雪解けの道
まだ雪が残っているからなのか、荷馬車越しに伝わってくる振動も控えめだ。まるで今日の日の僕の為に、雪を残しておいてくれたみたいに。春が雪解けを先延ばしにしてくれていたのだろうか。
きっと、明日からは本格的な春。
自然と顔が綻ぶ。
もっとも、村を出る時から、ずっと緩みっぱなしだったけれど。
澄んだ心地いい空気。
何かの果物を干した物だろうか。甘い匂いが漂ってくる。
何より、抑えきれない期待。
レオンは馬車の外に目を向ける。
抜けるような青空。雲一つない、まさに快晴。
本当にいい日だ。
神様と、そしてイブ様に感謝しないと。
「おーい。坊主」
荷馬車の御者の声。まだ若い男性だ。たまに村までやってくる行商の人らしい。今日までほとんど面識はなかったが、レオンの旅立ちの事を聞いて、ついでだからいいよと快く馬車に乗せてくれた、優しい人だ。
レオンは馬車の中から顔だけ出して聞いた。
「何ですか?」
御者の男性は、手綱を握ったまま、ちらりとだけこちらを見る。口元が少しあがっていた。
「見えるだろ?」
彼の言葉の意味がすぐには飲み込めなかった。だけど、彼と同じように前を向いてみると、すぐに分かった。
山を下りた先。まだ遠いその先には、見渡す限りの平原が広がっている。
そして、その広大な土地にぽつりと、だが確かに町が見えた。
自治都市ユースアイ。
「うわぁ・・・!」
目を輝かせるレオンを見て、御者は少し苦笑したようだ。
「ちっさい町だよなぁ」
「小さいんですか?」
きょとんとした顔で聞くと、今度は声を出して笑われた。それがどうしてなのか分からなかったので、レオンはますます首を捻った。
「小さい小さい。まだ出来て400年くらいだし、それに、交通の要所ってわけでもないから、あんまり大きくならないんだよなぁ」
「へえ・・・」
「でも、住んでるのはいい奴ばかりだから、坊主みたいな田舎者にはちょうどいいな。せいぜい腕を磨いて、名のある冒険者になってくれよ。出来たら、サイレントコールドくらいの」
レオンは照れて頭を掻く。
「いや、そこまでは、ちょっと・・・」
「そうか?じゃあ、俺のお得意様になってくれればいいや」
男はそこでまた笑った。やっぱり理由は分からなかったが、レオンもつられて笑った。
ひとしきり笑ったところで、御者がまた一瞬だけこちらを見た。
「というか、坊主。お前、ジーニアス?」
ジーニアスとは魔法が使える冒険者の総称だ。つまり、彼の質問の意味は、貴方は魔法が使えますかという事である。
「いえ、魔法は全然」
「でも、サイレントコールドの故郷だよな?お前の村」
「あ、はい。でも、僕は全く才能がないみたいで。一応調べて貰おうと思っているんですけど、たぶん魔法はダメですね。だから、アスリート志望で頑張ってみようかと」
アスリートとはジーニアスの反対。つまり魔法が使えない冒険者の事。冒険者を大別すると、このどちらかになる。アスリートの方は、剣とか弓とか、体力勝負の冒険者が多い。
「それは苦労しそうだな。お前はあんまり身体が大きくないし・・・っていうか、明らかに弱そうだもんなぁ。俺の方が強いんじゃないか?」
酷い言われようだが、まったく異論はなかった。レオン自身も、それは自覚している。
実際、レオンは村の中でも、あまり腕っ節が強いとは言えなかった。身長は普通くらい。身体もあまり逞しいとは言えない。幼い頃は、よく女の子と間違えられたほどで、きっと、母親に似たのだろうとよく言われる。黒い髪と濃い瞳はまさに母親ゆずりである。だが、母親には魔法の才能が少しだけあったのに、それはレオンにはさっぱり遺伝しなかった。
多少残念ではあるが、レオンはあまり気にしていない。父親も母親も、レオンの旅立ちを応援してくれた。優しい両親だから、それだけで十分だ。
レオンは苦笑しながら言った。
「そうですよね。一応はいろいろ訓練してみたんですけど」
「なんかさ。一年くらいたったら、あそこの雑貨屋か何かで働いてる気がする」
「そんな事は・・・ないとは言い切れないですね」
もしダンジョンで大怪我でもしたら、そうなっているかもしれない。
その返答に、御者の男は少し口元をあげる。
「謙虚だねぇ。まあ、身体が小さいアスリートでも、伝説になった奴はいるんだ。スニークとかはいい例だよな。お前も大方、その辺りを目指してるんだろ?」
その質問はレオンには答えにくいものだった。
普通はそこで、はいとかいいえとか、はっきり答えられるのだ。冒険者を志す人達は、みんな確固たる目標というか、指針がある。サイレントコールドとかスニークというのは、冒険者として伝説になった人達に与えられた称号で、今を生きる冒険者達の目標でもある。だが、彼らの名前には、それ以上の意味もある。
仕方なく、レオンは正直に答える事にした。
「いえ、その・・・なんていうか、僕は分からないんです」
「へ?」
男が驚いた表情でこちらを見る。予想していた通りの反応だった。そんなに驚かせて申し訳ないという気持ちが、レオンの心の中で急速に膨らんだ。
若干焦りながらも、慎重に言葉を選んで説明する。
「そのですね・・・実は全く前世の記憶がないんです。イブ様どころか、夢自体も全く見た事がなくて。だから、冒険者になったら分かるんじゃないかと思って、決心したんです。もし一人前の冒険者になれたら、アーツを手に入れられたら、前世が分かるんじゃないかって」
これで分かって貰えるだろうかと不安になりながら、レオンは御者の男の顔を見つめる。
その男は目を見開いたまま固まっていた。彼のこんな顔を見るのは初めてだ。村を経ってからまだ一日半ほどの付き合いだが、いつも気さくで余裕のある男。まだ若く見えるが、自分よりは明らかに年上だし、自分が彼の年齢になった時、彼くらい落ち着きある大人になれているとは思えない。そんな男が、思考停止するほどの事実なのだ。頭では分かってはいたものの、目の当たりにしてみると、自分でも意外なくらいだった。
「・・・やっぱり変ですか?」
おずおずと聞くと、男はやっと我に返ったようだった。
「あ、いや・・・まあ、そうだな。少なくとも、そんな奴は初めて聞いた」
「初めてですか?やっぱり珍しいんですかね」
「珍しいっていうか・・・そんな奴がいるとは思わなかった」
レオンはそこで、かねてからの懸念を相談してみる事にした。
「これ・・・ギルドに話しても、受け入れて貰えると思いますか?」
男は難しい顔をしながら前を向いた。
レオンにしてみれば、前世が見えないというのが、冒険者を志す最大の動機でもあり、また、最大の懸念でもあった。自分には見えないその前世というものを、多くの冒険者は自分の指針にする。前世が剣士ならば剣士の道を、魔術師なら魔術師の道を志すものなのだ。それが最も自分に適した道で、何より、前世の記憶がその楽しさを教えてくれる。
その指針がない自分は、いわば真っ暗闇にいる状態。これがどれくらいのハンデなのか、自分では分からないのだが、不安は不安だった。
黙ったまましばらく考えていたが、やがて唐突に口を開いた。
「俺さ。今は見ての通りの商売人だけど、夢の中では料理人なんだよ」
突然の話題に、レオンは反応が出来なかった。
「料理人っていっても、俺に見えるのは見習いの時の記憶だけなんだけどさ。しかも、そんなに大きくないレストランなんだ。だから、まあ、そんなに腕がいいわけじゃなかったんだろうな。だけど、料理に魅せられているのは、もの凄く伝わってくるわけ。見習いだから、自分の好きな料理なんか作らせて貰えないんだけどさ。でも、それでも楽しかったんだ。食材を前にした時の高揚感だけは変わらない。今だって、料理人じゃないけど、料理は好きなんだ。昨日の煮込み料理も旨かっただろ?」
レオンは頷く。確かに素人の料理ではなかったが、行商だから料理も自然に身についたのだろうと思いこんでいた。
「そんな俺でも、今は料理人じゃなくて行商をやってる。もちろん、食材をみる時には役に立つ事もあるけど、せいぜいそんな程度。だから、まあ、前世なんてその程度だと思えばいいんじゃないか?ギルドの方も、まあ困るかもしれないけど、みんながみんな、前世と同じ道を選ぶってわけじゃないと思うし・・・ユースアイのギルドは小さいところだから、いきなり追い返したりはしないと思うな。もっと大都市だと、大勢いて忙しいから、坊主みたいな初心者は相手にされないかもしれないけど」
「そうですか・・・」
レオンは少し考え込む。
そこで男が可笑しそうに言った。
「今から戻れっていうのはお断りだからな」
慌ててレオンは首を振る。
「いえ!全然。あの、話して貰ってありがとうございます」
「あんな話でよければいつでも。しかし・・・前世の記憶がないから冒険者になりたいっていうのも、結構な話だよなぁ」
「やっぱり変ですよね」
「だなぁ。でも、もしかしたら、お前、凄い奴なんじゃないか?」
突然の言葉に、レオンは戸惑う。
「え・・・何でですか?」
「だって、前世がないなんて奴、相当なレアなわけだ。もしかしたら、お前1人かもしれない。実は、凄い秘密があるとか、そういう事かもしれないだろ?」
「いや、秘密って言われても」
「もしかしたら、歴史に名を残すんじゃないか?サイレントコールドみたいに」
「だから僕、魔法使えませんって」
「じゃあ、スニークみたいに」
「僕の事、弱そうだって言ってたじゃないですか」
「いや、失敗したなぁ。そんな大物だとは思わなかったから」
「あの、人の話を・・・」
「俺、伝説の男の旅立ちを案内した男になったわけか。どうせなら、もう少し為になる話をしとくんだったなぁ。いや、今でも遅くないか。そうか。そうだよな。よし、じゃあ、とりあえず、俺の女性遍歴をざっと・・・」
全く為にならない予感しかしなかった。
「いや、それはちょっと・・・」
「そうか?確実に為になると思うけど。お前だって、これから何人もの女性を泣かせることになるわけだし」
「勝手に変な予定を立てないで下さい」
「いやいや。絶対泣かせるぞぉ。冒険者だって、いろんな所をふらふらするわけだし。つまり、それだけ出会いがあるわけだからな。特にお前は、腕っ節は弱そうだけど、見た目は悪くないっていうか・・・絶対、各所で女の子をひっかけていくタイプだな」
「人聞きが悪いですよ」
そこで急に、男の目が細くなった。
「よく考えたら、そういうタイプの男が一番迷惑なんだよなぁ。うろちょろしてないで一カ所に留まってくれればいいんだけど・・・でも、お前は伝説になってしまうわけだから、そんなわけにもいかないだろうし」
何か言い返そうとしたが、なにやら雲行きが怪しかったので、黙り込む。
男の横目には明らかな敵意が込められていた。
「そうか。そうだよなぁ。将来伝説になるとはいえ、今はまだひよっこなわけだ。ここでさくっと処分しておくって手もあるよな。いや、それどころか、ここで俺が倒せば、もしかして、俺が伝説の男って事に・・・」
「いえ、ならないです・・・よ、ね?」
最後の方は声にならなかった。男がすっとこちらを向いたからである。
もの凄い目をした男に睨まれる格好になった。
まだ平原の手前の山奥。
逃げたら逃げたで、気温や獣といった敵がいる。食料もほとんどない。
どうしよう。
だが、不意に男の表情が緩んだ。
助かった。
レオンの正直な感想はそれだった。
男がまた前を向きながら言う。
「まあ、そういう事だから」
急な言葉に、レオンは戸惑う。
「何がですか?」
「不用意に女に手を出すのはまずいって事。変なところで恨みをかったりするからさ。だから、気をつけた方がいい。為になった?」
「・・・はい」
気をつけるもなにも、そんなつもりはさらさらないわけだがら、はっきり言って余計なお世話だったが、口にすることは出来なかった。
少なくとも、さっきの眼差しを忘れるまでは。
何事もなかったかのような口調で、御者の男は口を開く。
「しっかし、天気いいなあ。これだと、明日の朝には着けそうだ。お前もそのつもりで準備しとけよ」
「あ、はい。分かりました」
男は機嫌良さそうに口笛を吹き始める。全く聞いた事のない、テンポの速い曲だった。
レオンはなんとなく、眼下に広がる平原を見つめる。
下っていく山道も、徐々に雪が減りつつある。標高が下がってきた証拠かもしれない。ずっと山奥で育ってきたレオンにとって、初めての下山。不安もあるが、やはり期待の方が大きい。御者の彼が言うように、多くの人との出会いがあるだろう。最初に会った彼から得た、記念すべき最初の教訓は、多少残念な内容だったけれど。
でも、面白い。
レオンは微笑む。きっとこれからもそうだ。きっと楽しい事がたくさんあるはず。
この先の平原。春の草原の中にある小さな町。ユースアイには。
その姿も徐々に近づいてくる。
風も次第に暖かくなる。
春。
旅立ち。
雪の下から新芽が顔を出す。そんな季節だった。