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シャンプー台での受難

作者: 紀 聡似
掲載日:2026/03/16

 美容室の利用頻度は、私の場合は三か月に一度のペースで通っています。

 美容室での「おもてなし」時間は日常生活ではなかなか味わえません。

 横になっていれば丹念に頭を洗ってもらえます。終わって着席すれば髪を乾かしてくれるし、肩のマッサージもしてくれます。

 飲み物も注文できるしアメ玉ももらえます。

 ひと昔前はタバコも吸えたっけ・・今は嫌煙家ですのでそんな美容室には行かないですが。

 チャチャッと髪を切ってもらって、パパッとセットしてもらえば完成となります。

 ただ座っているだけで見た目も気持ちもサッパリさせてもらえます。

 色々と気を遣ってもらえるのも、もてなされている立場としては、ちょっとだけ偉くなったような気分を堪能できるのです。

 だからと言って、私はお店の店員さんに偉そうな態度をとる人を見聞きするのが苦手ですので、ふんぞり返ってワッハッハは致しません。

 美容室は特に普段と違う日常を味わえる、一種独特な空間というわけです。


 私は中学校一年生までは丸坊主でしたので、散髪はもっぱら母のバリカンでした。

 電動のバリカンだったので、あの細かいバイブレーションがくすぐったいのなんのでプルプルしてしまい、「動いたら危ないじゃないの!」と母に頭をピシャリとやられ、痛いのとくすぐったいのを我慢しながらのモジモジな散髪でした。

 繰り返しになりますが、中学校一年生まで母の散髪でしたので、よくクラスメイトから「お前は野球部なの?それともバレー部?」などと聞かれることが増えました。

 帰宅部だった私はそれを母にこぼすと、「あんたも中学生なんだから少し髪でも伸ばしてオシャレでもしなさいよ」と言われ、無精な私は坊主頭が楽だからこのままで良かったのですが、初恋の影響もあって、それから髪を伸ばし始めました。

 そうなるともう母に散髪は頼めませんから、近隣の理容室のお世話になることになります。

 母が「あそこに理容室あったから行ってみれば?」と勧めてきたところが初めて行った理容室となります。

 そこは老夫婦が商っている理容室で、相当年季が入っている店構えでした。

 座って待たされるのも初めての経験ですので、若干緊張をしていました。

 横目でチラリと見ると、古びた小さな本棚に、まだらな号数でボロボロな少年ジャンプが数冊並べてあります。

「ゴルゴ13」は判りますが、「THEレイプマン」という漫画も並置されていました。

 卑劣に属する犯罪の言葉として覚えたての少年の心には、理容室の印象を一変させ兼ねない演出でしたが、妙なもので、大人の世界をほんの少し垣間見れたような、伸びあがった感じの気持ちになったのを覚えています。

 事前に母から、「髪型の説明?特にしてもらいたい髪型がないんなら”少し短くして揃える感じでお願いします”でいいんじゃない?」と言われていたので、そのまんま片言の日本語のような、たどたどしい言いかたで伝えた記憶があります。

 そうです、理容室では顔剃りがありますね。

 もちろんそんなことは知りませんので、人生初めての顔剃りです。

 中学生一年生ですので、ひげ剃りすら、ろくすっぽやったことがありません。

 仰向けになり、生温かい泡を刷毛でもってモコモコと顔全体に塗られました。

 手慣れた手付きでカミソリで顔を剃られる感触は新鮮でしたが、いつ「あっ」なんて言ってカミソリで鼻をそがれるのではないかとヒヤヒヤしたものです。

 もちろんそんなこともなく、顔をきれいサッパリにしてもらったそのときでした。

 主人はお腹の調子でも悪かったのでしょうか。私の真横で、かすかにお鳴らしが聞こえました。「は?」と私は耳を疑ってしまいましたが、その直後にきた激臭で鼻がひん曲がりました。

 はばかりにでも向かったのか、主人はそそくさとその場から離れていきましたが、当然私の付近では残り香が充満、滞留しております。

 運良く当時お店には私ひとりしか客はおりませんでした。

 しかしカミソリで鼻をそがれる心配事なんかより、激臭で鼻を曲げられるほうがよっぽど厳しいです。

 そこに奥さんのほうがやって来ました。

 その奥さんときたら「ん!」と言ったのち、キッと私を厳しい顔で睨んできたのです。

「俺じゃないっすよ、あんたのご主人の仕業ですから」とは言えず、目を右へ左へとキョロキョロさせて、かなり気まずい思いをさせられました。

 あの西太后が怒ったような恐ろしい顔はいまも忘れられません。

 顔剃りをしてもらったあとの自転車は不思議なものでした。風の流れに皮ふを撫でられているような感触があって、風の肌触りを直接顔で感じることができます。

 初めての理容室での出来事は、良きも悪きも数十年経っている現在でもはっきりと記憶に残っています。


 高校生になると色気付いて美容室にデビューします。

 美容室に初めて行ったときに驚いたのがシャンプーを受けるときの姿勢でした。

 理容室ではうつ伏せだったのに、美容室では仰向けです。初めてのときは「え?なんでなんで?」と戸惑いました。

 違いの理由はさておいて、私はシャンプーの時間がどうも苦手であります。

「お湯の温度はいかがですか」

「力加減はいかがですか」

「洗い足りないところはございませんか」

 その問い掛けに、私は一度も異論を唱えたことがありません。

 すべての問いに「大丈夫です」とだけ答えます。

 確かにまれに、「熱っ」とか「なんか水っぽくて冷たいなぁ」とか「あの~、まぶたに泡が飛んでません?」とか言いたくなることもありますが、そこはご愛嬌。

 それとは別に、大丈夫ではない点が一点だけあるのです。

 なぜか美容師さんはその大丈夫ではない一点については、私に対して無許可で施術をしてくるのです。

 それは頭のマッサージになります。

 私は頭のマッサージが不快でならないのです。

 しかし、もともとは大丈夫だったのですが、ずいぶん前にマッサージをしてくれた美容師さんがとても気持ちの悪い指使いでなさり、それ以来、すっかり苦手になってしまいました。

 そのお方、若い女性の美容師さんだったのですが、マッサージというよりも、くすぐっている、という表現のほうが正しいでしょう。

 想像してみてください。

 十本のか細い指先でコチョコチョとやってくるのです。

 シャンプーの泡のヌルヌル効果もありますし、最初は「変わったマッサージだな」と思っていましたが、段々と「これは苦手かも・・」となり「うわ、気持ち悪い・・くすぐったい」と身もだえる始末。

 気を散らすために美容師さんに気付かれないように、組んでいる手の中で、片っ方の指で、もう片っ方の手のどこかをつねくったりするのですが、そんなもんでごまかせるプレイではありません。

 総仕上げなのか判りませんが、最終的には眉間の真ん中の生え際を、五本の指を集中させてクシュクシュ、コニョコニョしてきました。

「これは一体なんのマッサージなんだ!!」と怒鳴ってやりたい衝動を必死にこらえました。

 そうです、私はくすぐったいを通り越して、お怒りモードのチャンネルに切り替わってしまいました。

 それでもシャンプー台で横になっている私が、いきなり怒鳴り散らす光景をパッと想像すると、周囲の目もありますし、なによりこのあとの施術も気まずくなりますから、グッと我慢するほかなかったのです。

 こちょぐりプレイがようやく終わりホッとしたのも束の間。

「それでは流していきますね」とシャワーをあててくれるのですが、私の頭皮はかなりの敏感モードになっておりますので、ぬるま湯のシャワーですら、頭全体をくすぐられているようなゾワ~ッとした感覚に陥ります。

 もうつねくる場所も私の手の中には残されていません。

 地獄のこちょぐりシャワーが終わったときには、私の背中は汗でびっちょりになって、ドッと疲れ果ててしまいました。

 きっとこの経験がトラウマになってしまったのでしょう。

 それ以来、どの美容師さんの頭皮マッサージも苦手になってしまったのです。


 美容室での難所はもうひとつあります。

 私は美容室での施術中、会話を好んでするタチではありません。

 必要最低限の会話以外は、寝ているフリか、ガチの寝落ちか、タブレットで週刊誌を読んでいます。付記、タブレットで週刊誌を読んでいるフリをしているときがあります。

 なにを聞かれても適当に無難な返答をして、話を早く終わらせるほうに持っていきます。

 一度だけシャンプー前に嫌な予感がしたので、「シャンプーのあとのマッサージは結構です」と事前にお断りをしたのですが、ちょっとご年配の女性美容師さんは「え、どうかしたんですか?」と理由を聞いてきます。

 どうして一発で「かしこまりました」にならないのだろうとカチンときましたが、「首を痛めているのでシャンプー時間は短いほうが良くて」と、私もつまらない見栄をはって本当のことを言わずにいました。

 それがいけなかったのか、話をふくらませるのも美容師の仕事だと思い込んでいらっしゃるのでしょうか。

「大変。首はどうされたんですか?」

「・・そうなんですね。ああ、私も実は肩こりが酷くって!」

「首のいい体操ありますよ!」

 などと始まってしまい、防戦一方の私の会話力では、さすが百戦錬磨の美容師さん、相手が一枚も二枚も上手になります。

 しかも、”マッサージは結構です”と断ったにも関わらず、会話でテンションが上がってしまったのか、なぜが彼女は頭皮マッサージを始めてしまいました。

 話たくもないのに話すハメになり、しかもマッサージまで受けることになるという仕打ち。

 これがさっきの嫌な予感だったのかと左手の指の間をつねくって、モジモジしながら悔み、我慢しました。


 美容師さんは究極の客商売。気を遣われて気苦労も絶えないと思いますが、私も気を遣ってしまうのです。

 シャンプー台で横に倒されるときもそうです。

 私は座高が高いほうだと思うので、後ろに倒されたときの頭のポジションは、ここで大丈夫なのかな、もう少し手前が良いのかな、奥が良いのかな。「ここじゃシャンプーやりにくいんだけどなぁ」とか思われていないか気になって仕方がなくなります。

 髪にドライヤーをあててもらっているときも、カットをしてもらっているときも、もう少し低く座ったほうが良いのかなと、腰をちょっとずつ前に滑らせたりして頭の高さの微妙に調節をしてしまいます。

 椅子の座面が一番低い状態なのに、美容師さんがさらに低くさせようと足でレバーを空踏みでフミフミしているのを鏡越しで見てしまうと、一層申し訳ない気持ちになります。

「さっぱりしましたね。ご確認お願いします」

 こう鏡越しに聞かれて、素人目にどう見ても襟足の長さが左右でほんの少し違っているのに気が付いても、店内が混み合っているときは後がつっかえていますので、「大丈夫です。ありがとうございます」と言ってしまいます。


 気遣いしいな私ですので、美容師さんとの会話でもこんな失敗がありました。

 ドライヤーをかけてもらっているときは大変です。

 耳元に風が当たっているときには美容師さんの言葉がかき消されてしまいますね。

「紀さんはゴーゴー(ドライヤーの風音)ですか?」

 ・・え、全然問い掛けが聞こえなかったんだけど・・となります。

 会話の流れでゴーゴーの部分を想像してみます。

「そうですね」と無難な返答をしたつもりが、「えっ!!そうなんですか!?本当ですか!?アハハハ!」と大声で笑われてしまい、今さら「さっきの質問ってなんでしたっけ」とも聞き返せず、「は、ははは・・」などと、ただただよく判らない愛想笑いをして、ギクシャクしているその場を切り抜けるしかなくなるという失態もありました。


 さて、だいぶ髪も伸びてきたところですので、そろそろまた美容室へ行かなくてはならないのですが、どうやって難所をクリアすれば良いのか、至難のしどころでございます。



 おわり




最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

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