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第28話

 退院したら、まずはリハビリだ。


 本当はチャリティイベントの練習に参加したいし、話題の番組出演者として、他のメンバーが出ているようにテレビ番組にだって出たい。

 愛菜などは、話題のインフルエンサーとしてダンス番組に出演して、その愛嬌を振りまいたりしていたのだ。


 シンガーソングライター志望の彩香としては、この「あや恋」ブームが訪れている今こそ地盤固めに奔走したいところだった。


 けれど、流石にそれは母からも止められたし、主治医の許可も出なかった。

 毎朝家の周りをお散歩して、体力を付けて。そして時々は友達と遊びに行って。そんな毎日を過ごしている。

 時折そのリハビリ生活をドキュメンタリー撮影班が撮って、体力が回復してきた様子を映し出したところで、撮影は終了となった。

 これまでに撮られた闘病生活の映像が編集されて、一時間程度の特番となる。そのドキュメンタリーが話題になれば、その分だけ病気のことを人々に知ってもらえる。


 そんな期待を持った日々を過ごして、退院から一ヶ月が過ぎた頃。


 主治医から、「次はご家族と一緒にお越しください」と連絡を受けた。


 母はそれから診察日まで、そわそわと落ち着かない様子だった。彩香には見られないように隠している様子だったが、不意に涙をこぼしたりしていた。

 父も、どことなく不安そうにしている。


 何か病状で悪い変化があったのだろうか?


 主治医は「検査結果を伝えるため」と言っていたが、単に検査結果を伝えるだけなら、もう19歳の彩香には家族と来るように言うほどでもない気がする。


 そんな不安を抱えながら迎えた受診日。


 悪い予感は、ある意味では当たった。


「遺伝子検査の結果をお伝えします。彩香さんにはIKZF1遺伝子変異、通称イカロス欠失と呼ばれる遺伝子の変異があります。これはリンパ系転写因子の……」


 何か難しいことをあれこれ説明されたが、要するに予後不良の遺伝子変異が見つかった、ということらしい。


 イカロス欠失とは、なんて皮肉な名前なのだろう。太陽に手を伸ばして墜落したイカロス。

 夢に手を伸ばして今にも羽ばたこうとする彩香に対する、悪い冗談のようだ。


「予後不良因子ではありますが、現時点で骨髄再発や、末梢血には白血病細胞は確認されておりません。このまま地固め療法を続けつつ、骨髄移植が出来るようにドナーを探していきましょう」


「わかり、ました……。よろしくお願いします」


 彩香も付き添いできた両親も、帰り道はむっつりと黙り込んでいた。空元気を出して誰かが話し出そうとするが、それも尻すぼみになってしまう。


「で、でも! 予後不良因子があってドナーが見つかるの待ちって、拓海くんと同じ状態だよ! 拓海くんはあんなに元気だし……」


「確かに、そうね。拓海くんは元気そうだものね」


 両親からの拓海の印象は、非常に良い。誠実で優しい好青年だし、何より番組の範囲を超えて、頻繁に彩香に連絡をして闘病生活も支えてくれている。一方で無理に会いに来ようとはせず、感染リスクが高い間は自制してくれてもいた。


 そんな彼が、元気に過ごしている姿は、同じ状況に追い込まれた彩香にとっても希望となっている。


 退院したからという理由以上に、早く会いたいという気持ちが湧いていた。


 彼は大学に通いながらも、インフルエンサーとして精力的に活動しているのだ。特に熱を入れているのが骨髄バンクのドナー啓発で、それが彩香のためであることを彼は公言して憚らなかった。


 愛しい恋人のために、学業の傍ら芸能界の仕事に勤しむ青年。その姿は世間の心を震わせて、実際に骨髄バンクの登録者数も増えているという。


 (もしこれでドナーが見つかったら、拓海くんには足を向けて寝られないなぁ)


 拓海が出演している番組の動画をスマートフォンで眺めながら、彩香は拓海にどう今の状況を伝えたら良いのか悩んでいた。


 どれだけ拓海は傷つくだろう。きっと悲しみも不安も押し殺して、穏やかな声で彩香の話を受け止めてくれるのだろうけれど。だからこそ、拓海に話すのは勇気が必要だった。


 でも、電話、かけなきゃ。と彩香は意を決してスマートフォンを手に取る。


 人生に悩んでいる暇なんかない。今を、一瞬一瞬を懸命に生きなければ、いつまた病室に隔離されて、会えなくなってしまうかもわからないのだから。

 それは、再発したことで生まれた、彩香の覚悟のようなものだった。


「……もしもし」


「あ、拓海くん? こんな時間にごめんね」


「全然いいよ。声聞けて嬉しい」


「うん、あのね……」


 そこで彩香が言い淀むと、何かを察したのか、拓海は黙って彩香が語り出すのを待ってくれた。


「今日、遺伝子検査の結果が出たんだ……。予後とか、そういうの予測するやつ」


「ああ、うん。聞きに行ってきたんだね。お疲れ様」


「うん、それでね……」


 大きく息を吸い、覚悟を決める。彩香はベッドサイドに置いていた、お気に入りのぬいぐるみをギュッと抱きしめながら、口を開いた。


「イカロス欠失、っていうのがあるらしくて……。再発リスクもあるし、移植が必要だって」


「そっか……。見つかるといいね、ドナー。不安だろうけど、一緒に頑張っていこう」


 想像していた通り、穏やかな声で優しい返事が返ってきた。その声は、ほんの少しだけ震えていたけれど。

 そのことがわかる程度には、彩香も拓海との付き合いが深くなってきていた。


「あのね、怖かったり辛かったら、私拓海くんに言うね。だから拓海くんも、怖かったり辛かったりしたら、話してほしい。私、受け止めるから!」


「うん、ありがとう。……俺は彩香ちゃんと生きていきたい。怖いし辛いけど、どんなに辛くても、好きになれて良かったって思ってるよ」


 そんな優しい言葉が返ってきた。彩香の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出す。

 辛さの吐露でさえ、優しさを、好意を共に伝えてくれる人なのだ、拓海は。好きになれて良かったのはこっちの方だ、と彩香は思った。

 それを伝えたいのに、言葉が詰まって出てこない。


「っりがと。だいすき」


 やっとのことで、それだけ伝えた。

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