エピローグ
よく晴れた日、私はここに来るのが日課になっていた。
「ヴィルフリート様とお庭デート……ふふ」
「嬉しそうだな。アルヴィナ。そんなにここが気に入ったか?」
「はい。ですが、ヴィルフリート様と一緒に歩けるということに意味があるんです!! 一人で、デートはできないでしょう?」
「それは言えているな」
ヴィルフリート様は、私の言葉にフッと優しく笑うと、薔薇が咲き乱れる庭園に視線を向ける。だが、すぐに目線は私に戻り、愛おしそうに私を見つめてははにかんでいた。
そんなふうに見つめられたら、またペンギンになってしまう。
私は、自分頬を押さえて首を横に振った。
「もう、見すぎです」
「すまない。お前の顔を一分一秒たりとも見逃すわけにはいかないと思ってな。アルヴィナの表情はころころ変わって、見飽きない」
「そんなに見られては、すり減ってしまいます」
私がそういっても、彼は笑うばかりでその瞳を他へ向けてくれない。ぜいたくな悩みだと思いながらも恥ずかしさに、またいつペンギンに戻っても仕方がないと思った。
ペンギンの姿から人の姿に戻れたのは奇跡と言って等しかった。
シュフティ嬢が飲ませた紅茶は市場に出回っていないものであり、どこからか入手した特注日だったそうだ。その出所を現在調べている最中らしいが、どうやらさらに危険なお茶が栽培されているらしいとの情報を得たという。なんでも、獣の本能を呼び起こさせてしまう理性を事切れさせるものなのだとか。
まだまだ謎は解明されないままだが、ジュテーム侯爵家は今回の件で破門となり、シュフティ嬢に関しては修道院に送られるらしい。
ヴィルフリート様はもっと重い罰でもよかったがと口にしていたが、帰る家もなくなり修道院で暮らすこととなるだけでもかなり辛いことだと思う。群れから外れ独立するのは危険が付きまとうわけで、私の感覚では、死よりも辛いことだと感じるのだ。
とりあえずは、敵国に情報を流していたジュテーム侯爵家を捕らえることができ、敵国へ警鐘を鳴らすことができたみたいで、今後近いうちに戦争が起こることはないだろうとのこと。一件落着とは言い切れないが、またお互いににらみを利かせ抑圧しあう関係になったそうだ。
政治に関しては詳しくないが、ヴィルフリート様がそれらにかかわるとのことで、少しは勉強しようと思っている。少しでも、夫であるヴィルフリート様の力になりたいからだ。
また、今回の件はスヴェルカーニエ王国にも広がり少々波紋を呼んでいる。
というのも、フィクスシュテルン王国以外の人間の国は未だ獣人に対して強い嫌悪感を感じており、自分たちの理性を殺す薬を開発しているとのことで警戒態勢に入った。だが、フィクスシュテルン王国がスヴェルカーニエ王国の獣人もろとも守ると宣言したため、スヴェルカーニエ王国は唯一信頼できる国としてフィクスシュテルン王国のことを認めたらしい。
もちろん、すぐにすべてを信じることはできないが、この間の狩猟大会での交流が功を奏したのか、城下町に行くと獣人とばったり出会うようになった。両国の行き来も容易となり、交易も始まったことで両国はいい方向へと進んでいっているそうだ。
「アルヴィナ、どこか行きたいところはないか?」
「行きたいところですか?」
「ああ、今度またデ、デートをしたいんだ。その時、アルヴィナの行きたい場所に連れて行ってやりたい」
「そうですね……それなら、海に行きたいです」
「海?」
「はいっ、フィクスシュテルン王国の暖かい海です」
「泳ぎたいということか?」
ヴィルフリート様は少し眉根を寄せて難しい顔をした。
「水着の用意……それか、ペンギンのままで」
「ああ! えっと、浜辺を歩くだけで十分なんです。お、泳ごうとは思ってなくて」
「……っ、すまない。てっきりそうだとばかり」
私が訂正すると、ヴィルフリート様は申し訳なさそうに謝ってきた。
まあ、ペンギンは泳ぐものだと伝えているためそう思われても仕方がない。
「私たちの国の海はとても冷たくて、氷で覆われている期間がほとんどです。ですから、温暖な気候の温かい海に行ってみたいと思ったんです……ダメですか?」
「ダメなわけがない。配慮が足りずすまなかった。いいな……二人で浜辺を歩くのも」
「ふふ、想像するとなんだか楽しくなってきました」
未だ見たことのないフィクスシュテルン王国の海。
きっと、私の国と違って爽やかな風が吹いて、白い砂浜が輝いていて、私の知らない魚が泳いでいるのだろうと想像できた。
そんな砂浜をヴィルフリート様と手をつないで歩けたら、どれほど幸せか。
「近いうちに海に行く計画を立てよう。必要なものがあれば言ってくれ」
「それと、また美味しいケーキを二人で食べに行きたいです」
「それもいいな、もしよければ今度買ってくるが」
「いいえ、二人で行きたいのです!! きっとそっちのほうが楽しいでしょうから」
そうか、とヴィルフリート様は言うと、私の頬を撫でた。
すりすりと彼の長い指が私の頬を滑っていく。その感覚はくすぐったくも、気持ちいいものだった。
「俺からもいいか?」
「何ですか? ヴィルフリート様」
「俺も、スヴェルカーニエ王国に行ってみたい」
「我が国にですか?」
彼の突然の発言に少し驚いてしまった。しかし、彼の眼は本気のようで「ダメか?」と首を傾げてお願いしてくる。私より大きい人が、上目遣いを使ってくるなんて、何という破壊力!!
私はくらくらとしながらも「いいですよ」と答えるしかなかった。
「ですが! とても寒い場所なので、たくさん着込んでいきましょう!! ヴィルフリート様が凍り付いてはいけませんので」
「そんなに寒い地域なのか? ああ、港が凍るんだったな……」
「はい。私は慣れていますけど、ヴィルフリート様は……完全装備でいけば問題ないと思います」
「完全装備……」
ぽかんと口を開けたヴィルフリート様が少し面白くて笑ってしまう。
このたまに抜けてる隙だらけの部分があってかわいいと思ってしまうのは私だけだろうか。
「まあ、それは追い追い考えていきましょう! 今は、海に行くデートプランを練りましょうか」
「そうだな。いつか、アルヴィナの故郷に一緒に行かせてくれ。お前のことをもっと知りたい」
ヴィルフリート様は、不意打ちに私の額にチュッとキスを落とす。身構えることもできない唐突なキスに、私は感情が高ぶってしまいポンと音を立ててペンギンの姿になってしまった。
あの件からどうも、ペンギンの姿になりやすくなってしまっているみたいだ。
私は、地面に落ちる前にヴィルフリート様に抱きしめられ、彼の腕の中にすっぽりとハマってしまった。
『うぅ……面目ないです』
「いいや、大丈夫だ。それに、この姿のお前もたまらなく愛おしいと思う」
『そう言ってくださるのは、ヴィルフリート様だけですよ。ヴィルフリート様って変わっていますね』
「嫌か? ペンギンのお前も、人のお前も好きな俺は」
『嫌なんて言ってません!! 私のこと、愛してくれるのはヴィルフリート様だけだって思ったんです』
ぷんぷんと怒れば、ヴィルフリート様は小さく笑った。
「愛しているんだ。お前のことが愛おしくて仕方がない」
これまでの彼からは想像がつかないほど、チュッチュッと私の頭にキスを落としていく。どこでタガが外れてしまったのかわからないが、これでは私が持たない。
私は仕返しのつもりで、ツンとくちばしでヴィルフリート様の頬をつついた。加減を間違えると刺さってしまいそうでなんとも難しい。
私がそんなキスをすると、彼はさらに嬉しそうに私のくちばしに口づけをした。
やっぱり、私の夫はとても変わっていると思う。
でも、だからこそこの人とやっていけそうと思うのだ。
『私だって、ヴィルフリート様のこと愛しているんですから。負けませんよ』
「ああ、そう言ってもらえると嬉しい。相思相愛だな」
『あ~~~~もう!! ヴィルフリート様、日に日に顔が柔らかくなっていってます!!』
そんなだらしない愛らしい笑顔、他の誰にも見せないでほしい。
私だけが独占できる笑顔であってほしい。
(こんな気持ち、初めて……)
誰かに愛されたい、愛したいという気持ちは、生まれた初めてだ。
一人でフィクスシュテルン王国に嫁いできて、不安もあった。今だって、少し不安なことはある。でも、この人となら、きっと毎日が幸せで、輝いたものになると思ったのだ。
種族を超えた愛は存在する。
私を大切に愛してくれる、この人の愛に応えたい、愛したい。
私はこの身を彼に捧げてしまってもいいと思っている。
私のことを疑わず、庇ってくれて、そのうえで優しくしてくれるヴィルフリート様のことを私は愛しているのだ。
ペンギンの私も、人の姿の私も等しく愛してくれるこの人に、私は尽くしたい。
だって、私はヴィルフリート様の妻だから。
「ふふ……」
「どうした、嬉しいことでもあったか?」
「はい。ヴィルフリート様に出会えて、貴方の妻として、貴方に愛してもらえて幸せだなって改めて思ったんです」
「俺も、アルヴィナと出会えて幸せだ。俺を肯定してくれる、俺を見てくれるお前が好きだ」
愛溢れたその言葉は、きっと偽りなんかじゃない。
私は、彼の手に自身の手を重ねた。ペンギンの手は人間の手と全く違うもので、黒々しい羽毛は彼の血管の浮き出たたくましい手とは不釣り合いにも見える。でも、そんな手を彼は優しく握ってくれるのだ。
「愛しています。ヴィルフリート様、末永くよろしくお願いします」
「こちらこそ、アルヴィナ。愛している」
そう言って私たちはまたキスを交わす。
けど、やっぱりペンギンの姿でキスはしにくいから、人の姿に戻りたいなとは思ってしまう。彼に抱きかかえられながら移動もいいけれど、同じ目線で、同じ足で歩いていたいと思うのは少し傲慢だろうか。
私たちを祝福するように、初夏の訪れを知らせる風が優しく吹き付け、真っ赤な薔薇の花びらを揺らしていた。
花の香りに包まれ、私たちは顔を見合わせ微笑みあう。そんな昼下がりの幸せなひと時だった。




