幕間
彩香が東京の病院で再寛解導入療法を開始している頃、壮治もまた東京へと戻ってきていた。
沖縄での最終告白と視聴者投票デートを撮影し終え、そのまま慌ただしく彩香のドキュメンタリーの制作に奔走する。上の許可を取る前に決めて撮影を開始してしまったのだ。そのツケともいうべき仕事は激増していた。
局を説得し、予算をかき集め、放送倫理のチェックや医療連携の体制を築き上げる。
深夜を通り越して早朝近くに家に帰り着いた壮治は、自室でもまたパソコンの前に座った。
外ではできない仕事をするのだ。
SNSの画面を開く。そこには、フォロワー数の多い女子大生のアカウントが表示されていた。壮治がこれまでに育て上げた、『火付け』用のアカウントだ。
(すまんな、みんな)
これまで共に激務を乗り越えてきた制作スタッフの面々や、出演者に対して心の中で謝りつつも、壮治は苛烈な「あや恋」批判をSNSで展開している。
賛否両論。それこそが話題性を得るために必要不可欠な柱だと壮治は考えていた。
『賛』だけでは「よかったね」で終わってしまう。『否』があるからこそ擁護が熱くなる。逆もまた然り。大衆は『レスバトル』と呼ばれる無為な営みにこそ日々熱中するものなのだと、壮治は考えていた。
そうして壮治が初期から行なっていたネット工作は、見事に功を奏していた。番組を絶賛するコメントを投稿して、反対意見を誘発する。あるいは番組への批判を投稿して、擁護を煽る。
また、批判アカウントが出演者のことを番組に利用された被害者として扱うことで、リアリティーショーにありがちな出演者への誹謗中傷を抑える意図もあった。
出演者たちが番組出演によって傷つくことがないよう、世論を慎重にコントロールする。
地上波にはない、ネットTV局にはネットTV局なりの戦い方があるのだ。
唯一失敗したと思うのは、理央・愛菜・彩香の三角関係を、番組を盛り上げるために入れた結果、彩香への誹謗中傷を呼び込んでしまったことだろうか。想定以上に「りおあい」の人気が高かったのだ。
しかし皮肉なことに、彩香への反発は彼女が再発したことで、一斉に鎮火していた。白血病が再発し、生と死の境目上にある若者を中傷するのは、正義を振り翳す人間にとっては都合が悪いだろう。
一方で彩香の再発により、SNSの「番組に対するご意見」はさらに激化していた。
『番組のストレスが原因で再発したのではないか』
『いや、白血病の再発がそんなことに影響されるはずはない』
など、さまざまな議論が日夜交わされている。そしてまた、当事者を使って恋愛リアリティーショーを行ったこと自体の是非にまで波及していくのだ。
話題性は高まりこそすれ、鎮火する気配はない。少なくとも視聴率は鰻登りに上がり続けており、そのことに壮治は安心しつつ、ようやく寝るか、というタイミングで電話が鳴った。
「もしもし? 何だよ、蓮。こんな時間に」
「お前どうせこのくらいの時間まで仕事でしょ。いやさぁ、彩香ちゃんだっけ? 大丈夫かなと思ってさ。ほら、桂木家を紹介したの僕じゃん」
小川蓮は、白血病の親の会で知り合った友人だ。お互いに子を亡くした同士でもある。壮治はすでに親の会を離れて久しいが、蓮はいまだにボランティアとして出入りしていた。その伝手で、番組の出演者探しを手伝ってもらったのだ。
『見目のいい若い男女で、再発リスクが高いか、何らかの涙を誘うような事情を持つもの』
これが壮治の提示した条件だ。その下衆とも言える条件に合わせたメンバーを選別して、番組に応募するよう誘導してくれたのが蓮であった。
彩香は妹の自殺未遂の件とその容姿の可愛らしさで選んだ形だったが、まさか再発までするとは。再発リスクが高いメンバーとして選んだのは理央と拓海だったため、予想していなかった。
「本人は気丈に過ごしているな。チャリティイベントにも出たいと言っている。まあ、治療期間とリハビリを考えると、出演に間に合うかはギリギリだがな」
「シンガーソングライター目指してるんだっけ? 夢があっていいよね」
「出来るだけ後押ししてやろうとは思っているよ」
彩香も随分と番組には貢献してくれたのだ。芸能界志望なだけあって活動にも積極的で、再発した後もショート動画などをあげていたりする。
「まあ、あそこはご両親もしっかりしてるし、比較的安心か」
「まあ、な」
律香の自殺未遂こそあるが、それでも桂木家は家族仲も良好で両親の人柄もいい。
中には子供の病と向き合えず、ろくに面会にも行かない親や、自分の悲しみのケアを病気の子供にさせるような、精神的に幼い親などもいる。
(あまり人の家庭のことは言えないがな)
壮治の妻は、娘の真理が亡くなった後実家に帰った。悲しみを誤魔化すように仕事に逃げた壮治に、愛想を尽かしたのだろう。
「お前はどうなの? 計画通り、番組出演者から再発する人間が出てきたわけだけど」
「最悪の気分だよ。あまり感情移入しすぎないように気をつけてはいたんだがなぁ」
蓮はその辺りを心配して電話をかけてきたらしい。
実際問題、壮治は落ち込んでもいた。彩香が番組のストレスで再発したとは思わないが、舞台設定が若者たちの人生をある意味狂わせたことに違いはない。拓海だって、この先辛い思いをすることになるだろう。
大体、出演者の中から再発する者が出るとしても、向こう10年以内程度だと思っていたのだ。今回の「あや恋」を軸に番組シリーズを軌道に乗せて、難病持ちのインフルエンサーを多く輩出し、その中から話題性に富む再発者が出れば宣伝効果が得られる。元々はそのような気の長い計画だった。
「それにしてはカットもせずに、しっかり放映してたじゃないか。彩香ちゃんが倒れるシーン」
「そりゃ、あんなの撮れたら使うに決まってるだろう」
そのことは後悔していなかった。
彩香を救うために出来る努力がある。かつて娘が同じ病気で徐々に弱っていっていた頃、どれだけ啓蒙活動に勤しんでも手応えを感じなかった。
けれど、今は違うのだ。常にSNSのトレンドには「あや恋」の文字が踊り、骨髄バンクのドナー登録も右肩上がりに上昇している。特にあのシーンは、世間に大きな衝撃を与えていた。
「どっちにしたって、計画通りの事態なんだ。このまま駆け抜けるさ」
「お前が過労死だけはするなよー?」
蓮は冗談めかしつつも真剣な声音でそう言って、電話は切れた。
「ふぅ」
重だるい体をソファに横たえる。ベッドに寝てしまえば熟睡しすぎて起きられないため、最近はずっとソファ生活だ。仕事中に溺れるほど摂取したカフェインの味が、苦く口の中を転がる。
「感動ポルノが欲しけりゃ、いくらだって気持ちよくさせてやる……。だから頼む、真理を……」
意識が朦朧とする中、過去と現実が交錯する。
かつて娘の真理のために作り上げた、真面目な医療啓発番組は大した視聴率も稼げず打ち切りになった。
甘かった。
ぬるかった。
未熟だった。
もう二度と、そんな間違いはしない。どれだけ手を汚したって構わない。だから、今度こそ救えると信じたいのだ。
明日は、白血病で亡くなったアイドル歌手の楽曲を、彩香が病室でカバーする、その撮影だ。2時間後に目覚ましをかけて、気絶するように壮治は眠りについた。