第17話 違和感
「……」
灰色の魔力が斧の刃にまとわりつき、消えかけた蝋燭の火のように、かすかに揺れている。
張りつめていた神経がぷつりと切れたように、俺はその弱々しい魔力を、ただ黙って見つめていた。
しばらくして、ふと我に返ったように周囲を見渡す。
ベルクの姿は、どこにも見当たらなかった。
……本当に、どこかへ行ってくれたらしい。
前回が例外だっただけで、ベルクは本来、人を襲うようなモンスターじゃないからな。
ラフタスさんもこの辺りに危険なモンスターはいないって言ってたけど……念のため周囲の警戒はしておいた方がいいかもな。
あの巨体でいきなり近くに来られたら、さすがに心臓に悪い……。
俺はゆっくりと、体を預けていた壁から背を離した。
背中に残った湿り気が、服越しにじわりと肌に張りつく。
俺は張り付いた服を軽く引きはがしながら、丸太の近くへ歩きながら肩を回し、こわばっていた筋肉をほぐした。
そして、斧の柄をしっかりと握り直すと、深く息を吸い込み、両手から刃先へと魔力を流し込んだ。
先ほどとは違い、柄には魔力が薄く纏わり始めていた。
それは、刃の先端まで静かに届き、灰色の魔力が揺らめく火のように刃を包みこんだ。
魔力の流れが乱れぬよう、俺は再び呼吸を整え、意識を一点に絞る。
斧を振り下ろす瞬間まで、ただ魔力と動作の同期に集中した。
そして―――
「ズバンッ!」
破裂音にも近い乾いた音が、森に響き渡る。
薪は一撃で真っ二つに裂け、破片が地面に跳ねた。
「……お、おぉ」
魔力で強化された斧は、格段に切れやすく、途中で止まることなく一撃で繊維を断ち切った。
ただ、振り下ろす動作と魔力強化を同時に維持するのは想像以上に難しい。
少しでも意識が逸れれば、魔力の流れは途切れてしまう。
一発で成功したのは、正直、奇跡に近い。
まぁ、それでも体力的にも時間的にも効率が格段に上がるのは間違いない。
それに、『魔力操作』の経験値も、微量ながら蓄積されている。
このまま続けていけば、いずれは意識せずとも魔力を纏えるようになるかもしれない。
―――――――――
「ズバンッ―――!」
「はぁ……ぁぁ……」
斧を地面に放り投げると、絞り出すよう声とともに、全身を大きく伸ばした。
肩から背中にかけて、鈍い痛みがじわじわと広がっていく。
どれほどの時間が経ったのかは分からない。
ただ、腕も肩も腰も、限界を迎える一歩手前だ。
それに、予想はしていたが回数を重ねるごとに集中力が削られていくのを感じる。
最終的に、魔力強化の成功率が五回に一回程度まで落ちてしまった。
それでも魔力強化の効果は凄まじく、この調子なら三日もあれば、残りの薪をすべて割り終えることができるだろう。
……とはいえ、これ以上続ければ、明日動けなくなるのは目に見えている。
今日は、ここまでにして薬草採取に―――
「カサッ」
斧を手に取ろうとした時、森の少し奥から、微かに草を踏みしめるような音が聞こえた。
音の方をすぐさま見るが、まだ何の音かは分からない。
俺は音の方から目を離すことなく斧を拾い上げると、斧を構えながら小屋へとゆっくりと近づいた。
そして、俺が小屋へと入ろうとした時、奴は森から姿を現した。
「……お前かよ」
そこにいたのは宿屋のおばさんの息子"スティグ"だった。
彼はいつも通り、背中には弓を背負っている。
歩いてくる様子を見るに、どうやら怪我は治ったようだ。
「なにしに来たんだよ」
「なにしにって、薪割だよ。怪我が治ったんなら手伝いに行けって、母さんが言うからから来てやったんだよ」
「ああ……そういうことか……」
確かに、ラフタスさんは元々俺じゃなくてスティグに薪割をやらせようとしてたな。
それで、その話を聞いてたおばさんが手伝いに来させてくれたって感じか?
嬉しいような、めんどくさいような。
「お前こそ何だよ、斧なんて構えて」
「ベルクかと思ったんだよ」
「……はっ、なんだよ。ビビってただけかよ!」
少年は一瞬の間のあと、すぐに馬鹿にするように笑いながら近づいてきた。
「まぁ、あんな経験をしたら、お前みたいな腰抜けはトラウマになっちまうよな。やっぱり冒険者になるには俺くらい勇気のある男じゃないと!」
「いや、お前、真っ先に逃げただろ。しかも、俺を置いて」
「…………まぁ、お前目線はそうかもな」
「……」
なんだよ、”お前目線”って。
というか、お前が矢を外してベルクに当てなかったら、あんなことにはならなかったんだぞ。
なんか、会話するのも疲れてきた。
「ま、まぁ、安心しろ。この前みたいに追ってくるなんてことがない限り、ベルクがこの小屋の周辺に来ることなんて無いからな」
「え……さっき、そこにいたぞ?」
「……ん……なんでだ?」
「……」
コイツ、マジで信用しない方がいいな。
前も、”矢をビシッと当てるとこを見せてやる”とか言って外してたし。
外したから、あんなことになったわけだし。
「ベルクがいるのは、もう少し森の奥のはずなんだけどな。それに人気のあるところには無理して来ないはずだし……」
「どちらかと言えば、ここは人気のない場所だろ」
「いや、ラフタスさんがよく薪割をしてるからな。それに、現にお前だって毎日ここで薪割してるんだろ?」
「まぁ……確かに?」
「もしかして、餌が無くて生息地を変えてるのか……?」
スティグは神妙な面持ちでボソボソと呟きながら振り返り、来た道を速足で帰り始めた。
「おい、どこ行くんだよ」
「どこって、村に戻ってベルクのことをみんなに伝えに行くんだよ。もしかしたらベルクの生息地が変わったのかもしれない。それで村にでも下りてきたら畑が大変だろ!」
「……え、薪割は?」
「……」
「……」
わざとらしく声を荒げたスティグは、一瞬だけ静かになり足を止めたが、まるで聞こえなかったように再度スタスタと速足で歩き始める。
その様子を、俺は特に声をかけるでもなく、呆れながら見つめていた。
アイツ、サボりたいだけだろ。
―――――――――
スティグが小屋を離れた後、俺はスティグに教えてもらったガームショールの群生地に来ていた。
本でここまでの道を知ってからは、ほぼ毎日、薪割後に来ている。
そのおかげでこの場所に対する恐怖も少しは減ったと思っていたのに、さっきのことがあってから、やけに周りが気になって仕方がない。
それに今の俺には、このナイフしか武器がない……。
いや、そもそも戦おうとするのがよくないんだよな。
別に何もしなければ、あっちも何もしないんだ。
過度に緊張しないで、落ち着いて対応すれば何も問題ないはず。
俺は、自分をそう言い聞かせながら、ガームショールの採取を続けた。
「ふぅ……」
ガームショールを根元から切り取り、ポーチに優しく入れると、少し疲労感の溜まった体を起こした。
「当たり前だけど……結構減ったな……」
俺が毎日ガームショールを採取しに来るせいで、辺り一面真っ白だった地面は、ところどころ緑の葉が見えている。
俺は少し悩んでから、群生地の脇の森へと、迷わないよう慎重に足を踏み入れた。
部外者の俺が、ここから花を取りつくすのはよくない気がする。
もしかしたら、村の人たちが必要になって取りに来るかもしれない。
それに『オラトリアム・オンライン』では、群生地で短期間に大量のアイテムを採取すると、そこは群生地として機能しなくなる。
現実の自然や植物についての知識は無いが、この世界が『オラトリアム・オンライン』と酷似している以上、これ以上ここでガームショールを採るのはやめておいた方がいいだろう。
それに、ムーシュルームもある程度採れたから、そろそろ別の薬草が欲しいと思っていたころだった。
ノクシアリスにネトリス……あとミストラリスも―――
薬草を探しながら歩いていると、視界の端に何かが映った。
今まで森で見たことのない何か。
反射的におかしいと思えるような何か。
俺は、ふとその違和感の方向へと視線を向けた。
すると、そこには、
―――木の幹に”一本の矢が刺さっていた”




