昭和ノスタルジー〜赤いマフラーが靡く〜
俺はある日思い立った。
ーー全部消えちまう前に、書き残しておこうと。
そうだな……乱暴な言い方だが、小説を書こうと決めた。
あの赤いマフラーのこと、そして、どうしようもなくダチだったアイツのことを。
だが、素人だ。
今まで生まれてきて、このかた作文ぐらいしか書いたことがないのである。
いや、それは言いすぎた、大学入試で小論文ぐらい書いたことがある。
満点はもちろん取れなかったーーそこは、なんと言うか察してほしい。
そもそも、小説を書こうなんて、なんで思ったのかーー。
その考えに至った経緯から説明するのか?
めんどくせぇな。
そもそも、素人の俺がこんな文章を書くなんて思ってもみなかった。
大学は一応法学部。
カチッとしたボタンダウンにチノパン、7:3の横分け。男どもの半数はそんなだ。
たまにカーデガンまで肩にかけて、爽やかにきめるボンボンまでいやがる。
おーお、カッコつけやがって。
しめたろか?
まぁ、こんな”もやし”ども、相手にしても仕方ない。
だがな。男どもはまだいい。
キャンパスに夢を持つのは当然だし、俺も21になる歳だ。
それなりの恋愛だってしてきたさ。
甘い恋もしたし、心がちぎれた恋もしたさ。
いただけないのはーー俺のタイプ。 いないんだよな。
はなっから、期待はしてなかったがーーいや、それは嘘だな。
だが、ここは許せない。
普通、こういう物語には、必ずヒロイン級の美人が登場するだろ?
そうだよな?
俺の考えは間違ってはいないはずだ。
誰もが期待する。
「ここのお店、行ってみない?」
「ごめんねー、私、漫研の合宿があるの」
なんて言っちゃってる。真ん中分けでおさげの同級生。
色白、眼鏡のやつががほとんどだ。
とびっきりがいない。
この大学のミスコンに人気がないのが頷けるよ。
俺はそのキャンパスの、メガネやらおさげの目線にうんざりしていた。
なぜなら、俺は浮いていたのだ。
法学部には場違いな格好と髪型。
それに、性格もだな。
まぁ、そこはおいおい話すとしてだ。
俺はーーま、俗にいう”ヤンキー”ってやつだ。
……思い出すぜ、あの頃をな。
***
髪を切りに行くのは、13歳から通う近所の床屋。
店の椅子に腰掛けると、おっちゃんがさっとビニールのケープをかける。
「伸びたね」
おっちゃんの決め台詞。
目の前の鏡を見ていると、カクカクっと椅子が倒される。
「おっちゃん、アチい」
おっちゃんが、何も言わずにアイロンを温め、たまに”デコ”(額)に火傷を残す。
耳が遠いせいかーー俺の言葉は完全に無視だ。
歳だからまぁ仕方ない。
6mmのコテを当てる手も震える。
……ってか、それな、どうなのよ。
おっちゃんは白髪まじり、いや、銀髪か。
歳はジジイに近いな。
眼鏡越しにおっちゃんが鏡を見ながら、コテをくるっとまわす。
その目はどこか視点が合わない。
だからだよ。
火傷があとをたたない。
焦げた匂いとふわっと上がる煙が目にしみる。
薬剤が強いせいだ。
そんなおっちゃんは、話もせず集中。
普通、床屋のおっちゃんって、もっとしゃべるだろ?何か聞くだろ?と、思いながらも7年は通っている。
まぁ。気に入ったスタイルにはしてくれるし、料金がべらぼうに安い。
まだ、ガキだった俺にはお年玉か、バイトで得た金ぐらいしかなかったんだよ。
朝刊の新聞配達。これは毎日だったな。
桜の季節だと、親戚のテキ屋が上野の不忍池で、もろこし焼きやら、たこ焼きの買をしてたから手伝ってーー。
それとーー近所の米屋の餅運び。
まぁこれは年末だけのバイトだがな。駄賃が良かった。
裕福でもない、いや、むしろ貧乏人。
貧乏人のガキがパンチパーマ、贅沢が過ぎる、って自分でも思ってる。
「ガキがイキがって、生意気な……」
近所の町内役員の頑固じじぃにも、言われたことあるしな。
ーーここの床屋しか、
俺の髪をツッパリと、決めてくれるところはない。
いや、違った。さっぱりな。
来る客たちは、皆強面。
その筋のお方たちだ。 目が鋭いし。
顔に傷があったり、指も無かったりだ。
ガキの頃はーー
「坊主、また会ったな」
きちっとパンチの仕上がった、その筋の方に声をかけられることも屡々。
下町あるあるだな。
だが、おっちゃんの店には、華々しく飾られたトロフィーや賞状が来る客の目をひく。
賞状は儚げに茶色くくすみ、その栄華をひそめてはいるのだがーー。
ひりつくデコをタオルドライ。
おっちゃんは苦笑い。
おっちゃんよー、と青と赤が斜に流れる窓の外、看板を眺めた。
ガッシャーン!
あーあ。
やったな。
血ー出ちゃってるよ。
膝、ヒリヒリだろ?
わかるぞ。
「ちょっと、坊や大丈夫? ほら、これでも食べな!」
向かいの駄菓子屋のおばちゃんだ。
ラムネ菓子か……懐かしいな。
お!、でも受け取ったな。 正直なガキンチョだ。
それよりもよ、ペダルが変な方に向いてるぞ。
菓子屋のおばちゃん……ガキンチョの鼻水拭いてやれよ。
”チャリンコ”でーー転ぶか。
俺だってあるぜ。 いてぇー経験。
……思い出すぜ、ガキンチョの頃をな。
***
「りゅうちゃん、遊びま、しょ〜」
笑える呼び出しだろ? 昭和だ。
俺ん家の玄関、”ピンポン”すら付いてないんだぜ。
「ああ」
幼馴染みの『山ちゃん』。
ニコニコしてやがった。
自慢げに見せにきた。
ヘッドランプがパカって開く、ギヤ付きのスポーツチャリをな。
「これ最新式で、仮面ライダーが乗るサイクロン号って、言うんだ」
おいおい、ずいぶん金持ちじゃねぇか。
『……ライダ────! へ・ん・し・ん。 とぅ────!』
サイクロン号に跨って言う名台詞な。
山ちゃん、わざわざやって見せなくても……。そこちょっとウゼェな。
お前らも知ってるか? 知らなきゃ、わがの親父にでも聞いてくれ。
バッタ面のヒーローが流行ってたからな。
白黒のテレビで色は分からなかったが。
いつか忘れたな。
「高かったぜ、でも、相撲が見たいからな」って、親父が小さなカラーテレビ抱えて笑ってな。
その”色がついた”テレビにかじりついて、見たもんさ。
サイクロン号ごと、宙返りする名シーンに俺も憧れたもんさ。
「ライダーーージャンプ!」
俺だってそれぐらい知ってる。
山ちゃんは、そのチャリの速さを自慢したいのか?
「飛鳥山まで行こうよ!」
ハンドルを握りしめる。
おい、お前はいいぜ、早いからな。
ギヤもついてる。
だがよ。 俺のは、オンボロのママチャリだぜ?
ニヤッと笑いやがって。
殴ってほしいのか?
「戦争は、下り坂でやろうよ!」
奴のその言葉にサドルを下げたよ。
仕方なくな。
ギュン、ガチャ、カカカとサイクロン号のギアの音。
勢いよく走るスポーツチャリ。
おいおい、靡いてるぞ。
その赤いマフラー、完全に意識してるだろ?
俺は目に汗が滲む。
チンチン
並走してる黄色い都電に目をやり、『山ちゃん』ことーー山田和広が全力でペダルを漕ぐ。
勝てるわけ、ないのである。
山ちゃんは、息も絶え絶えに俺に振り返る。
「はぁはぁ、やっぱ勝てなかった〜」
そのマフラー外せば? 汗だくだぞ!
お? 俺にしろってか?
渡された赤いマフラー。
山ちゃんの汗の匂い。
なんか爽やかなんだよ。
「自転車交換しよう!」
マジか。
新品のチャリ俺に貸してくれんのか?
……なんで俺に……。
知ってか、知らずか奴の口元が綻ぶ。
「ここから登ろう!」
おーお、ありがたいこって。
ゆるい坂を選んでくれったってことね。
だがよ。 ここ砂利道だぜ?
スポーツチャリ、立ち漕ぎしたよ。
グラグラするハンドル、ちから入れすぎちまったじゃねぇか。
「はぁはぁはぁ。着いた」
先に山ちゃんがオンボロママチャリで頂上に着く。
暮れなずむ太陽。
風は無風。
「はぁ、はぁ、はぁ。ったく」
奴の汗が引いた頃、ようやく俺も頂上に辿り着く。
頂上には、この公園の代名詞。
タコの形を模した大きな滑り台がある。
「おかぁちゃん、見てて」
「タコさんの滑り台、気をつけてね」
まだ幼い女の子を連れた母親が、心配そうに娘を見ていた。
微笑ましい親子だぜ。
おっと、それは置いといてーー
涼しい顔の山ちゃんに悔し紛れの一言。
「はぁ、はぁ、よし、ここから勝負だ!」
全身ぐっしょりさ。 夏でもないのに。
だが、負けず嫌いな俺は、スポーツチャリのサドルを下げた。
足が短いからな。 ほっとけっ!
『山ちゃん』が、タコ公園の時計を見た。
思わず時計を見ちまった。 5時まであと残り1分だ。
知らないだろ? 『夕焼け小焼け』。
あ、知ってるか。
名曲だもんな。
俺の地元じゃ夕方5時には必ず流れるんだ。
下町だろ?
奴の目が閃くのを見逃さなかったぜ!
ああ、わかってる。チャイムが合図だな。
ゆ〜や〜♬
ギュン、ガチャ、カカカ!
「「ゴー!!」」
ジャジャジャジャって砂利道を降りたさ。
「しょッ、 かぁー! やべっ! へん、しんどー」
ガッ!
俺の身体はーースポーツチャリとともに宙を舞った。
「あ、ぐるっと、スゲー! りゅうちゃん、それって、ライダージャンプ?」
ガッシャーン!
「ててて」
「かっこよかったよ!りゅうちゃん」
締めるぞ!
ほんとに。
***
「お愛想」
おいおい。おっちゃん。それって寿司屋か?
床屋のおっちゃんがデカイ電卓を弾く。
老眼鏡が分厚いし、ボタンを押す手も震えている。
「いつもの5000円……」
俺は聖徳太子の顔がシワシワな札を出す。
「火傷の分……引いとく」
おっちゃんが伊藤博文の”鯖券”を二枚、さらに50円玉をひとつお釣りに寄越す。
3000円でいいのか?
大丈夫か?間違ってない?
なぜ、50円玉も寄越す?
不安になったが、おっちゃんはニヤッとしていた。
「ラムネでも飲みな」
「ありがとう。また来月」
カラン
俺は床屋から出て、ガスくさい下町の空気を吸った。
前の駄菓子屋を懐かしさも相まって覗く。
ガキの頃は50円玉握りしめて、コーラの飴を買ったっけ。
駄菓子屋のあんこもちや杏ジャムも捨てがたいが、何しろ50円玉一枚しかないのである。
買えなかったんだ。 察しろ。
そんな時ーー「ピーピー♪」
腰のベルトにつけてる、”ポケベル”の呼び出し音が鳴った。
これを読んでるお前らはしらねぇだろうから、説明するか……
簡単に言えば当時、流行った通信デバイスだ。
登録してる相手先から、連絡が欲しい時に鳴るんだ。
文字は数字だけ表示される。
例えば、”88991”は『早く来い」、なんて解読が必要だ。
まあ、わからない奴は親父かお袋に聞いとけ。
話を戻すが俺のポケベルにはその時、”49”と入っていた。
「『至急』か……」
独り言ち電話ボックスを探した。
商店街の真ん中あたりで、大型青電話機のボックスを見つけた。
焦っていたのか、間違って50円玉を入れちまった。
ガチャッと取り出し口に戻ってくる。
ギザギザの10円玉を何枚か投入して、ジーコジーコとダイヤルを回す。
知らねぇだろうな。
当時は数字の書いてある穴に指を突っ込んで、ダイヤルを回すのさ。
「プープープー」
「話中だ」
不安に駆られ、ポツリと声が出た。
まさか……”事務所”で何かあったのか?
俺は嫌な予感とともに走り出した。
昭和通りに出る。
北区、荒川区を通る環状線だ。
タクシーを呼ぶのに、通りの端に出て待つ。
排ガスを振り撒く大型トラックやダンプが走る中、中々タクシーは来なかった。
ガスが目に沁みる。
その時、キキー!とブレーキの音。
「あぶねぇじゃねぇか!」
舎弟の雄一がベンツ560SELの窓を開けた。
「やっぱりここにいた。 兄貴、やべぇことに……とりあえず乗ってください」
バタン
車の中に流れるラジオの音。
『ラララ〜ラララ、ラララ〜今何時?そうね、だいたいね〜♪』
流行りのサザンだ。
俺は後部座席に乗った瞬間、トントン。
赤のマルボロの底を叩く。
煙草だよ。
これをすると葉が詰まって、吸い心地が違うんだ。
「ふぅー」
一服して、窓を開く。
片手でハンドルを切る雄一に声をかけた。
「それで雄一、何があった?」
「兄貴、抗争が始まっちまった」
ポツポツと雨粒が車の窓を打つ。
フロントガラス越しに、ふと流れる景色とともに”赤いマフラー”が見えた気がした。
違う組織に入った山ちゃんーー。
もう何年もあってねぇのに、まだ幼馴染のあいつの声が耳に残ってやがる。
『戦争は、下り坂でやろうよ!』
あの時、転んだ俺を見て笑ってたっけな。
立ち上がる度、何度でも。
俺は煙草を咥え、窓の外を見た。
「行くぞ」
友情ってのはーー
一度転んでも、また漕ぎ出せるのかもしれねぇな。




