02 狩猟大会
木がうっそうと生い茂る森の近く、大きな湖のほとりに人だかりができていた。近くには簡易的な天幕がいくつもたてられており、物資を運ぶ姿が見受けられた。
「すごい大掛かりね」
「ああ、狩猟大会は数日にわたって行われるからな。武器の準備や食材の準備やらでかなり大変なんだ。一応、スヴェルカーニエ王国にもその話を通してあるが……」
ヴィルフリート様はあたりを見渡し、獣人がいないか気にしているようだった。
確かに周りに見えるのはフィクスシュテルン王国の人間だけに見える。しかし、少し遠くを見れば、敷地内に獣人らしき人の姿も見えた。
「大丈夫だと思いますよ。彼らも狩りのプロですから」
私がそういうと、ヴィルフリート様は安心したようにほっと息をついた。
狩猟大会当日、スヴェルカーニエ王国から何人かの獣人がこの大会の日のためだけにフィクスシュテルン王国を訪れていた。遠路はるばる来たため、疲労がたまっているのか、それとも狩りの前だから精神統一をしているのかフィクスシュテルン王国の貴族の前に姿を現さなかった。
まだ警戒しているのかもしれない。そんなことを思いつつも、大会の準備は着実に進んでいっているようで、大会が始まれば何かしら接触があるだろうとは思う。
最も、この大会の目的はフィクスシュテルン王国とスヴェルカーニエ王国の同盟が結ばれたことを知らしめるためのものであり、和気あいあいとしているところを誰に見られているわけでもないが見せつけなければならない。
(まあ、我が国も人間たちのことを観察しているのでしょうね……)
狩りは獲物を知るところから。
「それにしても、気持ちのいい場所ですね。湖では魚が取れるのかしら」
「魚に興味があるか? どうだろう。釣りでもすれば釣れるかもしれないが、大きな魚がいるかはわからないぞ」
「ヴィルフリート様、もしかして私がその魚を調理して食べようとしていると思っています!?」
「違うのか?」
ヴィルフリート様は首を傾げ私を見た。
確かに魚は好きだが、夫に大食らいだとは思われたくない。
湖でしか釣れない魚というのは非常に気になるところだが、ここはグッと堪えようと思った。さすがに、獣の姿に戻って湖を泳げるわけでもあるまい。人間の姿で泳いでもここにいる大半はフィクスシュテルン王国の貴族だ。変な目で見られるに違いない。私がそんな目で見られてしまえば、夫であるヴィルフリート様にも風評被害が出る。
「そんな、私がすでにお腹空いているみたいに!! 大丈夫です。ちょっと気になっただけですから」
「ははっ、かわいいな。別にいっぱい食べるお前も嫌いじゃない。むしろ、おいしそうに食べるアルヴィナの姿が俺はとても好ましく思う」
スッと私の腰に腕を回し、ヴィルフリート様が甘い笑みを浮かべた。いつもとは違って、スマートで大人らしい色気がある。ヴィルフリート様はそんな表情もできたのか、とその笑顔に私はドキリとする。しかし、すぐにヴィルフリート様は視線を私ではなく別の方向へそらした。いったい何だろうと視線の先を辿れば、私と同じ黒髪が目に入ってきた。
「これはこれは、ヴィルフリート第二王子殿下。我が娘のアルヴィナと仲慎ましいようで、何よりだ」
「そうね、アルヴィナもすっかり人間の国の生活に慣れているようで。安心したわ」
「お父様、お母様……」
そこにいたのは、私の両親だった。両親ともに黒い髪に、灰色のメッシュが入っており落ち着いた雰囲気で私とヴィルフリート様を見ている。気配に気づかないなんて、私はよっぽどヴィルフリート様の行動に見惚れていたのだろう。
だが、両親が私の前に来たことによって私は、先ほどのヴィルフリート様の行動の裏に隠されたものに気づいてしまい、少しだけ心が痛かった。
(なるほど。私の両親に気づいて夫婦仲慎ましい姿を見せているというわけね……)
ヴィルフリート様らしくないと思った。
彼は私に触れるだけでも精いっぱいな臆病な人で、そこが初々しくてかわいい人だった。そんな人が、いきなり私に触れ甘い表情を浮かべられるわけもない。
ヴィルフリート様はそんなふうに演技もできる人なのだと、私はここで初めて知ったのだ。
その効果もあったのか、私たちの元まで来た両親は、すっと目を細めて私を見た。
「元気そうだな。アルヴィナ」
「はい。ご無沙汰しております。お父様、お母様」
父の黄色い瞳が私を鋭くとらえる。途端、私の背筋はピンと伸び無理やり作りたくもない笑みを顔に張り付けることとなった。
両親のことも、姉弟のことも、国のことも嫌いではない。
ただ、どうしても国を追い出されるように嫁いだ私にもっと何か違う言葉をかけてくれればよかったのに、と思ってしまうのだ。それは、私の淡い願いだが。
(父はとても聡明な方だし、この交渉にうなずいたのも父。人間と対等に渡り合えるのだと、その証明が欲しかったのよね)
我が国は時々南の国の獣人の国と口論になることがある。
とはいえ、我が国の獣人は寒さに強く暑さに弱い。逆に南の国の獣人は暑さに強く寒さに弱い。そのため、基本的には交わることのない生活を送っている。しかし、時々、どちらの国のほうが素晴らしいかという国土や文化についての言い争うはあると聞く。両国が終結する定例会議があり、さまざまな思想の違いから父は毎度定例会議の後は苛立ちが抑えきれていなかった。
だから、今回メリットもあり、自分たちは人間と同様の文化レベルを持っていると南の国の獣人たちにマウントを取るべく同盟を結んだ。
父は、人間と同等と言ったが、人間よりもはるかに後に文明を気付いたのにかかわらず、人間と同等の文化レベルであると、人間の国を見下しているところもある。その反面、父もペンギンの獣人。少し臆病で、結婚式には参列しなかったのだ。
(今だって、ヴィルフリート様を下に見ているような目を向けて)
それに気づいて、ヴィルフリート様が気を害したらどうするんだ、と私は彼のことが気になって仕方がなかった。
そんな私が緊張していることに気づいたのか、ヴィルフリート様はさらに私の腰を抱き、両親に向き合った。
「お初にお目にかかります。国王陛下、女王陛下」
「フッ、アルヴィナから手紙をもらったときは驚いたが、アルヴィナの隣に並んでも見劣りしない美丈夫だな。本来アルヴィナの夫となるはずだった王太子殿下のことはご冥福をお祈り申し上げるが、同盟を結べた今、そこは大きな問題ではない」
「お父様、何を言うんですか!!」
さすがに今のは度を越えた発言だ。
母もそれに気づいたらしく「ちょっと」と父の服を引っ張る。しかし、父は悪びれた様子もなく「失敬」といって顎髭に触れるだけだった。
祖国には王太子とではなく、第二王子であるヴィルフリート様と結婚することが決まった旨を手紙で送った。けれど、こんなふうに伝わっているなど思いもよらず、私は少し後悔していた。かといって、手紙を送らなければ両親はヴィルフリート様を王太子であるバルタザール王太子殿下と勘違いしていただろうし。
父の発言は、第二王子でもまあ問題ないな、と彼を完全に見下す発言だった。
これにはたまらず声を上げてしまったが、ヴィルフリート様は特に傷ついた様子を見せるでもなく「王女との結婚生活は、実に新鮮で、毎日楽しいですよ」とはっきりと答えた。
その目はお父様を牽制するかのようで、私はなぜか少しだけ心がざわついた。
父の発言の意図にヴィルフリート様が気付かないわけもない。だが、ヴィルフリート様は大人な対応を取ったのだ。
父はその言葉を受けてか、面食らったような表情で私たちを見ていたが、母が父の腕を引いたとことで正気に戻ったのか、咳払いをした。
「我が大切な娘が、一人人間の国に嫁いでいったから心配だったんだ。だが、その心配も無用らしいな」
(何が、一人嫁いでいったのよ……)
父の性格は分かっていたはずなのに、そのときはなぜか心の中に黒くドロッとした感情が生まれた。
私には沢山姉弟がいるし、一人がいなくなったところで寂しい思いはしないだろう。それに、父だって子供が一人減った感覚に過ぎないはずだ。
わざとらしい態度には私も苛立ちを覚えずにはいられない。
それに何より先ほどから、フィクスシュテルン王国のことを『人間の国』と口にしているところが、まだ両国の間の壁を壊せずにいる証拠だと思うのだ。
「まあ、陛下ったら……陛下もほら心配なのよ。アルヴィナは分かってくれるでしょう?」
「お母様……」
「じゃあ、また会いましょう。アルヴィナ。それに、あの子も来ているから、きっとこの狩猟大会は賑やかになるでしょうね」
母は父の腕を引いてその場を去っていった。母は、ヴィルフリート様に対しての発言が度を超えていたことに気づいたのだろう。賢明な判断ではあったが、それは発言する前の止めなければ意味がない。
嵐のように両親が去った後、私は息を吐いた。息の詰まるような状況から解放されたのに落ち着かない。
私はしばらくヴィルフリート様のほうを見ることができなかったが、彼のほうから話しかけてきたのだ。
「アルヴィナ、大丈夫か?」
「えっ、ああ、はい。ご心配していただきありがとうございます……それよりも、私の両親がとても失礼なことを言って。私からお詫び申し上げます」
「気にしてなどいない。それに、ペンギンは臆病なものが多いと聞いていた中で、あれほど堂々と話しかけてきたのだ。そこは評価すべきじゃないか? ……と、お前の両親に対していっていいのかわからないが」
「大丈夫ですよ。二人の耳に入らなければ……ただ、多分先ほど父の態度が傲慢そのものだったのは、ヴィルフリート様以外同族だったからでしょうね。群れの中に異物が入れば、基本的にそれを除外しようとしますし、多勢であれば気も大きくなるというものです」
「確かにな」
「本当に、お気を悪くさせてしまったのなら申し訳ありません」
謝って済む問題ではないと思うが、私は深々と頭を下げた。
しかし、ヴィルフリート様は下げる必要ないと言って私の手を取った。
「お前も緊張していただろう。それに、俺を庇おうとしてくれた」
「気づいていたのですか?」
「アルヴィナのことは常にみているつもりだからな。酷く緊張しているようだった。深くは詮索しないが、両親との関係は複雑なことが多いだろう」
「……はい。ああ、でも、受け入れているつもりなんです。ですが、フィクスシュテルン王国に来て、少し考え方が変わったのかもしれません」
群れの中にいなくとも一人でやっていけるということ。でも、それは心細くて誰かがそばにいてくれないと不安ということ。その誰かは、同じ種族じゃなくてもいいということ。
スヴェルカーニエ王国にいては感じることのできないことばかりだった。だからこそ、私はヴィルフリート様のそばにいたいと思うのだ。
私の言葉に、ヴィルフリート様は優しく頷いてくれた。そのほほえみに、少しだけ救われたような気もする。
「気を取り直して、狩猟大会楽しみましょうね。といっても、女性は基本的に参加しないようですが」
「頼めば大丈夫だろう。ただ、お前を一人で森に行かせるのは不安だ。行くなら言ってくれ。お前の侍女にお前が着れる服を運ぶよう言うからな」
「ありがとうございます。ヴィルフリート様」
先ほどの空気が嘘のように晴れていく。
私は、私に微笑んでくれるヴィルフリート様の笑顔を見て、作り物ではない自然な笑みを浮かべることができたのだった。




