第21話
「病院長には話してみるし、最終的に君の意思を尊重するが、私の医師としての倫理観では君がそこまで身を削る必要はないと思っている」
早川は、病状説明にカメラを入れることに対して、そのように話した。実際、ドキュメンタリーとしてカメラを入れるかどうかは、最終的には患者本人の意思による。病院側も、白血病患者のドキュメンタリーとして啓蒙を行うという真面目な目的であれば協力はするとの話だが、どちらかというと彩香への心配によって反対しているらしかった。
「君はまだ若いんだし、ただでさえ番組で注目を集めている。その上ドキュメンタリー出演ともなれば、心身への負担が大きくなるんじゃないかな」
「それはそうかもしれません……。でも私、これに出演したら話題になると思う。シンガーソングライターを目指してるんです。有名になって、この世界に爪痕を残したい。私の世界を思いっきり表現した音楽を、現世に残したいんです。……生きていられるうちに」
「そう、か……」
未熟で、青臭い夢かもしれない。まだろくに社会に出たこともない、定時制高校に通うフリーター。それが彩香の肩書きだ。だけれど、背負っているものの大きさを考えれば、覚悟を軽んじられる謂れもない。
「うん。わかった。僕はドキュメンタリーに協力しよう。でも、もし許可が出たとしてもご両親にも同意書は書いてもらうからね」
翌日、検査の結果も出て、ドキュメンタリー撮影の許可も得られたため、診察室で病状説明を受けることになった。
「さて、どこから話そうか。ご両親は来られなかったんだね」
「はい、向かってはいるらしんですけど、到着は明日になります」
「それなら、ご両親が到着してから病状説明することもできるけど、どうする?」
「いえ、大丈夫です。今日お願いします。電話で同意もとっているので」
そう答えると、早川医師は検査結果をプリントアウトした紙を、彩香に見せた。
「ここにあるのが、髄液検査の所見。……白血病細胞が出ているね」
「はい……」
「ただ、血液検査と骨髄検査では白血病細胞は出ていない。中枢神経再発だけど、幸いにも初期の段階で見つかった形と言えるね。病名としては、白血病性髄膜炎だった。脳圧が上がっていたから頭痛や視野障害が出ていたと思うけど、脳圧を下げる薬を使って、少しずつ症状も落ち着いてきているね。ここまでは大丈夫かな?」
「はい」
少し難しい話もあり、理解するのが大変ではあったが、かつて闘病時代に勉強していた内容もあってある程度は把握することができた。ただ、再発という言葉が頭の中をぐるぐると回り続けて、医師の話に集中できないでいる。
そのことを察してか、早川医師は少しばかり沈黙し、彩香が事態を受け入れるのを待つ。
「あの、大丈夫です。続きをお願いします」
「うん。これから再発に対する治療が必要になってくるわけだけれど、ご両親は東京の方なんだよね。こちらで長期入院となると大変だろうし、再導入した後は感染リスクも上がる。まずは急性期のコントロールがついたら、東京に転院するのがいいと思うんだけど、どうかな?」
「はい、その方がいいと思います」
東京に戻ることになる。——つまり、拓海とは離れ離れになるということだ。いずれにせよ、そうそう面会などできるわけではないことは理解していたが、物理的に離れ離れになること自体が心細かった。
家族の負担を考えれば、東京に戻るのが最善なのは理解していたが……。
(会いたい、なあ。一目だけでもいいから、会いたい)
面会ができないことは理解している。病気の深刻さだって、わかってはいる。けれど、あの時。ずっと心に重しが乗るように気がかりだった律香とのあの出来事を、魔法のように解いてくれた。生きてるからこそ出来ることがあるのだと教えてくれた。
あの時拓海が言ってくれたことで、律香とあらためて水族館に行くことができたのだ。もし、そういう過程を経ずにこうやって再発して、二度と律香との思い出を取り戻すことが出来なくなっていたら、後悔しても仕切れなかっただろう。
拓海は、康太という大切な友人を亡くしているからこそ、後悔せずに生きる術を知っている。それは彩香にとって、大切な道標であり、暗い海を航海するときの灯台のようなものだった。
「最後に、何か聞いておきたいことはあるかい?」
彩香が物思いに耽っていると、早川医師は気遣わしげにそう問いかけてきた。
そうだ、彩香はどうしても聞きたいことがあったのだった。
「あの、半年後にあや恋でチャリティーイベントがあって。そのステージに立ちたいんです。大きな野外音楽堂で歌うことが出来るって、夢だったんです。治療したら、出来ますか?」
「うーん、それは断言はできないね。半年後なら、再導入療法が奏功すれば必ずしも不可能ではない。再発だから、予後予測の遺伝子変異なども検査したほうがいいだろうけど、少し結果が出るのに時間がかかりますよ。しかしそれが問題なかったとしても必ずしも出られるとは保証はできません。ただ、それを目標に治療を頑張ってみるのはいいんじゃないかな」
「っはい! がんばります!」
否定はされなかった。保証はないけれど、そんなのは最初から承知の上だ。完全に不可能だと諦めなくていいのならば、挑戦したい。
彩香はその希望を胸に、あらためて治療と向き合う決意をするのだった。