02 私の未来の旦那様
(問題、ないのよね……?)
笑顔なんて意識して作るものじゃないから、頬がつっていたかった。今すぐにでもこの偽物の笑みをはがしたいが、そうすることができなかった。
なぜなら、目の前の殿下が私を見て固まっていたからだ。
何か、粗相をしてしまっただろうか、と私は頭の中でぐるぐると考えたがこれと言って答えが出てこなかった。
ただ一つ、間違ったとすれば、いきなり部屋に入ってきてしまったことだろう。しかも、扉を思い切り開けて、強行突破。それが、殿下の神経に触ってしまったというのだろうか。
後ろでリーリヤが困ったようにうつむいている気配を感じた。
これでは、第一印象は最悪だろう。私は覚悟し、笑みを張り付けたまま殿下の言葉を待った。
しかし、ここで破談になってしまっては自国に顔向けできない。それに、こちらにもメリットがある縁談だ。何としてでも、結婚までこぎつけなければ。
(国の存亡がかかっているのよ……アルヴィナ・ピングヴィーン)
季節は春。冬まで半年以上はあるが、近年の冬は長い。今年、冬が到来すれば港が使えず、作物も育たず食料困難に陥る未来は見えている。餓死か、凍死。国民にそんな思いは絶対にさせない。
私はごくりとつばを飲み込み、この沈黙に耐えた。
「――か……」
「か?」
それまで石像のように固まっていた殿下の、形のいい唇が動いた。低いそのテノールボイスは心地よく、もっとその声でしゃべってほしいと思うくらい耳障りがよかった。
「カスパー! 誰だ、この子どもは!!」
殿下はそう口にしたかと思えば、後ろに控えていた黄金色の髪の男性に叫んだ。私を指さし、何やら怒っている様子だ。
やはり、怒らせてしまったのだろうか。
(と、というか、子どもって……?)
カスパーと呼ばれた、黄金色の髪の男性は「いえいえ!」と両手を前に出し首を横に振っている。
「殿下! あのお方こそが、殿下が本日顔を合わせることとなっていた、スヴェルカーニエ王国の第一王女アルヴィナ・ピングヴィーン様です」
「何だと? どう見ても子どもじゃないか。さては、獣人の国……我が国を愚弄して」
「いいえ、殿下。私は確かにスヴェルカーニエ王国の第一王女アルヴィナ・ピングヴィーンです。こう見えて、成人しています」
「……な、成人しているだと。だが、お前は……その……」
と、殿下は私のことを頭からつま先まで見たあと、信じられないというように自身の額に手を当てた。「子供にしか見えん」と、こぼしながら時折、私を見ては、ため息をつく。
確かに私は、身長が百五十センチにも満たない。だが、姉妹の中では大きいほうだし、リーリヤよりも大きい。
殿下と比べればその差は四十センチ近いだろうが、私はこの春成人を迎えたばかりだ。この国の人は大きいのかもしれないが、私の家族……私の種族は大きくても殿下ほど身長はない。
「……てっきり、俺よりも大きい女がくるのだと思っていた」
殿下は、すまないと謝るように頭を下げた。
殿下に頭を下げられるなんて滅相もない。私は大丈夫です、と伝えカスパーという男性を見た。彼は、殿下の従者ということであっているだろうか。カスパーさんは、私を見ても驚かなかったが殿下は明らかに動揺している。 私を子どもあつかいしたもの引っかかる。
その様子を見るに、どうやら、殿下には諸々の情報が伝わっていないことがうかがえた。
しかし、どうしてだろうか?
殿下は、あの名の知れた英雄バルタザール・クランツ殿下であるはずなのだ。噂に聞くところによると、彼は完璧な男性であるらしい。そんな殿下が、縁談相手を全く知らないなんてことありえるのだろうか。
目の前にいる殿下は、私を見て酷く取り乱し、何度もちらちらと見てくる。噂とはかけ離れた人だ。
(それに……彼から、魔力を感じない)
殿下は文武両道、剣の上でも魔法も使える完璧人間のはず。なのに、目の前の殿下からは全く魔力を感じられなかった。ないといっても等しい。
噂は噂だったか。それとも、私の縁談相手は彼ではないのか。
私が注意深く彼を監視していると、彼の真っ赤な瞳と目があった。
「アルヴィナ王女、失礼だが、王女は何の獣人なんだ?」
「何の? とは。ご存じないのですか?」
「……知らない。俺も驚いているんだ。お前がとても小さいから」
消え入るようにそういうと殿下は、どうなんだ、と私を睨みつけてきた。すがすがしいほどの責任転嫁。
(それも知らないの? おかしな人)
だが、私たち種族は見た目では分からないことが多い。南の獣人の国の獣人とは違い、身体にその特徴がはっきりと表れていないからだ。
「――ペンギンです」
「ぺん、ぎん?」
「はい。鳥類の仲間ですが、飛べない鳥……と言いましょうか。もっと言うと、コウテイペンギンの獣人です」
「コウテイ……ペンギン……」
「はい」
殿下は、聞きなれない言葉とでもいうように私の言葉を復唱していた。
私はコウテイペンギンの獣人だ。スヴェルカーニエ王国はコウテイペンギンの獣人が統治する国であり、国内には、ホッキョクグマの獣人や、アザラシの獣人がいる。ちなみに、リーリヤはアデリーペンギンの獣人だ。
殿下はふらふらと倒れるように後ろに後退る。そんな殿下をカスパーさんが抱き留めた。
「殿下、しっかりしてください!」
「……クソ、何も聞いていない。そもそも、俺は今しがた敵国の偵察から帰ってきたばかりだ。なのに、帰ってきたらどうだ。死んだ兄の縁談相手と顔を合わせろと?」
「死んだ兄?」
殿下の目がこちらに向いた。
もう隠すこともあるまい、と殿下は私のほうに近づいてきた。神妙な顔つきて私を見下ろし、眉を寄せた後ゆっくりと口を開いた。
「アルヴィナ王女。王女は、俺を第一王子のバルタザール・クランツと勘違いしているだろ」
「そう、ですね」
「……すまない。騙すつもりはなかったが、俺はバルタザール・クランツとは違う。俺は、その弟のヴィルフリート・クランツだ」
「ヴィルフリート様?」
私は首を傾げた。
つまりは、私の縁談相手は直前で変わったということだろうか。
そういえば、私もフィクスシュテルン王国について何も知らない。ただ、これも噂で天才の王子の弟は不出来な魔力無しと聞いていた。それが、目の前の彼――ヴィルフリート・クランツ殿下だというのだろか。
ヴィルフリート様は、申し訳なさそうな顔で私を見下ろしていた。端正な顔にしわが寄っている。こんなにきれいな顔をしているのに、お顔がもったいないわ。
「お、王女?」
「せっかく、きれいな顔をしていらっしゃるのに。謝る必要なんてないわ」
私は彼の顔に手を伸ばし、ぺたりと彼の頬に手を当てた。刹那、彼の身体が大きく上下した。瞬きの回数も増え、頬がほんのり熱くなっていく。
私はそんなヴィルフリート様を見ながら、ついおかしくて笑ってしまった。だって、私よりも何倍も大きな体がビクンと動くのだから。まるで、天敵に出会った動物みたいに。
「政略結婚ですもの。そちらの事情は分かりかねますが、私はフィクスシュテルン王国の王族と婚姻を結べるなら問題ないです。あなた方もそうでしょう?」
私の金色の瞳がヴィルフリート様の赤色に映る。
どういった事情があるかは知らない。でも、それに踏み込むのはご法度だと思った。
これは政略結婚だ。お互いの利害の一致で縁談をしている。
そういう意味では、ヴィルフリート様は被害者かもしれない。彼が先ほどつぶやいた言葉から整理するに、ヴィルフリート様は、バルタザール殿下の代わりに私と結婚させられそうになっている状況であると。もしかしたら、ヴィルフリート様にはすでに他の婚約者がいたが、この縁談がなくなっては困ると代理としてたてられたのではないだろうか。
ヴィルフリート様の動揺が、その事実を裏付けている。
「そうか……お前は、この国の王子なら誰でもいいのか」
「ヴィルフリート様?」
「カスパー、彼女たちを部屋に案内しろ。それと、彼女たちを案内しなかった従者どもを俺の前に連れてこい」
「はい。分かりました。殿下」
ヴィルフリート様は、酷く傷ついたような顔をして私の手の中から離れていった。
なぜ彼がそんな顔をしたのか私には理解できなかったが、理由を聞く前に彼は足早に部屋を去っていった。たった今、自国に戻ってきたというのであれば、他に仕事があるのかもしれない。
何はともあれ、私は縁談相手と接触できたのだ。前途多難ではあるが、第一関門はクリアした。
それから、殿下はカスパーさんに何やら伝え私たちはようやく客人として部屋に案内されることとなった。
通された部屋は質素ながらも、しっかりとした客室でふかふかのソファに、寝室付きの広々とした部屋だった。
私とリーリヤは部屋の隅に鞄を下ろし、ソファに腰かけた。
「アルヴィナ様、大丈夫ですか?」
「どうして、そんなことを聞くの?」
「いえ……どうやら、フィクスシュテルン王国に手違いがあったようでしたので。縁談を持ち掛けられたときの相手は、この国の王太子殿下だったではありませんか。それなのに、今日顔を合わせてみれば第二王子殿下に。しかも、アルヴィナ様のことを全く知らない様子でしたし」
「リーリヤの言いたいことは分かるわ」
リーリヤは、先ほどと変わらず浮かない顔をしており、私のみを案じているようだった。
確かに、何から何までずさんすぎる。
私たちを案内しない王宮の人もそうだし、ヴィルフリート様も私の存在を全く知らなかった。
そもそも、獣人の国は北と南に別れており、私たちは北のスヴェルカーニエ王国。寒さに強い獣人の住む国で、南よりも国土面積は狭い。
多分、ヴィルフリート様が想像していたのは南の獣人の国だろう。あちらは熱砂の国と呼ばれるくらい年中暑く、暑さに強い獣人が住まう国だ。ライオンの獣人が統治しており、他にも肩を並べる肉食獣人が多く生活している。常に下剋上が起きている国だ。
とはいえ、獣人と言っても姿かたちは人間とほぼ同じであり、生活様式も人間をまねている。私たちが獣から人間になってからかなりの時間が経つが、人間の国とコミュニケーションを取れるほどには知能はある。
ただ、そのことを知らない人間が多いため、今まで獣人の国と人間の国の交流はなかった。
そういう経緯もあって、人間は獣人を見下しているのだろう。
「でも、さっきも言った通りこれは政略結婚だもの。どういう事情があれ、そこには触れず夫婦となれば、お互いにwin-winでしょう?」
「そうですが……正直、ここでやっていける自信がありません。何よりも、アルヴィナ様が心配です」
「ヴィルフリート様のことなら平気よ。彼、すごくかっこよかったもの! キラキラした宝石みたいな人だった……んふふ」
「そうではなく!! はあ……さすがは、アルヴィナ様です」
リーリヤは、息を吐いてから口を閉じた。
無理に明るくふるまっているわけじゃない。私にだって不安はある。
私は立ち上がり、リーリヤの前まで生き、彼女の手をそっと握り込んだ。
「私も、不安はあるわ。でも、貴方がいるもの。それだけで心強いの」
「アルヴィナ様……っ」
「遠いところまで、私についてきてくれてありがとう。貴方はとても優しくて勇敢なファーストペンギンよ」
「そんな、勇敢なファーストペンギンはアルヴィナ様です」
リーリヤは立ち上がる勢いでそういうと、顔を赤らめた。
ファーストペンギン――それは、群れの中で天敵がいるかもしれない海に飛び込む勇敢なペンギンに由来した言葉。
私はいつもファーストペンギンだった。今回の縁談でもそうだ。
交流のない人間の国からの突然の縁談。姉妹たちはみんな恐ろしくて、立候補できずにいた。でも、あちらが提示したメリットはスヴェルカーニエ王国にとって有益なものだった。だからこそ、その縁談を断るわけにはいかなかった。
私は国のため、フィクスシュテルン王国に嫁ぐ決意を固めたのだ。
「ありがとう。リーリヤ」
「はい! アルヴィナ様が言うのであればこの縁談うまくいくと思います!! アルヴィナ様の言う通り、第二王子殿下はとても凛々しい人でしたから。アルヴィナ様にぴったりのお方だと思います」
「でしょ!? 私も、思わず見惚れてしまって。もしかしたら、これが一目惚れかもしれないわ」
きゃっきゃっと私たちは会話に花を咲かせていた。
すると、部屋がいきなりノックされ、外側からカスパーさんの声が聞こえた。リーリヤはすくっと立ち上がり扉のほうまで行くと、扉越しにカスパーさんから用件を聞いてきた。
「アルヴィナ様、第二王子殿下が一緒にお食事をと。いかがなさいますか?」
「ヴィルフリート様が、私と?」
先ほどは慌てて部屋を出て行ったのに、仕事が片付いたということだろうか。
だが、これはまたとないチャンスだ。
ヴィルフリート様や、この国の文化を知るためにも一緒に食事をとるのはとても重要なこと。
私はリーリヤのほうを見やり、そして彼女に「いくわ」と返事をした。
リーリヤはカスパーさんに私の言葉を伝える。カスパーさんはその言葉を受け取ったようで部屋の前から去っていった。
王宮に来て言葉を交わした従者たちとは違い、カスパーさんは仕事のできる人だと思った。私たちに対しても、無礼な態度を取らず、客人として丁寧に扱ってくれる。それが普通なのかもしれないが、異国の地に来た私たちにとってはとても温まることだった。
「アルヴィナ様!! かわいく、仕上げましょう」
「え、ええ! といっても、持ってきたドレスは……」
人間の国のように、何度もドレスを着替えたりしない。今着ているドレスが勝負ドレスだったため、着替えを考えてはいなかった。
リーリヤもそれを理解しているため「髪を整えましょう。化粧も!」と、私の手を引いて化粧台に座らせてくれる。気が利く子で本当によかった。私よりも一つ下で、小さいのによく動いてくれる。
私は、彼女が着いてきてくれて本当に心強かった。
「髪型はいかがなさいますか?」
「リーリヤのお任せコースでお願いできるかしら。私は貴方の腕を高く評価しているわ」
「ありがたきお言葉! では、腕によりをかけてアルヴィナ様を、ここいらの国ではお目にかかれないほどの美しさにしてみせます!!」
リーリヤはふんすと鼻を鳴らす。鼻息が荒く、張り切っているのを感じる。
私はそんなリーリヤを鏡越しに見てふっと笑う。しかし、鏡に映った自分が目に入ったとき、ハッと言葉を失った。そこに映っていたのは、異国の地で不安に駆られている少女の顔があったからだ。
(いいえ、私なら大丈夫よ。ヴィルフリート様もいい人みたいだし、やっていけるわ)
自分に暗示をかけ、私はリーリヤに身を任せどんな髪型になるか楽しみにしながら目を閉じた。