01 初めてのデート
「すごいです。ヴィルフリート様!!」
ヴィルフリート様の誘いで馬車に乗り、私は城下町まで来ていた。
小さな窓から見える景色は、王宮にいるときとは違い、平民達の暮らす街並みで、酷く目新しい。
人々の顔も明るく、笑い声が絶えず聞こえてくる。どの店も、人が出たり入ったりと繁盛しているのがうかがえた。
また、石畳の地面をカラカラと車輪が回る心地がとてもいい。
「アルヴィナの国には、城下町がないのか?」
「ありますけど、これほど活気に満ちているわけじゃありません。未だ発展途上ですし、冬になるとめったに外に出なくなりますからね。それまでにたくさん食べ物を仕入れるんですよ。なので、争奪戦です」
「それは、大変だな」
「はい。スヴェルカーニエ王国の獣人がいくら寒さに強いとはいえ、寒さから身を守るだけでは生きていけませんから。かといって、我が国は獣人となってから現在まで、元の獣としての衝動で国民同士が殺しあったことはないです」
「獣の衝動……」
ヴィルフリート様は訝し気に私の言葉を繰り返された。
「そうです。私たちは元は獣でしたから、捕食行動が理性を上回るときがあるのです。ですが、国の掟として獣人は獣の衝動に支配されてはならない。何人たりとも国民を襲ってはいけないというものがあるのです。ごくたまにその衝動に駆られるものがいますが、時代を経ることに減っていっています。それに、それに!! 我が国の近衛騎士団は優秀ですから。衝動に駆られたものを即座に制圧し、獣人としての身体を保たせる術は心得ております」
「それはペンギンの騎士団か?」
「はい。私たちは一人では弱くても数がかなりいますからね。それと、人間と同じように頭を使い、武器を使って衝動に駆られたものを制圧するのです」
「そう聞くと、ペンギンの騎士団はとても優秀そうに見える。我が国の騎士団と似たようなものなのだろうな」
そういうと、ヴィルフリート様は嬉しそうに笑った。
騎士団や、剣の話が好きなのだろうか。
(獣の衝動に駆られた獣人は、基本的に鎮静剤を打たれるけど、それでも暴走するものがいたら殺してしまうのよね……)
一人が衝動に駆られると、それがその種族に伝染し先祖がえりを起こしてしまう。アザラシの獣人などはペンギンの天敵だし、ホッキョクグマなど、少人数ではどうしようもない獣人が獣の衝動に駆られてしまった場合は手の付けようがない。
かといって、ペンギンにその衝動がないかと言われたらないとは言い切れない。
獣人の国は、人間の国と同盟を結べる程度に知能が発達し、国家を歴史を作ってきてようやく今、対等に人間と話せるのだ。
だからこそ、よりいっそその衝動に駆られた獣人を看過できない。
「ああ、えっと。お話を戻しますと、今回同盟が結ばれたことによって少なくとも冬が到来してもスヴェルカーニエ王国の国民がひもじい思いをしなくて済むと思います。だから、とても感謝しているんですよ」
「アルヴィナは、本当に国のことを思っているんだな」
「ええ、まあ。私はスヴェルカーニエ王国を代表してフィクスシュテルン王国に、貴方のもとに嫁いできた元スヴェルカーニエ王国の第一王女ですから。王家の人間として、国民のことはとても大事ですよ。ヴィルフリート様はどうなんですか?」
私ばかり質問されているような気がしたので、彼に質問を投げかけてみた。
すると、ヴィルフリート様の表情が少しだけ曇る。
「フィクスシュテルン王国の王子として、それなりに国民のことは大事だと思っている。ただ、平民と貴族の格差や、貴族が王家に取り入ろうとする姿勢は見ていて気分がいいものではない……か」
「人間の国の中にも格差があるのですね」
「……ああ、そうだな」
それは複雑だ、という顔で見返せば、ヴィルフリート様は眉を八の字に曲げていた。
なぜだろう? と思っていたが、その理由をすぐに理解してしまった。
(ああ、そのうえで獣人を見下している風潮があるということね)
平民がどうかは分からないが、自分たちよりも下の人間をつくることで己の自尊心を保とうとしているのかもしれないと。
スヴェルカーニエ王国は、基本助け合いを軸に国が動いているが、そうなる前は植物連鎖がどうとか、ペンギンが国を治めるのはどうかとも言われていた。ただ、聡明であるペンギンの獣人は、他の獣人の意見をまとめ、適材適所に配置し、行動に見合った報酬を与えたことで、大型の獣人さえも手懐けることに成功したのだ。
それは何百年もの前の話で、今は人間の国を模倣しているだけの発展途上国だ。貴族制度もあいまいで、平民と呼ばれる獣人はいない。とにかく、貴族制度があるというあいまいな状態だ。
人間の国の文化をすべて取り入れようとすると、そういった格差を生んでしまうかもしれない。そう思うと、いいところだけを取り入れようとするのがベストだが――
「アルヴィナ、ついたぞ」
「えっ? もうですか?」
考え事をしていると目的の場所についたのか、ヴィルフリート様は馬車を降りると私の手を取って、エスコートしてくれた。
馬車から降りるとふわりと風が吹いた。
馬車の中が窮屈だったとは思わないが、外に出た瞬間外の空気が私たちを歓迎してくれているようにも思えた。
「どうした? アルヴィナ」
「いいえ。馬車での移動も楽しかったのですが、やっぱり外の空気はおいしいなと思って。私、こう見えても歩くの好きなんです」
私がそう言って腰に手を当てると、ヴィルフリート様はなぜか信じられないように私の頭からつま先までじっと見つめてきた。
「そう、だったのか。だが、はぐれるといけない。手をつないで歩こう」
「手を?」
「ああ、嫌じゃなければ」
ヴィルフリート様が差し伸べてきたので、私はその手をギュッと握り返した。
彼のこういう些細な気遣いが大好きだ。
「これで絶対にはぐれません」
「…………そうだな」
驚いたように眼を軽く見開いたが、すぐに嬉しそうに微笑んでいた。
(ふふっ……おっきな手)
私よりも数倍大きな手が包んでくれる安堵感。好きな人と手をつなげることがこんなにも幸せだなんて、この国にきて知った。
ますます、ヴィルフリート様のことが好きになりそう、と私は手をつなぎながら微笑む。
「ここは?」
「ああ、ここは王都でも有名なカフェだ。お前が、以前甘くてフワフワしたものは食べたことがないと言っていただろう? だから、連れてきた」
「私のために?」
「ああ、そうだ」
ヴィルフリート様が連れてきてくれたカフェは、王都の大通りに面した場所にあった。
ガラス張りで、外からでも中の様子が見える。
「いらっしゃいませ」
中に入ると店員さんが出迎えてくれた。店の中にはショーケースがあり、そこには宝石のようにお菓子が陳列している。どれも見たことのない形状で、とても美味しそうだ。
しかし、そのショーケースの中身を詳しく見ることができないまま、私たちは席に案内されメニューを手渡された。そこには、たくさんの文字がびっしりと並んでおり、まるで絵がないため専門書のようだ。
(文字は読めるのに、理解できないなんて……)
きっとケーキの名前が書かれているのだろう。だが、私にはただの文字列にしか見えず、その文字からケーキを想像することは困難だった。
スヴェルカーニエ王国とフィクスシュテルン王国の文字は、隣国ということもあり似ているし、現を習得するのには時間がかからなかった。しかし、それは日常的な言語の習得であり、読み書きはもちろん話せるが、こういった日常的に使わない単語はどうも理解に苦しんだ。
私がメニューとにらみ合っていれば、ヴィルフリート様がぷっと前で笑い出した。
「すまない。あまりにも眉間にしわを寄せて真剣に見ているものだからな」
「笑わないでくださいよ。文字は読めるのに、ケーキの種類が分からなくて困ってるんですから……ヴィルフリート様のおすすめを選んでくれませんか?」
「俺が選ぶのか?」
「だって、分からないんですもん。あのショーケースに張り付いてもう一度見ることができれば、あれこれ選べるかもしれませんが……」
それはさすがに、王女としてどうなのだろうかと踏みとどまる。
もう一度あの宝石箱のようなショーケースを見てみたいという気持ちと、ヴィルフリート様に教わりながらケーキを覚えるというのも素敵だと思ったのだ。
しかし、彼を困らせたいわけでもないので、私は少し見上げるようにヴィルフリート様を見た。真っ赤な瞳が大きく見開かれ、彼は口元を手で覆う。
「分かった。アルヴィナが好きそうなものを選ぼう」
ヴィルフリート様はそれだけ言うと、店員を呼びつけメニューを指さしながら注文をしていた。
いったいどんなケーキを選んでくれたのだろうか、と私はワクワクしながら膝の上に手を重ねた。
「落ち着かないか?」
「ああ! いえ、そういうわけではなく。ヴィルフリート様が、何を選んでくださったのかなととても楽しみで」
「お前の好みは分からないから、無難なものを選んだ。もっと、深く考えればよかったかもしれない」
「そんな!! 私のためにと選んでくださったものなら何でも嬉しいですよ」
私がそう返すと、ヴィルフリート様は少し罰が悪そうに苦笑いしていた。
しかし、そうこうしているうちに、注文した品が届いた。
テーブルの上に置かれたのは、二つの形状の違うケーキとティーポットだった。
私の目の前に置かれたのはヴィルフリート様が頼んだケーキよりも高さのあるもので、綿のようにフワフワとした見た目をしていた。そこに真っ白な生クリームが角を立てて添えられており、甘さを邪魔しない程度にミントがその香りを主張していた。
ヴィルフリート様の目の前に置かれたのは、ロゼ色のケーキだった。
「アルヴィナは、この間ショートケーキを食べて喜んでいただろう。あれよりも柔らかいケーキにしてみた。それは、シフォンケーキというケーキだ」
「シフォンケーキ……ヴィルフリート様のは?」
「俺のはフランボワーズだな。甘いケーキが得意じゃないから、甘酸っぱいものを頼んだ」
「そうなんですね。とても気になります。それに、そのラズベリーがヴィルフリートの瞳みたいでとてもきれいで、食べるのがもったいないですね」
ケーキの色に負けず劣らず、ヴィルフリート様のケーキの上に乗っていたラズベリーはちょこんとそこに鎮座している。私が気になってみてれば、彼はスッとフォークを手に取り私のお皿にラズベリーを移した。
「気になるならアルヴィナにやる」
「ええっ、そんな申し訳ないですよ。でも、ありがたく頂戴しますね」
私もフォークを手に取り、シフォンケーキにスッと入れる。すると、想像の何倍よりも滑らかにフォークが入り、私は思わず手を放してしまいそうになった。だが、フォークを落として派手な音を立ててはいけないと、ゆっくりとケーキを切り分ける。そして、一口大の大きさに切り分け、フォークに乗るほどの分を口に運んだ。
「んんっ」
柔らかくフワフワとした触感ながらも弾力があり、生クリームの甘すぎないさっぱりとした味がケーキを惹き叩ている。口の中で幸せのハーモニーを奏でてくれ、思わず吐息が漏れた。上に乗ったミントの香りもとても良いアクセントになっている。これは何度でも食べたくなるケーキだ。
「うまいか?」
「はい!」
私が幸せそうに食べていると、ヴィルフリート様から問われる。私が美味しいと答えると、彼は嬉しそうにはにかんだ。
私はその笑顔を見ているとさらにケーキが美味しくなるな、と思いながら、ヴィルフリート様にもらったラズベリーをフォークの上に転がして口に運んだ。こちらはとても甘酸っぱく、生クリームと合わさるととてもおいしかった。
あまりのおいしさに無我夢中で食べていると、フォークでケーキをさしながらもどこか遠くを見ているヴィルフリート様の姿が目に入った。視線の先を辿ってみれば、彼は店内にいる人たちを見ていたようで、その人たちもまた私たちを見ているようにも思えた。
(そういえば、ヴィルフリート様は変装もせずにここに来たのよね?)
さすがに、国の第二王子が変装をせずに街中を歩けば誰かが気付くだろう。注目を集めることにもなる。
しかし、ヴィルフリート様は構わない様子だった。
(それに、私たちを見ている人たちの目もなんだか優しい……感じがする)
ヴィルフリート様を見ていれば、彼はフッと口の端をあげて笑ったかと思えば私のほうを見た。
ビクッと肩を震わせながら、私はフォークを加えたままヴィルフリート様を見た。
「どうしたんですか?」
「いいや? 近々狩猟大会があるだろう。それまでに、準備をしておかなければならないと思ったんだ」
「準備ですか?」
「ああ。いろいろとやることはあるんだ。なんて言ったって、お前の祖国から来客がくるんだ。もてなす準備はしなくてはだろ?」
そういうとヴィルフリート様は少し大きめに切り分けたケーキを口に運び、ハンカチで口を拭っていた。
「そうですね……」
そういえばそうなのか、と私は心ここにあらずだった。
ヴィルフリート様……いや、彼の側近のカスパーさんからその話は聞かされていたし、リーリヤにもその話は伝えてある。結婚式には参列しなかったくせに、よくもまあ顔が出せると思うけど。
国としては、同盟国同士親睦を深め、フィクスシュテルン王国の敵国に対して牽制しなければラナイのだろう。
(狩猟大会ね。となると、『あの子』も来るのかな……?)
姉弟の中では一番しっかりしている子だから、きっと来るだろうと予想がついていた。狩猟大会は楽しみでありつつも、少し不安もある。
私は、残り少ないケーキを小さく小さく切り分けて、飲み込めるほどのサイズにしたのちフォークでゆっくりと生地をさしたのだった。




