聖女様が元の世界に帰るって!?どうぞどうぞ、帰還準備は順調です
異世界より数百年ぶりに聖女がやって来た。
聖女はすぐに王家にて保護され、世話役には私の婚約者である第一王子が選ばれた。
同性の方が気楽で良いだろうと、王女や私にも声が掛かったけれど、聖女はどうやら婚約者のことをいたく気に入っているらしいのだ。
なんでも元の世界でのオシとか言うものらしく、とにかく彼のことが好きなのだと言っていた。
聖女はどこへ行くにも、何をするにも、私の婚約者が同行することを強く望んだ。
親しげに名前を呼び、ぺたりと横にくっついて、二人きりで出掛けたいと何度も強請っているという。
今日も予定があると言う婚約者に「私も一緒に行く!」としつこく食い下がってきたそうだ。
「ミハイルったら、随分気に入られてるのねぇ」
「まぁ王太子という地位に、この見た目だからね。自分の物にしたくなるのも当然さ」
「それを自分で言っちゃうところが、さすがミハイルだわ」
婚約者は、彼の言う通り見目麗しい王子様だ。
幼い頃から天使のようだと褒め称えられ、成長してからもまるで美術品のようだとか、国の至宝だとか、美の化身だとか言われている。
そんな中で自身の見目が優れていることに気付かないはずもなく、むしろ鈍感になることの方が難しいだろう。
彼とは幼い頃より婚約しており、私からすれば彼の美貌ももう見慣れたものである。
もちろん変わらず美しいとは思うけれど、美しさよりも愛しさが勝るほどには彼のことを愛していた。
周りからはそろそろ籍を入れても良いのではと言われているけれど、まだまだ先は長いのだ。
せっかくならもう少し婚約者気分を味わいたい、というのが私達二人の考えだった。
「……あら? ねぇミハイル、あれって聖女様じゃない?」
「ん? おや、ほんとだ。こっちに向かって来てるね」
「ミハイルが側にいなくて寂しくなっちゃったのかしらねぇ」
城下町にある噴水の縁に座り、馴染みの店で買ったパンを食べていた私達。
一応数人の護衛は伴っているものの、その護衛も一緒になってパンを食べている。
こうしてのんびり過ごすことも、婚約者である今だからこそできることだ。
籍を入れてしまえば、王と王妃になるべく厳しい教育が本格的に始まり、自由な時間は限られる。
義父母となる現国王陛下と王妃殿下からは「籍を入れても自由な時間はあるよ」と言われているけれど……私達は知っている。
両陛下は早く王位をミハイルに譲り、のんびり隠居生活を送りたいと思っていることを。
「ミハイル様ぁ! ここにいたんですね!」
私達のもとへと走り寄って来た聖女は、素早くミハイルの隣へと腰掛ける。
この国では珍しい黒目黒髪の聖女は、身に纏う衣服もまた珍しいデザインだった。
セイラー服と言うらしく、聖女が通っているコウコウという機関の制服なのだと言っていた。
異世界からやって来た人間が着ている服は、こちらの世界ではなかなか見ないデザインなので興味深い。
「お城に一人でいるの、寂しくって。何を食べてるんですか? あ、美味しそうなパン……私も一口食べたいなぁ……」
物欲しげにミハイルを見上げる聖女に、ミハイルはパンを千切り、分け与えてやる。
聖女は嬉しそうに咀嚼し、私の方へちらりと視線を向けてきた。
私のパンも食べたいのかしら。
「まだ食べたければ、あそこのパン屋に売ってるから買ってくると良い」
「ミハイル様も一緒に行きましょう?」
「僕はナディアとデート中だから無理だよ」
「ナディアって……」
ミハイル越しにこちらを伺ってくる聖女様に、にこりと笑みを返せば、怯えたようにミハイルの陰へと隠れてしまった。
「ミハイル様、私が話したこと、忘れてしまったのですか?」
私に聞こえないよう、こそっとミハイルに耳打ちしているようだが、残念ながら丸聞こえであった。
聖女の言う『話』とは、彼女が元々いた世界で嗜んでいた乙女げーむのことである。
曰く、ここはその乙女げーむの世界に酷似しており、乙女げーむでは聖女が主人公、ミハイルが聖女のお相手なのだと。
聖女のお相手は複数人いて、その中でも彼女はミハイルが一番のオシ……つまり一番好きなのだと言っていた。
そしてその乙女げーむとやらには、なんと私も出てくるらしいのだ。
しかし悲しいことに、私は聖女をイジメる悪役令嬢だと言われてしまった。
悪役なんてショックだわ。
と、ミハイルからこの話を又聞きした際、泣き真似をしてみたけれど、ミハイルは「ナディアが悪役なんて、それはそれで見てみたいね」と呑気に笑っていた。
まったく、他人事だと思って。
悪役の演技なんて、私にできるかしら……。
まぁとにもかくにも聖女は私のことを悪役と思っているので、私とは一緒にいたくないのだ。
同じ理由で王女殿下も距離を取られており、先日一緒に「悲しいわねぇ」と慰め合った。
「君の話は覚えてるけど、僕は婚約者とデートしたいからなぁ。だから一人で行っておいで。護衛はついてるから安心して」
「……どうして? 私がミハイル様と一緒に行きたいって言ってるのに! 私、ミハイル様のためなら、元の世界に戻れなくたって良いんですよ。ミハイル様がそばにいてくれれば頑張れます。だから、そんなに冷たいこと言わないでくださいっ……」
「ん?」
この聖女の発言に、私達は二人して首を傾げた。
元の世界に戻れなくても良いとは、どういうことだろう。
「君、元の世界に戻る気はないの?」
「はい。ミハイル様がいれば、私頑張れます。でもミハイル様がナディア様のことを優先されるなら、考えが変わってしまうかも……」
ちらり、聖女は期待を込めた目でミハイルを見上げている。
君を優先するからここに居てくれ、そう言って欲しいのだろう。
しかし、お望みの回答をミハイルがすることはなく。
「え、別に良いよ。元の世界へお戻り」
この返答に、聖女はぽけっと口を開き、目を真ん丸にして驚いていた。
そしてすぐに怒りで目を吊り上げ、勢いよく立ち上がる。
「ひどい!! そんなこと言って良いんですか!? 私は聖女なんですよ!?」
「うん、問題ないよ。帰還の準備も順調だし、もう少ししたら帰れるからね」
「なっ……!? そん、そんなことして困るのはミハイル様達ですよ? あなた達が私を呼んだんじゃない。瘴気に侵されたこの世界を救えるのは、聖女である私だけなんだから……!!」
「しょーき?」
聖女の発言に、またも二人して首を傾げる。
しょーきとは一体なんだろう。
そして私達が彼女を呼んだとは、どういうことだろうか。
もしかして彼女はこちらの世界に来てすぐ、保護と同時に行われた説明をちゃんと聞いていなかったのかもしれない。
ミハイルと私は目を合わせ、コクリと頷き合った。
彼も同じ考えに至ったようだ。
「まぁまぁ聖女様、お座りになって。少しお話をしましょう」
「悪役令嬢と話すことなんてない! ミハイル様、私がこの女にイジメられても良いんですか!?」
「ん〜、そうだなぁ。君、まだちゃんと会話できないんだね。興奮してるようだし一旦城に帰ろうか」
「え? なに、を…………」
ミハイルが立ち上がり、聖女の額を人差し指でトンと突く。
途端に聖女は気を失い、近くにいた護衛によって抱き止められる。
そのまま彼女は肩に担がれ、城へと戻って行った。
目が覚めたら落ち着いて話ができれば良いけれど。
「あと数時間は起きないから、僕達は予定通りデートして帰ろう」
「えぇ。彼女、パンが食べたいみたいだったから、お土産に買って帰ってあげましょうか」
「悪者扱いされても怒らないなんて、ナディアは優しいなぁ」
「だって子供の言うことじゃない」
「そうだけど……さっきのは、僕ちょっとイラッとしたよ」
「あら」
拗ねたように口を尖らすミハイルに、つい笑みが漏れる。
私のために怒ってくれることが嬉しくて、その尖った口にちゅっとキスをした。
ミハイルは虚をつかれたようにパチリと目を瞬かせた後、溜め息と共に私を抱き締めた。
「はぁ……あの子が目覚めた後、ちゃんと話ができれば良いんだけど」
「ふふっ、私も同じことを思ってたわ」
「本当? ……あぁでも今はナディアとのデートに集中しよう。次はどこに行く? 何か食べたいものはある?」
「最近、カンポットという飲み物が流行ってるらしいの。喉が渇いたから、そこに行きたいわ」
「よし、行こう」
ミハイルと手を繋ぎ、のんびりお店へと向かう。
道行く人々と挨拶を交わし、時に子供達とじゃれ合いながら。
うんうん、今日もこの世界は平和だわ。
◇
ミハイルとのデート後、お城に戻って暫くすると、聖女が目を覚ましたと報告が入った。
私は行かない方が良いかとも思ったけれど、ミハイルに隣にいて欲しいと言われたので、共に聖女のいる客室へと足を運ぶ。
ベッドの上で上半身を起こした聖女は、まだ少しぼんやりしているようだった。
私達はベッド横の椅子に腰掛け、聖女の様子を窺った。
「ミハイル様……」
「少しは落ち着いたかな?」
「はい……」
「では改めて説明しようか。君は、この世界とは異なる世界からやってきた聖女だ。異世界の人間がこちら側に来ることは、たまにあるんだ。君は大体六百年ぶりに現れた聖女だね」
「……」
「昔、異世界からやって来た人間に、この世界は助けられたことがあってね。それ以来、異世界からやって来た人間のことは女性なら聖女、男性なら勇者と呼ぶようになったんだよ」
一概に異世界と言っても、彼女がいた世界と同じとは限らない。
彼女のように何の力も持たない人間もいれば、私達と同じように魔法を使う者もいたし、中には動物を使役する者や、不思議な道具を召喚できる者もいた。
そして遥か昔、世界大戦の最中に現れた二人の人間。
この二人こそが聖女と勇者の始まりである。
二人の活躍により長きに渡る世界大戦は終結し、多くの命が救われた。
以降、私達は二人への変わらぬ感謝と敬意を示すため、異世界からやって来た人間を丁重にもてなすようになったのだ。
「私も、この世界を助けるために呼ばれたんでしょ?」
「それは違う。これまで僕達が異世界の人間を呼んだことは一度もない」
「嘘よ……! じゃあ、どうして私は」
「落ち着いて。どうして異世界の人間がこちら側にやって来るのか、それはまだ解明されてないんだ。何かのタイミングでそれぞれの世界が接近するとか、神による采配だとか言われてるけど、いまだ謎のまま。でも不思議なことに、僕達の世界の住民が異世界に行くことはできないんだよねぇ」
「やっぱりあなた達が呼んだんじゃないの? 私に世界を救って欲しいから」
「救うとか助けるとか、さっきも言ってたね。別に今は戦争もないし、ひどい飢饉や災害もない。平和そのものだ。だから君にして欲しいことなんて何もないよ。帰還準備が整い次第、帰ってもらって構わない」
ミハイルの説明に、分かりやすく落ち込む聖女。
背中を丸め、震える手でシーツを握り締めている。
もしも今、世界大戦のような大きな戦が起きていたとしても、私達が彼女を引き止めることはなかっただろう。
彼女が何の力も持たない人間だからではない。
私達の世界の問題は、私達でどうにかすべきだからだ。
その上で力を貸してくれると言うのならば、それはとても有難いことだけれど、決して私達が強制して良いものではないのだ。
それは歴史を見ても明らかである。
過去、異世界からやって来た人間を無理矢理従わせ、力を搾取した国があった。
その国は力の恩恵を受けるどころか、神の怒りに触れたかのごとくあっという間に滅んでしまったのだ。
そうした過去もあり、私達が聖女や勇者を引き止めることはない。
「そんな……。あ、で、でも、その女は悪役令嬢なんですよ? ミハイル様から愛される私に嫉妬して、ひどいイジメを行うんですっ。そんな女、ミハイル様には相応しくないわ!」
「いや、僕が好きなのはナディアだけだから。君のことは好きでもなんでもないよ」
「それは、これから」
「あり得ない。僕が君を好きになることは絶対にない。子供に恋愛感情を抱くなんて……まぁ、種族によってはあるのかもしれないけど、少なくとも僕達エルフはないね。良くて五百歳差ぐらいかな」
「ごひゃく……? じゃあ私だって恋愛対象なんじゃ」
「やめてくれよ。君、十歳かそこらだろ? 僕、人間流の数え方で言うと二千歳だよ?」
「違います! 私、十七歳で……え、ミハイル様って二十歳の設定じゃなかった?」
「十歳も十七歳も変わらないさ。人間と僕らで時間の感覚が違うからね。人間の数え方で言うと僕は二千歳で、僕から見たら君は子供どころか赤ん坊だ」
「う、うそ……」
聖女は思った以上に色々と誤解しているようだった。
確かにこれまで出会った人間達は、私達の年齢に驚いていた。
人間から見るともっと若く見えるらしいけれど、私達にはよく分からない感覚だ。
逆に私達が人間に対して抱く感覚や感情もまた、人間からすると理解できないものなのだろう。
種族の差というのは奥が深い。
「でも、でも私、ミハイル様となら年齢なんて気にしません!」
「僕が気にするんだよ。赤ん坊と付き合うなんて冗談じゃない。それに僕はナディアのことが好きなんだ。君の言うようにナディアが悪役になったとしても、僕は彼女のことが好きだよ。いや、そもそもナディアが悪役になんてなるはずもないけど」
「っ、そんな、だって……ここは乙女ゲームの世界で……」
「あぁ、その乙女げーむとやらに、僕とそっくりな人物が出てくるんだっけ」
「そうです! 名前も一緒だし、悪役令嬢の名前だって一緒なんですよ!? 絶対にここはゲームの世界、そうに決まってる。きっとこれから瘴気が発生するんだわ。私のこと、大事にしないと後悔しますよ?」
「多分それ、前の聖女が関わってるんじゃないかい? 僕達の世界を参考にして何か作りたいって言ってたから。こっちの世界では六百年前の話でも、君の世界では数年、あるいは数十年しか経ってないんだろう」
六百年前に現れた聖女は、絵の才能に溢れた人間だった。
見たことのない画風と表現方法のそれは、とても繊細で美しく、心動かされるものであった。
彼女はこの世界を参考にした物語を作りたいと言って、暫くこちらの世界に留まっていた。
暫くとは言っても、私達にとってはほんの一瞬の出来事であり、人間の感覚で言うと大体一ヶ月から二ヶ月程度だろうか。
「前の聖女……? え、あのゲームを作ったのが? なら私は、聖女でもなんでもないの……?」
私達からすれば、彼女は紛れもなく聖女である。
ただ彼女の思い描く聖女とは異なっていたようだけれど。
聖女は呆然としたまま、言葉を失っている。
そんな彼女に、ミハイルはお土産に買って帰ったパンを差し出した。
「可哀想にね。ほら、お食べ。ナディアが君のために買って来てくれたんだよ」
「……」
「君は元の世界に戻った方が良い。きっと君の家族も心配しているよ」
「心配なんてッ……」
「してるに決まってるじゃないか。君、まだ会話も上手くできない赤ん坊じゃないか。人間の保護者のもと、ちゃんとした教育を受けた方が良い」
「!?」
聖女の顔がカッと赤く染まる。
怒っているようにも、恥ずかしがっているようにも見える顔で、唇をわなわなと震わせている。
聖女は俯き、小さな声で「出て行ってください」と呟いた。
私達はその言葉に従い、静かに部屋を後にする。
――その後、彼女がミハイルに執着することはなくなり、帰還魔法の準備が完了すると同時に元の世界へと帰って行った。
聖女が帰った後も、この世界は何も変わらない。
大きな争いも災害もなく、国同士、民同士で助け合いながら、穏やかな日々を過ごしている。
少しだけ変わったことと言えば、ミハイルに心配事が増えたぐらいか。
「僕、子供育てるの向いてないのかも」
「あら、どうして?」
「だってあんな幼い子を相手に、ムキになって言い返しちゃった」
「それを言うなら私もだわ。私、最後まであの子に嫌われてたんだもの。……でも、私はミハイルとなら子育ても頑張れるし、きっと良い子に育ってくれると思ってるわ」
「本当?」
「本当。それに子育てって一人でするものじゃないでしょう? 一緒に頑張りましょう、ね?」
「そうか、そうだね。まだ時間はたっぷりあるし、勉強しておこう。僕、良い父親になるからね」
ちゅ、ちゅ、と顔中にキスを落とされ、くすぐったくて笑ってしまう。
側に控えている従者達も、温かく見守ってくれている。
かと思えば、私達に感化されたのか、恋人同士である護衛騎士とメイドが手を繋ぎ、仲睦ましげに微笑み合う。
うんうん、今日もこの世界は平和だわ。
聖女は絶賛反抗期中なこともあり、元の世界には戻らなくても良い!と思っていました。
エルフやこの世界の住民から見た人間は、凄くしっかりした赤ん坊といった感じ。
そんな赤ん坊が世界を救ってくれたものだから、その衝撃と感動は大変なものだったとか。
エルフと人間、それぞれの感覚の違いが少しでも伝わっていれば良いなと思いつつ……
ここまで読んでいただきありがとうございました!




