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05 夫婦のお仕事


 結婚式が行われるまで使わせてもらっていた部屋とは違い、夫婦となった私とヴィルフリート様だけが使える寝室に私はいた。

 私の背丈よりは大きな窓からは月明かりが差し込み、わずかな隙間からそよそよと風が入り込み白いレースのカーテンを揺らしていた。

 窓の外を覗き込めば、ヴィルフリート様が案内してくれた庭園が真下にあり薔薇の匂いが風に運ばれてやってくる。

 高さもあまりないため、ここから飛び降りたらあの庭園に直行できるのかと思うと試したくなる。

 そんなふうに窓の外を眺めていれば、静かに扉が開いた。



「待ったか。アルヴィナ」



 ヴィルフリート様と、名前を呼べば彼はこれまた静かに扉を閉めるとこちらに歩いてくる。

 白いバスローブから覗くのは、鍛えられた身体だ。その身体を見て、彼の手のひらに剣だこがあったのを思い出した。彼は日ごろから鍛えているのだろう。

 服の上からでは分からなかったが、バスローブ姿の今、彼の発達した筋肉がよく見える。



「いいえ、それほど待っていませんよ」



 私はヴィルフリート様に向かって、ニコリと笑う。



「そうか」



 ヴィルフリート様は、こちらに向かって歩いてきたので、私は先にとベッドの縁に腰を掛ける。それを見て、彼も同じように腰を下ろした。

 しかし、いつまでたっても彼は行動に出なかった。また緊張しているのだろうかと思えば、案の定その通りでいつもよりも控えめに開いた太ももの上に握りこぶしを二つ作って、そのまま動かない。

 私は少しでもヴィルフリート様の緊張がほぐれるように、彼に向かって笑みを向け続けた。だが、その効果はなく、私は徐に口を開く。



「ヴィルフリート様」

「……なんだ」

「夫婦なのですから、閨を共にするのは当たり前のことではありませんか。それとも、私じゃダメでしょうか?」



 まさか結婚初夜までグズグズとされるのだろうかと心配になる。

 このまま夜が明けるまで二人きりでおしゃべりというのもいいが、夫婦となった今その責任は果たさなければならないだろう。



(もっとも、この国の人たちはまだ獣人に対して差別的な意識があるようだから……ヴィルフリート様が私を抱けずとも何も言わないでしょうね)



 代わりに、私のほうが「所詮は獣」、「妻としての役目を果たせない愚図」と言われるかもしれない。

 それこそお飾りの妻であり、白い結婚とでも言われるでしょう。

 けれども、ヴィルフリート様は是が非でも後継者を作らなければならない。そうなれば、彼は側室を取ることとなるだろう。私を正妃として置きつつも、側室と……

 私を正妃に置き続ければ、同盟は解消されないだろう。それに、フィクスシュテルン王国が求めていたのは獣人という屈強な獣の盾であり、私ではない。もちろん、スヴェルカーニエ王国も貿易が盛んになればそれでいいのだから、私が他国で一人寂しくやっていようが怒らないだろう。無関心といっても過言ない。



(この姿なら抱いてもらえると思ったけど、やっぱり不釣り合いなのかしら?)



 かわいいと魅力的は同じ位置にはない。

 少女としての愛らしさをヴィルフリート様が感じているのであれば、女性としての魅力を私に感じているとは思えない。

 最も、そんな理由で初夜を断られてはこちらも困るのだが。



「ヴィルフリート様。夜が明けてしまいますよ」

「……お前は怖くないのか?」

「怖いとは?」

「お前とはかなり体格差があるだろう。その、だな……」



 ヴィルフリート様はまたごにょごにょと口元に手を当てて言い出した。

 確かに、かなり体格差はあるがそんなの些細なことではないだろうか。

 私は、ベッドの上に上がりゴロンと寝そべってみた。私一人では大きすぎるベッド。二人で寝てもきっと余ってしまうだろう。



「私にとっては些細な問題です。なので、さあ、ヴィルフリート様早速始めましょう」

「アルヴィナの行動にはいちいち驚かされるな」



 ようやくやる気になったのか、ヴィルフリート様は私のほうを向き直った。しかし、次の瞬間ギョッと目を剥いた。



「ア、アルヴィナ?」

「さあ、早く私の上に乗ってください!!」

「の……?」



 真っ赤な瞳がリンゴのように丸くなった。

 困惑気味にヴィルフリート様が「の」を連呼する。



「ほら、早く!」

「いや、その……アルヴィナ」

「何ですか?」

「それは……その……」



 もごもごと何か言いたそうにしているが、一向に言葉を発しようとしない。



「私、何かおかしいことでもしましたか?」



 そう聞くと、彼は弾かれたようにようやく「待ってくれ」と口にし、額に手を当てた。



「一応聞くがアルヴィナ。俺たちが今からすることは分かっているのだろう?」

「はい、心得ておりますが」

「では、なぜ『乗る』という言葉が出てくるのだ? しかも、お前はうつぶせで。いや、乗る……正しいのか?」



 ヴィルフリート様はますます混乱したように私を見た。

 そこで、私はようやく自分の間違いに気づいたのだ。



「はっ、すみません。ヴィルフリート様……もしかして、こう……やり方を間違えてしまったのでしょうか」

「……っ、そうだ、と思う。いや、お前からしてみればそれが普通なのかもしれないが。アルヴィナ、ペンギンの獣人……は、その、女性の上に男性が乗るのか?」

「はい。腹這いになった雌に、雄がのっかってぺちぺちと上からたたきながら……」

「潰れないのか?」

「前例はないですね。ああ、でも、うまくバランスが取れなくて落ちる雄もいます。その場合、下手なペンギンって愛想つかされちゃうんですけど……あ、あはは。すみません。これは、こちらの国の、我が種族だけのやりかたでしたね」



 ヴィルフリート様が困惑するのも無理ない。

 私は、変な空気にさせてしまったと反省し、ベッドの上で正座をした。



「そう、なのか。知らなくてすまない」

「いえいえ。私こそ、これが正しいと思っていたので。難しいですね、やっぱり」

「……その方法でも、と思ったがさすがにお前の上に乗ってしまっては、アルヴィナが潰れるだろう」

「確かに、ヴィルフリート様は体格がよろしいですからね。ああ、あのお気になさらず」



 口から乾いた笑いが漏れれば、ヴィルフリート様は神妙な顔で私を見つめてきた。

 やらかしてしまったのは言うまでもない。ここから、挽回して初夜を成功させようだなんて夢のまた夢だ。

 そう思っていると、ヴィルフリート様は私の肩に手を当て、グッと押し倒した。ちょうど押し倒された位置に枕があり、ぽふっと音を立てて頭が枕に沈んだ。

 見上げると、ヴィルフリート様の顔がドアップに映ってドキドキする。



「ヴィルフリート様?」



 名前を呼べば、彼は落ちてきた銀色の髪を耳にかけなおす。その仕草がいちいち目について、瞬きができない。何をやっても絵になる人だ。

 しかし、しばらくするとヴィルフリート様は私に覆いかぶさるでもなく、私の隣にゴロンと寝転がった。



「もしかして、体調が悪いのですか?」

「いいや、違う。アルヴィナ、今日はやめておかないか?」

「やめるとは? 初夜を? ですが、それは役目であると……」

「役目であっても、お前に無理させたいわけじゃない。それに、お前の行動がいちいちかわいすぎて持ちそうにないのだ」

「……それでは、私に興味を失ってはないけれど、ということですか?」

「失うはずがない。俺の勇気がないだけだ。それと、理性が勝った」



 ヴィルフリート様は訳の分からないことを言うと、ベッドの端から掛布を引っ張ってきて、私にかけた。



「こんな夫で失望したか?」

「いいえ。むしろ、それほど大切に思ってくれるなんて思ってもいなくて。私、貴方の妻になれたことは、とても幸せだと思います」

「そうか……本当にすまないな。もし、明日誰かにこの話を聞かれたら俺が下手すぎて失望したとでも言っておいてくれ」

「ええ? ですが、それではヴィルフリート様の名誉にかかわるのでは?」

「そんなこと些細なことだ。お前は小さくて愛らしいからな。加減が下手な夫が初夜を失敗させたとでもいえば、皆納得するだろう」



 ヴィルフリート様は、私の腹あたりを掛布の上から撫で、それから頭を撫でた。



(小さくて愛らしいって、もう……)



 彼の目には、私は守ってあげなければならない少女のように映っているのだろう。そう確信した。

 しかし、それが決して嫌なわけでもなく、彼が大切に扱ってくれているのが分かるからこそ拒絶できない。守られなければならないほど弱くはないと思っているが、それを証明できていないのだ。



「ヴィルフリート様のこと、心配です」

「俺の心配をしてくれるのか?」



 え? と耳を疑って、思わず言葉が漏れてしまいそうだった。

 だって、あまりにもそれが『普通』のことではないというような反応をしたからだ。



(どうして、そんなに驚いているの?)



 彼も彼で、私に驚くようなことを何度も言ってくる。でも、それは私が人間の国の文化に疎いからそう思うだけであって、おかしいことではないはずだ。

 なのに、彼は”心配されること”が普通ではないような顔をしたのだ。

 じっと見つめ返せば、その表情はだんだん曇っていきしまいにはどんな表情をしていたかわからなくなった。けれど、先ほど見た顔はきっと気のせいじゃない。



「ああ、アルヴィナは優しいな」

「優しいなんて。普通ですよ。夫を心配するなんて……それに、ヴィルフリート様だから心配するんです。私のせいで貴方が傷つくのはさすがに見るに堪えません」


 その言葉に対してヴィルフリート様からの返答はなかった。



(とても静かね……)



 夫婦の寝室に不釣り合いなほどの静寂が流れている。ゆっくりと時計の振り子が揺れ、雲が影となって寝室の床を流れていく。

 私は、そんな静寂の中うとうととし始めていた。



「アルヴィナ、眠いのか?」

「はい、申し訳ないです」

「いや、謝らなくていい。今日は式典にパーティーにつかれただろう。慣れないことをすると疲れるものだ」

「それは、ヴィルフリート様もですか?」

「俺ももちろんそうだ。獣人だから、人間だからと関係ない。だからゆっくり休むといい」



 さらりと私の黒い髪を撫で、ヴィルフリート様は微笑んだ。

 重たい瞼が、その表情を半分ほど隠してしまって、もったいないことをしたなという気分になる。

 しかし、本当に寝てしまってもいいのだろうか。

 回らない頭で考え、私はヴィルフリート様のバスローブのひもを引っ張った。



「ア、アルヴィナ何を!?」

「……さすがに、何もしないなんて悲しいじゃないですか。初夜……失敗だったとしても、夫婦として寝るんです。少しくらい、何かあってもいいじゃないですか」

「何かとは、なんだ」

「例えば、そう……抱きしめあって寝る、とか?」



 私が提案すると、ヴィルフリート様はまた大きく体を上下させた。



「抱きしめあって寝る?」

「はい。そしたら、暖かいと思うんです。ああ、でも、この国の気候は温暖ですよね。私の国とは違って……」



 そうなのか? と、ヴィルフリート様の声が聞こえた。

 私は、半分意識が夢の中に落ちつつもこくりと頭を振った。それから、約九十度体を傾けヴィルフリート様に抱き着いた。

 彼の胸板はとても分厚くて、見た目から想像できないほど柔らかかい。

 彼はまた、身体を震わせたが特に私を引きはがしたりしなかった。それから、ゆっくりと彼の腕が私の背中に回されるの気配を感じる。



「これでいいのか?」



 ヴィルフリート様の問いかけに応えようとしたが、私は口が鉛のように重くて開かなかった。代わりに一回、二回とこくこくと頭を動かした。

 ヴィルフリート様は抱き込むように私を抱きしめ、私はそんなヴィルフリート様の胸の中にすっぽりと納まっている。身長差があるために、彼に包み込まれているという感覚が強かった。とても不思議な感覚だった。



「お前が俺の腕の中にいると思うと……不思議な感覚だ。潰してしまわないか、心配だが」



 私と同じようなことをヴィルフリート様は考えているようだった。

 同じですね、と言いたいのに安堵感からか、疲れからか私の瞼はぱたりと閉じ切ってしまった。そうしているうちに、私の意識はだんだんと夢の中へと吸い込まれていくのだった。



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