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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
第1章 自治都市ユースアイ
10/114

ファースト・エンカウント


 自治都市ユースアイは、レオンの故郷の村程ではないものの、十分に丘陵地と言える場所にある。

 レオンには低地でも、一般的な感覚からすれば高地。夏には避暑地として観光に来る人もいるらしい。周囲はなだらかな平原が広がっているし、未踏破ダンジョンとも距離があるから、モンスターがうろついている事もほとんどない。北から西にかけては大山脈の一角が占めていて、そこで育まれた大自然の実りと、天然の防衛網の恩恵を得ている。少し東に外れた場所には、大きな湖があって、景観はもとより、水資源の宝庫でもあるらしい。ただ、春や秋には、湖に流れ込む川が氾濫する事が多々あるらしく、それを避ける為に、少し離れた今の位置に町が形成されたという事だった。

 まだこの町に来て2週間程だが、住みやすい町だと思った最初の印象は揺らぐどころか、疑いようのない確信となっている。自然環境に恵まれた町なのは間違いないし、そこで生活する人々も、その豊かさを象徴するように、気質が穏やかな人が多い。レオンの村の人々も気性が荒いわけではないのだが、やはり育った環境そのままに、厳格で逞しい人が多かった。そんな中でも、レオンの家族は例外で、よくぼんやりしていると言われたものだが、この町ではそれほど浮いているわけではない。もちろん、田舎者で世間知らずなのは否めないけれど。

 そんな穏やかな町だから、防衛の為の施設がほとんどない。せいぜい獣がやってくる程度の事しかないのだろう。町の周囲には簡単な木製の塀があるだけ。門には警備の人間が一応立っているが、申し訳程度に槍を立てかけているだけである。訓練所のアレンさんが警備と教師を掛け持ちしているのも、きっと警備だけだと暇過ぎるからだろう。言わば、警備員というかボランティアの自警団なのだ。

 そのボランティアの警備員に、隣を歩くベティは慣れた様子で声をかける。普段は雑貨屋で働いていそうな、荒事とは無縁そうなお兄さんである。もしかしたら、一番重要な仕事は、ここを出入りした人間を覚えておく事なのかもしれない。腕っ節はともかく、記憶力ならば期待出来そうだった。

 レオンとベティは、並んでユースアイから出て行くところだった。

 方角は西。畑や放牧地の横を抜けながら、短い草の生えた道を歩く。昨日は雨が降ったが、歩きにくいほどはぬかるんでいない。近くには木々がほとんどない為、これ以上ないくらい見晴らしがよかった。

 右手には険しい山々。まだほんの少し雪が残っているようだ。

 左手には平原が続く。それが途切れた先には山々が見えるが、あまり高いようには見えない。もしかしたら、レオン達が立っているこの場所の方が高いのかもしれない。

 2人の目的地は、この町の郊外にあるというウイスキーの蒸留所だった。元々は、ベティの母親の両親の物だったらしいが、今管理しているのはベティの父親のガレットである。

「そういえば、どうしてわざわざ町の外に作ったんですか?」

 急に思いついたので、レオンは聞いてみる事にした。

 ベティがこちらを向く。いつものブラウンの瞳とポニーテール姿だが、今日はエプロンではなく、シャツの上に長袖の上着、そして薄汚れたズボンを履いている。完全に作業用のファッションだった。そして、背中に矢が詰まった矢筒を引っかけている。弓がないから危険はないはずだが、彼女が持っていると、なんとなく不安になる。

 かく言うレオンも、同じ物を背負わされていた。結構重いが、苦になる程ではない。

「水がどうとか、湿度がどうとか、要はそういう事らしいよ。こだわりの銘酒なんだって」

「なるほど・・・」

 レオンは頷く。場所にまでこだわって、味を追求したという事だろう。

「一応、ちょっとしたブランドらしいよ。少しだけだけど、遠くからも取り寄せの注文があるくらいだから」

 彼女はいつもの口調だったが、恐らく、そんなにありふれた事ではないはずだ。

「・・・あの、それって凄い事だと思うんですけど」

 その言葉にも、ベティは少し首を傾げるだけだった。

「そう?でも、私は小さい頃から飲んでるから」

 小さい頃からというのも極端な話だが、何を隠そう、レオンも小さい頃からアルコールを飲んでいた。お湯で何倍にも薄めた物だが、極寒の冬を越す為の生活の知恵である。

「そうですか・・・さすが酒場の娘という感じですね」

「そうだねー。お陰で今だと何杯飲んでも平気だよ」

「・・・あの、子供の頃からっていうのは、もしかして、薄めないで飲んでたんですか?」

 ベティは当然といった様子で頷く。

「当たり前でしょー?もしかして、レオンはお酒だめなの?」

「アルコールに強い弱いはともかくとして、ユースアイには飲酒の年齢制限はないんですか?」

 ちなみに、レオンの村にはなかった。だけど、普通はあるものだと聞いていたのだ。

「あるよー」

「あるよーって・・・いくつからですか?」

「16歳以上」

「・・・ベティさんの小さい頃っていうのは、もちろん16歳未満ですよね?」

「そうそう」

「それって・・・どう考えても法律違反じゃないですか?」

 そこでベティは微笑む。微笑みというには、邪過ぎる表情だったが。

「ばれたらしょうがないよねー」

「いや、しょうがないって・・・」

 たじろぐレオンだったが、ベティはすぐに表情を緩めた。

「まあ、本当の事を言うと、法律違反じゃないんだよ」

「え?そうなんですか?」

 ベティは得意げに頷く。だけど、すぐに少しだけ目を細めた。

「私が子供の頃にはね、私のお母さんのお父さん、つまりお祖父さんがまだ生きてたんだ。そのお祖父さんがウイスキーづくりを始めた人なんだけど、よく仕事場まで遊びに行ってたんだ。それで、まあ、お祖父さんは優しい人だったんだけど・・・なんていうのかな、押しに弱い人だったんだよね。孫が可愛かったんだと思うけど」

 レオンには、おぼろげながらも話の展開がよめた。

「まさか・・・ウイスキーを飲ませて欲しいって言ったんですか?」

 頼む方も頼む方だが、飲ませる方も飲ませる方である。

「そうなんだー。あの時のウイスキーは美味しかったな・・・きっと、孫娘への愛情がたっぷり詰まっていたからだよね」

 美談みたいな言い方だったが、もちろんそんなわけがない。

「あの、ベティさん」

「何?」

「結局、16歳未満でお酒を飲んでるわけですから、法律違反ですよね・・・?」

 ベティは右手の人差し指を立てて軽く振る。

「それが違うんだよ。私がお酒を飲んだのは、蒸留所の中でしょ?」

「・・・それがどうかしたんですか?」

「あそこはユースアイの法律の適応外なんだよ」

 それだけ言われても、レオンにはさっぱりである。

「・・・えっと、すみません。もう少し詳しくお願いします」

「うーん、私もあんまり詳しくないんだけど」

「そこをなんとか」

「じゃあ、だいたいでいくねー」  

 彼女は右手の人差し指をくるくる回し始める。何の意味があるのかはよく分からない。

「自治都市ってだいたいの事は自分で決められるんだけど、一部だけ、国に認可して貰わないと作れない物があるんだって。たぶん、鉱山とか河川の開発とか、要は資源系だと思うけど」

「へえ・・・」

 話が大き過ぎるので実感がわかないが、そういうものなのかもしれない。

「だけど、どういうわけか、お酒に関する施設も国の認可がいるんだよ。なんか、大昔にお酒が原因で争いみたいなのがあったらしくて、今の国になってからも、お酒に関する事は徹底しようって事になったんだって。歴史に学んだって事だと思うけど・・・あ、歴史の話ならデイジーが詳しいから、興味があったら聞いてみたら?」

「えっと・・・あ、はい。機会があったら」

 正直、興味云々の前に、お酒で争いが起きたという史実を想像するのすら難しい。どんな状況になったら、お酒程度の事で、そんな深刻な事態になるのだろうか。

 ベティは、回していた指を下ろして、話を続ける。

「そういうわけで、お酒関連の施設は全部国の管理下にあるって事になってるんだよね。だから、自治都市の管理内でも、蒸留所内は国の法律優先なんだ。それで、この辺りは、国の区分では寒冷地って事になってるんだよ。そして、もっと寒い山奥の方では、冬場に身体を温める為に子供にもアルコールを与える習慣があるから、寒冷地には特例が適応されてるんだって。レオンの村でも、普通に子供の時からアルコール飲んでたでしょ?」

「あ、はい」

「国の区分だと、ユースアイもレオンの村と同じって事になってるんだよねー。まあ、低地の人から見たら一緒なのかもしれないけど、ユースアイは結構新しい町だし、低地から来た人も多いからそんな習慣はないんだ。だから、ユースアイの法律では普通に16歳まで飲酒禁止。それなのに、蒸留所内は国の寒冷地特例で飲んでもよし。うん、不思議だねー」

「なるほど・・・」

 要は、蒸留所内は法律上ユースアイではないという事らしい。なんとなく屁理屈のような気もするが、レオンも同じ寒冷地特例の恩恵を受けていたわけだから、人の事をとやかく言う筋合いはない。

 ただ、一応一言だけ言っておこうと思った。

「それは分かりましたけど、ベティさん」

「何ー?」

「子供がウイスキーをストレートで飲むのはまずいと思いますよ・・・下手すると倒れるだけでは済みませんから」

 ウイスキーはアルコール度数が40を越えるものも珍しくないのだ。大人でも危険な状態になる事もあるくらいだから、身体の小さい子供は尚更である。

 ベティは楽しそうに言った。

「飲んだって言っても、ちょっとだけだし。でも、あれで味を覚えたのは確かだよね」

「・・・お祖父さんはとんでもない事を覚えさせましたね」

「何?もしかしてレオンはお酒ダメな人?」

「いえ、飲めない事はないですけど」

「そっかー。じゃあ、レオンが初めてダンジョンクリア出来たら、祝杯だねー」

 嫌な予感しかしない提案だった。

「祝杯って、あの、僕は別に・・・」

「我ながらいい事思いついたなー。どうせなら、みんな呼ぼうか。うんうん。みんなお酒強いからね。きっと凄い事になるよー」

「なるよーって・・・」

 凄い事ってどんな事だろうか。とりあえず気になったのは、血を見る事になるのかという事。そして、ならないまでも、怪我をしないで済むだろうかという事だった。ベティとガレットがいるだけで、半ば予想が出来る事だったが。

 本当に凄い事になるかもしれない。凄惨という意味で。

「・・・とりあえず、魂の試練場のクリアまでとっておいて貰えませんか?」

 レオンは控えめに、そう口にした。

 その言葉を言い終えた、その時だった。

 何の前触れもなく、その音は聞こえた。

 最初は、どこか遠くで雪崩が起きたのだろうかと思った。腹に直接響くような低い音。山の唸り声の様だった。

 レオンとベティは立ち止まる。

 2人がいるのは、ユースアイからかなり離れた場所である。町はだいぶ後方に見える。周囲にはもう畑等はなく、ただ丈の低い草地が広がるだけである。元々、こちら側には農地が少ないのかもしれない。

 見晴らしだけは抜群にいい。

「・・・獣の声だった?」

 ベティがこちらを見て聞く。いつもの彼女の笑顔はなりを潜めていて、どことなく不安げな表情だった。

 それを見て、レオンは自分の表情を認識した。

 見た人が不安になるくらい、怖い顔をしていたんだ。

「いや・・・」

 笑おうとは思えなかった。狩人生活の長かったレオンにははっきりと分かったからである。

 あれは獣の声じゃない。あんな声で鳴く獣は、あの山にはいない。

 そうなると、他に考えられる可能性は、そう多くはない。

 そこでまた、地響きの様な音が聞こえる。

 レオンは驚いた。

 とんでもなく近い。

 そして、音はすぐに終わらなかった。

 どんどん近づいてくる。

 黙ったまま、ベティの腕を左手で掴んだ。

「え?何?ちょっと・・・」

 少女の狼狽えた声に構わず、レオンは体勢を低くする。ベティに背を向けて、右手を短剣の柄に持っていった。

 近づいてくる地響き。そして振動がはっきりと伝わってくる。

 まさかとは思った。だけど、もう疑いようがない。

 何か地中にいる。

 しかも、かなり大きいやつが。

 あと数秒もすれば、ここに到達するだろう。

 武器はある。だけど、鎧がない。戦えるだろうか。

 だが、レオンの決断は早かった。

「逃げて」

 自分だろうかと疑うくらい無機質な声だった。同時に、背負っていた矢筒を地面に放り出す。

「え?」

 背後の彼女が戸惑っているのが分かる。だけど、もう待っていられなかった。

 レオンは左手でベティの身体を突き飛ばした。彼女の身体が自分から離れる。

「逃げて!ベティ!」

 その声のわずか後。

 自分の二の腕くらいはあろうかという程の太さの針が、突如地面から飛び出してくる。

 レオンの顔めがけて。

 咄嗟に右後方に倒れ込む。避けたつもりだったが、もしかしたら腰が抜けたのかもしれない。だが、すぐに左手をついて反動で立ち上がれた。体勢を整えながら、周囲を観察する。

 そこで見てしまった。

 針だと思ったのはほんの一部で、実際には黒い木の幹の様な物の先に、同じ黒い針が付いていただけである。針自体はそれほど太くないが、それでも槍の穂先くらいはあった。その針を操る黒い幹は怪しく蠢いている。

 それだけでも十分気色悪いが、それに拍車をかけるものがあった。

 目玉。

 そうとしか例えようのないものが、地面から顔を出しているのだ。生えていると言った方がいいかもしれない。

 その周囲は地面がめくれてしまっていて、幸か不幸か、目玉の動きがよく分かる。キョロキョロと辺りを観察しているようだ。大きさは人間の物どころではなく、明らかにどの生物のものより大きい。

 生物ではないのだ。

 いつか戦う事になるはずだった。その時に緊張しないように、あるいは恐れないように、心の準備をしていたはずだった。その成果なのかは分からないが、とりあえず、緊張も恐怖もそれほどではない。だからといって、もちろん嬉しいわけがない。

 まさか、こんな所で会うなんて。

 目玉の周囲の地面が崩れていく。

 地震のような地響き。

 やがて、地中からせり上がるようにして、それは全貌を表した。   

 サソリという虫によく似ていた。同じ様な地を這う体勢に、大きな鋏状の前脚。長い尻尾の先には鋭そうな針。ただ違うのは、その大きさが、高さで2メートル、全長は尻尾を入れれば軽く5メートルを超すくらいはあるという事。鋏以外の脚が4本しかない事。  

 そして、通常なら顔にあたる部分に、大きな目玉がひとつだけしかない事。

 見たらもう疑いようがない。こんな生物はいない。

 間違いなく、モンスターだった。

 レオンは右手にスローイングダガーを握る。左手にも握っておくが、投げるのは無理だ。投擲には相当な技術が必要で、レオンはまだ右手でしか投げられない。左手に持っていても、持ち替えの時間を短縮する程度の意味しかない。

 武器はダガーが3本とショートソード。これ以外には何も準備していない。

 その一本目のダガーをレオンはいきなり投擲した。

 狙いは目玉。一番弱そうな部位だったからである。

 だが、サソリ型のモンスターは、あっさりと左の鋏でそれが弾いた。機敏かつ的確な動き。

 巨体に似合わないその動きに驚きつつも、早くも困り果てた。

 自分の装備があまりにも少な過ぎるのだ。もっと武器や道具があれば工夫しようがあるが、それもない。近づこうにも、鎧がないから強気には出られない。かといって、弓もないから遠距離だと決定打がない。投擲程度の速度だと見切られてしまうのだ。

 隙をつくしかない。

 2本目のダガーを腰から抜こうと思った時だった。 

 目玉の周りで紫の光が軌跡を描く。

 信じられなかった。

 幼い頃に、母親に一度だけ見せて貰った事があった。あの時は青白い光だったが、今のも間違いない。

 魔法だ。

 そう気付いた時には遅かった。

 球形だったモンスターの目玉の輪郭が突如歪む。

 直後、レオンの身体はバランスを崩しそうになる。

 音は普通に聞こえる。だけど、視界がおかしい。水の上に垂らした油が広がっていくように、中心から歪んでいく。

 魔法の効果だという事には、すぐに気付いた。

 もちろん気分は良くない。だけど、目を瞑ったらもっと酷い事になる。

 その予感が、レオンの気力を保っていた。

 モンスターが近づいてくるのを音で判断する。虫が動き回るような小さな音ではないが、ぬかるんだ地面のせいで、音の大半が吸収されてしまっているようだ。

 何を恐れるべきなのか、向こうの武器で注意すべき物は何なのか、必死に考えた。

 尻尾の針だ。

 歪んだ視界に黒い面積が増えたとき、咄嗟に身体を右に捌く。視界が曖昧だから、上手く動けたのかよく分からない。

 左側で風を切るような音が響く。

 上手く避けられたのか。

 だが、その一撃で終わりではなかった。

 腹部に衝撃。

 後方に飛ばされる。地面から足が離れて、宙を浮く程のパワーだった。

 地面に倒れ込む。

 腹部の痛みに耐えながら、必死に息をした。それと同時に、頼りにならない視界は諦めて、耳の方に神経を注ぐ。

 地を引きずる音が近づいてくる。

 速い。

 勘弁して欲しいと思った。あるいは、諦めて楽になりたいと思ったのかもしれない。何の前触れもなく、アレンの言葉を思い出す。最初は誰でも負けたいと思っている。きっと用法は間違っているけれど、今の自分と少なからず共通点はあるような気がした。

 だけど、レオンは諦めない。

 それが父からの教えだったから。

 自分がとどめを刺す動物達。彼らは最後まで目を逸らしたりはしない。最後までじっとこちらを見ているのだ。

 それが生きるという事だ。

 父の声が聞こえた気がした。

「レオン!」

 ベティの叫ぶような声。

 危機感が体中を駆け巡る。 

 左手を地面に叩きつけ、その反動だけでその場から離れた。

 わずかに遅れて、地面を抉るような音。

 右手をついて体勢を起こしながら、内心助かったと思った。思わずベティにお礼を言いそうになる。

 だけど、いつまで避けていられるだろうか。

 この目眩ましの魔法がどれくらい続くものなのか、レオンには判断出来ない。魔法を使った事はおろか、効果を体験したのも今が初めてなのだ。予測なんて出来るわけがない。

 モンスターの足音は容赦なく近づいてくる。

 諦める気はない。だけど、手が何も思い付かない。

 焦りが顔を出す。

 だが、突然、モンスターの足音が乱れたような気がした。

 レオンは訝しんだ。普通にこちらに迫ってくる感じではない。脚を地面に擦り付けているような、ともすればのたうち回っているような、そんな感じだ。

 その時、突然レオンの視界が戻った。何の予兆もなかった為、魔法が切れたのだと気付くのに時間がかかった。

 そして、目の前の光景に驚く。

 そこにいたのはサソリ型のモンスター。そこまでは当然だが、視界が戻ってみると、それは本当にのたうち回っていた。十分気持ち悪い光景だが、それよりもレオンは、モンスターにも痛覚があるんだなとぼんやりと思った。

 痛みの原因。それは、モンスターの目玉を見れば明らかだった。

 その中心を、矢が数本も深々と貫いている。

 よく見ると、それは今日自分とベティが背負っていた矢にそっくりだった。自分のはとっくに放り出してしまったから、もしかしてベティの矢だろうか。

 だけど、彼女は弓を持っていなかったはずだ。そう考えながら、レオンはベティを突き飛ばした方へと視線を向ける。

 なんだか随分久し振りに見た気がするベティは、今も尻餅をついたままの体勢だった。大怪我をしている様子はないので、とりあえず安堵する。彼女の矢筒は背負われたままだ。

 彼女は自分とは反対側を見ている。

 レオンもそちらを見た。

 最初は誰もいないと思った。だが、よく見ると平原の遙か彼方に、馬に乗った人物がいる。

 その人物が馬を駆りながら、弓を構えたように見えた、その一瞬後。

 感じたのは、視界で捉えきれない程の速度で飛来した何か。

「え?」

 思わず声に出るほど驚いた。

 モンスターの目玉に刺さった矢がいつの間にか増えている。それを確認している間にも、次々と吸い込まれるように突き刺さっていく。中には、貫通し過ぎて、やじりが見えてしまっているものもあった。

 レオンはもう一度馬の位置を確認した。軽く200メートル以上は離れている。あんな距離では、狙いに正確に命中させる事はもちろん、これだけ深々と刺さる勢いが残っている事もあり得ない。ましてや馬を駆りながらとなると、想像も出来ない領域の腕前だ。

 だが、状況から考えるとそれしかない。何故なら、他には誰もいないのだから。

 目玉を蜂の巣にされたモンスターはほとんど動かなくなった。

 やがて、身体中から紫の煙を出したかと思うと、空気に溶け込むように薄くなって、あっという間にその姿を消した。

 助かったとは思わなかった。

 この信じがたい弓の腕を見せられて、ただ呆然と、何もいなくなったモンスターの跡を眺めていた。



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