第10話
「わあ、綺麗すぎる」
水族館を訪れた律香は、感動したようにくるくると回りながら周囲を見ている。
「律香、転ばないように気をつけてよね」
2回目に訪れる彩香は比較的冷静だった。それでも水族館の幻想的な雰囲気には呑み込まれそうになるが。
拓海は一人、彩香と律香を眺めながら、作曲のテーマに使えそうな内容をメモしている。
そしてトンネル型の有名な水槽に差し掛かった時、彩香は楽しげな様子から一点、真摯な表情で口を開いた。
「律香……、やっぱり修学旅行、来たかった?」
無神経な問いであることはわかっている。
けれど、律香は優しい分、こうやって聞き出さなければ彩香への不満も言わないだろう。
あの日、あの病院のベッドサイドで吐き出したっきり、律香は文句一つ言わずに彩香の闘病を応援してくれていた。
泣いていた家族に遠慮をして、あれから気持ちを抑え込むようになったのではないか、と彩香は考えずにはいられない。
「うーん、当時はいっぱいいっぱいでそれどころじゃなかったしなぁ。それに、行けなかったのは自業自得だもん」
「そんなこと……」
「そんなことあるってば。お姉は気にしすぎなんだよ……。と言っても、私がそうやって気にしないで済むようになったのは、あの時皆が本気で泣いてくれたからだし、大切にされてるって実感できたからだと思う。もし家族の中で蔑ろにされてるって感じてたら、辛かったんじゃないかな……」
律香は水槽の壁に手を当てて、群れをなして泳ぐ魚を眺めている。その群れからはぐれた魚はふよふよと所在なげに漂っていた。
「大事に、してほしいなって思うよ、そりゃきょうだい児だって子供だもん。でも親がいっぱいいっぱいなのもわかるし……。そう簡単に答えが出ることじゃないよね」
律香は難しそうな顔で、一瞬黙り込む。
「……お姉には言ってなかったけど」
そして、そのように切り出した。
「お姉はさ、薬の効きが悪くて、完治まで時間がかかったでしょ? それで移植の話も出てて、実は私も適合するか検査したんだ」
「えっ、そうだったの? 知らなかった」
「お姉には内緒だって言われたよ、余計不安にさせちゃうから。実際適合しなかったしね。姉妹なら適合する確率は4分の1とかなのに、骨髄バンクだと数万分の1とか言うじゃん。それなのに適合しなくて、私、お母さんとお父さんに役立たずって思われてるんじゃないかと不安だったんだ。私が自殺未遂した時の、お母さんたちのぐっしゃぐしゃに泣いてる顔見て、勘違いだったってわかったけどさ」
律香がそんな苦しみを抱えていただなんて、知らなかった。
律香は、「でも」と言って、くるりとワンピースの裾を翻して水槽を背にした。
「生きていればこうやって水族館にもまた来れるじゃん! そういうことでしょ? 拓海さんがお姉に言ったのは」
さあ、楽しも楽しも、と言って、律香は彩香の手を取ると水族館を駆け出した。
そうして一日中遊びまわり、水族館から合宿所へ戻った時には、充実した倦怠感が彩香の身を包んでいた。
「彩香ちゃんお疲れ、いい映像が撮れたんじゃないかな」
「拓海くんこそ、BGMの制作アイディア任せちゃってごめんなさい」
「いや、二人を見てたら色々浮かんできたよ。曲さ、『生きてるからこそ』ってテーマにしようと思うんだけど、どうかな」
「いいね、それ!」
彩香が鼻歌でメロディーラインを作り、それに対して拓海がギターでコード進行を決めていく。まるで何度もコンビを組んで作曲していたかのように、二人は息が合っていた。
ぽろぽろと、雨が降るように拓海のギターから音がこぼれ落ち、それに合わせて彩香が歌う。体の奥から湧き上がってくる音は、暖かく柔らかな光を空間に灯すように流れていった。
「楽しいなぁ。なんか、こうやって一緒に音を作り上げていくの」
「ね。番組が終わってからも、俺ら一緒に曲作ったりとかできたらいいな、って思う」
これからもずっと……、と言いかけて、彩香は口を噤んだ。ずっとなんてどこにも保証はない。特に彩香や拓海のような人々にとっては。
それが彩香の拓海への距離感にも出ていた。あと一歩を踏み出す勇気が出ない。
番組のお膳立てに従って、撮れ高を意識したような振る舞いはできる。けれど、カメラが回っていないところで、アプローチすることは出来ないでいた。
彩香のそのような振る舞いを拓海も察しているのか、拓海は拓海でどこか彩香に壁があるままだ。
仲良くはなっている。友達として。
彩香の想いとは裏腹な関係が進展していた。だからと言って、そう簡単に割り切れる話でもない。
——恋愛だって『生きてるからこそ』出来ることなのにな。
わかってる。わかってはいる。
勇気を出さなくちゃ。そう自分に言い聞かせながらも踏み出すことができず、彩香は楽しそうにギターを弾く拓海の隣で拳を握りしめた。