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第33話

 ついに、チャリティイベントを翌日に控えたリハーサルを行うことになった。


 大勢の大人たちがスタジオを行き来している。「あや恋」のテーマソングを歌う有名アーティストの不知火あみが、リハーサルに訪れていた。


 (うわ、本物だ!)


 彩香は思わずチラチラとそちらを見てしまう。あまり失礼にならないように見過ぎてはいけないと思うものの、憧れの気持ちは抑えられない。


 まずは不知火あみのリハーサルから始まった。


 思わず呼吸をすることさえ忘れてしまいそうになるほどの、圧倒的なステージング。ただの音楽スタジオなのに、そこが広大なライブ会場にさえ思えるパフォーマンスが始まった。

 彩香は息を呑んでそれを見守る。歌声が朗々と響き渡り、華やかなオーラに目が離せない。ほんの少し肩を揺らしてリズムを取っているだけの動作が、音にバチっとはまり込んで小気味良い。


 (す、すごい。これがプロ……)


 パフォーマンスが終わってなお、呆然としているところへ、スタッフの声が響き渡る。


「ここで桂木さんと幸村さんのユニットが登場します!」


 (嘘でしょ? この後で歌うの?)


 緊張のあまり吐き気すら催しそうだ。

 

「本番ではこのマークの場ミリがあるところに立ってください。そこで司会者がお二人の紹介をします」


 スタッフが細かく手振りを交えながら、淡々と説明する。場ミリというのは立ち位置を示しているマークの事らしい。


「彩香ちゃん。一緒に頑張ろう。あの夜みたいに」


 全てをわかっているかのような顔で拓海が声をかけてくれた。

 あの夜というのは、海辺で歌った時のことだろうか。確かにあの時はただ音と一体になって、それがとても気持ちよかったのを思い出す。


 指定された位置に立って、歌の確認をする。拓海も演奏をして、プロのミュージシャンたちがそれに合わせる。音が全身に響き渡って、一体化する感覚に身を委ねる。

 意識が次第に、あの海辺へと飲み込まれていく。


 最後の一音がそっと音楽スタジオを満たした瞬間、拍手が沸き起こった。


「桂木さん、いいね、歌声」


 リハーサルを聞いていた、プロの歌手である不知火あみがそう言って褒めてくれた。華やかな衣装も着て、本格的に本番を再現している。艶やかな黒い髪と、整った顔立ち。放っているオーラに圧倒されて、彩香はタジタジになった。


「えっ、えっ、本当ですか? う、嬉しいです」


 彩香は舞い上がってしまい、激しく吃りながら返答する。この一週間、チャリティイベントの本番に向けて準備を進めている時間は、夢のようだった。

 肺炎の療養のせいで準備も遅れていたのだ。体に無理が効かない分、騙し騙し進めるしかなかったが、それでも夢の世界へと一歩を進んでいた。


「でも私、あみさんのパフォーマンスに比べたら全然ダメで……。本番本当に私がトリでいいのか心配なんですけど」


「いいよ! それに、君はまだまだ始まったばかりのアーティストじゃん。これからだよこれから。……だからさ、君がこの先もずっと元気に活動できることを祈っているよ」


 優しい声が彩香を包み込む。


 ——これから。


 そうだ、まだまだこれからなのだ。病気のせいで先のことを考えられないでいたけれど、アーティストを目指すなら、目標を持たなければやっていけないだろう。


 彩香は大事なことに気づかされた気がした。


 緊張と興奮に彩られた日々は終わり、ついに本番の日を迎える。


 夜はなかなか寝付けなかった。体のことを考えれば、寝た方がいいと思うのだけれど。


「おねえ、どうしたの? もう明日本番なんでしょ?」


 夜中にリビングでホットミルクを飲んでいると、物音を察してか、律香が起き出してきた。


「うん。なんかあんまり寝付けなくて」


「そりゃあ、緊張するよね」


 わずかな間接照明のみつけたリビングは、いつもよりも暗くて静かだ。暖かな橙色の光に照らされながら、律香がテーブルのいつもの席に座る。この家は彩香が5歳ぐらいの時に建てられたもの。もう住み始めてから随分と経つ。


「でも、お姉にはお姉にしか出来ないことがあると思う。きっとそれで救われる人も、いっぱいいるんだ。私ね、あや恋に出てから、ファンレターちょくちょくもらってるんだ」


「律香が?」


「うん。同じきょうだい児の人から。お姉が入院してる間、少しそういうエッセイとかも書いたりしてさ。自分は自分の人生を生きようと思ったって。自分のことを優先するのに罪悪感持ってたけど、自分の人生は自分にしか生きられないから。そういう言葉に、救われたって言ってくれる人もいた」


「そうだったんだ」


 律香は律香で、色々考えて生きている。自分のことを優先するのに罪悪感を持っていたという話は初めて聞いた。でも、考えてみれば難病にかかり闘病するという圧倒的に「可哀想」な家族がいれば、そのような発想になるのもあり得る話ではあった。


「それと同じように、お姉にはお姉にしか救えない人もいると思う。お姉だからこそ出来る表現を全力でやればいいんだよ」


「そう、だよね。うん、何だか目が覚めた。あ、眠れなくなったって意味じゃなくて」


 彩香が慌てたように話すと、律香がくすくすと笑う。こんな風に姉妹で穏やかに過ごせるようになったのは、桂木家の運が良かったのもあるのだろう。決して当たり前のことだと思ってはいけないと彩香は思う。


 そんな小さな奇跡の積み重ねこそが、自分が大切にしなければならないものなのだと信じて、その奇跡の尊さを伝えていく。そんな歌手になりたいと彩香は改めて夢を再確認したのだった。

 

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