第4話
一晩が過ぎて、翌日。
バーベキューをするのが本日のスケジュールである。買い出し班と設営班に分かれて準備をするように指示された。
買い出しの際には、なんと運転免許を持っている光流が、スタッフの用意した車を運転することになった。
見た目は長身イケメンの光流だ。運転姿が番組で放映されたら、女性ファンがキャーキャー言うことだろう。
助手席には結衣が乗り、後部座席に拓海と彩香が隣り合う。この組み合わせも、スタッフの裁量によるものだった。
設営班では理央と愛菜がキャッキャしたり、歩夢が一人で黄昏ている様子なんかを撮ろうとスタッフは虎視眈々と狙っているのだろうか。
少なくとも買い出し班では、定点カメラが車の中に搭載され、しっかりと会話内容も記録されている。
「結衣ちゃんは、なんでこの番組に参加しようと思ったの?」
年長者である光流が、話題を振ってくれる。
「私は、中々受験がうまくいかなくて、その気分転換に。お母さんから勧められたんです。一人っ子だし、もし再発したらドナー登録がたくさんあったほうがいいでしょって」
「あはは、実利的な理由だね」
「光流さんは?」
「僕? 僕も似たようなものだよ。僕は17歳の時に急性リンパ性白血病になってさ、高校中退したんだ。寛解したはいいものの、中卒で働ける仕事なんて肉体労働ばっかりで、病み上がりの体にはきつくってさ。そういう現実を世間に発信していけたらなって」
「やっぱ、そういう現実ってありますよね。治ればいいってもんじゃないというか」
「面白みなくてごめんね。後ろの二人はどうなの?」
光流さんは苦笑いして自分の話を締めくくると、バックミラー越しに彩香の目を見た。
「私は、自己紹介の時にも話しましたけど、シンガーソングライターになる夢のためですね。知名度が上がったら、曲のことも知ってもらえるかもしれないし」
「夢があっていいね。拓海は?」
「俺は……やっぱり骨髄ドナーに増えて欲しいのと、ちょっと真面目に恋愛したいなっていうのもあって……」
拓海は、一人恋愛目的であったことが恥ずかしいのか、小さな声でボソボソと呟いた。
その言葉に、彩香はどきりと胸が弾む。拓海はこの番組の中で、真面目に恋愛をするつもりがあるのだ。ここには定点カメラがあるとはいえ、スタッフさんもおらず、みな自然体で会話している。
そんな中での発言は、大勢のスタッフに囲まれている時より、信憑性があるように思えた。
「さ、ついた。さっさと買い物は済ませようか。日が暮れると撮影も大変になる」
そんなことまで光流は気にしつつ、せかせかとスーパーマーケットに入っていく。それを後ろから車でついてきていたスタッフが、カメラを片手におっていった。
自然と、光流と結衣、拓海と彩香のペアになって買い物をする形になる。
「持つよ」
自然な仕草で、拓海は彩香の持った買い物かごを受け取った。その様を見て、スタッフがグッジョブと親指を立てつつ撮影をする。
——こういうところが、いまいちノリきれないところなんだよなぁ。
なんとなくときめくような場面が発生するたびに、スタッフがノリノリで撮影するものだから、頭に冷や水が浴びせられてしまう。
だが、そこら辺はスタッフもわかっているのか、定期的にボディタッチなどの指示が入り、否応なくドギマギさせられた。
「お肉はあっちの二人が買ってくれるって言ってたから、お野菜と、あと紙皿とかコップとかも買おうか」
二人で相談して、買い出しを進めていく。
「彩香ちゃんって、料理とかするの?」
「人並み程度かな。一人暮らしとかはしたことないし。拓海くんは?」
「俺は大学進学してからは自炊してる。あんま意味ないと思っても、やっぱ食べるものとか気にしちゃうんだよね」
「あーわかる。うちもお母さんがめっちゃ神経質」
変に気を遣われることもなく、当たり前のように自分の重大な背景を共有した会話ができる。そのことに、彩香は言いようのない心地よさを感じていた。
買い出しが終わり、合宿所に戻ると、設営班は炭火で火熾しをしていた。
真夏の陽気では、火にあたるのは暑いけれど、ぱちぱちとはぜる炭火の音が小気味いい。
「なーんか、青春を取り戻してるって感じでいいよな!」
「取り戻すも何も、私はまだ18歳なので青春真っ只中ですぅ!」
理央と愛菜も設営でだいぶ打ち解けたのか、テンポよく会話している。
「うっま! 番組の予算で食う肉うっま!」
「彩香ちゃん、これ美味しいよ、食べる?」
和気藹々と海辺でのバーベキューを楽しんでいると、突然、強い潮風が吹き抜けた。
「やべ、火から下がって!」
紙皿が飛び、お肉が飛び散る。みんながわっと声をあげた瞬間——。
「あっ!」
その時、愛菜のウィッグが風に巻き上げられて吹き飛んだ。
それはまるで、愛菜の小さな秘密を暴くかのような、残酷な風だった。
衝撃を受けた顔で固まる愛菜に、カメラが迫る。うねりのひどい髪に、側頭部はまだまだらで毛が薄い部分がある。それが長時間ウィッグで圧迫されて、尚更変なふうに癖が付いていた。
彩香にも経験のある、ウィッグを取ったばかりの、情けない姿。
「撮るなバカ!」
その時、ずっと笑顔でおちゃらけていた理央が、厳しい顔でスタッフに怒鳴った。愛菜を引き寄せると、上着をさっと脱いで、愛菜の頭に被せて隠す。そのまま、風に巻かれて飛んでいくウィッグを理央は追いかけていった。
けれども、強い潮風に吹かれて、残酷にもウィッグは海の中に落ちてしまった。
「理央くん!」
理央は、そのまま海の中へと飛び込む。靴を履いたまま、服も着たまま、かまいもせず。
「理央くん! いいよ、そこまでしなくて、大丈夫だからっ」
愛菜は泣きそうな顔で理央を追いかけたが、理央は構わず泳いでウィッグを追いかける。
風で荒れた海面、その波に逆らいながら着衣のまま泳いだ理央は、ぷかぷかと浮かんだウィッグを確保して「とったどー!」と雄叫びをあげた。
その気の抜けた振る舞いに、緊迫していた空気がふわりと弛緩する。
なんとか水面から上がってきた理央に、スタッフが慌ててタオルを被せ、バタバタと着替えを用意する。愛菜に被せた上着についていたピンマイクは無事で、スタッフからするとそれが一番大事なことらしく、何度も上着にちゃんとピンマイクがあるかどうか確認していた。濡れてダメになると大金が飛ぶらしく、他のメンバーにも注意喚起がされる。
そんなスタッフの無機質な振る舞いをよそに、愛菜は理央に駆け寄って行った。
「もう、理央くん、そんなに無茶して」
愛菜がびしゃびしゃに濡れた理央に縋り付くと、理央は上着を被った愛菜の頭をポンポンと撫でた。
「ウィッグって、俺らにとって大切なものじゃん? ケンコーな人間のふりをする大事なペルソナ。可愛い愛菜ちゃんにとって必要なものなら、たとえ火の中海の中、っしょ!」
その時、愛菜の瞳がきらきらと輝き出し、元々可愛い顔立ちが、数段可愛らしく、花が綻ぶように柔らかな色合いを見せた。
それは恋愛リアリティーショーの中にあるリアル、としか言いようがないほどにリアルな、恋の芽生えだった。
「すまん!」
そこへ、事態を見ていた壮治が、駆け寄って愛菜へと頭を下げた。
「ウィッグが飛んだ時に、カメラが寄ったのは明らかに不適切だった。この映像は使わないから、安心してほしい」
壮治の潔い謝罪に、メンバーの間で少し芽生えかけていたスタッフへの不信感が緩和する。
「いえ、さっきの映像、使ってください」
「えっ」
「愛菜ちゃん!?」
驚きの声を上げる面々に、愛菜は覚悟を決めたように頭に被っていた上着を取り払った。
うねりの強い髪の生えた頭が夕陽に照らされる。
「理央くんのカッコいい姿も、私を守ってくれたところも、放送してください。きっと、話題になる。話題になったら、こういう人たちが救われるんですよね?」
こういう人たち、と言いながら、愛菜は自分の頭を指さした。
女の覚悟とも言うべきその仕草は、ウィッグをしている時よりもなお、愛菜を美しく魅せていた。