03 弟の存在
「森の中には、人為的に放った動物もいるということですね」
「ああ。それぞれポイントがつけられていて、小型の動物でも希少性の高いものだとポイントが高いな。ただ、まあこの大会が始まった当初は狩りは娯楽として楽しまれていて、ポイント制ではなかったのだが」
「歴史を聞いていると面白いですね。ヴィルフリート様、教えてくださってありがとうございます」
私たちのために用意された天幕の近くで、ヴィルフリート様に狩猟大会についてあれこれと話を聞いていた。
ヴィルフリート様は大会に参加している回数が多いため、現在と過去の細かい違いまで教えてくれ、森の構造についても詳しく教えてくれた。私は実際に森に入るかはわからないが、安全区域と呼ばれる場所まで入ってみてもいいかと思った。安全区域には、無害な小動物が多く、女性でも難なく狩りを楽しめる場所となっているそうだ。
逆にヴィルフリート様たちが向かう危険区域には大型の動物が出るため、家門で隊列を組むなりする群れでの狩りが推奨されるらしい。
聞いていると狩りの基本は、獣人のものと変わらない。むしろ、獣人が獣だった時代に行っていたものそのものだった。
(確かにそう思うと、この狩猟大会で親睦が深まる可能性は高いわね……)
あとは、どれほど歩み寄れるかどうか。そこは、ただただ願うしかない部分でもあった。
「もうしばらくしたら出発しようと思うが、アルヴィナはこの後どうするつもりだ?」
「私は、リーリヤからお茶会が開かれると聞いたのでそちらに参加しようと思っています」
「お茶会か……」
「どうかしましたか?」
「いや、そのお茶会はジュテーム侯爵家が仕切っているからな」
ヴィルフリート様は歯切れ悪く言って顎に手を当てていた。
聞き覚えのあった家門に、私は少しの間考え彼女の顔が浮かんできた。
「シュフティ嬢の家ですね」
「ああ、そうだ。あいつは、お前に俺を取られたと誤解しているらしいからな。元から、嫉妬深い女性だったし、社交界では絶対的なポジションだったと噂に聞く。デビュタントの令嬢に嫌がらせをして、社交界から追放したという黒い噂も聞くんだ。くれぐれも気を付けてくれ」
「そんなことまでする人なんですか?」
ヴィルフリート様は恐ろしい、というようにため息をついていた。だが、そんな人がもともと彼の婚約者だったなんて思いもよらなかったので、とても気の毒に思った。もちろん、ヴィルフリート様が。
(そういえば、彼女とも政治的な理由でと言っていたし。ヴィルフリート様のご意向ではなかったのよね)
あの時はまだまだフィクスシュテルン王国の貴族文化に詳しくなかったため、やたらと突っかかってくるな程度にしか思っていなかったが、実際あれはかなり私を貶していたらしい。披露宴パーティーでそんな行動がとれることに驚きではあるが、それほどまでにシュフティ嬢は社交界での地位を確立させていたのだろう。
それに、いきなり第二王子の妻となった私よりも、元から婚約者だったシュフティ嬢に同情する声も大きかったかもしれない。
「ヴィルフリート様、心配してくださってありがとうございます。ですが、今回はやられてばかりではいられないので、私勉強したんです」
「そ、そうなのか……まあ、俺が狩りに出かけている間はお前を守ってやれないから、自分の身は自分で守ってくれるなら、こちらも心配せずに済むが」
疑うようにヴィルフリート様は、赤い目で私をちらちらとみてきた。確かにいきなり言われても困惑するだろう。
だが、私はこの日のためにリーリヤとお茶会のマナー作法や、フィクスシュテルン王国の貴族令嬢のたしなみについて特訓したのだ。これで、世間知らずな獣人の王女など誰にも言わせない。
私は胸を張って、彼を安心させるように微笑んでみた。すると、ヴィルフリート様はいつものように頬を赤らめ「アルヴィナが言うなら、大丈夫なのだろうな」と私を信じてくれた。
「守られてばかりは性に合いませんので。ヴィルフリート様を安心させるためにも、そのお茶会で、しっかりとフィクスシュテルン王国の王女としての役目を全うしてきます」
「……っ、そうか。アルヴィナは本当に勇敢な女性なんだな」
「貴方の妻ですから」
「そうだな。これで、安心して狩りに集中できそうだ」
ヴィルフリート様が言ったとき、ガサリと近くの草が踏みしめられる音が聞こえた。
その音に先に気づいたのはヴィルフリート様で、誰だというように振り返る。私は、ヴィルフリート様の陰から誰が来たのだろうかと覗くと、同じ金色の瞳と目があった。
「……ユーリス」
「アルヴィナ?」
私と同じ黒い髪に、白い肌。彼は私と目があった途端駆け寄ってきて、私を抱きしめた。
「姉さん!!」
「なっ!?」
私よりも体躯の大きい彼は、私を包み込むようにぎゅっと抱きしめた。
突然の抱擁に私が驚いていると、私を抱きしめた張本人である弟――ユーリス・ピングヴィーンが、口を開いた。
「姉さん、俺、心配したんだよ。いきなり嫁いでいっちゃうから」
「お父様から、話が言っているはずなのだけど……ユーリス、少し離れましょうか? その、ヴィルフリート様の前だからね?」
何度も顔を摺り寄せ、私を離さないユーリスはまるで求愛行動をするように、べったりと引っ付いた。
あまりに親しげな様子にヴィルフリート様は茫然としているようだったが、はっとしたようにこちらを見てきた。私は、そんな目で見ないでほしいと思いながらもユーリスを剥がそうとするが、彼も私もびくとも動かない。知らぬ間に力が強くなっていて私も驚いてしまったのだ。
「離れたくない! 俺……姉さんがいない間ずっと不安で仕方がなかったんだ!」
そう涙声で言うユーリスは幼い子供のようだった。それでも、大人の男性であるという事実は変わらず、彼の拘束から抜け出すことは私にはできない。
しかし、なんだかヴィルフリート様に誤解されそうだったため、私はユーリスの腕の中から顔を出し彼のほうを見た。案の定ヴィルフリート様は一人置いてけぼりを食らっているようで、私に目で訴えかけてきた。
「アルヴィナ、彼は……」
「ええっと、彼は私の弟で――」
「アンタが、姉さんの番?」
そう口を開いたのはユーリスで、彼は目をキッと吊り上がらせると首を傾げヴィルフリート様を睨んでいた。
ユーリス・ピングヴィーン第三王子。私の弟であり、同じコウテイペンギン。姉弟の中では大きいほうで、ヴィルフリート様よりは低いものの、威圧感のある体躯に鋭い眼光。その目つきの鋭さは、弟の私でさえ一瞬怯んでしまうくらいだった。
「番……? ああ、俺はアルヴィナの夫であり、フィクスシュテルン王国第二王子のヴィルフリート・クランツだ」
「第二王子? 姉さんは、王太子と結婚するって聞いてたけど?」
「こちらの事情で俺が結婚することとなったのだ。同盟は結ばれたわけだから、問題ないはずだが?」
「ふぅ~ん、言うじゃんねえ。でも、アンタは姉さんにふさわしくないよ」
ぴしゃりと雷が落ちるように、ユーリスは発言すると、さらに私を押しつぶす勢いで抱きしめた。
彼の胸筋に圧迫されつつも、私はヴィルフリート様への発言を撤回しろとユーリスを見上げる。
「ユーリス……ダメよ。貴方の言動で、この同盟が破棄されれば国に多大な損害が出るのよ?」
「姉さん」
私がたしなめると、彼は若干しょぼんとした顔をしたが私の体に引っ付くことだけはやめようとしなかった。
そんな弟に私は困ってしまっていたが、ヴィルフリート様は状況を察してくれたようで私を無理やりユーリスから引きはがしたりしなかった。
こんなに大きくなっても、姉離れできない弟には少し思うところがある。かわいいけれど、身体は立派な大人なのだ。
「ごめんなさい、ヴィルフリート様。彼は私の弟のユーリス・ピングヴィーン。スヴェルカーニエ王国の第三王子よ」
「そうだったのか。そうとは知らず……」
「ねえ、今、俺が姉さんと話してるのに割って入ってくんなよ」
「ちょっと、ユーリス」
ユーリスは、ヴィルフリート様に威嚇を続けており、とげとげしい言動が目立った。
なぜ、弟がこれほどまでに殺気立っているのか私には理解しかねたが、ヴィルフリート様の気を害するほうがいけないと思い、私は何とか、彼の腕の中から逃げ出した。
「ちょっと、姉さん」
「ユーリス。私は貴方の姉だけど、私の夫の前でこのような行動はどうかと思うの。少しは場所をわきまえて頂戴」
「でも、姉さん。姉さんは一人で人間の国に嫁がされて、寂しい思いをしているだろうって」
「それは、貴方の勝手な憶測でしょ? 手紙にも書いたように、私はうまくやっているの。ヴィルフリート様との仲も好調よ」
私はユーリスを黙らせるために、ヴィルフリート様の腕に絡んで仲のいいアピールをした。しかし、ユーリスにはそれが響かなかったようで「人間に飼いならされちゃって」と、文句を垂れた。
(もう、なんでそうなるのよ……)
ヴィルフリート様も困っているようだし、このままでは確実に行けない。
そう思っていると、ユーリスの従者が彼を呼び戻しに来たのか「ユーリス様」と遠くで声が聞こえた。ユーリスは舌打ちを鳴らすと、私たちを一瞥する。
「今日の狩猟大会、アンタよりもいい成績を収めて、姉さんにふさわしいのは俺だって証明してやるからな」
そんな捨て台詞を吐き捨て、ユーリスは嵐のように去っていった。
彼が去った後、私たちの天幕の近くは静寂に包まれ、私とヴィルフリート様互いに発言できずにいた。
「……はあ、ヴィルフリート様すみません。私の弟が」
「いや、いいんだ。お前に弟がいたというのは初耳だが、彼もペンギンの獣人なのか?」
「はい。姉弟の中では大きいほうですから……って、私だって姉妹の中では大きいほうなんですよ?」
「そうか。お前は、大きくても小さくてもかわいいが……お前の弟には、どうやら敵意を向けられているらしいな」
「本当にすみません。ユーリスは兄弟の中でも一番喧嘩っ早くて。それだけじゃなくて、私にとっても懐いてくれているのですが、姉離れができていないようで」
私がそう説明すると、ヴィルフリート様は気にしないとの言葉をかけてくれた。
ただ、一つだけ気になることがあるとすれば、ユーリスたちに送った手紙が彼らに届いていないということだ。
(いったいなぜかしら……?)
まだ、断定するのは早いとはいえ、あの様子だと手紙の存在を知らないようだった。第二王子との結婚についても知らないようだし。
(お父様が、他の姉弟にフィクスシュテルン王国での私の生活を知らせないようにしている……?)
そんなことはたしてあるのだろか。
疑問が残りつつも、私はユーリスのことをヴィルフリート様に話し、一応理解を得てもらった。それから、ヴィルフリート様は狩りの支度をすませ、森へと出向き、私はリーリヤと合流しお茶会に参加することとなったのだった。




