最終話
ついに本番の日が来た。
朝から楽屋入りして、ヘアメイクと衣装の調整をする。彩香の衣装は海をイメージした淡いブルーの清楚なワンピースに、銀のアクセサリーを複雑に絡み合わせて華やぎを出したものだった。
拓海もそれに合わせて、爽やかさのある白とブルーのジャケットを羽織っている。
(う、うわ。かっこいい)
メンズメイクを施した拓海はいつにも増して精悍で、彩香は思わず頬を染めた。
「彩香ちゃんの出演時間は数分程度なのに、この時間から準備するんだね。ほんと、体の方は大丈夫? 無理しないでね」
「うん。最近は咳も落ち着いてるの」
裏手から覗くと、少しずつ人が集まっている姿が見える。スタッフが忙しく立ち働いている中、彩香も発声練習をして本番に向けて準備を進めていった。
控え室には、「あや恋」メンバーが集まっている。歌のパフォーマンスを行う彩香たち以外は、親近感のある私服姿で出演する予定のようだ。
「歩夢くん、なんか雰囲気変わったね」
以前はいかにもお金持ちといったような高そうな服に身を包んでいた歩夢は、カジュアルで着心地が良さそうなパーカー姿だ。
「うん、今まで親の趣味に合わせてたんだけど、自分が着たいもの着ることにしたんだ」
自分らしく生きるようになった歩夢は、以前のあまり人を寄せ付けない雰囲気が和らいでいた。
「桂木さん、ステージ頑張ってね」
「うん」
「やっほー! 彩香ちゃん、俺らも頑張ってくるよー。トークショーで場をあっためて最高のステージができるようにしちゃうから、期待しといてね」
理央はラフなTシャツにダメージジーンズを履いて、金のアクセサリーなどジャラジャラ首に下げている。相変わらず見た目だけは立派なチャラ男だ。愛菜とは一途に付き合っているようだけれど。
「理央くんサングラス似合ってるね」
「うん。俺ユーメー人だからね、最近はずっとサングラス」
「そっか、人に気づかれちゃうもんね」
「そーなんですよ。りおあいも結構人気なんですよー?」
理央の背後からにゅっと顔を出して、愛菜がにっと笑った。アーガイル柄のトップスに、スエードのプリーツスカートを合わせて、クラシカルな学生風にまとめてある。
「でも、『たくあや』の楽曲人気もすごいよね。サブスクで一位取ったんでしょ?」
彩香と拓海のユニットは、「あや恋」ブームに合わせてカップル名の『たくあや』とされてしまった。彩香的にはちょっとダサいと思ったので嫌だったのだが、壮治に今のブームに乗るべきだと説得されたのだ。ビジネスマンはロマンを解さないものだと彩香は思った。本当はユニット名を『opus vitae』ラテン語で、『人生の作品』にしようと思っていたのに。
「彩香、体調良くなったみたいでよかった。今日のステージ、楽しみにしてるわね」
光流と結衣も集まってきた。相変わらず結衣は知的な感じのスタイリッシュな私服に身を包んでいて、モノトーンのコントラストが鋭くも真っ直ぐな人柄によく合っている。結衣は国立大学の二次試験が終わったばかりらしく、少し痩せていた。イベント準備と受験の両立は、相当大変だっただろう。
光流はややフォーマルな感じのジャケットスタイルで、難病罹患者の就活について話すらしい。
みんなそれぞれに、自分の経験を活かして出来ることを考えている。
彩香もまた、自分の生き方が誰かの道標になるようにと願いながら、今日この場へと辿り着いた。
次第に楽屋から呼ばれるメンバーが増え、イベントは進んでいく。時折裏手まで観客の笑い声が聞こえてくるのは、理央が何か言ったのだろうか。
彩香はギリギリまで、話す内容と歌の確認を取り行っていた。
「桂木さん、幸村さん、そろそろ時間なので、袖に控えてくださーい!」
「はい!」
ついに、出番がやってきた。
「彩香ちゃん、行こうか」
拓海と手を繋ぎ、互いに頷きあう。
舞台袖から、陽光と舞台照明の照らすステージへと躍り出る。歓声が全身を包み込んだ。深々とお辞儀をして、マイクの前に立つ。
歓声が次第に静まるのを待って、人々の目が一心に彩香たちを見つめるのを感じた。
マイクの前で、ゆっくりと口を開く。
ずっと考えてきたこと。伝えたいメッセージ。それを、一つずつ確認するように、口に出していく。
「こんにちは、桂木彩香です。今日は……本当にここに立てていることが、奇跡みたいです。13歳の時に発症してから、約6年、再発してからは半年かな。先が見えなくて、怖くて、泣いてばっかりで。だけど、それでも人生は止まらなかった」
髪を隠すようにニット帽を被った男性客が、目に涙を浮かべながらうんうんと頷いている姿が目に入る。
「病気って、物語の中ではドラマチックに人を死なせることもあるけど、現実はもっと地味で、どれだけ苦しくても、そう簡単に人生は終わりません。そのせいで思い悩むことも、耐え続けなきゃいけない苦しみもたくさんありました。でも、生きているからこそ味わえる喜びもある。人生に限りあるからこそ、私たちは一生懸命に生き抜かなきゃいけないのだと思います」
そこで、あの日病院で彩香のファンだと言ってくれた女の子の姿が、最前列に立っているのが見えた。
(退院、できたんだ)
あの日の喜びを、彩香は一生忘れないだろう。
「そして今、ここに来てくださった皆さんの笑顔が私にとってかけがえのない人生の喜びです。皆さんに感謝と愛を込めて歌います。聴いてください。——Life」
拓海の出す音が、全身を震わせる。そこへ観客の息遣いが絡みついて、未だかつてない興奮と充実感が全身を満たした。
彩香の歌声が、拓海のハモリと絡み合って、それが途方もなく気持ちがいい。曲調とも相まって、陽だまりの中を二人で踊っているみたいだ。
音が、客席へ、空へと波状に広がっていく。
最後の一音が、ゆったりと消えていき、客席からはため息と静かな歓声が漏れた。
彩香の夢への第一歩が、今踏み出されたのである。
そして、『たくあや』のステージが終わると次は司会者がステージの前へと出てくる。事前に打ち合わせした通り、彩香は他の出演者たちとともに背後へと下がった。
「ここで、骨髄バンクドナー登録のご案内です。毎年、血液のがんなどの難病にかかった人が、約二千人ほど骨髄移植を必要としています。しかし、骨髄移植に適合するのはごく一部です。実際に移植ができるのは約半数程度。皆様のご協力があればこそ、その割合をあげることができます。本イベントでは、骨髄バンクドナー登録のご案内会場を用意してあります。実際に登録するかしないかとは関係なく、気軽にお話を聞くだけでも構いませんので、ぜひご来場ください。よろしくお願いします」
光流が、結衣が、理央が、愛菜が、歩夢が、拓海が、彩香が。様々な人生を背負い、命の危機にさらされながらも生きている者たちが、前へと歩み出る。
そして、全員が一斉に頭を下げた。
「よろしくお願いします!」