01 異国の地にて
この縁談は必ずや成功させなければならない――
実家である王宮とは似ても似つかぬ、異国の地の王宮を私は歩いていた。長く続く廊下の先は見えず、すれ違う人もいなかった。
廊下には私の背丈を超える大きな甲冑や、装飾品が置かれており、ガラス張りの大きな窓からは太陽の光がさんさんと差し込んでいる。真っ赤な絨毯の上を歩くのも初めての経験だ。私はこの日のために新調した、青いドレスの裾が床につかないようにチョンとつまみ上げ、ヒールを鳴らしながら歩く。
見るものすべてが新鮮で、私は黄色い目を輝かせていた。母親譲りの黒い髪を振り乱し、柄にもなくはしゃいでしまっている。
「すごいわ。あっちじゃ見られないものばかりね」
「アルヴィナ様、はっ……待てぇ、ください」
珍しいものに意識を奪われていると、彼女を置いていってしまったようだ。
振り返れば、後ろから息を切らし、私付のメイド・リーリヤが走ってくる。彼女の黒いミディアムヘアは、すべて外側に跳ねており、彼女が動くたび連動してパタパタ動く。その様子が何とも愛らしい。
私は足を止め、リーリヤに身体を向けた。
「ア、アルヴィナ様、勝手に動かれては困ります。ここは、スヴェルカーニエ王国の王宮ではないのですから」
「でも、リーリヤ? 王宮を歩ける機会なんてめったにないのよ? この機会を逃さないようにしなくっちゃ」
私がそういうと、リーリヤの顔が曇る。
私――アルヴィナ・ピングヴィーンは、スヴェルカーニエ王国第一王女だ。
リーリヤの言う通り、ここはスヴェルカーニエ王国ではなく、隣国フィクスシュテルン王国の王宮だ。自国とは勝手が違う。
ではなぜ、私がフィクスシュテルン王国に来ているかと言えば、王国から縁談が来たからだ。
そう、私は、この縁談を成功させて、隣国の王子に嫁ぐことになっている。
「そんな顔しないで、リーリヤ。何事も楽しまなくちゃ」
「ですが……」
リーリヤは、うつむき気味にそういった。
私にとっては、初めての海外。自国であるスヴェルカーニエ王国では見えないものがたくさんあり、目が奪われてしまうのも仕方がない。それに、我が国はまだ発展途上。また、”人間の国”に足を踏み入れるのもこれが初めてだ。
初めて見るものにときめき、胸が躍る。
しかし、そんな私とは違い、リーリヤの顔は暗いままだった。服がしわになるほどぎゅっと握りしめ、肩を震わせている。
「……その婚約者となられる王子は、アルヴィナ様が来たというのに一切顔も見せないじゃないですか。それに、王宮で働く者たちも、ご自由にどうぞと言ったっきり案内もしない。これが縁談を持ち掛けてきた国のとる態度なのですか!!」
リーリヤは不満を漏らす。目に涙が浮かんでいるように見え、私はそっと彼女の肩を抱いた。
確かに、この王宮で会った者の態度はお世辞にもいいとは言えないのは事実だった。
今日は、婚約者となる王子との顔合わせ。しかし、王宮についてからというもの私たちは王子の待つ部屋に案内されることなく、王宮内に放置されてしまった。今こうして、王宮内を自由気ままに歩いているのは「ご自由にどうぞ」と言われたからであり、歩きながら王子の待つ部屋を探しているからだ。
完全に私たちは見下されている。
(まあ、しかたがないことかもしれないけど……)
フィクスシュテルン王国が我が国に縁談の話を持ち掛けてきたのは、他国への牽制のため。
なんでも、フィクスシュテルン王国は現在隣接する他国に不利な条約や、戦争を吹っ掛けられそうになっているらしい。
周辺国は、フィクスシュテルン王国が決して大きな国ではないことと、国力が強くないことをいいことに、フィクスシュテルン王国をなんとかして自分達の国の一部にしたいと考えているのだとか。
そのため、フィクスシュテルン王国は何とかして国を守るため、国力を上げ、他国に劣らぬ軍事力を持とうと考えた。そこで、隣国である我が国スヴェルカーニエ王国に目をつけたのだ。
なぜ、スヴェルカーニエ王国に白羽の矢が立ったのかと言えば、それは我が国が獣人の国だからだ。
獣人は人間とは違い、知能に長けていない代わりに、身体能力に優れている。軍事強化をするためにはもってこいの人材……獣材というわけだ。
また、これまで人間の国と獣人の国が同盟を結んだ事例はない。つまり、フィクスシュテルン王国がこの縁談が成功し、婚姻を結ぶことで人間の国で初めて獣人の国と同盟を結んだ国になるのだ。
そうなれば、いくら周辺の敵国とはいえ、獣人の国と初めて同盟を結んだ国に手を出しづらくなる。
(我が国には、最強の盾になってもらうってことよね。その代わりに私たちの国は、フィクスシュテルン王国の豊富な資源を分けてもらうと)
スヴェルカーニエ王国がこの縁談に応じたのは、我が国が冬になると港が氷り、作物が育たないからである。その点、フィクスシュテルン王国は豊富な資源と、広い海域を持つため貿易国としてはうってつけだった。
我が国はすぐに承諾した。
お互いの利害の一致――これは政略結婚ということだ。
「落ち着いて、リーリヤ。これは、政略結婚なのだから。多少のことには目を瞑りましょう」
「ですが、アルヴィナ様」
「私は大丈夫。自分からこの縁談を受けたのだもの。スヴェルカーニエ王国第一王女として、しっかりと役目を果たすわ」
私の言葉に、リーリヤはこくりと頷いた。黒い大きな瞳は潤んでおり、不安の色がにじんでいる。私のことを心配してくれているのだろう。
リーリヤは少し考えが足りないところがあるが、根はいい子なのだ。少し臆病ではあるが、たった一人他国へ嫁ぐ私についてきてくれたメイドでもある。
我が国は二言返事で縁談を承諾したくせに、誰を嫁がせるか全く決めていなかった。スヴェルカーニエ王国も人間の国との交流が全くなく、姉妹で誰が行くのだと押し付けあっていた。顔合わせも近くなってきたというのに一向に決まらず、誰も手をあげなかったため、私が立候補したのだ。
姉妹も、お父様もお母様も快くそれを受け入れてくれた。今でも「貴方がいてくれてよかった」という安堵の顔があまたから離れない。
そして、半場追い出されるように私はフィクスシュテルン王国へやってきた。ろくな準備もできていないし、人間の国に行くなんて恐ろしいと、私についてきてくれたのはリーリヤだけだった。私がこの国の人に見下されているのは、王女なのに侍女の一人しか連れてこずにやってきたからだろう。
どちらの国にいても、扱いは一緒だ。
「さあ、行きましょう。もしかしたら、私の未来の旦那様は私を待っているかもしれないから」
私は、リーリヤの手を引いて歩き出す。
私が今日顔を合わせるのは、フィクスシュテルン王国第一王子バルタザール・クランツ殿下。
彼は、剣の腕も、魔法もフィクスシュテルン王国一であり、英雄とも称されるお方だ。絵姿をもらえたわけではないので、どんな方か事前情報は一切ない。知っているのは名前だけだ。
ただ、フィクスシュテルン王国の王族はみな輝かしい銀髪であることは知っているため、きっと一目見ればすぐに彼だと分かるだろう。
しばらく歩いていると、半分扉が開いている部屋を見つけた。中から光が差し込んでおり、話し声も聞こえる。王宮に到着してから顔を合わせた人間は少なく、歩いている途中ですれ違った人も少ない。また、私たちを見るなりいそいそと去っていってしまったため、人を捕まえることができなかったのだ。
だから、これはチャンスだと思った。
部屋に押し入って、直接殿下がどこにいるか尋ねる。そうでなければ、日が暮れてしまうからだ。
「リーリヤ、この部屋に入るわよ」
「ええっ、お、怒られませんか……?」
「王宮内をご自由に歩いてくださいって言ってきたのよ? 部屋に自由にはいっても怒られないわ。そういうことにしておきましょう?」
ね? というと、リーリヤはまた小さく頷いた。
部屋の中にいるのは使用人だろうか。仕事をサボって雑談をしているとしたら、本当にこの国の人は不用心すぎる。部屋の扉はしめておくものよ。
私は、意を決して扉を開けようとした。金色に塗装されたドアノブを掴み勢いよく開けようとした瞬間、部屋の中から怒号が聞こえたのだ。
「――誰が、野蛮な獣人の国の女と結婚するものか!!」
(え……?)
耳を疑うような言葉が聞こえた。
中から聞こえてきたのは男性の声だ。そして、小さくその男性を宥めるような声が聞こえる。
野蛮な獣人の国というのは、我が国スヴェルカーニエ王国をさしているのだろうか。となると、結婚したくないといった相手は私?
ただ一つ、確かなことは”結婚”という単語。この部屋の中に私の未来の旦那様がいるのだろう。そんな確信が私にはあった。
躊躇っていても仕方がない。先ほどの言葉はきかなかったことにして、私は思い切り部屋の扉を開けた。案外、扉は軽く勢い余って転倒しそうになる。
バンッ!! と激しく扉が壁にぶつかり、中にいた男性二人が同じタイミングでこちらを見た。
(銀色の髪……赤い瞳……!! 彼だわ)
一瞬で分かった。
王族特有の宝石をちりばめたような銀色の髪。真っ赤な瞳に、整った顔立ち。屈強な身体に、上等な服。
その瞳は私を一点に見つめ、ぽかんと口を開いていた。
(なんてきれいな人なの……)
戸惑いを浮かべるその表情も、行き場を失い漂わせている手も……その姿さえ、美しくて絵になる。
私は一瞬見惚れてしまったが、挨拶をしなければとドレスをつまんで頭を下げる。第一印象は重要だ。
「初めまして。未来の旦那様。私は、スヴェルカーニエ王国から来ました。アルヴィナ・ピングヴィーンと言います。以後お見知りおきを」
顔を上げ、淑女らしく笑みを向ける。これで、挨拶は問題ないはずだ。