第26話
おかゆをお茶碗の半分ほど食べられるようになった頃。ようやく外出許可が出た。
許可が出たら、撮影スケジュールの詰まっているドキュメンタリー制作を、すぐに再開しなければならない。
大勢の人が関わっていて、大金が動いている以上、彩香の個人的な感傷を押し通すわけにもいかないのだ。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
入院着という「衣装」を身に纏って、中庭で待機している撮影班に挨拶する。今日は拓海との再会である。
病院の中庭には、花壇なども設けられていて、入院患者の目を少しでも楽しませようと工夫が凝らされていた。赤煉瓦調のブロックが地面には敷かれており、ヨーロピアンな雰囲気を醸し出している。
暖かな午後の日差しが降り注ぐ中、中庭のベンチに彩香が座った。その風景をしばらく撮影した後に、拓海が中庭へと入ってきた。
「拓海くん。……久しぶり、だね」
「彩香ちゃん。……会いたかった、なんて言葉じゃ、表現しきれないくらい、ずっと……」
そこで拓海は言葉を詰まらせた。感染対策のため、触れ合うことはできない。それでも伸ばされた手を取りたくても取れなくて、彩香はただ拳を握りしめた。
「痩せた、ね」
「うん。大変だった。まあ、拓海くんもこの大変さは知ってると思うけど」
「しんどいよね。でも、よく頑張ったね」
その言葉を聞いた瞬間に、我慢していた涙が溢れてしまった。
頑張った。
頑張ったのだ。必死になって。生きるために。
正直、なんで自分んばっかりこんな目に、と世界を恨むような気持ちも湧いた。あまりに理不尽な運命を呪った。
頑張るのをやめて、楽になってしまいたいと願うことさえあった。
それでも、こうやって拓海と顔を合わせれば、生きていて良かった、と思える。
再発前にそういう相手と出会えたことが、奇跡のようだった。
病院のベンチで話しているシーンを撮影した後、カメラなしで少しだけ話をさせてもらえることになった。
「あー、……抱きしめたい、な」
拓海が思わずというように溢した言葉に、彩香は一気に赤面してしまった。
「た、拓海くんっ。急にどうしたの」
「いや、ずっと会いたかったからさ。なんか、こうやって彩香ちゃんが生きててくれて、目の前にいてくれて、幸せすぎて気持ちが爆発しそう」
「うぅ。なんか恥ずかしいよ」
そんな会話をしていると、不意に入院着姿の少女が二人に近づいてきた。
「あ、あのっ」
緊張した様子で、勇気を振り絞るかのように声を詰まらせながら、少女は彩香に話しかけてきた。
「桂木彩香さんですよね。それに幸村拓海さんも。私、お二人のファンなんですっ。入院中ずっと『Life』聴いてて!」
「えっ」
ドクン、ドクンと心臓が脈打った。顔がカッと熱くなって、全身に血が巡る。目の前の景色が急に明るく世界が開けるような。これは、なんと言ったら良い気持ちなのだろう。感動、だろうか。
ただ、ただ、全てが報われたような。やってきたことに意味があったのだと、誰かの人生を自分の音楽が支えたのだと、その事実がどうしようもなく彩香の心を震わせた。
「あ、ありがとう!」
他になんと言って良いのかわからないほど、ただ感謝が湧き上がってきた。聴いてくれた。聴いて、喜んでくれた。それを入院生活の支えにしてくれて、ファンになってくれた。
身のうちから、力が湧き上がってくる。
「あの! チャリティイベント、頑張ってください! 私、退院してあのイベントを見に行くのが夢なんです。彩香さんは出られるかどうかわからないって聞いたけど、きっと出られると信じてます」
「うん。私も出られるように頑張る。体の調子、最近は少しずつ良くなってきたんだ」
「よ、良かった! ……あ、拓海さんとの時間邪魔しちゃってごめんなさい! 私はこれで」
そう言って少女は彩香が引き止める間もなく、去っていった。
「う……、嬉しいー!」
彩香は喜びを抑えきれずに、ベンチからぴょん、と立ち上がった。
「嬉しい……。嬉しいね彩香ちゃん。やばい、なんかじわじわ実感が湧いてきた」
拓海も、しばらく呆然としていたが、これが現実なのかどうか確かめるように自分の頬を触りながら、ふ、と口元を綻ばせた。
じんわりと、二人で喜びを噛み締める。
「絶対さ、チャリティライブ、成功させようね」
「うん。俺としてはあんまり無理はしてほしくないけれど、頑張ろう」