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夢色彩のカーバンクル  作者: 倉元裕紀
プロローグ
1/114

雪解けの道



 まだ雪が残っているからなのか、荷馬車越しに伝わってくる振動も控えめだ。まるで今日の日の僕の為に、雪を残しておいてくれたみたいに。春が雪解けを先延ばしにしてくれていたのだろうか。

 きっと、明日からは本格的な春。

 自然と顔が綻ぶ。

 もっとも、村を出る時から、ずっと緩みっぱなしだったけれど。

 澄んだ心地いい空気。

 何かの果物を干した物だろうか。甘い匂いが漂ってくる。

 何より、抑えきれない期待。

 レオンは馬車の外に目を向ける。

 抜けるような青空。雲一つない、まさに快晴。

 本当にいい日だ。

 神様と、そしてイブ様に感謝しないと。

「おーい。坊主」

 荷馬車の御者の声。まだ若い男性だ。たまに村までやってくる行商の人らしい。今日までほとんど面識はなかったが、レオンの旅立ちの事を聞いて、ついでだからいいよと快く馬車に乗せてくれた、優しい人だ。

 レオンは馬車の中から顔だけ出して聞いた。

「何ですか?」

 御者の男性は、手綱を握ったまま、ちらりとだけこちらを見る。口元が少しあがっていた。

「見えるだろ?」

 彼の言葉の意味がすぐには飲み込めなかった。だけど、彼と同じように前を向いてみると、すぐに分かった。

 山を下りた先。まだ遠いその先には、見渡す限りの平原が広がっている。

 そして、その広大な土地にぽつりと、だが確かに町が見えた。

 自治都市ユースアイ。

「うわぁ・・・!」

 目を輝かせるレオンを見て、御者は少し苦笑したようだ。

「ちっさい町だよなぁ」

「小さいんですか?」

 きょとんとした顔で聞くと、今度は声を出して笑われた。それがどうしてなのか分からなかったので、レオンはますます首を捻った。

「小さい小さい。まだ出来て400年くらいだし、それに、交通の要所ってわけでもないから、あんまり大きくならないんだよなぁ」

「へえ・・・」

「でも、住んでるのはいい奴ばかりだから、坊主みたいな田舎者にはちょうどいいな。せいぜい腕を磨いて、名のある冒険者になってくれよ。出来たら、サイレントコールドくらいの」

 レオンは照れて頭を掻く。

「いや、そこまでは、ちょっと・・・」

「そうか?じゃあ、俺のお得意様になってくれればいいや」

 男はそこでまた笑った。やっぱり理由は分からなかったが、レオンもつられて笑った。

 ひとしきり笑ったところで、御者がまた一瞬だけこちらを見た。

「というか、坊主。お前、ジーニアス?」

 ジーニアスとは魔法が使える冒険者の総称だ。つまり、彼の質問の意味は、貴方は魔法が使えますかという事である。  

「いえ、魔法は全然」

「でも、サイレントコールドの故郷だよな?お前の村」

「あ、はい。でも、僕は全く才能がないみたいで。一応調べて貰おうと思っているんですけど、たぶん魔法はダメですね。だから、アスリート志望で頑張ってみようかと」

 アスリートとはジーニアスの反対。つまり魔法が使えない冒険者の事。冒険者を大別すると、このどちらかになる。アスリートの方は、剣とか弓とか、体力勝負の冒険者が多い。

「それは苦労しそうだな。お前はあんまり身体が大きくないし・・・っていうか、明らかに弱そうだもんなぁ。俺の方が強いんじゃないか?」

 酷い言われようだが、まったく異論はなかった。レオン自身も、それは自覚している。

 実際、レオンは村の中でも、あまり腕っ節が強いとは言えなかった。身長は普通くらい。身体もあまり逞しいとは言えない。幼い頃は、よく女の子と間違えられたほどで、きっと、母親に似たのだろうとよく言われる。黒い髪と濃い瞳はまさに母親ゆずりである。だが、母親には魔法の才能が少しだけあったのに、それはレオンにはさっぱり遺伝しなかった。

 多少残念ではあるが、レオンはあまり気にしていない。父親も母親も、レオンの旅立ちを応援してくれた。優しい両親だから、それだけで十分だ。

 レオンは苦笑しながら言った。

「そうですよね。一応はいろいろ訓練してみたんですけど」

「なんかさ。一年くらいたったら、あそこの雑貨屋か何かで働いてる気がする」

「そんな事は・・・ないとは言い切れないですね」

 もしダンジョンで大怪我でもしたら、そうなっているかもしれない。

 その返答に、御者の男は少し口元をあげる。 

「謙虚だねぇ。まあ、身体が小さいアスリートでも、伝説になった奴はいるんだ。スニークとかはいい例だよな。お前も大方、その辺りを目指してるんだろ?」

 その質問はレオンには答えにくいものだった。 

 普通はそこで、はいとかいいえとか、はっきり答えられるのだ。冒険者を志す人達は、みんな確固たる目標というか、指針がある。サイレントコールドとかスニークというのは、冒険者として伝説になった人達に与えられた称号で、今を生きる冒険者達の目標でもある。だが、彼らの名前には、それ以上の意味もある。

 仕方なく、レオンは正直に答える事にした。

「いえ、その・・・なんていうか、僕は分からないんです」

「へ?」

 男が驚いた表情でこちらを見る。予想していた通りの反応だった。そんなに驚かせて申し訳ないという気持ちが、レオンの心の中で急速に膨らんだ。

 若干焦りながらも、慎重に言葉を選んで説明する。

「そのですね・・・実は全く前世の記憶がないんです。イブ様どころか、夢自体も全く見た事がなくて。だから、冒険者になったら分かるんじゃないかと思って、決心したんです。もし一人前の冒険者になれたら、アーツを手に入れられたら、前世が分かるんじゃないかって」

 これで分かって貰えるだろうかと不安になりながら、レオンは御者の男の顔を見つめる。

 その男は目を見開いたまま固まっていた。彼のこんな顔を見るのは初めてだ。村を経ってからまだ一日半ほどの付き合いだが、いつも気さくで余裕のある男。まだ若く見えるが、自分よりは明らかに年上だし、自分が彼の年齢になった時、彼くらい落ち着きある大人になれているとは思えない。そんな男が、思考停止するほどの事実なのだ。頭では分かってはいたものの、目の当たりにしてみると、自分でも意外なくらいだった。

「・・・やっぱり変ですか?」

 おずおずと聞くと、男はやっと我に返ったようだった。

「あ、いや・・・まあ、そうだな。少なくとも、そんな奴は初めて聞いた」

「初めてですか?やっぱり珍しいんですかね」

「珍しいっていうか・・・そんな奴がいるとは思わなかった」

 レオンはそこで、かねてからの懸念を相談してみる事にした。

「これ・・・ギルドに話しても、受け入れて貰えると思いますか?」

 男は難しい顔をしながら前を向いた。

 レオンにしてみれば、前世が見えないというのが、冒険者を志す最大の動機でもあり、また、最大の懸念でもあった。自分には見えないその前世というものを、多くの冒険者は自分の指針にする。前世が剣士ならば剣士の道を、魔術師なら魔術師の道を志すものなのだ。それが最も自分に適した道で、何より、前世の記憶がその楽しさを教えてくれる。

 その指針がない自分は、いわば真っ暗闇にいる状態。これがどれくらいのハンデなのか、自分では分からないのだが、不安は不安だった。

 黙ったまましばらく考えていたが、やがて唐突に口を開いた。

「俺さ。今は見ての通りの商売人だけど、夢の中では料理人なんだよ」

 突然の話題に、レオンは反応が出来なかった。

「料理人っていっても、俺に見えるのは見習いの時の記憶だけなんだけどさ。しかも、そんなに大きくないレストランなんだ。だから、まあ、そんなに腕がいいわけじゃなかったんだろうな。だけど、料理に魅せられているのは、もの凄く伝わってくるわけ。見習いだから、自分の好きな料理なんか作らせて貰えないんだけどさ。でも、それでも楽しかったんだ。食材を前にした時の高揚感だけは変わらない。今だって、料理人じゃないけど、料理は好きなんだ。昨日の煮込み料理も旨かっただろ?」

 レオンは頷く。確かに素人の料理ではなかったが、行商だから料理も自然に身についたのだろうと思いこんでいた。

「そんな俺でも、今は料理人じゃなくて行商をやってる。もちろん、食材をみる時には役に立つ事もあるけど、せいぜいそんな程度。だから、まあ、前世なんてその程度だと思えばいいんじゃないか?ギルドの方も、まあ困るかもしれないけど、みんながみんな、前世と同じ道を選ぶってわけじゃないと思うし・・・ユースアイのギルドは小さいところだから、いきなり追い返したりはしないと思うな。もっと大都市だと、大勢いて忙しいから、坊主みたいな初心者は相手にされないかもしれないけど」

「そうですか・・・」

 レオンは少し考え込む。

 そこで男が可笑しそうに言った。

「今から戻れっていうのはお断りだからな」

 慌ててレオンは首を振る。

「いえ!全然。あの、話して貰ってありがとうございます」

「あんな話でよければいつでも。しかし・・・前世の記憶がないから冒険者になりたいっていうのも、結構な話だよなぁ」

「やっぱり変ですよね」

「だなぁ。でも、もしかしたら、お前、凄い奴なんじゃないか?」

 突然の言葉に、レオンは戸惑う。

「え・・・何でですか?」

「だって、前世がないなんて奴、相当なレアなわけだ。もしかしたら、お前1人かもしれない。実は、凄い秘密があるとか、そういう事かもしれないだろ?」

「いや、秘密って言われても」

「もしかしたら、歴史に名を残すんじゃないか?サイレントコールドみたいに」

「だから僕、魔法使えませんって」

「じゃあ、スニークみたいに」

「僕の事、弱そうだって言ってたじゃないですか」

「いや、失敗したなぁ。そんな大物だとは思わなかったから」

「あの、人の話を・・・」

「俺、伝説の男の旅立ちを案内した男になったわけか。どうせなら、もう少し為になる話をしとくんだったなぁ。いや、今でも遅くないか。そうか。そうだよな。よし、じゃあ、とりあえず、俺の女性遍歴をざっと・・・」

 全く為にならない予感しかしなかった。

「いや、それはちょっと・・・」

「そうか?確実に為になると思うけど。お前だって、これから何人もの女性を泣かせることになるわけだし」

「勝手に変な予定を立てないで下さい」

「いやいや。絶対泣かせるぞぉ。冒険者だって、いろんな所をふらふらするわけだし。つまり、それだけ出会いがあるわけだからな。特にお前は、腕っ節は弱そうだけど、見た目は悪くないっていうか・・・絶対、各所で女の子をひっかけていくタイプだな」

「人聞きが悪いですよ」

 そこで急に、男の目が細くなった。

「よく考えたら、そういうタイプの男が一番迷惑なんだよなぁ。うろちょろしてないで一カ所に留まってくれればいいんだけど・・・でも、お前は伝説になってしまうわけだから、そんなわけにもいかないだろうし」

 何か言い返そうとしたが、なにやら雲行きが怪しかったので、黙り込む。

 男の横目には明らかな敵意が込められていた。

「そうか。そうだよなぁ。将来伝説になるとはいえ、今はまだひよっこなわけだ。ここでさくっと処分しておくって手もあるよな。いや、それどころか、ここで俺が倒せば、もしかして、俺が伝説の男って事に・・・」

「いえ、ならないです・・・よ、ね?」

 最後の方は声にならなかった。男がすっとこちらを向いたからである。

 もの凄い目をした男に睨まれる格好になった。

 まだ平原の手前の山奥。

 逃げたら逃げたで、気温や獣といった敵がいる。食料もほとんどない。

 どうしよう。

 だが、不意に男の表情が緩んだ。

 助かった。

 レオンの正直な感想はそれだった。

 男がまた前を向きながら言う。

「まあ、そういう事だから」

 急な言葉に、レオンは戸惑う。

「何がですか?」

「不用意に女に手を出すのはまずいって事。変なところで恨みをかったりするからさ。だから、気をつけた方がいい。為になった?」

「・・・はい」

 気をつけるもなにも、そんなつもりはさらさらないわけだがら、はっきり言って余計なお世話だったが、口にすることは出来なかった。

 少なくとも、さっきの眼差しを忘れるまでは。

 何事もなかったかのような口調で、御者の男は口を開く。

「しっかし、天気いいなあ。これだと、明日の朝には着けそうだ。お前もそのつもりで準備しとけよ」

「あ、はい。分かりました」

 男は機嫌良さそうに口笛を吹き始める。全く聞いた事のない、テンポの速い曲だった。

 レオンはなんとなく、眼下に広がる平原を見つめる。

 下っていく山道も、徐々に雪が減りつつある。標高が下がってきた証拠かもしれない。ずっと山奥で育ってきたレオンにとって、初めての下山。不安もあるが、やはり期待の方が大きい。御者の彼が言うように、多くの人との出会いがあるだろう。最初に会った彼から得た、記念すべき最初の教訓は、多少残念な内容だったけれど。

 でも、面白い。

 レオンは微笑む。きっとこれからもそうだ。きっと楽しい事がたくさんあるはず。

 この先の平原。春の草原の中にある小さな町。ユースアイには。

 その姿も徐々に近づいてくる。

 風も次第に暖かくなる。

 春。

 旅立ち。

 雪の下から新芽が顔を出す。そんな季節だった。



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