06 真実の恋
(ふかふかのベッド……)
暖かな毛布に包まれている感覚に、私は目を覚ました。
まだ視界がぼやけるが、そこは私とヴィルフリート様の寝室だった。そして、視界に銀色の輝きが映り込み、私はバッと体を起こした。
『ヴィ、ヴィルフリート様!?』
「……よかった。起きたのだな。アルヴィナ」
私が目を覚ましたのを確認すると彼は優しく微笑んだ。しかし、その目の下に黒い隈があるのに気付き、私は数度瞬きをする。
(この視野の感じ……私、まだペンギンのままじゃない!!)
ヴィルフリート様の眉が八の字に曲がっているのは私の姿がまだペンギンのままだからだろう。お腹がふっくらしていて、脚も短くて、手は何か物を握れるような指がない。
彼は優しく微笑んでくれてはいるものの、この姿に困惑しているはずだ。
私は、バッと、毛布にくるまり自分の姿を隠した。
「ア、アルヴィナ」
『ヴィルフリート様、すみません。私は、私は……』
「聞いてくれ、アルヴィナ。その話なら、お前の侍女と弟から聞いている」
ヴィルフリート様は取り乱した私に優しく諭してくれた。
ヴィルフリート様の話によると、私はジュテーム侯爵邸で倒れたらしい。そして、三日も意識を失っていたそうだ。
理由は、彼女が飲ませた獣人を獣に戻すお茶を飲んだからだという。
本来であれば体力の回復、精神の安定で獣から獣人に戻れるのだが、あのお茶は特殊なもので今現在も人間の姿に戻れていないのだそうだ。
リーリヤや、ユーリスも心配してくれたそうで、かわるがわる見に来てくれたそうだ。しかし、それではヴィルフリート様の気が休まらないと、私は夫婦の寝室へと移されることとなった。
また、シュフティ嬢は狩猟大会で暗殺者を私に仕向けた証拠が見つかったらしく逮捕、そしてジュテーム侯爵家も敵国とやり取りをしていたそうで家門ごと潰されるらしい。詳しいことはよくわからないが、シュフティ嬢もただでは済まないのだそうだ。
ここまでの経緯は分かったものの、ペンギンの姿のままでは私は、彼の妻としての役目を果たせない。
『……離婚、ですか』
「何故そうなる!?」
ぼそりと呟いた言葉が聞こえていたらしく、ヴィルフリート様は、毛布をかぶった私の上から声をかけてくれた。だが、決して無理に私を引きはがそうとせず、優しい視線を送り続けてくれている。
『ヴィルフリート様に、この姿は見せたことがありませんでしたね。驚いたでしょう?』
『ああ、驚きはした。ペンギンの姿を見るのは初めてだったからな」
『この姿のままでは交尾……夜の営みはできないでしょう。そうなれば、子供が産めないと私は』
「待て、まだ姿が戻るかもしれないだろう?」
ヴィルフリート様は語感を強めてそういうと、毛布の上から優しく撫でた。大きな手が、私の毛並みを撫でているのが分かり、胸が少しだけ温かくなる。
「それに、俺はお前が思っているようなことを思っていない……」
懺悔するようにそういうと、ヴィルフリート様は「聞いてくれ」と私に言葉を投げかけた。
「……お前がその姿を見られたくないのは、俺がお前との縁談の日『野蛮な獣人の国の女と結婚するものか!!』と言ったことを覚えているからだろう。まさか、聞かれていたとは思わなかった」
『仕方ないですよ。誰だって、未知な存在と結婚するのは嫌でしょうし』
「違うんだ、最後まで聞いてくれ……もちろん、あの時まではそう思っていた。だが、お前と出会って、その考えは実にバカバカしいと思ったんだ。口にしてしまった言葉は取り消せない。お前を傷つけたことも謝る。悔やんでも悔やみきれない」
『ヴィルフリート様……』
「それでも俺は、今のお前の姿も愛しているし、人間の姿のお前も愛している。それだけは、嘘偽りない気持ちなんだ」
チュッと、毛布の上からキスをされる感覚に、毛がぞわぞわっと逆立った。
(今、ペンギンの姿の私にキスをしたの?)
本当に、私のこの姿を嫌悪しているのならしないはずだ。機嫌を取るために、ペンギンにキスをできるはずもない。
ヴィルフリート様の本気が垣間見れ、私は毛布の中から少しだけ顔を出した。
その隙間から見れた顔は、とても寂しそうで傷ついているようにも見えた。
(何で、ヴィルフリート様は……)
「俺は不器用で、素直じゃない。兄のように完璧に何でもこなせる男じゃないんだ。だから、兄がお前と結婚していたらお前に与えられた愛も、生活も俺はアルヴィナに与えてやれなかった。デートも、愛を囁くことも、夜だって……俺は、お前を不安にさせてばかりだと思う」
『そんなことないです、ヴィルフリート様』
端々から感じられる、兄へのコンプレックス。
私は、まだヴィルフリート様のことを知れていないのだと痛感した。
彼が感じているそのコンプレックス。私が本来結婚する相手だった王太子殿下は、ヴィルフリート様が嫉妬するほどに完璧な相手だったのだろうか。
でも、私はヴィルフリート様でよかったと思っている。
「情けなくてすまない。もっとお前に優しくしたいし、かわいいと、好きだと言いたい。なのに、変なプライドが邪魔して、から回って……アルヴィナに誤解させてばかりだ」
『ヴィルフリート様はそう思っていらしたのですか?』
「ああ……俺は、優秀な兄とは違って魔力を持たない無能だからな。それ以外にも比べられて生きてきた。それがいつしか、肥大化しコンプレックスの塊になっていったんだ。だから、素直にお前と向き合えなかった。兄と結婚していれば、もっとアルヴィナは幸せだっただろうにと」
聞いているこちらが胸が痛くなってくる。
ヴィルフリート様は、ヴィルフリート様なりに不器用に愛してくださっていたのだ。もちろん、その愛は節々に感じた。不器用でかわいい人だと私は思っていた。
けど、私が思う以上に彼は必死だったんだろう。
兄の代わりには慣れずとも、自分なりに妻である私を愛そうと。その愛し方もわからないままに私と接してくれていた。
(ああ、私も似たようなものだ……)
種族を超えた障壁以前に、家族の多いスヴェルカーニエ王国王家では、私の存在はさほど大きなものではなかった。姉弟が多いために、一人一人に与えられる愛は多くなかった。誰かに一新に愛が注がれることもなければ、放置されることもない。与えられる愛の量は同じで、それが普通だと思っていた。
でも、心の中でたった一人の誰かに愛されたいという気持ちがあったのかもしれない。
ファーストペンギンとして、フィクスシュテルン王国に飛び込んで苦労もたくさんあった。未だに偏見の目にさらされ、それと戦う毎日だ。いつかは、理解してもらえると相手に求めてばかりだった。
けれど、私が一番求めていたのは、救いだったのはヴィルフリート様だ。
『私は幸せですよ。ヴィルフリート様』
毛布から出て、彼と向き合う。視線が妙に合わないのは、ペンギンの姿のせいだろう。
ヴィルフリート様は、私から目をそらすことなくこっちを見ていた。私が顔を出したことに喜んでいるようで、頬の肉が緩んでいるようにも思う。
『確かに、フィクスシュテルン王国にきて、不当な扱いを受けたとは思います。この国に来て、貴方に出会うまで一国の王女とは思えぬ扱いを受けました。でも、それはこの国の人にとって獣人が未知な存在であるがゆえに恐れているんだと、目を瞑っていたんです。ですが、心の中では傷ついていたのかもしれません』
「当たり前だ。傷つくのが当たり前だと思う」
『でも、貴方と出会って、貴方が私に不器用ながらも愛を与えてくれたおかげで、ここに来てよかったと思ったんです。私だけの夫ができて、愛してもらえる感覚に身を委ねていたのかもしれません。けれども、時に貴方が言ったあの言葉が引っかかって、この姿は見せないと心に決めていました』
でも、今ならきっと受け入れてくれる気がした。
私は、毛布から腹ばいになって抜け出し、何とか立ち上がった。ベッドの上で立ち上がっても、椅子に座るヴィルフリート様と目が合う。視線が同じ位置にあった。
人間の姿よりもはるかに小さい、ペンギンの姿のときの私。
ヴィルフリート様はそんな私を真正面から見てくれた。少し恥ずかしくもあったが、彼が心を開いてくれている証拠だと思うと、嬉しくて、ありのままの私を見てほしくなった。
「かわいい……」
『……っ、この姿がですか?』
「ああ……も、もちろん。いつものアルヴィナもかわいい。出会ったときから、ずっとそう言いたかった……」
『……っ!? もしかして、あの時、言いたかったのは”かわいい”という言葉だったのですか?』
私が訪ねれば、ヴィルフリート様は顔を真っ赤にした。
どうやら、初対面のあの日彼が言いたかった言葉は「かわいい」だったらしい。もちろん、あの時は人間の姿だったが、ペンギンの姿もかわいいと彼は褒めてくれた。
自分は容姿に自信があるが、ペンギンの姿を人間にかわいいなんて言われたことは初めてだった。鳥の中では大きいほうだし、二足歩行でお腹が大きいペンギンは、雌か雄か判別は難しいだろう。
そう思っていると、ヴィルフリート様はペンギンの姿の私を抱きしめた。
「お前はどんな姿でも可愛い。ペンギンでも、人でも。お前のかわいさは変わらない」
『ぴぎゅっ……!? ヴィ、ヴィルフリート様、無理していないですか?』
「無理などしていない。本当に嫌悪しているのであれば、抱きしめることなんてしないだろう。少しは、夫である俺のことを信じてくれ」
すみません、と言いかけて言葉を引っ込めた。
そうか、ヴィルフリート様は私がいつも一歩引いていることに気づいていたのだ。言葉は少なかったが、その思いがひしひしと伝わってきた。
『もし、この姿から戻れなかったとしても、私を愛してくれますか?』
「ああ、もちろんだ。離婚などしてやらない。俺の、俺だけの妻なんだ。アルヴィナは」
『ヴィルフリート様……』
確かに、私を離さないでいてくれそうだ。
(ペンギンの私でも、彼は愛してくれる……)
その言葉が聞きたかったのかもしれない。どんな姿の私でも受け止めてくれる夫が、人に……巡り合いたかった。
彼の言葉に安堵を覚え、私はもたれかかった。ペンギンの姿では少し重たいかもしれないな、と思いつつも、彼は優しく私の羽を傷つけないように抱きしめてくれた。
そして、私と再度向き合い、愛おしそうに私を見つめてきた。
まさか――と思っていると、彼は私のくちばしに口づけをしてきた。
触れるだけの優しいキスだったが、その行動に私は驚いた。だって、ペンギンの私にキスを……!!
感覚は全くないはずなのに、体中の熱が一気に駆け回る感覚がした。
その次の瞬間ポンッ!! と音を立て、私は煙に包まれる。
「……も、戻った」
「……アルヴィナ…………っ!!」
それはまるで、おとぎ話のようだった。
真実の愛のキスで、獣の姿から人間になるなんて。私は思いが通じ合ったのだと、嬉しさのあまりヴィルフリート様に抱き着いた。
しかし、ヴィルフリート様の手は空を切るばかりで、彼の体温は熱い気がする。
いったいどうしたのだろうか、と思うと血の匂いが鼻腔を通り抜ける。
「ヴィ、ヴィルフリート様!! 鼻から血が!!」
「……ア、アルヴィナ。待て、服が、服を……」
「え?」
ヴィルフリート様に諭され、私は自身の姿を見る。
ペンギンから人間に戻ったため、服を着ていなかったのだ。私は、喜びのあまり裸でヴィルフリート様に抱き着いてしまったことになる。
途端、私は先ほどのように全身に熱が駆け巡り、ボッと顔が熱くなった。
ペンギンの姿は常にありのままだが、人間の姿でこれは……
「す、すみません。ヴィルフリート様」
「いや……いい、慣れていく。でなければ、お前を抱けない」
「そ、そーですね……ふふ」
「何を笑っているんだ」
ヴィルフリート様は、毛布を手繰り寄せ、私の身体を包み込むと、キッと目を吊り上げて私を見た。まだその頬は赤く、目線もゆらゆらと揺れている。
「いいえ。それでこそ、ヴィルフリート様だと思ったのです。貴方のその初々しいところが私は好きです」
私はそう伝え、彼の唇にキスをした。今度はもっと相手の体温を感じ、柔らかさを感じる。
ヴィルフリート様の身体はいつものように大きく上下したが、空を切っていた手が、私の腰に回される。彼は目をスッと開くと、その赤い綺麗な瞳の中に確かに私の姿が見えた。
「俺も愛している。アルヴィナ。遅いかもしれないが……これから、もっと夫婦らしくなっていこう。俺も、お前の夫としての役目を果たす。愛させてくれ」
「はい。とても、期待しています。私も愛しています。ヴィルフリート様」
私はそう口にして、もう一度彼の唇に自分の唇を重ねたのだった。




