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第31話

「お待たせ、拓海くん」


 改札口で待っていた拓海は、すらりとした細身のコートに、ボルドーのマフラーを巻いていた。服装のおしゃれ感とは裏腹に、サングラスをかけてマスクをしている姿が少し怪しい。「あや恋」以降有名人となっていた彩香たちは、外を出歩く際には多少の変装を必要としていた。

 彩香と並んでいたら、気づく人も出てきてしまうだろうか。


「大丈夫だよ、彩香ちゃん。さあ行こうか」


 二人は人目を憚るようにそそくさと歩き出す。

 木枯らしの吹く中を足早に歩いていると、彩香の息が上がり始めた。


「あ、ごめん。早かった?」


「ううん、大丈夫。あんまり駅前の人混みに長居するの、よくないもんね」


 拓海がここまで変装しなければならないのは、彩香のために、骨髄バンクの啓蒙活動を精力的に行っているせいもあるのだ。繰り返しテレビに出演して、有名な動画配信者ともコラボをして。

 出会った頃の、少しシャイな様子を見せていた拓海を思い出す。そこまで目立つのが得意ではないはずなのに、彼はいつの間にか有名なインフルエンサーとなっていた。


 拓海の家にたどり着く。几帳面な性格を反映してか、綺麗に整頓されたワンルームだった。


「寒いのに、冷たい麦茶しかないんだけど、ごめんね」


「ううん、大丈夫。ありがとう」


 二人でソファに座り、少しだけ沈黙する。


「それで、今日、どうだった……?」


 少しだけ恐る恐るといった調子で、拓海が切り出した。


「あのね、薬剤性の間質性肺炎? っていうのだって。抗がん剤の副作用って、数ヶ月後に出ることもあるらしいんだ」


「副作用、なんだ。病気が悪化してるわけではないんだね?」


「うん。それはまた次の定期診察の時だけど、今のところ大丈夫」


「そっか、でも、肺炎か……。心配だね。やっぱり、チャリティイベントの出演とか、やめといた方がいいんじゃないかな」


 拓海から放たれた突然の言葉に、彩香は呆然となった。


「な、何で!? ずっと私、チャリティイベントで歌うの目標に頑張ってきたんだよ。今更出演取りやめだなんてしたくないよ」


「でも……。正直、心配なんだ。肺炎でしょ? 咳だって出てるのに、歌えるとは思えない」


「私、後悔したくない。いつまでも生きていられる保証なんてないし、遺伝子変異だってあった。それに……私、拓海くんに置いていかれそうで、不安なんだ」


 言い合いは徐々にヒートアップしていく。彩香は思わず、これまでにずっと抱えていた不安をも吐き出してしまった。

 

「拓海くん、私より作曲の才能あるんだもん。このまま拓海くんだけがどんどん前に進んでいって、私だけ置いていかれそうで、いやだよ」


「そんな、置いていったりしないよ。ただ俺は心配で……」


「何で? 何でわかってくれないの?」


 母には、「本当に死ぬ可能性が見えていない」と壮治が忠告してくれた。けれど、病気が故に先が見えない焦りをわかってくれるはずの拓海に、出演を止められたことで彩香は混乱していた。


 彩香が言葉に詰まり、泣きそうになっていると、不意に拓海がぎゅっと彩香を抱きしめた。


「怖いんだ……。彩香ちゃんが入院している間、毎晩康太が亡くなった時の夢を見て。あの時みたいになるんじゃないかって、またこんなことになるのかって、気が狂いそうだった。いっつも俺ばっかり生き残る。置いていかれるのは、もうごめんだ」


 血を吐くような、ひび割れた声で、拓海が心情を吐露する。

 そのまま強引に抱き寄せられる。拓海の両手は、何かを堪えるように震えていた。

 拓海の瞳から涙が溢れ、その雫が彩香の頬に落ちる。溢れ出る思いに耐えかねたかのように、そのまま拓海は、少し強引にキスをした。

 今までの甘い口付けとは違う。苦い想い出がじわりと滲み出るような、そんな触れ方だった。


 抱きしめる力の強さに彩香が小さく呻くと、ハッとしたように拓海が身を離す。

 

「ご、ごめん! 感染リスクもあるのに、俺……」


「ううん……」

 

 拓海は母とは逆だった。死の可能性が「見えすぎ」ていた。死ぬこともある病気だ。再発など、初発よりも予後は悪い傾向にある。

 そんな中で、面会もできずに待つしかない生活を拓海は耐え抜いてくれたのだ。そのことを彩香は失念していた。置いていきそうになっていたのは、倒れて入院していた、彩香の方だ。

 

 (釣り合うとか釣り合わないとか気にして、私、バカみたい。拓海くんだって、たくさん辛い思いをしてきてるんだ。それを支えるのが、彼女じゃない)


「ごめん……。私の方こそ、自分のことばっかりで、カッコ悪い。拓海くんだって今まで辛い思いしてきてるのに」


 おずおずと、彩香が拓海の背に手を回し、抱きしめ返した。心臓の鼓動が互いに伝わる。


 (私、生きてるよ、置いていったりしないよ)


 その思いが、鼓動とともに伝わることを願った。


「仕方ないよ、副作用まで出てたら、余裕がなくなるのも当たり前だし。でも、イベントの出演は、お医者さんの許可を取って、無理しないって絶対に約束して。俺、やっぱり心配だ」


 真剣な瞳で、拓海が彩香の目を見る。いつにない厳しい声音に、彩香はますます反省した。いくら病気で余裕がないからといって、拓海に辛い思いをさせたいわけではないのだ。


「わかった。出演のことはお医者さんに相談してみる。それで、壮治さんにも素直に肺炎のこと話してみるね」


 まだ三月中旬に予定されているチャリティイベントまでは、一ヶ月以上の余裕がある。この間に、何とか肺炎を治すことができれば、無理せず出演することもできるだろう。

 練習やリハーサルなどを無理した結果、悪化して本番に出られないなどということになれば本末転倒だ。


 彩香は、「絶対に無理はしない」ということを拓海と約束した。

 

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