05 獣の妻
腕を折る勢いで捻り上げられ、私は身動きが取れなくなっていた。
もともと、力が強いタイプではないので、人間にさえ私は力負けしてしまう。私は、離してと身体をひねったがびくともせず、シュフティ嬢は不気味に笑い続けるだけだった。
「ほら、狩猟大会のときのことよ。貴方、獣の姿になるんでしょ?」
「なんでそれを……っ!!」
シュフティ嬢の言葉で思い出した。
私がここに来たのは、もともと彼女があの男たちとつながっているかもしれないと思ったからだ。その悪事を暴くためにここを訪れたというのにその目的をすっかりと見失ってしまっていた。
(やっぱり、彼女が黒幕だったのね……)
男たちが私が氷魔法を使うことを知っていて、事前に準備をしていたこと。ぺらぺらと口の軽い男たちだったため、犯人を絞り込むことは難しくなかった。
それに、場慣れしていないような男たちだったし、お金で雇われただけのゴロツキだろう。
私が小さくてか弱い生き物だと思って、殺すことは容易だと思っていたに違いない。でも、私は威信を守る術は心得ていたし、難なくあの場から逃げることができた。あの後、彼らがどうなったかは知らないが、シュフティ嬢は城下町で私を見つけて驚いたことだろう。
(いや、今回準備していたってことは、私が死んでいないって気づいていたでしょうね)
第二王子の妻が殺害されたとなれば両国にその情報が行き届くだろうし、同盟にも問題が生じる。
そのため、私が生きていることは知りつつ、今度こそ私を亡き者にしようと作戦を立てたのではないかと。
「何でも毛深くて丸い姿になるそうね。その姿を、ヴィルフリート様が見たらどうかしら。獣だって嫌われちゃうかもね」
「……ヴィルフリート様は、そんな人じゃない」
「あら? 声が小さいわよ。もしかして、嫌われるんじゃって思っているのかしら? そうよね、そうよね。ヴィルフリート様だって、獣と結婚させられるなんて思ってもいなかったでしょうからね」
彼女の言葉に一瞬だけ息が詰まってしまった。
記憶の中に封じ込めていたものがいっきに膨らんだからだ。
『――誰が、野蛮な獣人の国の女と結婚するものか!!』
(そうだ、ヴィルフリート様の中にもまだ偏見があるかもしれないのに……)
彼が優しくしてくれるから、ヴィルフリート様だけは理解者になってくれていると思い込んでいた。
今はそうじゃないにしろ、私以外の獣人に対して偏見を持ったままかもしれない。
それに、私の本当の姿を見たら幻滅するかもしれない。考えなかったわけじゃなかったが、あの姿になる必要はないと思っていた。だからこそ、シュフティ嬢に指摘され、ドクンと心臓が脈打ったのだ。
「その顔、図星じゃないかしら。所詮獣人は、人間の皮を被った獣なのよ。同盟なんて響きのいい言葉に惑わされちゃって。貴方たちはただ使われるだけの家畜に過ぎないのよ」
シュフティ嬢は私の前に置いてあったティーカップを持ち上げ、私の顔面目掛けて垂らした。熱くはないもののいきなり液体が降ってきたため、目や鼻に入り、口の中に染みていく。
むせ込みながら、私は必死の思いで彼女の手を振り払い、距離を取った。口の中に甘ったるい液体が回る。そして、次の瞬間、クラりと目の前が歪んだ。頭が割れるように痛く、その場にしゃがみ込む。
(まさか、毒……!?)
シュフティ嬢は、厭らしい顔で私を見下ろしており勝ちを確信していた。
しかし、私を殺せばここにいたのは私とシュフティ嬢だけなのだから、殺人罪で捕まることになるだろう。そんなリスクを彼女は追うだろうか。
私は少しでも口の中から液体を吐きだそうとしたが、どれほど飲み込んでしまったのかわからず、口を開けることしかできなかった。その間にも頭痛が襲い、身体が焼けるように熱い。
「何を、のませ……たの……?」
「さあね。でも、毒ではないことは確かよ?」
「どく……じゃない?」
彼女の言葉は信じるに足らなかったが、身体の中を駆け巡るこの感覚は身に覚えがあった。
「うっ……」
何も入っていない胃から何かを吐き出すように、私は足をつく。そして、次の瞬間ポンと音を立てて私はペンギンの姿になってしまった。
『あ……あぁあ……!!』
「は?」
焦る私とは逆に、シュフティ嬢は何とも情けない声を発していた。
五本あった指は、黒々しい羽根に変わり、脚も短く水かきのあるものに変化した。せっかくヴィルフリート様からもらった髪飾りも頭から落ち、私はありのままの姿になってしまったのだ。
彼女が私に飲ませたのは、獣人を強制的に獣の姿に戻すお茶だったのだろうか。
そのようなものがどこで手に入るかは不明だが、それ以外は考えられない。もし、この姿から戻れなかったら?
黒々とした丸い目から流れないはずの涙がこぼれそうになった。
「何、その姿……」
想像していたものとは違ったのか、私よりもシュフティ嬢のほうが困惑しているようだった。
すると、廊下のほうから複数の足音が聞こえ、間髪入れずに扉が開かれた。
「アルヴィナ!!」
『……ヴィルフリート様?』
私の名前を呼んだのは、誰でもないヴィルフリート様だった。その後ろにリーリヤや、カスパーさんの姿を見つけ、私は安堵を覚える。しかし、ヴィルフリート様と目があった瞬間、心臓が凍り付くような痛みに襲われた。
ヴィルフリート様は、私と目が合うと戸惑いの表情を浮かべたからだ。すぐに私だと気づくことはできず、ペンギンの姿の私を見て困惑気味に口を開いている。
「ヴィルフリート様!!」
そう言って彼に飛びついたのはシュフティ嬢だった。
だが、ヴィルフリート様はシュフティ嬢を乱暴に払いのけ一瞥する。まさか、こんなにも荒々しく突き飛ばされると思っていなかったのか、シュフティ嬢はその場でぺたりと尻もちをついた。
「シュフティ・ジュテーム侯爵令嬢。貴様を我が妻アルヴィナ・クランツ殺害未遂で逮捕する」
「ま、待ってください。ヴィルフリート様!! 私はそんな……」
突然の展開に私も、彼女と同じ反応をしてしまった。
――私の殺害未遂で逮捕?
ヴィルフリート様が何の前触れもなく部屋に入ってきたのもそうだが、展開についていけない。
でも、リーリヤが彼を連れてきてくれたことだけは分かった。
(ありがとう、リーリヤ……でも……)
ヴィルフリート様に指示され、騎士の何人かが彼女を捕らえた。シュフティ嬢は抵抗を見せたものの、すがるようにヴィルフリート様に目をやった。
「な、何かの誤解ですわ。それに、私は被害者。あの狩猟大会のことを言っているのであれば、それこそ誤解ですわ! 私はただ、お茶会を楽しんでもらおうと催しを用意しただけ。なのに、いきなり魔法を使ってきたのは王女のほうです」
「黙れ。調べはついている」
「待って、待ってください、ヴィルフリート様!!」
「……それに、貴様との婚約も、貴様の家が敵国とつながっているかどうか炙り出すためのものだった。ジュテーム侯爵の残した証拠が見つかった以上、貴様と婚約していたとしても破棄されていただろう」
「そ、そんな……」
シュフティ嬢はその場でへなへなと座り込んだ。
突然のカミングアウトに、またも頭がついていけなかった。つまりは、彼女の婚約者だったのは、ジュテーム侯爵の悪事を炙り出すための偽装婚約だったということ?
そこに至るまでに何があったか知らない。敵国というのはつまり、フィクスシュテルン王国の領地を狙う国のことだろう。その国から守ってもらうために、スヴェルカーニエ王国と同盟を結ぶために、私とヴィルフリート様は結婚したのだ。
(それでも、結局ヴィルフリート様は政治的なことに振り回されていたってことよね……)
いずれは気する婚約にしろ、好きでもない女性と親の命令で婚約者として付き合っていたのは苦痛で仕方がなかっただろう。
ヴィルフリート様も政略的なことでとは言っていたが、そんな理由だったとは。
シュフティ嬢は、自身が選ばれた存在ではないと分かったからか、顔面蒼白のまま、その場にへたりこんだまま抵抗をやめた。
そんな彼女を、ヴィルフリート様の指示で騎士たちが別室へ連れていく。最後に何か言葉をかけたほうがいいかと思ったが、かける言葉も浮かばず、私は彼女を見届けるしかなかった。
彼女の親がしでかしたこととはいえ、シュフティ嬢は掌の上で踊らされていたということだろうか。
そう思うと、胸が痛むような気もした。
(でも、これでよかったのよね……)
今後の展開については、王室が取り調べを行うだろう。私が介入することはない。
シュフティ嬢はヴィルフリート様を宝石やアクセサリーとしか見ていなかった。そして、それを奪われた腹いせに私をいじめていた。その結果が逮捕であると。
「アルヴィナ」
『……っ!!』
名前を呼ばれ私は我に返る。
見上げれば、ヴィルフリート様がペンギンの姿の私を見下ろしていた。何故、この姿で私だと分かったのだろうか。
(ああ、これのおかげね)
首を向ければ、私の足元にヴィルフリート様からもらった髪飾りが落ちていた。
この髪飾りで判別したかはわからないが、ヴィルフリート様は私に近づき、膝をついた。それでも彼とは目線があわず、私はじりじりと後退する。しかし、久しぶりにペンギンに戻ったこともあり、うまく歩くことができなかった。
「アルヴィナなんだな……?」
『……』
「どうして、そんな姿に……」
ヴィルフリート様は憐れむように私を見て、真っ赤な瞳を揺らしていた。
やっぱり、この姿で会うのはまだ無理だったんだ――と、私は消えてしまいたい気持ちになった。途端、目の前が真っ暗になり、そのまま横へ倒れてしまう。床が冷たい。
しかし、誰かが私の身体を起こし必死に名前を呼んでいるような気がした。
「アルヴィナ、アルヴィナッ!!」
(ヴィルフリート様が、私のこと、必死によんでくれているなんて……きっと幻聴よね)
だって、この姿の私を愛せるはずがないのだもの。彼は人間で、私は獣人。
その事実だけは変えられないのだから。
私は深い海の底に沈むように意識を手放した。




