第12話
愛菜の映像作品制作協力が終わったら、次は拓海の作業協力だ。
彩香は指名で引っ張りだこだった。
「彩香ちゃん、協力してくれてありがとう」
「ううん、こちらこそ拓海くんに私の映像制作協力してもらったんだもん。私で出来ることならなんでもするよ。それで、私は何をしたらいいのかな?」
彩香がそう尋ねると、拓海は気まずそうな顔でおずおずと話し出した。
「実は、亡くなった闘病仲間のご両親から連絡があって。子を亡くした親の目線から話せることもあるから、この番組の役に立てるなら立ちたいって。俺らみたいな病気の人間って、死と隣合わせだからさ、俺もそういう現実も伝えたいって思う。でも、一人で冷静に話を聞く自信がないんだ……」
隣にいて欲しいのだ、と拓海は言う。
闘病仲間が亡くなったのは高校生の時なのだそうだ。まだ高校生だった息子を亡くしたご両親の気持ちは如何ばかりだろうか、彩香には想像もつかなかった。
ロケハンでは難しいため、オンラインで話を聞き、その映像を編集していくことになる。
そうして迎えた対談の日。
合宿所の事務室として扱われているところで、パソコンを立ち上げてリモート会議のアプリを壮治が開く。
緊張しながらもパソコンの前で待ち、ぽろん、と軽やかな音がして参加者がオンライン会議室へ入室した。
「こんにちはー。拓海くん、久しぶり! 話を受けてくれてありがとうねぇ。元気だった?」
気の良さそうな中年のご夫婦が画面に向かって手を振っている。
「来てくれてありがとうございます、飯島さん。俺も康太の話、改めて聞きたくて」
「思い出して話してくれる人がいるだけでも違うのよ。拓海くんは、よく康太の話をしてくれるから、私たちもそれで救われてるわ」
康太の母は優しげな笑みを浮かべていた。拓海とは古い付き合いらしく、懐かしそうに「元気そうでよかった」と呟いている。
「康太さん、とは、拓海くんは仲良しだったんですね」
彩香がそう水を向けると、拓海はしみじみと頷いた。
「うん。発症してから知り合って、お互い励まし合いながら闘病してたんだ。康太には随分と支えられた」
彩香には闘病仲間はいなかった。家族は随分と支えてくれていたけれど、病院内の入院患者は、仲良くなっても先に逝ってしまうかもしれないと思うと親しくする気になれなかった。
彩香にとっては、特に会話したこともない他の入院患者が、退院することなくこの世を去っていくのを見ているだけでも辛かったのだ。
そういう意味では、互いに支え合える仲間がいた拓海の強さと優しさを尊敬する。
「康太こそ、拓海くんには救われていたと思う。健康に、太く生きるようにと思って名前をつけたんだがね、こういう結果になってしまって。それでも康太が最期まで幸せだったと信じられるのは、君みたいな友人がいたからだ」
康太の父が、静かに、それでいて柔らかい口調で話す。
「俺は、康太を失った時辛かったけど、康太と友達になれてよかったと思ってます。今日はそのことを改めて確認したくて」
拓海はほろ苦い何かを噛み締めるようにしてそう言った。その横顔はやけに大人びて見えて、彩香は少し拓海を遠く感じる。
そうして、飯島夫妻から改めて康太の話を聞く。
病気を発症した時のこと。闘病生活の話。染色体の異常があって、特別な薬を使わなければいけないと告げられた日。そして薬を使っても病状が進行していく中で、拓海がずっと康太を励ましていたこと。
「血液検査のデータが良くならず、私はどうしようもなく涙が出てしまって康太の病室の中へ入れないでいた。そんな時君が、『康太の前で泣いてもいいんじゃないですか。愛されてる、って感じるから、当事者としては悪い気分じゃないですよ』っておどけて言ってくれたね。それで私は、康太との時間をちゃんとそばで過ごすことができた。君のおかげだよ」
「そんなことないです。俺だって、康太に、康太のお父さんお母さんに救われていました。両親に相談できない弱音も聞いてもらったし、今だって、改めてお話を聞くことで色んな悩みが吹き飛んで……」
拓海がそう言い募ると、うんうんと話を聞くように飯島夫妻は相槌を打った。
「何か悩んでいることがあったんだね」
「私たちも番組を見ているけれど、失うのが怖いから踏み出せないと言っていたわよね」
「はい。でも、それでもやっぱり、俺にとってはこの仲間達が大切な存在なんです。いつか失うリスクがあるとしても」
「ああ、わかるよ。私たちにとっても、康太が私たちの子として生まれてきてくれてよかったと思っているんだ。例えどれほどそれで辛い思いをしたとしてもね」
飯島氏の言葉には、深い優しさが滲んでいた。
「それにね、君たちは一人じゃない。怖さはともに分かち合い、共に乗り越えることもできるんだよ。私たち夫婦が、共に悲しみを分かち合い、乗り越えてきたように」
「あらお父さん、あなたまだ乗り越えてないじゃないの。しょっちゅう泣いているくせに」
「余計なことは言うなって」
そのやりとりに、康太のことを思い出して少し涙ぐんでいた拓海は思わず吹き出す。この明るい夫妻がいたからこそ、拓海と康太は楽しく友人関係を築くこともできたのだ。
「ありがとうございます。飯島さん。おかげで覚悟ができました」
「うん、君にとっていい道へ進んでいけることを願っているよ」
そう言って、通話は終わった。
「少しいいかな、彩香ちゃん」
決意に満ちた表情で、拓海が誘ってくる。「第一印象マッチング」で出会った海辺のバルコニーまで、共に行こうと拓海は言った。
スタッフに対しても、「今からの出来事、撮ってください」と、話しながら、二人はあの日のバルコニーへ向かう。
拓海に手を引かれて歩いていると、指の先からぬくもりが伝わってきて彩香はドキドキするような、安心するような不思議な気持ちになった。
恋愛に不慣れな彩香だが、拓海といると、ほっとする様な気持ちになることが多い。それは、拓海の大きく包み込む海のような優しさを感じ取っているからだった。
バルコニーにたどり着くと、二人はしばらく無言で海を眺める。
ざっと大きな潮風が吹いた時、拓海はゆっくりと口を開いた。
「彩香ちゃん。ずっと言っていなかったんだけど、俺は君に説明しないといけないことがあるんだ」
あの日の夕暮れとは違い、天高く登った太陽がまだジリジリと肌を焼いてくる。じっとりと滲む汗を感じながら、彩香は緊張しつつ拓海の言葉を待った。
「俺は、最初の治療の時に寛解が得られなくて、救援療法ってやつを必要とした。それって、予後不良因子なんだ。だから本当は、寛解した後に骨髄移植をした方がいいって言われてる」
だけど……、と拓海は俯きながら続けた。
「ドナーが見つかってない。今、俺は再発のリスクを抱えながら、移植の待機中なんだ」
「そう、だったんだ……」
不安が、彩香を襲う。「予後不良因子」という言葉の強さが、胸に突き刺さってくるようだった。
でも、それでも。
彩香にとっては、とっくの昔に拓海は特別な存在だった。同じ病気を共有できて、同じ音楽への愛も共有できて。
何より共に作曲した時の息の合い方。
彩香は当たり前のように、「ああ、この人が私のパートナーなんだ」と感じていた。
「私は一緒に乗り越えたい。怖くても不安でも、拓海くんと一緒にいたいよ」
「ありがとう。俺も好きだよ、彩香ちゃん。……ずっと、君に憧れていたんだ」
「……憧れ?」
不思議に思い、彩香は首を傾げた。好きにはなってくれているのだと感じていたけれど、自分は憧れられるような、華やかな人間ではない。
「うん、憧れ。どんな逆境でも夢を諦めずに、この世界に爪痕を残そうともがいてる。そんな姿に憧れた。……俺は音楽の道で生きていきたいと思ってたけど、そんな勇気もなくとりあえずで大学に行ったような意気地なしだからさ」
「そんな……。でも、ありがとう。拓海くんにそう言ってもらえて、嬉しい」
彩香が照れたように笑顔を浮かべると、拓海はそっと彩香を抱きしめる。
ブーゲンビリアの花が、二人を祝福するように、風にそよいでいた。