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第18話

 その日の夜。

 夕食を終えて、それぞれ思い思いに過ごしているところへ、拓海がギターを抱えてやってきた。


「どうしたの、拓海くん。ギター抱えて」


「んー? うん。ちょっと久しぶりに練習時間取りたいなぁって思って。最近撮影ばっかりで弾けてなかったからさ。あ、もちろん外でやるから、音は合宿所には響かないと思う」


「そうなんだ。……ねえ、それならさ、私もついていっていい? 邪魔はしないから」


「え? うん、いいよ。……あ、じゃあさ、俺が弾くから彩香ちゃん歌ってよ」


 拓海は少し思案顔をした後、いい事を思いついたというように顔を輝かせた。


「えっ、私が? まあいいけど」


 拓海の伴奏で歌うのは嫌いじゃない。むしろ、リズムも音の流れも、とても歌いやすかった。少し恥ずかしくはあるけれど、そんな気持ちさえ、歌っているといつの間にか音の彼方へ吹き飛んでしまう。


「じゃあ、外いこっか」


 夜風の吹き抜ける中を、海辺に向かって歩いていく。沖縄は空気が澄んでいて、星の瞬きがくっきりと見えた。

 お互い特に会話もせず、ただ黙って海辺に座り、拓海はギターを胸元へ構えた。


 彩香が以前好きだと伝えた曲の旋律が、夜の空気を震わせていく。

 低く響くギターの音。彩香の、透明感のあるアルトの歌声。そして、打ち寄せる波の音だけが海辺を満たしていた。


 彩香は今まで、あまり海が好きではなかった。かつて入院していた病室からは、東京湾が一望できたからだ。噂では先の短い人間ほど、景色のいい病室があてがわれるらしいと聞いた。

 どれほど海が綺麗だと思っても、そこに行くことはできなかった。手の届かない煌めきは、彩香にとって自分の未来そのもののように思えていた。


「なんか、夢みたい」


「ん?」


 彩香は思わず呟く。それに対して、拓海が優しく話を促した。


「こっちに来てから、今まで想像もしたことないような事ばっかりだから……。友達と観光するのも、こうやって海辺で歌うのも」


 そっと拓海の手を握る。ここにはカメラも無ければスタッフも居ない。ただ二人だけがいる空間だった。


「彩香ちゃん……。あのさ、カメラがないからこそここで伝えておきたいんだけど……」


「うん」


「俺、本当に彩香ちゃんと出会えて良かったと思ってる。こうやって一緒に音を楽しめているのも、辛い経験を分かち合えるのも。俺にとって彩香ちゃんは、かけがえのない存在だ」


 ずっと、少しだけ不安だった。恋愛リアリティーショーという環境の中で、本当の恋ができているのかどうなのか。常にカメラに追い回されて、気の休まる暇もない。


 最終告白イベントを前にして、番組が終わった後も関係が続くのかどうか。ナチュラルな状態でのお互いをまだ知らないままでは、先は読めない。


「私も、出会えてよかったと思ってる。ねえ……、この番組が終わってからも、ずっと一緒にいられるよね?」


「もちろん。それにさ、音楽も一緒にやってこうよ。チャリティイベントでチャンスもできたんだ。俺も彩香ちゃんとまだ一緒に活動したいなって思ってる」


「えっ、本当に? 嬉しい。私ずっと拓海くんとユニット組みたいなって思ってたんだ」


 共に作曲をしてからずっと、考えていたことだ。拓海とユニットを組んで活動できたら、と。

 軽やかなリズムが好き。柔らかなメロディーが好き。辛いことも前向きに歌いたい。けれど、きちんと向き合いたい。そんな感性が拓海と彩香はよく似ていた。

 それに、彩香は楽器が弾けない分、パソコンでずっと作曲をしていたけれど、生の楽器の音で歌うのは、なんとも心地よいものだった。響きが、お腹の奥まで、ずん、と浸透してくる。その音を横隔膜で拾って、肺の奥から吐息に乗せて、声を響かせるのだ。音と一体になるその感覚は、他の何にも変え難い快感だった。


「俺はさ、ハイリスクなのに移植待機っていうハンデを背負っているから、そう簡単に人に受け入れてくれ、だなんて言えない身の上で。だから、感謝してる」


「そんな、私だって同じ立場だもん……、いや、違うな」


 たとえ同じ立場じゃなかったとしても、彩香が健康体そのものだったとしても、拓海とは一緒にいたいと思っていたに違いない。

 同じ病気を背負っているから受け入れられた、だなんて、そんな程度の気持ちだとは思われたくなかった。


「私はたとえ、自分が健康だったとしても、拓海くんと一緒にいることを選んだよ」


「そっか……。俺も、たとえ自分が健康だったとしても、彩香ちゃんと一緒にいることを選んだ」


 互いの視線が絡み合う。


 そこから先に、言葉は要らなかった。

 月の光が照らす中、二人の影がほんの一瞬だけ、重なる。


 小さな、番組に対する裏切り。カメラのない中での、ファーストキス。


 誰にも見られていないからこそ、真実の関係がそこにはあった。

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