03 ヴィルフリートside
「うまくいっているようで何よりですね」
「何故わかる?」
「殿下の顔を見ればわかります。狩猟大会で王女と進展があったのでしょう? 理由は聞きませんが」
「聞かないのか。聞いてくれてもいいだろう」
「のろけを聞くのは、業務に入っていないので」
カスパーは冷たくあしらい、目の前の書類を片づける。手を止めることなく、書類を裁く様子は、俺の右腕として申し分ないが少しは俺の話を聞いてほしいものだ。
執務室に、俺のため息が吸い込まれていく。
(アルヴィナは、俺が送った髪飾りを大切に使ってくれているようだしな……)
「声に出てますよ。殿下」
「ならば、最後まで話を聞いてくれてもいいだろう」
俺の話を聞く気がないのか、聞いているのか理解に苦しむ。
狩猟大会中、思わぬアクシデントが起き、俺は森の中でアルヴィナと会った。あんな危険区域に小さな彼女が体を丸めてうずくまっていたのだ。あのままでは、雨による低体温症の可能性もあったし、いつ大型な動物に襲われるかもわからなかった。あの時見つけられていなければと思うとぞっとする。
しかし、彼女は薄暗い森の中で一人でいたのに不安を一切見せなかった。
(いや、俺がその場に行った瞬間、表情を変えたか……)
今でもよく思い出せる。
彼女は、俺の前では何ともないようにふるまっていたが、その実本当は不安に駆られていたのではないかと。
アルヴィナは、とても勇敢で聡明な女性だ。俺の前で無理している様子も何度も見てきた。
きっと今回だって、俺に心配かけないようふるまっていたのだろう。あんなにも細い足にけがをしたのにもかかわらず、痛そうなそぶりも一切見せなかった。こちらは、見ているだけで痛々しいというのに。
途中、彼女の弟と目があったが俺が何とかすると見ればすぐに逃げ帰ってしまった。姉を置いて薄情なやつだと思っていたが、俺に恐怖しているようにも見えた。だが、余計な介入もなく彼女の手当てに専念できたのはよかった。
「狩猟大会中のお茶会で、ジュテーム侯爵令嬢がアルヴィナに嫌がらせをしたと聞いたがその件についてはどうなっている?」
「王女が魔法を使って脅したと広まっておりますが。実際のところ、王女の目の前に出されたお茶は木くずを煮出したもので、その中には幼虫の卵も入っていたそうです」
「ハッ、幼稚な嫌がらせだ……だが、アルヴィナにとってはどれほど辛いことだったか」
ジュテーム侯爵令嬢の嫌がらせは度が過ぎている。
もともと、俺によりつく女性を片っ端から潰すような性格の悪さが目立った。しかし、父の言いつけもあり俺はそれを見て見ぬふりをすることしかできなかった。
正式にジュテーム侯爵令嬢との婚約が破棄され、アルヴィナと夫婦となったのに、今度はその矛先がアルヴィナに移ってしまった。披露宴パーティーでは、冷たくあしらいその関係性を清算できたと思ったが、それがむしろ彼女のプライドを傷つけ、アルヴィナに嫌がらせをするまでになったと。少し考えればわかったことのはずだ。
アルヴィナは、一人で人間の国に嫁いできて、この国の文化に慣れようと必死になっているというのに。彼女から壁を越えようとしてくれているのにもかかわらず、この国の人間はその壁に昇る彼女を突き落として。
いつも俺の前で笑ってくれる彼女は、裏では傷ついてるかもしれない。俺の前で無理に笑っているかもしれない。
そう思うとたまらなく胸が締め付けられ、今すぐにでも抱きしめて安心させてあげたい。
(だが、俺も最初彼女にあんな言葉を――)
今でも自分の発言を覚えている。
もし、あの言葉を口にしなければ。悔やんでも悔やみきれないが、俺が彼女たちに対して偏見を持っていたのは事実。
未だ、彼女以外の獣人をはっきりとこの目で見たわけではない。俺の中に、彼女だけが特別だという気持ちがあればそれは大問題だ。
アルヴィナの心に寄り添うには、俺の中からすべての偏見を取り除かなければならない。
「それと、狩猟大会中怪しい動きがあったそうだな」
「はい、森の中でボヤ騒ぎがあったとの報告を受けています。どうやら、その火元に魔法の痕跡がありました」
「魔法ということは貴族の仕業か?」
「そう考えるのが妥当でしょうね。しかし、貴族のすべてが魔法を使えるわけではありませんし、狩猟大会中の魔法の発動は禁止されております。また、火元とみられる場所に、ナイフが突き刺さっており、その近くには見かけない獣の足跡があったそうです」
カスパーは情報を一度に説明し、その近くにあったとされる獣の足跡について絵にかき起こした。
「待て、よくわからん。お前は絵が下手だな」
「何分、芸術のセンスは持ち合わせておりませんゆえ」
「……かなり小さいな。それに、脚の本数は三本か。この広がっている部分は水かきがついているのか?」
「そうでしょうね。ですが、水かきがついている生き物は基本水辺から離れないはずです。雨が降っていたとはいえ、あそこは森の中心部。そのような生き物がうろついているとは思いません。ただ、珍しい生き物だからと何者かがとらえようとしたのかもしれませんね」
カスパーの書いた絵には、小さな動物のものと思われる足跡が描かれていた。何とも歪だったが、頭の中で書き換えその足跡から動物の形を想像した。これほど小さいとなると、大きくても一メートルほどだろう。
狩猟大会中に動物を放つとはいえ、このような動物は見たことがない。
(見たことがない……?)
そこで、俺は一つの推察にたどり着いた。しかし、そんなことがあり得るのかと一度頭を悩ませる。
(だが、彼女は言っていたよな?)
もしそうであるなら、彼女が危険区域に入って怪我をしていたのにも合点が行く。にわかには信じられない話であるし、彼女は一度もその姿になったことがない。
「殿下どうされました?」
「アルヴィナは今どこにいる?」
「王女でしたら確か、侍女を連れて城下町に行くとおっしゃっていましたが」
「戻ってきたら話を聞くか」
彼女が正直に話してくれるとは限らないが、夫として妻の話には耳を傾けたい。
俺はどんな姿であっても、彼女を愛する自信がある。
俺がうろうろしていては集中できないと、カスパーに冷ややかな視線を送られたため、俺は席に着いた。目の前にはまとめねばならぬ書類が積み上がっている。これを、アルヴィナが帰ってくるまでに終わらせ、その後は彼女と時間を過ごそう。
「この間のことで自信がついたのは何よりですが、殿下、くれぐれも慌てぬように。男の焦りは、女性に伝わってしまうものです。性急にならず、王女に尽くすことをお勧めします」
「言われずとも……だが、彼女のかわいさを目の前にしたら、きっとお前も考えが変わるだろうな。俺の妻はこの世で一番美しい」
「それを、王女に言ってあげたらどうですか。殿下は、王女を前にすると途端に童貞のごとく態度をお急変させますから」
「……実際にそうなのだから仕方がないだろう」
ぼそりと呟けば、カスパーは肩をすくめて首を横に振った。その態度に腹が立ったか、ここは冷静になろうと思った。
アルヴィナがかわいいのは出会ってからだ。彼女の愛らしさに一目惚れし、聡明で時々抜けているそんな愛らしさに俺は二度も心を射抜かれた。
彼女が俺の妻になってから、俺の世界は色づいたようだ。
兄と比べなくともよくなった。今の自分を肯定できるようになってきた。
さっさとこの書類の山を片づけようと万年筆に手をかけたとき、部屋の外が何やら騒がしいことに気が付いた。カスパーは俺に合図を送り、扉の前まで歩く。そして、扉の向こうの人間から用件を聞くと、ハッとしたようにこちらを振り返った。
「王女が、ジュテーム侯爵令嬢と共に彼女の屋敷へ行ったそうです」
「何だと?」
ガタッと後ろに椅子が倒れる。それは本当かとカスパーに聞くと、彼はごくりとつばを飲み込み大きく頷いたのだった。




