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第20話

 ゆっくりと意識が浮上してくる。

 酸素マスクをつけられた口元、響く心電図の音、部屋に漂う消毒薬のツンとした匂い。それらの情報で、彩香は自分が集中治療室にいることがわかった。


「あら、目、覚めた? まだ動かないでくださいね」


「あ、はい。ここ、集中治療室ですか?」


「そう。ここはEICUだから、落ち着いたら普通の病室に戻れますからね」


 彩香がぼんやりとしているうちに、慌ただしく看護師は体温などを測っていくと、去っていった。


 (これから、どうなるんだろう。私は今どうなっちゃってるんだろう)


 単なる低気圧や生理による頭痛で、こんなところに入院するわけがないことぐらいは、彩香にももうわかっていた。


 知りたいような、知りたくないような不安定な気持ちの中、沖縄での担当医、早川が入室してくる。


「桂木さん、大変だったね。ちょっとまだ検査が必要で、ルンバール……えっと、腰椎穿刺と骨髄検査をする予定だから、少し痛いけど頑張ってね」


「はい……、あの、私……」


 再発したんですか——、その一言が、どうしても聞けなかった。そんな彩香の躊躇いを察してか、細かい病状説明は行わずに、早川はただ体調の確認をした。


「頭痛や吐き気はないかな?」


「大丈夫です。今は治っています」


 早川医師が去っていった後は、ひたすら病室の天井を見つめる。様々な管が体に絡みついて、身動きもろくに取れず、暇な時間を過ごしていると碌な考えが頭に浮かんでこない。

 ——これから、腰椎穿刺と骨髄検査だ。

 その検査結果次第では、受け入れ難い現実が確定してしまう。今すぐ逃げ出したいような、叫び出したいようなそんな気持ちに襲われる。


 こんな時、拓海がいてくれたら、と思う。病気に関しては、家族よりも深いところでわかりあえる相手なのだ。無機質な病室のベッドが、彩香をひどく心細くさせた。


「桂木さん、面会の方が来てます」


 そんな言葉に、ハッとなる。ここは沖縄だ、来ているとしたら家族ではなく、もしかして……。そう期待するが、告げられた名前は原口壮治のものだった。


「彩香、体調は問題ないか?」


「あ、はい。大丈夫です。壮治さん、迷惑かけちゃって、ごめんなさい」


「謝るな。君は何も悪くない……。それで、番組のことなんだが」


「降板……になるんですよね」


 せっかくここまで来たのに、と思わないでもない。チャリティイベントで、有名な音楽ステージに立つ夢だって、叶いかけていたのだ。それなのに、こんなところで番組を降板するのは、あまりにも天の采配は無情だと言えた。


「番組も終盤で、後は最終告白と視聴者投票のデートだけだ。もし君が良ければ、病室で最終告白をやり直してもらってもいい。それに、いっそのことドキュメンタリーに出演してみないか?」


「え?」


「検査結果を伝える場面なども、カメラを入れさせてもらいたい」


 まるで、再発が告知されると決まっているかのような無神経な言い様。そのことに憤りかけて、けれど壮治の目を見て彩香の怒りは一瞬で萎んだ。


 あの日、13歳の彩香が白血病であると告知されたあの日の両親の眼差し。どんな手を使ってでも娘を助けたいと願う親の眼差しと同じ目を壮治はしていた。違うのは、両親の目は無力感に彩られていたのに対して、壮治の狼のように鋭い目は、活力に満ちていたことだ。


「壮治さん、こんなこと聞いてあれですけど、壮治さんの娘さんは、移植しか手がないところまで進行しちゃったんですよね」


「ああ」


「それで、ドナーは見つからなかったんですね?」


「そうだ」


 短い返答に、万感の思いが篭っていた。どんな手を使ってでも、彩香を助ける。これは壮治にとってリベンジマッチなのだ、と。大衆を扇動し、骨髄バンクへの登録を促し、少しでも助かる可能性を広げる。そんな考えが透けて見えた。


「わかりました。私のこと、ドキュメンタリーに撮ってください。……壮治さん、賭けに勝ちましたね」


 かつて拓海と共に、壮治と話した時のことを思い出す。もし番組出演者が再発などしたら、大きな話題性を持つ。そこに賭けてリスクの高い若者を集めたのだと言っていた。


 彩香の言葉に、壮治はふっと笑みを浮かべた。それはある種の苦渋に満ちた、ひどくほろ苦い笑みだった。

 

「いいや、負けだよ。娘を亡くしてからまたこんな思いをすることになるとは思わなかった。……病院の方へは俺から交渉する。ご両親へは君が説明してほしい」


「はい」


 面会を終えた後は、腰椎穿刺と骨髄検査を行った。これで、結果次第では嫌な現実が確定してしまう。

 検査の痛み以上に、心が悲鳴を上げていた。それでも、彩香はどんな現実と向き合ってでも生き延びたいと願っていた。

 拓海は、すでに闘病仲間を一人亡くしているのだ。そんな辛い思いを、もう一度大切な人に味わわせることなど、彩香は決してしたくなかったのだから。


 その日の夜、両親は仕事があり、まだ沖縄までは来れていない。電話で撮影のことについて相談することになった。


『彩香? 大丈夫なの? 倒れたって聞いて私……』


 母は電話口で、すでに声を詰まらせている。


「大丈夫。今は元気だよ、それでね、お母さん……」


 彩香が壮治からの依頼について話すと、案の定母は反対してきた。


『そんなの、やめた方がいいわよ。そりゃあ、骨髄バンクのドナーを増やすためっていうのもわかるけど、彩香がそこまでプライベートを切り売りする必要ないじゃない。番組は見ていたけれど、彩香への演出であなたが叩かれているのも見ていたのよ。その上ドキュメンタリーだなんて、何言われるか……』


 三角関係のことで非難が集まっていたのは、母も知っていたらしい。そのことで母には番組への不信感が残っているようだった。


「でもね、お母さん。私、生き残るためにやれる努力は全部したいの。あや恋のおかげで、大切な人にも出会えた。一緒に生きて行きたいって、本気で思ってるの」


『彩香……』


 母は複雑そうにしていたが、「生き延びるためにできる努力はしたい」という言葉に絆されたのか、それ以上は反対の言葉を言わなかった。


 

 

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