第1話
桂木彩香はアルバイト帰りに深々とため息をついた。
夢を追うフリーター、というと、なかなかに人から偏見の目で見られる身の上だ。実際には、中学生の時に白血病を発症し、入退院を繰り返しながら闘病して何とか寛解し、今に至る。寛解したって長期間の維持療法が必要になるし、いつ再発するとも知れない緊張感の中、生きているのだ。
定時制の高校に通いながら、アルバイトで生計を立てているのだって、それなりの努力と苦労があるのだが、あまり周りの理解は得られていない。
今日は、テレビ局のプロデューサーという人と面接を行う予定だ。
シンガーソングライターになりたい、という夢につながりうるお仕事。白血病サバイバーたちの恋愛リアリティーショーに出演オファーがあった。患者会及び患者の親の会では、目下賛否両論の大激論が交わされている番組である。
彩香は19歳の誕生日を迎え、そろそろ真面目に将来を考えなければいけなくなっている。どうせそのうち死ぬかもしれないんだし、という言い訳も効かないくらい、体の調子もいい。
親を説得するためにも、何かしらの実績となるものは欲しかった。恋愛リアリティーショーは、音楽とは直接関係ないけれど、動画サイトにアップしている自作曲の宣伝にはなるに違いない。
できれば、出演したい。
緊張しながら丁寧にメイク直しをした顔で、約束の場所へ向かう。
たどり着いたのは、郊外にあるスタジオ併設のテレビ局。
受付で名前と用向きを伝えると、机と椅子の並んだ無機質な部屋に通される。数分ほどで、プロデューサーという原口壮治がやってきた。
「桂木彩香さんですね。ここまでご足労いただきありがとうございました」
「いっ、いえ。あの、本日はよろしくお願いします」
壮治は椅子に座って忙しなく資料を広げると、その一枚目を彩香に向けて説明しはじめた。
「私たちが計画しているのは、AYA世代の白血病サバイバーを出演者に置いた恋愛リアリティーショーです」
壮治は具体的な企画の内容、どのようにリアリティーショーが進行していくかなどを説明していく。好みの相手がいない場合でも恋愛するように指示をする場合がある、という注意事項を聞いた時は、彩香は少し笑ってしまった。なんというか、率直にリアリティーショーの裏側を覗いているような感覚だ。
「ここまでで、何かご質問はありますか?」
「いえ、大丈夫です。私としてはぜひ出演したいと思っていますが」
「もし出演の意向があるならぜひお願いしたいところですね。やはり一般人向けの、それも白血病サバイバーに対する募集ということで、なかなか人が集まらず。面接といっても、出演意向の確認といった意図が大きいのですよ。特に、桂木さんは音楽活動もしているのでしょう? 芸能界への興味がある方は大歓迎です」
事前に提出したプロフィールも、隅々までチェックしてくれていたらしい。壮治は彩香がシンガーソングライターを目指していることも把握していた。
彩香は何度も頷き、壮治にアピールする。
彩香にとって、夢はただの夢ではない。自分が生きている証明のようなものだった。若くして、いつ死ぬかもわからない状況を経験をしてきたのだ。何かこの世界に残るものを、人の記憶に、心の中に生き続けられるものを、と願うのも、自然なことだった。
13歳で発症してから、約6年。彩香は自分の死という可能性に、慣れることができなかった。寛解後年月が経ち、再発のリスクが減っていっても、心から安心することは出来ていない。いつだって、いついかなる時だって、本当は怖い。その恐怖を乗り越えるために、世界に自分の痕跡を残そうとする活動は、彩香にとって必要なものだった。
元々、目立つのが得意、という性格ではないけれど。彩香にとっては、羞恥心などにかまけている時間など、人生にありはしないのだ。
幸いにも、面接の後、早期に採用の連絡があった。
大量の書類が送られてきて、あらゆる同意書にサインし、番組と提携する医院の案内を読み込む。
振込先の銀行やらなんやらも登録して、彩香は少しずつ、番組への出演が、夢物語から現実へと変わっていくのを感じていた。
わくわくとした気持ちから、少しずつ不安が芽生えてくる。
送られてきた書類に書かれていた番組名は「彩なす恋の物語」通称あやこい。
色とりどりに美しく彩るという意味の「彩なす」が冠された題名には、彩香に主役的な役割を担ってほしいというメモが付記してあった。
不安もいや増すというものだ。
けれどもその不安は、番組の撮影が行われる合宿所へと到着し、同じ白血病サバイバーである仲間たちとの出会いによって、色を変えていくのだった。