び付いたベルが鳴る玄関扉の近くには動物系の雑貨が置いてあるものの、そのラインナップもずっと変わらないままだ。
ただ、こういったレトロな感じが、ベティは好きだ。小さな子供も好きだけど、お爺さんやお婆さんと話すのも、決して苦手ではない。幼い頃から、祖父に面倒を見て貰っていたせいだろうか。それに、この真っ黒な木に囲まれた雰囲気も嫌いじゃない。ホレスがよく同じような色の木に手を当てて、静かな表情をするのを見ているからだろうか。
もしかして、これは惚気かもしれない。
そんなことを自覚して、ひとりでにやけていると、丸テーブルの右手に姿勢良く座るデイジーが、微笑みながら尋ねてきた。
「何かいいことでもありました?」
おっとりとした印象とは裏腹に、デイジーはなかなか目敏い。今も暖かそうな毛糸のカーディガンと柔らかそうな黒のスカートという落ち着いた服装だけど、その実、ただの深窓の令嬢というわけではないことを知っている。長い髪と瞳が宿す色と同じように、彼女は懐が深く、そして強い。初めて会った頃から、自分にはない強さを持っているのが互いに物珍しかったのか、すぐに意気投合して、今ではすっかり気の合う親友のひとりだ。
オレンジの紅茶が波打つティーカップを持ち上げてから、そんな親友に、考えていたこととは別の回答を返す。敢えて言わなくても、デイジーにはあらかた見抜かれているだろう。だけど、それが全く腹立たしくない。本当に、不思議な女の子だ。
「レオンとステラ、そろそろ着いた頃かなと思ってねー」
場所は言わなかったけれど、これも十分伝わったはずだ。つい数時間前の今朝、ふたりは魂の試練場に向けて出発したばかりなのだから。
「そうですね。おふたりなら大丈夫だと思いますけれど」
デイジーは微笑んでいたものの、意味深に首を傾げてくる。
やっぱり、見切られているという予感がした。しかし、口では敢えて追求せずに話を合わせてくれている。そのくせ、後で蒸し返したりしてくる。そういうところが油断ならないけれど、それが気の利いた隠し味のように刺激的で、話していて面白い。
そこでベティは、今度は左側に座る親友に話を振った。明るい髪と瞳、男物のようなブラウンのジャケットを着ている凛々しい少女。リディアだ。
「リディアは元気ないなー。もしかして心配してるの?」
実際、リディアはやや俯き気味で、傍目に見ても落ち込んでいるように見える。こちらの親友は、ある意味とても分かり易い。だけど、その分素直で健気で、からかうととても可愛らしいので、やっぱり最初から気になる女の子だった。要するに、どんな子でも割と仲良くできるベティだったりする。
ティーカップを置いたリディアは物憂げに息を吐くと、こちらを見て小さく頷いた。
「・・・うん。ちょっとだけ」
「心配いらないって。ちゃんとお父さんからのお墨付きも出たし。リディア達は見てなかったからあれだけど、お父さんとレオンが殴り合ってた時も、私が思ったよりも全然動けてたしね。いつも私にやられてたのは、やっぱり手を抜いてたんだなー。帰ってきたら、是非本気で手合わせして貰わないと」
正直言って、あの決闘はなかなか燃えるものがあった。レオンの攻撃はほとんど届いてなかったものの、動きのしなやかさではむしろ上回っていた。あの滑らかな動きに対応するにはどうすればいいか、観戦中も無意識に体がシミュレーションしていたほどだ。
ところが、リディアの心配は全然別方面のものだった。
「そうじゃなくて、ふたりが帰ってきたら、もう見習いじゃないんだなって」
「ああ・・・」
ベティとデイジーの声が被り、そして顔を見合わせる。
要するに、巣立っていくふたりの後ろ姿が想像できてしまって、リディアは寂しいらしい。よく考えてみれば、あれだけ親身になった見習い冒険者は初めてなのから、その別れの辛さもひとしおなのかもしれない。
だけど、ベティもデイジーも、感想はひとつだけだった。
まさに繊細な女の子の感想。
なんて可愛いんだ、この娘は。
「見習い卒業とはいっても、すぐにすぐ、ユースアイを出て行くわけではないと思うし・・・」
やんわりと慰めるデイジー。
そういうことなら、ベティの役目はその逆だ。
「もう、可愛いなー、リディアは。そんなに寂しがらなくても、私がずっと一緒にいてあげるから」
「あ、ベティ、ズルい。それは私の役目でしょう?」
「えー、そうなの?よし、じゃあ、リディアを賭けて決闘を申し込む!」
最後はブレットの口真似だった。立ち上がりながら大袈裟にデイジーを指さしてみると、リディアが顔を赤らめながらそれを止める。店内には店主のお婆さんくらいしかいないから、そんなに慌てなくてもいいのに。だけど、そういう恥ずかしがり屋なところがまたリディアなのだ。
「ちょっと・・・変なことを思い出させないで」
「変なことー?変かな?デイジー」
「いえいえ。リディアの為なら、決闘の1度や2度くらい、安いものでは」
「もう・・・」
一点の曇りのない笑顔で言い切るデイジーに対し、拗ねたように俯いて紅茶に手を出すリディア。一とりあえず、少しくらいは元気が戻ったようだ。それだけでも、この会話の価値があったというものだ。
同時に、一度くらいデイジーと手合わせというのも、それはそれで面白いかもしれないと、密かにベティはデイジーに鋭い視線を送った。だけど、気付かないフリをして軽く受け流されてしまう。
本当は気付いてるくせに。
そう思った瞬間、リディアに微笑みかけるデイジーの口元が、僅かに緩む。
見透かされている。
その絶妙のタイミングに鳥肌が立つものの、すぐにベティの口元にも同じような笑みが浮かんでいた。これで年下なのだから、本当に末恐ろしい。その上、まだまだレベルアップするつもりらしい。リディアの細工の腕もそうだけど、このふたりはとことん向上心が高いため、やはり気が合う。ベティもまた、格闘技と料理のレベルアップには余念がない。
椅子に座り直したベティは、リディアを見据えながら尋ねてみた。
「ねえ。そんなに寂しいなら、恋人とか作ってみたら?」
ティーカップを口につける直前の体勢で、リディアは固まった。もちろん、すぐに顔が林檎のように真っ赤になる。返事どころか、視線を動かす場所にすら困っているのが一目瞭然だった。
やっぱり可愛い。
ただ、これはこれで、困りものではある。もちろん、主に困るのはベティではなくて、リディアに肩すかしを食らい続ける男性陣の方だけど。
「リディアなら、引く手数多だと思うんですけど・・・」
澄ました顔でそれとなく追撃するデイジー。こういうところは抜け目ないし、容赦ない。
完全に沈黙したリディアを確認したところで、ベティはデイジーの方に密かに椅子を寄せた。そして、ほとんど同時に、デイジーがこちらに耳打ちしてくる。この辺りはもう阿吽の呼吸だ。
「まだまだラッセルは大変みたいですね」
全くの同感だった。本人に全くそういう気持ちがないので、男性側から相当アプローチしない限り、関係がさっぱり発展しない。ただ、したらしたで、ブレットのように毛嫌いされる可能性もある。そういう意味では、間合いの難しい女の子だ。
浮いた話がないこと自体、それはそれで魅力的だと思うし、それでいて普段から真面目に仕事をこなしているため、女性陣からの評価は軒並み高いのだが、親友としては、そろそろ素敵な恋愛のひとつくらいはして欲しいところだ。
そこまで考えてから、まだ思考停止しているリディアを一瞥してから、今度はこちらから耳打ちした。
「でもさ、幼なじみのデイジーとしては、ラッセルでいいの?リディアには、もっと格好いい人が・・・あ、そうそう、ラッセル的には、アレンさんをライバル視してるみたいだけど」
「え?アレンさんですか?」
デイジーは口元に手を当てて驚く。やっぱり初耳だったらしい。これはレオン経由の情報なので、ラッセルも油断していたかもしれない。彼もまた、そっち方面はさっぱりなので、聞いてもすぐに忘れてくれるだろうという算段だった可能性もある。
ただ、デイジーは意外だと言わんばかりに首を傾げるだけだった。
「アレンさんですか・・・いえ、ちょっと、私には分かりませんけれど」
「そうそう。私も、アレンさんはちょっと分からないなーと思って。だけど、言われてみれば確かに、接点がないわけじゃないし」
「ええ、それは確かに・・・」
「でも、やっぱり接点があるだけなんだよなー。アレンさんもさっぱり押しがないから」
「そもそも、押すつもりがあるのかどうかも分かりませんけれど・・・」
そこでベティとデイジーは顔を見合わせた。
果てしなく嫌な予感がしたからだ。
「・・・このままだと、接点があるだけの男が、どんどん引っかかっていくんじゃない?」
「ですよね・・・もうラッセルとブレット、あと、未確認ですけどアレンさんも」
いつかちょっとした修羅場を見そうだ。なんとなく、ちょっと見てみたい気もするけれど。特に、ブレットが本当にリディアを賭けて剣の師匠であるアレンに挑んだら、それはそれで燃える展開だ。
しかし、その時、ようやく話題の中心が現実に戻ってきたらしい。
「・・・アレンさんがどうかしたの?」
いつの間にか顔色が戻ったリディアが、ティーカップを置きながらきょとんとした顔で尋ねてくる。もしかしたら、記憶まで飛んだのだろうかと思えるほど、落ち着き払った態度だった。
ベティとデイジーは一度目配せすると、その問いにまずデイジーが答える。その隙に、ベティは椅子の位置を元に戻した。この辺りも、以心伝心というやつだ。
「アレンさん、格好いいですよね、というお話です」
どうやら、まだ追撃するつもりらしいと、ベティは密かに理解する。ただ、多少穏やかな聞き方になっているので、手加減する気は一応あるようだ。この辺りもやはり、話し慣れている。展開次第でどちらにでも転がることができる柔軟な聞き方だ。
もっとも、答えは返ってこなかった。この軽いジャブで頬を染められるほど、リディアのハートはピュアなのだ。
さすがにこれ以上はオーバーキルになりかねないと見て、ベティは助け船を出しておいた。
「デイジーはどうなの?アレンさんとか」
リディアから矛先を変えてみる。もっとも、これはこれで興味のある話題ではある。リディアとは別の理由で、デイジーにも浮いた話がないからだ。
すると、多少頬を赤らめつつも、リディアは力強く頷いた。
「あ、うん・・・お似合いだと思う。アレンさん、強いし、真面目だし」
きっと、自分から話題が逸れて安心したのだろう。傍から見ても、それがバレバレだった。こういう時は、自然と声が大きくなるものだ。
さすがのデイジーも、これ以上のノックダウンは可哀想だと思ったに違いない。彼女が本気になれば、リディアを言葉だけで卒倒させられるのは間違いないが、もちろん、基本的には友人想いなため、退き際も心得ている。
「でも、アレンさんにはもっと相応しい方がいらっしゃるのでは?フィオナさんとか」
「あー、そうそう!私もそういえば、そういうイメージあるなー」
「イメージ?」
「なんていうか、アレンさんとフィオナさんが結婚するのが当たり前、じゃないけど・・・」
どういうわけか、子供の頃からそういう先入観があった。よくよく思い返してみれば、ふたりは特に仲がいいわけでもないし、もちろん付き合っていたこともない。むしろ、話しているところをあまり見たことがないくらいだ。だけど、ふたりが夫婦だったら素敵だろうなと思うことが多々あった。
ティーカップを持ち上げながら、デイジーは上品に微笑む。いわゆる、絵になる光景というやつだった。
「おふたりは美男美女ですからね。ベティの理想の夫婦像だったのでは?」
「あ、なるほどなー」
それもそうかもしれないと納得するベティ。ホレスと会ってからは、そういう理想像は霞んできた感があるものの、その前はそういうのに憧れていたのかもしれない。これもまた、惚気かもしれない。
ところが、デイジーはそこでとんでもない爆弾を放り込んできた。
「それに、アレンさんがアスリート、フィオナさんがジーニアスと思えば、冒険者のカップルとしても理想的ですから」
「ほう・・・」
思わず口元が笑ってしまうベティ。既に放り込まれてしまった以上、逃げるという選択肢はない。そんな言葉は、自分の辞書にはない。
「冒険者カップルといえば、レオンとステラもそうかー」
それだけ言って、リディアの様子を見ると、すぐに目が合った。案の定、平静を装ってはいるが、顔に赤みが差し始めていた。
「・・・何?」
「いや、リディアはあんまり驚かないなーと思って」
「なんで?」
「なんでも」
にっこり笑ってみせると、リディアはあからさまに視線を下ろして、紅茶に口をつける。あからさまに逃げの体勢だ。
だけど、その可愛いリディアの親友、デイジーは容赦なかった。
「ベティは、レオンさんのこと、どう思いますか?」
リディアが激しく咳き込む。
その反応だけで、ほとんど自白しているに等しい。
彼女の咳が収まるまで時間が必要なようだったので、その隙にベティはもう一度腰を浮かせて、デイジーの傍まで顔を近づけた。
「・・・ここだけの話、もし今年ステラが来てなかったら、レオンがデイジーの旦那様候補だったんじゃない?」
「いえ、そんなことは分かりませんよ」
「本当にー?」
半眼で尋ねてみると、デイジーは澄ましたした顔で紅茶を口にした。
「今でもれっきとした候補ですから」
さすがに聞いた瞬間はびっくりしたが、思ったほどでもなかった。多分、そうかもしれないと分かっていたからかもしれない。
きっと、自分だってそうなのだから。
「・・・おー、言うねえ」
「ですけど、今のレオンさんの夢は冒険者になることですから。私達よりも、ステラと一緒にいた方がいいに決まっています。それは、ベティやリディアだって、同じでしょう?」
やっぱり、デイジーはしっかり見抜いていた。
私も、もちろんリディアも、真っ直ぐで真面目で優しくて、最初は弱かったのにどんどん頼もしく成長していく彼に、きっと惹かれていた。恋愛感情と呼ぶにはまだ浅い気持ちだと思うけれど、明らかに他の異性とは一線を画した何かがある。
だけど、この想いがもっと育つまでは、何も告げない方がいい。育って欲しいのか、それとも消えて欲しいのか、自分でもよく分からないけれど。もしかしたら、ずっと告げないままかもしれない。だけど、彼の夢が叶って欲しいから、それでもいい。
今告げたら、今の関係を壊したら、きっと彼は困り果ててしまうだろうから。
「ただ、ステラも同じだと思いますよ」
「え?」
その発言は意外だったので、ベティは思わず目を丸くした。しかし、デイジーの物腰は、さすがの落ち着きを維持したままだった。
「貴族の家に産まれたのですから、恋愛と結婚は別という価値観が根付いていると思いますし。そもそも、私達の親友ですからね。私達と同じように彼のことを想いやってくれるのでは?」
「ああ・・・」
その言葉には、しっくりくるものがあった。
或いは、そんなステラだからこそ、レオンの隣にいて欲しいと思っているのかもしれない。もしこの町ではないどこかで、もっとレオンに相応しい女性が現れたとしても、彼女なら、彼の幸せを想って身を引いてくれるだろうから。
きっと、その時は、ステラも泣いてしまうだろうけれど。でも、そういう時こそ、この町に帰ってきた彼女と一緒に泣いて、慰めてあげる。
それが親友の役目。
もちろん、彼と彼女が結ばれたら、心の底から祝福してあげられる。まだ、それには少し早いかもしれないけれど、それもまた、心を通わせた親友の役目だ。
矛盾しているようだけど、そのどちらもできる自信がベティにはある。
デイジーにもリディアにも、きっとできる。
誰かひとりでも欠けて欲しくない。
皆で一緒に幸せになりたいから。
ベティは再び椅子に座り直すと、頬杖をついて窓の外を眺めた。雲がやや多いものの、天気は悪くない。それでも、どことなく寂しい雰囲気から、外気の冷たさが伝わってくるようだった。紅茶も温くなってしまっている。
しかし、それとは対照的に、表情は緩んでいた。
「・・・どうしたの?」
いつの間にか戻ってきていたリディアが、その明るい瞳を瞬かせる。
ベティはいつものように、屈託なく微笑んだ。
「私、幸せ者だなーと思って。リディアみたいな可愛い親友がいて」
「またそういうことを言う」
「リディアは、私達だけじゃ物足りない?」
さすがのリディアも、この言葉には穏やかに微笑んで、ゆっくりと首を振った。
「ううん。ずっと幸せ。ステラが来てからは、前よりもっと」
こういうことは、真顔で言える子なのだ。逆にベティの方が少し照れくさかったけれど、もちろん顔には出さなかった。
「これで素敵な旦那様がいたら、幸せ過ぎて倒れてしてしまうかもしれませんね」
「もう・・・」
淑やかにからかうデイジーと、可愛らしい困り顔になるリディア。そんな幼なじみによるいつもの談笑が始まる。その様子を口を控えて眺めながら、ベティは北のダンジョンに向かった見習い2人組に思いを馳せた。
あのふたりなら大丈夫。
ただ、怪我さえなければいいけれど。
「・・・早く帰って来ないかなー」
自分にだけ聞こえる微かな声で、ベティは囁く。
その声は彼女の頬や口元に溶け込み、その場所をほんの少しだけ明るい色に染めていった。