私は彼の「死」なんて受け入れない
最初におかしいと思ったのは、彼の手だった。
(どうして、そんなに震えてるの?)
私の前では、いつも平気そうにしていたのに。
その日は違った。机に向かう背中。隠すような仕草。
嫌な予感がした。
「……何してるの?」
声をかけた瞬間、彼の肩が跳ねた。
その反応で、確信する。
(ああ、やっぱり)
私はゆっくり近づいて、彼の手元を見る。
白い紙。整った文字。
そして
「……何これ」
それは、“別れ”だった。
「返してくれ」
彼はそう言った。
でも、無理。
(返すわけないじゃん)
だってこれは、私を捨てるための言葉だから。
目で追うたびに、胸の奥が冷えていく。
“先に逝く”
“君は長く生きる”
(なに、それ)
「ねえ」
声が震える。
「どういうこと?」
分かってる。でも、聞かないと壊れそうだった。
「……そのままだよ」
ああ。やっぱり。
(この人、死ぬ気なんだ)
世界が、ぐにゃりと歪む。音が遠くなる。
なのに、彼の声だけはやけに鮮明で。
「時間がないんだ」
その一言で、全部が決まった。
(じゃあ、壊すしかないよね)
私は、ポケットの中の瓶を握る。
本当は本当に、使いたくなかった。
(だってこれ、幸せじゃない)
分かってる。永遠なんて、呪いだ。
でも。
(この人がいなくなるより、ずっといい)
「不老不死の薬」
彼の顔が強張る。
(そんな顔しないでよ)
まるで、私が間違ってるみたいじゃん。
「必要ない」
彼はそう言った。
(ああ、そう)
「俺は覚悟してる」
その瞬間。何かが、ぷつんと切れた。
(覚悟?)
(私を置いていく覚悟?)
(勝手に?)
気づいたら、押し倒していた。
「許さない」
声が、自分でも分からないくらい低かった。
「そんなの、絶対に許さない」
彼の顔が歪む。苦しそうで。でも
(だから何?)
「一緒にいるって言ったよね?」
逃がさないように、顎を掴む。
「守るって言ったよね?」
口を開かせる。
「じゃあ最後までやってよ」
瓶を傾ける。飲み込ませた。彼が咳き込む。
苦しそうに、息を乱す。その姿を見て
(よかった)
心から、そう思った。
「これで大丈夫」
私は彼を抱きしめる。ちゃんといる。消えない。
「死なないよ」
何度も確認する。
「死なないよね?」
返事がなくてもいい。だって、もう決まってるから。
(これで、永遠に一緒)
それなのに。
「外に出たい」
数日後、彼はそう言った。
(なんで?)
理解できなかった。こんなに全部あげたのに。
時間も、命も、未来も。全部、全部。
「だめ」
即答する。
(だって外には、私がいない)
「どうして」
彼はまだ聞く。
(どうして分からないの?)
「誰に会うの?」
気づいたら、そう言っていた。違うと分かってるのに。
でも、止まらない。
「誰?」
「いない」
「嘘」
(奪われる)
(またいなくなる)
(今度こそ、本当に)
「ここにいればいいじゃん」
声が震える。
「私がいるのに」
彼の顔を見る。
怖がってる。
(なんで?)
(どうしてそんな顔するの?)
(私はただ)
(あなたと一緒にいたいだけなのに)
「ねえ」
顔を包む。逃げられないように。
「他に何が必要?」
沈黙。その間に、胸がどんどん苦しくなる。
(言ってよ)
(私だけでいいって)
でも彼は言わない。だから、分かる。
(ああ、まだ足りないんだ)
もっと、縛らないと。もっと、閉じ込めないと。
もっと、壊さないと。
(私だけのものにしないと)
「大丈夫だよ」
優しく、囁く。
「逃げられないから」
森も。家も。この世界ごと。
「全部、私たちのために作り変えたの」
彼の目が見開かれる。その反応が、少し嬉しい。
(これでやっと同じになる)
「ずっと一緒だよ」
抱きしめる。壊れそうなくらい強く。
(もう、離れない)
(離さない)
(離させない)
彼の鼓動が、腕の中で鳴る。規則正しく。止まらずに。
(ほら、大丈夫)
「愛してる」
その言葉だけは、本物だった。
だからこそ
逃げ場は、どこにもなかった。
永遠に。
ヤンデレって怖いですね。




